第28話 最終章 百万遍

「‥‥‥申し訳ない」


 オーキドはベッドに横になっている私に深く頭を下げていた。

この知らない天井の感じは‥‥‥大学の医務室か。気絶したのは生まれて初めてだな。聞いてみると失神だそうだ。立ち眩みがリカバリーできないまま眠気が襲ってきた感じだった。最後に仮想世界で見た光景に対し、怒りが急激に膨らんでいったのを感じていたが、どうやらそれで血の気をごっそり持っていかれてしまったらしい。オーキドは危機管理が甘かったと、さっきからずっと謝罪している。

 私はというと、驚くほどすっきりしていた。まるで悪い夢でも見ていた時の朝のように、むしろ目覚めて安心感さえ得ている。私自身反省しなければならない。自分の故郷がモチーフだったので、感情移入しすぎてしまった。


 あの親子は存在しない。全て作り物だ。


 まるで自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。


「本当に申し訳ない。今日はもう終わりにしましょう」

「いえ。良ければすぐ再開させてもらえませんか?」

「いや、しかし——」

「元気元気です! へっちゃらです!」


 ひょろい腕で力こぶをつくるポーズをしておどける。だって、作り物だとしてもこのままではよくないもの。あの悲しみを終わらせられるのは、きっと私だけなんだ。だからすぐいかなければなんだ。


「さすがに明日にしましょう。これ以上あなたに負担をかけさせるわけにはいきません」

「大丈夫です。やらせてください」

「しかし——」


 オーキドよ。覚えておくと良い。私は嫌な奴なんだぜ。自分勝手で意固地で欲しいものは全部手に入れるラスボスみたいなやつなのだよ。だから、やると言ったらやるんです。


「やらせてください」

「‥‥‥」


 有無を言わせない口調だったが、さすがのオーキドもじゃあやりますねと返事できるわけでも無いようだった。医療事故みたいなもんだからな。気持ちはわかる。


「では、ゲームをしましょうか」

「ゲームですか」


 私は条件を持ちかける。


「はい、ゲームです。この後の治療でもしまた失神等を起こしたら、私の負けです。そちらの提示を無条件で飲みます」

「あなたが勝ったら?」

「なにもいりません。私の要求はすぐに仮想空間へ再突入する事ですから」

「それでは勝負になってませんね」

「じゃあ‥‥‥なにか美味しいものでもおごってもらいましょうか」


 少し間を置くと、オーキドはあきらめたようにフウとため息を吐いた。


「わかりました。治療を再開しましょう。こちらの条件は今後全ての治療はこちらの指示した場合以外では決して行わないこととします」

「かまいませんよ。さっ。はじめましょう」


 私はベッドから起き上がるとオーキドをせっつきながら、部屋を出る。起き上がると思った以上に足が絡まり上手く歩けなかった。あれ? これ大丈夫か?



『もうひとつのリアルへようこそ』


 いや、前回はマジでリアルだったぜ。


「ナビゲート致します。よろしくお願いいたします」


 おや、もはや戦犯の名をほしいままにしている人工知能のルマンド氏ではないですか。


「先ほどの世界を再度構築いたします。コンディションは大丈夫でしょうか」

「大丈夫。さっさとはじめておくれ」


 私の言葉に対して返事をするかのように、さほど間を置かず世界が構築されていく。

 あの母親がいた民家の前にスポーンした。私は小走りで玄関まで駆け寄ると、チャイムも鳴らさず玄関の扉を躊躇せず開けた。


「こんにちは!」


 その声に反応するように、奥のリビングがあるであろう部屋から、母親がでてきた。まるで最初に出会った時と何ら変わりない、日常生活の延長線上に彼女は居た。


「あら、あなたたちはこの前の同級生の子達。今度はどうしました?」


 賽の河原での出来事はまるでなかったかのような反応だ。いや、実際なかったことにされているのかもしれない。そう思わないと説明がつかないくらい母親は落ち着いていたのだ。しかし、それを確認することはできなかった。


「あの——。私‥‥‥。私‥‥‥!」


 しかし、その後に言葉が続くことは無かった。


 私は、何か声をかけたかったんだ。


 子を失った親の悲しみをみて、だから少しでも、例え相手が作り物のAIだったとしても声をかけたかった。声を掛けられると思っていた。しかし、子供を失った母親を目の前にして私はふさわしい言葉を何一つ持っていないことに気が付いた。お悔やみ申し上げます? 元気出してください? 違う。そうじゃない。私がかけたかった言葉はそんなものでは無いんだ。


「‥‥‥」


 金魚のように口をパクパクさせていた。手も何かを伝えようと、体の前で待機している。けれどそれは全て空回りに終わってしまった。心と体は伝えたいことがたくさんあるのに、頭が全くついてこない。しばらく沈黙が続き、ついに私は声をかけるのを諦めてしまった。この母親の顔を見ることもつらく、私は卑怯にもうつむき、何も視界に入れないようにした。なにも言えないことが悔しかったのだ。

 ぽん、ととてもやさしい手で肩を叩かれた。顔をあげると母親はやはり少し困った顔で笑っていた。


「ありがとうね」


 そんな言葉を聞いて、出てきた感覚は罪悪感だった。この人は、たぶんずっと母親なんだ。これからも、おそらく自分が自分だと分からなくなる日までそれが変わる事はない。私のような人間からしたら、遠い遠い別世界の人間のようにすら思えた。


「さあ、お子さんを救いに行きましょう」


 横のルマンド氏がいつものナビゲートと同じ抑揚で私たちに声をかけた。そういえば最初にこの家に来た時もそんなことを言っていた。以前と違いその言葉はすんなり私の中で消化できた。


「お子さんを救う手段を提案します」

「‥‥‥どんな事なんですか?」


 母親はこんな光る玉の戯言をまじめな顔で聞き返す。


「まず、今回の目的『お子さんを救う』の具体的な目標設定を行いましょう。賽の河原とは、ご存じの通り成仏できない子供が苦しむ地獄です。成仏するためには、河原の石を積み上げ石塔を完成させる必要があるのですが、それにはあの鬼が邪魔になります。最終的なゴールは成仏を目指しますが、短期的な目標としてまずは鬼の無力化。同時にお子さんの強化を行いましょう」


 不思議な感覚だった。言っていることはめちゃくちゃで、ふざけているのかと怒られても仕方ない。そんな内容のはずなのに、この言葉にはどこか安心感や頼もしさがあり、この場にとってはそれが唯一と言っていいほどの希望であった。


「どうやるの? またあの地獄に行くの?」


 こいつが何を考えているかは検討もつかないが、母親の為にもそれは避けるべきだと思った。


「いえ、それはしません。というかもうできません。安全上の問題でシステムにロックがかかり二度と再現できないワールドとなりました。」


 いきなりなメタ発言。こういう発言でちょいちょい現実にひきもどされるんだよね。


「方法はシンプルです。お地蔵様におねがいするのです」

「お地蔵様? あの‥‥‥傘地蔵とかに出てくるお地蔵様?」

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