第6話 VRマシン

 マンションのソファーで寝ころびながら、人生は思うようにいかないなと放心しながらただ天井を眺めていた。周囲には食べかけの袋菓子が放置してある。また手を伸ばそうという気力すら起きなかったのだ。治療が始まるまでの数日間は、最高に自堕落な生活を楽しむ予定でいた。せっかくなので一週間くらい骨休めしてから、治療を始めるのがベストではあったのだが、この頭の中のジャック犯との共同生活がそれを許すことはなかった。

 別の人格が体を勝手に乗っ取るようなドラマチックな病気ではないので、家にいる限りは社会的に無害であろうと予測していた。つまり、積んでいた本や映画を楽しむことはできるわけで。これってもう合法的なさぼりじゃんと、浮足立っていた。しかし、この“強制的に考えてしまう”という症状は、少なくとも時間をある程度必要とするエンタメとの相性は最悪だった。見ていたはずのシーンが飛んでしまうのだ。中学生のころ、リバイバル上映していた『タイタニック』を母にせがまれて一緒に見に行ったことを思い出した。ポップコーンとコーラ、ナチョスをお供にしたことも覚えている。その時注文したナチョスが体に合わなかったらしく、上映中にお花摘みに行くはめになってしまった。結果、私のタイタニックの記憶は船が今まさに沈もうとするところから、デカプリオの死亡シーンまでジャンプすることとになる。母からは「あんた何しに来たの」とまで言われた。「えー、せっかくだから私ナチョスも食べたーい」と駄々をこねて頼んだあんたが原因でしょと言いたかった。休暇中のあらゆるコンテンツがこの『タイタニック現象』になってしまったのである。

 放心状態で三日間すごし、四日目の朝、ついにオーキドから準備が整ったので、いつ来ても良いと連絡がきた。しびれを切らしすでに出発する準備はできていた私は、ソファーから飛び起き、まとめていた荷物を背負い部屋を飛び出す。現代人の弱点は暇に耐えられないことなのだと思い知った三日間であった。

いくつかの電車を乗り継ぎ、私は再び研究室を訪れることになった。正確には前回オーキドと話した事務所のような部屋ではなく、治療用(実験用?)に用意されたであろう、別棟の少し広めの部屋だ。


「さ、どうぞ中に入って下さい」


 とは言われたものの、私はすぐ中に入れないでいた。部屋の照明は落とされ、部屋の中央にある円柱形のマシンが近未来的なライトアップでたたずんでいたのだ。その紫色とブルーのライトが異世界に祀られている邪心像を彷彿とさせた。私はこれによく似たものを海外のYoutubeで見たことはあった。ルームランナー型のVRデバイスだ。高級ホテル入口によくある回転扉をそのまま大きくしたような円柱のカプセルで、床はビーズのような小さな粒子が敷き詰められており、歩くとその場で球体が転がり、バーチャル空間での臨場感のある歩行を可能にしてくれる。歩行型VRデバイスは安価なものであったら個人が所有することも珍しくはない。ただ、サイズを見るに、おそらく市場に流通していない特注品なのではと思った。


「今からこのマシンの中に入って頂きます。そこであなたは自分が疑問に思っていることを、1つずつ解決していく体験をするのです。時間がかかるかもしれませんが、回数を重ねるごとに症状が軽くなる見込みです」


 VR機の近未来感が私をワクワクする創造の世界へ連れて行かないのは、その横に設置されている大学職員用であろう見覚えがある事務机とその上に頓挫している旧式のデスクトップモニターのせいだろう。オーキドは事務机の前にある椅子に腰かけ、PCを起動する。


「使用するソフトは私の知り合いのミネソタ大学にいる研究者が作った『天才を生むソフトウェア』です。天才のひらめきとは恣意的な散らかり。つまりランダム性に大きく関係していることが分かっています。このシステムは、あらゆる事象から関連する情報をランダムに与えてくれ、ギフテッドを育成すると期待されていたソフトです」

「そんなものがあるんですね。でも、〝期待されていたって〟‥‥‥なんで過去形何ですか?」

「それはギフテッドしか扱えなかったからです。対象者の絶対数があまりにも少ないため、研究費が下りなかったと友人はぼやいてました。凡人をギフテッドにするのなら値千金ですが、ギフテッドしか使えないのならば話は別だったのです。以前私はギフテッドの症状を持つ人の割合を十人に一人と言いました。しかし、そのことを外から見る事はできません。ギフテッドであると判断するには、症状が十分に顕在化しており、かつ専門的な知識を持っている人間が近くにいる必要があります。結果として、本当の意味で自認している成人のギフテッドは日本で数えるほどしかいません。そんなものに研究費を出すほど大学側も余裕はないのでしょう」


 わたしも自分をギフテッドだと本当の意味で自認しているわけではないと、今の話を聞きながらぼんやり考えてきた。結果としてそうであっただけであって、今まで生きてきた私の人生はマイノリティが抱えるであろう疎外感があったわけではない。しかし、だからこそ本物なのだろう。おそらく自認できないからこそのギフテッドなのだ。なぜなら、オーキドの言うギフテッドとは天才的なイメージとはかけ離れており、過興奮や樹列思考といった特定の症状さえあれば、飛びぬけた結果も、あまつさえ才能すらいらないというのだ。そんなギフテッド像の肩に乗ってしまったら「私は天才なんだ」なんて、冗談であっても言う事はない。


「それでは早速中に入りましょう。詳しい説明はそこでします」

「あ、はい」


 促されるままに円柱状のマシンの中へ入った。想像以上に広いなというのが最初の印象だった。円柱状のその空間は六畳ほどで、ちょっとしたダンスなら踊れそうだ。貴重品類はあらかじめロッカーに入れてあったので身軽だが、本当に普段着のままで大丈夫なのだろうか。靴だってそのままだし、泥だらけってわけではないが土足だ。そんなことがとても気になった。入ってきた入り口の扉は観覧車のように外から扉をしめられると、巨大なカプセルの中は妙に薄暗いことに気が付いた。上映前の映画館のようだ。初めて友人の家に来た時と同じように、身をかがめ、恐る恐る私はゆっくりと中央まで歩を進めた。

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