第2話 第一章 発症

 6月だというのに、初夏と呼んでも差し支えないような、雲一つない美しい青空であった。それなのに、私の心はまるで晴れず、むしろ反比例の図のように暗雲が立ち込め不安で埋め尽くされていく。

 それはなにか特段の不幸が身に降りかかったわけではない。快眠快食で体は軽い。なんだったら気力だってみなぎっている。誰もがうらやむほどの最高のコンディションである。にもかかわらず、現在私は日常生活が送ることの出来ない困難に飲み込まれ、休暇を取っている。


 私の思考は別の何かにジャックされていた。


『なぜなのか?』その疑問をただひたすらに反芻する。ただ単語が繰り返されているわけではない。そもそも思考とは意識的に行われるものであることは、誰しもが知っていることであり、それ以外ありえない。その常識をあざ笑うかのようにいつの間にか謎の誰かに主導権を奪われ、全く別の思考を勝手に始めてしまうのだ。だから『ジャック』されていると考えた。

 それだけ? と最初周囲の人間も、この症状を相談した医者も間の抜けた顔をするのだが、このそれだけってやつがシンプルで、強力なんですよ。

 運転している最中に突然横からハンドルを握られ、ナビとは違う道にそれてしまう事を想像してほしい。これが日常で起こると事故はまぬがれないだろう。

 私をジャックしたソイツは、私から脳を奪い、その都度生活や仕事などのあらゆる行動がストップしてしまう。正しくは思考が乗っ取られてしまうという表現の方が良いかもしれない。目玉焼きを作っていたはずなのに、気が付いたら風呂掃除を始めているようなものだ。


 このジャックが始まったきっかけは同僚とのランチミーティングだった。世間話の延長線で業務改善について話あっていた会話の内容が、突如として心に大きな亀裂を生んだ。

 私自身は生来持っている風変わりさを自覚していたし、おそらく周りもそう思っていたはずだ。ミーティングを行う時も、そんな前提があった状態で行われるのが常であった。

 『シマウマのシマを横にするためにはどうすれば良いか』という問いを会社から与えられたとするとしよう。同僚は、『ペンキで書き直す』案と『写真に撮って画像を加工する』案のコストを検討する中、私は『そんな問いを考えたヤツの、頭を治すコストの方が安いんじゃない?』と言ってしまう。

 私をランチに誘った同僚はこんな時いつも苦笑いをする。


「あなたはまたそうやって‥‥‥」


 その後に続く言葉は「少しはまじめにやったら?」か。それとも「いつもはぐらかしてばかりだね」なのだろうなと勝手に勘ぐる。

 笑いが取れているから、周囲は私特有の軽いブラックユーモアだといつも好意的に受け取ってくれる。みんなブラックユーモアを考える人の気持ちがわかるかい? 実は本気なんだぜ? 笑顔の同僚を見るたびに心の中で『風変わりなヤツでごめんよ』とつぶやき目を閉じる。

 私はクリオネよりも純粋な心で『生産性の低い問題提案をすることこそが、最も高コストである』という意味で発言していたりする。もちろん先ほどのように、そのような意味で受け取られる事はまずない。中にはまじめにやれと怒り出す人もいる。ただ、勘違いしてほしくないのは、私はこんな自分のズレを全く気にしていないばかりか、素敵な個性だと思っているところだ。私にとってこれは日常であり、いつも見る光景なのだ。ただ、このランチミーティングがきっかけであったことは間違いないだろう。


(なぜ私の提案をみんなジョークだと受け取るのだろう)

(構造的な問題を話し合う意味がないと、なぜ決めつけるのだろう)


 ぽつり‥‥‥ぽつり‥‥‥と頭の中で思考が開始する。そこで、おや? と違和感を覚える。疑問が‥‥‥とまらない?


(なぜ私の意見を誰も否定しないのだろう)

(なぜ私は居たたまれない空気になることを承知で、また発言するんだろう)

(私と周囲の思考の差は一体どこから生まれるのだろう)

(これが個性だとするのならば、では個性とは一体なんなのだろう)


(——なぜなぜなぜなぜなぜ——)


 このような、まるで重要だと考えてこなかった疑問が、次から次へととめどなく湧いてくるのだ。。頭の中にもう一人いると想像する人もいるだろうが、決定的に違う。なぜなら、客観的にその疑問を思考しているのは間違いなく私自身であり、私の脳なのだ。このとめどない思考のGOサインを、私以外の誰かが出していることを自覚しているのは私だけなのだ。

 そうなるともう仕事どころではなくなってしまう。いわゆる『考え事をしている、上の空の状態』が強制されてしまうのである。心配性な人は、心配事を何度も何度も反芻してしまう。心配事が解決しない限り、どこか上の空で落ち着かない。これの最もひどい部類だと考える事も出来る。

 な、何者かが私の頭を乗っ取って‥‥‥うわあああぁあぁぁぁッ! とかやれたら、まだいいんだけどね、現実はそんなにドラマチックじゃないみたい。話しかけられるとか、肩をゆすられれば我に返るし、ジャックされている間もただ、ぼーっとしているだけ。同僚は疲れてるの? とか悩み事? など気にかけてくれ、この間なんて人生で初めての早退を余儀なくされた。

 寝て起きたら治るかもと、淡い期待を抱き翌日以降も頑張って出社したが、結局この症状が治まる事はなく、ついには上司から傷病休暇という名のお暇を頂くことになってしまいました。とにかく病院に行って治して来いと。収入が減るのはちょっぴり悲しいが、休暇が増えること自体はちょっぴりうれしい。

 健康な身体での(頭はポンコツだけど)突然の休暇を最大限に活かすべく、さっさと処方箋でももらって、休みを満喫しようと家にはすでにお菓子をいくつかストックしてある。私にとってのお菓子は人生において非常に重要な位置を占めている。大好きなお菓子はハードな人生を乗り切るためのガソリンなのだよ。


 最初は鬱にでもなったかと思い心療内科に行ったが、精神の状態はいたって健康だと言われた。てっきり統合失調症にでもなりかけているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。紹介で神経外科、脳外科等、たらいまわしにされた挙句、結論は『超健康』だそうです。ここで初めて私は自分の認識が甘かったことに気が付き、わずかに胃が重くなるのを感じ始めていた。

 元々どんなハードな仕事でも体を壊さず、風邪も二年に1回ひくかどうかの頑丈さだ。同僚が熱も出ていないのに『体調が悪くて‥‥‥』と青い顔で早退していたが、あれには今でも憧れる。ある朝なんとなく熱っぽいなと思い計ったら36.9度であった時は、ガッツポーズをとった。そのまま出社し『悪化しろ~悪化しろ~』と念仏を唱えながら意図的にハードな仕事を引き受けていたが、一向に具合が悪くならず午後再度熱を測った際平熱に戻っていた時は絶望以外の何ものでもなかった。絶望とはこういう時に使う言葉なんだなーと知れたのは良い経験ですよ。

 食べたら治る。寝たら治る。それは私の中であまりにも当然であり、絶対的なルールであった。そんな私が、発症してしまったのがこの病名すらないやつです。病院を数件たらいまわしにされ焦りはじめた頃、この場所に行き着いた。

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