第22話 大木戸遼平の日誌 その3

6月30日 曇り

 堀之内春の連絡に気が付いたのは、午後の講義が終わってすぐだった。スマホのポップアップに『今から伺うことは可能でしょうか』というメッセージが入っていたのだ。あれから一週間たっていたのだが、もしかしたらもう来ないのではないかという不安も少しあったため、一も二もなく大丈夫だという返事を送る。治療が成功した場合や、こちらが用意した環境が気に食わない場合彼女はわざわざここに来る必要性が生れないためだ。逆にここへ来たいと考える時は、治療がまだ終わっておらず堀之内春が苦しんでいることを表す。

 実際ここを訪れた時、堀之内春はかなり弱っていた。ことのあらましを聞いたら、僕が紹介したオムライス屋で食事をしようとした矢先に、ギフテッドプログラム内のサポートシステムが自分の中で生まれたというのだ。

 結論としてそれは100%あり得ない。人の思考をデジタルに反映させることはある適度可能だが、デジタルの思考が脳をジャックするなんて起こりえるわけがない。堀之内春は自分の中のもう一人の思考を抑えきれていなかったのだが、それが変容したと考えるのが最も自然だろう。前回の治療が作用したことは間違いない。良いか悪いかを判断するのは早いが、治療が全くの無駄ではなさそうでひとまずは安心だ。

 マシンを使用した治療の約束はしていないが、来たついでなので治療するか尋ねてみた。堀之内春は少し考えた後承諾する。気がかりだったのは、彼女がやや衰弱しているように見えたことだ。食事もとっていないようであるし、前回のように疲労で中断するのも望むところではない。受けるなら万全であるに越したことは無い。彼女には食事をするよう促してみたが、食欲はないようだ。本人にしてみれば治るかどうかもわからない謎の症状が自分を苦しめている最中だ。食事など不安で喉も通らないだろう。

 治療の準備が必要なので彼女には30分自由にしてもらうことにした。記録用の道具を急いで研究室からかき集め実験室に向かったら、着くころにはすでに彼女は部屋の前の長椅子に座っていた。早く準備をしてほしいという無言の圧力を感じる。ただ、その彼女の手の中にコーンスープの缶が握られていていることに気が付き少し安心する。あれぐらいの年齢の子は食が細いからもしかしたらあれで足りるのかもしれないなと思った。


 早速起動した仮想世界では交霊術がテーマで話は進んでいた。


『この状態で音の発生源を特定することは難しそうだ』


 テキストも順調にながれてきている。前回は色々戸惑う場面もあったが僕も慣れてきた。少しでも気が付くことが無いか、映像とテキストのディスプレイを交互に見ていく。今回は何事もなくコンテンツは終了しデフォルトルームへ画面が移った。そう。これが通常なのだ。仮想現実で用意された情報を取得さえすれば終わりなのである。聞こえていないがサポートシステムと堀之内春は何か会話しているのだろう。画面だけでは何の変化もないが、テキストだけは流れていく。


『死体を発見するエピソードこそ仮想世界で見せるべきではないのか』

『どうにもエピソードに整合性を感じない』


 これで今日はおしまいでも良いかと思った。前回は勝手がわからず3つも怪異を見たため負担が大きかったに違いない。そう思い、終了ボタンを押そうとした矢先である。また出たのだ。あの謎のモノサシが。それは手記になり、堀之内春の手に収まったようだった。やはりおかしい。これは堀之内春の好奇心にサポートシステムが反応し、どうやら自身でコンテンツを生成しているようであった。堀之内春とサポートシステムのどちらがこの仮想世界の主導権を握っているのかわからないが、プレイヤーの領域を超えていることは間違いなかった。オープンワールドで『仕様上中に入れない家』があるとしたら、彼女はその家の中を創造し、探索を開始してしまう事が出来るのだ。ヴォース博士の作ったシステムの説明にそのような部分は無かったが、堀之内春と出会う事で何かしらの化学反応が起こっているに違いなかった。そのカギとなるのがあの光るモノサシである。


 手記を読んでいる彼女の思考が流れてきた。手記の内容は私のディスプレイでも確認することが出来たので、共に目で追いながら見比べる。


『子供を犠牲にして得ることが出来る富は、どうしてそれだけの価値を持っていたのか』

『きっかけは貧困である事は間違いないが、ここで語られる悪意とは本当に悪なのだろうか』


 やはり一般的な感想からは少し離れた発想をする人だと改めて思った。なんというか……機械的だ。良くも悪くも。このあたりから永遠とテキストだけが流れ始めた。ただ前回と違いスピードは通常の人間の思考スピードと何ら変わらず、自問自答を繰り返しているようであった。最後のテキストはこのようになっていた。


『人は交霊にすがっているのではない。大切な人の死を受け入れられないのだ』


 心臓がとてつもなく苦しくなる。忘れようとしていた亡き妻と娘の顔や声、感触が一瞬にして蘇り私の自由を奪ってしまった。

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