第16話 大木戸遼平の日記 その2
6月23日 続き
まずディスプレイに映し出されたものは漆黒であった。しばらく画面が黒いままであったので故障を疑うほどであった。生成された仮想現実が明かりの無い夜の世界であると知って安心したが、これでは何も見えない。堀之内春は実験に対してあまり前向きではないようだったし、自分の事を隠したがる傾向にある。もしかしたらここまで予測してテーマを選んだのだろうか。「まさか」と口に出し笑って見せたが、正直背筋に冷たい悪寒が走った。しかし、それはあながち間違いではないことを知る事となる。それは彼女の文章化された思考を見たためだ。
『ギフテッドプログラムのサポートシステムは私をベースに生成されたAIである。信用してはいけない。こいつが思考ジャック犯だ』
どきりとした。開始わずか数分で彼女は見たものの本質を見破ってしまったのだ。わずかな情報量だけで真実を見つけ出す力は、まるでヒーローコミックに出てくる理想のギフテッドである。彼女の目の前に人類が未だ解けない難問のリーマン予想を置いたらあっという間に証明してしまうのではないかと言う気さえしてくる。
そうこうしているうちに移動を始めたようで、しばらくして最初の怪異チュパカブラと出会うこととなる。そのおどろおどろしい姿をディスプレイ越しに見て、僕は思わず顔をしかめる。想像よりだいぶグロテスクだったのだ。VRの中にいる彼女のことが少し気になった。エンターテイメントとして楽しめるよう調整されたシステムではないため、倫理的に刺激の強すぎるのではないかと思ったのだ。ハラハラと動向をうかがっていたが、結局は思い過ごしであった。
『モンスターの口の臭さも再現している。意味あるか? 内臓の配置、血の色が気になる』
恐怖という文字は彼女の辞書にはないのかもしれない。堀之内春を映像で見ることは出来ないが、無表情で腕を組み眉一つ動かさないで観察している姿を思い浮かべることが出来た。間を置かず突如空中に光るモノサシが出てくる。それはチュパカブラに吸い込まれ、結果としてコヨーテになってしまった。この部分に強烈な違和感を覚えた。なぜ光るモノサシが出てきたのかということではなく、なぜ解析できたのかだ。このギフテッドプログラムは、テーマとなる事柄。今回は「おばけの正体」ということになるのだろう。これに関する情報を網羅的に集め、仮想空間で再生させる。ただそれだけのシステムだ。このシステムの最もコアとなる部分は『本来関係のなさそうな領域からも情報を集めてくれる検索能力』であり、仮想世界そのものはおまけに過ぎない。ギフテッドプログラムで集められた情報はそれだけ価値があり、たとえ紙にプリントアウトしたものを読んだとしても、似たような効果は得られるのだ。しかし、彼女は与えられた情報を一段階飛躍させることが出来た。いや。さすがに生身の人間にそんなことが出来るわけがないと思いなおす。
彼女の思考にヒントが無いか、別モニターに顔を向ける。ログをみてようやく気付く。堀之内春をベースに作ったサポートシステムの仕業に違いない。本人が規格外なら、それをベースに生成されたサポートシステムも規格外というわけだ。実際あれだけあった容量の42%をこのサポートシステムが占有している。そうしている間にも物語は進んでいき、思考テキストも増えていた。UMAが出現するたびに解析を素早く行い次から次へと見破っていく。
「ブロックデバイスを理解した。驚きだ」
「虫は苦手だ」
「結局UMAは見間違いか。とんだ茶番だ」
気が付くと映像の中心には小さな椅子が設置されており、堀之内春は足でも組んでこの退屈なイベントをこなしているよう思えた。映像と共に彼女の思考を覗くのは、コメント付きの動画を見ているようであり少し面白い。
次は賢馬ハンスだ。この物語を進めていくと、途端に思考テキストが急激に増えて下に流れていく。
『オカルトとは、怪異そのものではなく科学で証明できない全てなのか』
『既知を知らないだけであるとしても、同様の現象はおこりうるのではないか』
『見間違えという認知の誤作動も主観的に切り取った場合、事実との区別はつかないのではないか』
それはほんの一分足らずで数十行にも膨らみ、脳科学的に見ても異常であった。推論と仮説の保留。別の視点での再考察が高速でスイッチングされており、瞬間的には脳が数個ないと説明できないような思考量だ。ここでマシンがプレイヤーの極度の疲労状態を感知し、アラームを鳴らした。これは元々マシンそのものに備わっている安全装置であり、没入感が高く外から中の様子が見えないVRマシンはこのような安全のレギュレーションが設けられている。エラーメッセージには堀之内春の血圧が異常に低下し始めたとあった。間違いなくあの思考量が原因だろう。
マシンのドアを開けに行くと、少しやつれた堀之内春がでてきた。彼女は返事をするのもつらいのだろう。部屋の外にある長椅子へ倒れこむように座り込む。呼吸は荒く顔をあげるのも困難に思えた。何か出来ないかと自分の為に買っておいた缶コーヒーを彼女に差し出す。彼女はそれを実に嬉しそうに笑顔で受け取ってくれた。その顔を見てどきりとした。僕は彼女をまるでモンスターか何かのように考えていたが、その笑顔はとてもかわいらしく、うちの大学に通う年頃の女生徒よりもよっぽど無垢で純粋に見えた。私はこんな若い子を怪物のように恐れ、爆発物のように慎重に扱っていた。それは恥ずべきことだし、愚かな事であると落ち込む。研究を進めるためだけではなく、また別の理由で彼女に興味がわいた。この二面性は果たして演技なのだろうか。しかし、その答えは会話をしているだけで導き出せるものでは無かった。
少しすると堀之内春はだいぶ落ち着いたようだ。オムライス屋などの他愛ない会話をしたりと、まるで娘と会話しているような感覚であった。きっと友人か彼氏とでも食べに行くのだろう。娘が小さいころ一緒に食べに行った、とっておきのオムライス屋を紹介しておいた。今もまだあのメニューは置いているだろうか。
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