第31話

 家に帰り不貞寝する。目を開けたら外はかなり明るくなっていた。スマホの時計を確認すると午前六時。どうやら十二時間以上眠っていたらしい。我ながら凄まじい睡眠力だと感心する。まぁこれしか逃げ道がないから、と言われればそうなのかもしれないけれど。

 そもそも、だ。冷静に考えればあるべき形に収まったとも考えられる。歪な関係が正常に戻った。ただそれだけのこと。

 仲良くしたいのなら、星崎さんともう一度ゼロから仲良くすれば良いだけだし。なにをこんなに悲観しているのか。と、自分自身に言い聞かせる。私の持っている感情はおかしいんだと暗示をかけた。

 星崎さんが星崎さんでなくなってから一週間もする。それだけ時間が流れれば気持ちはだいぶ和らぐ。お世辞にも完全復活とは言えないけれど。

 どうやら今日、星崎さんが復帰するらしい。まだ安静にすべきではあるものの、通院で大丈夫なのだそう。体育やら部活やらはできないけれど、日常生活を送る分には概ね問題ない、と市川さんが昨日言っていた。昨日の放課後に担任から軽く星崎さんについての説明があった。人格が変わっているわけだから説明があるのは当然だ。じゃなきゃ不要な混乱を招くことになるし。

 今考えてみれば、担任も大雑把なことは知っていたのだろう。だから倒れた時にあんだけ慌てていた。恋人だった私が知らなかったってなんだか滑稽だなぁと思う。知りたかったのに行動に移さなかった私がいけないので、責めるなら自分自身を責めるしかないのが更に滑稽で虚しくなってしまう。

 教室でぼんやりと黒板を眺めていると、喧噪としていた空気がしーんと静まる。周囲の視線はある一点に向けられており、釣られるように私もそっちへと視線を向けた。

 そこに立っていたのは市川さんと星崎さんだ。

 二人は特に向けられた視線を気にする様子もなく、教室へと入ってくる。

 市川さんと目が合う。ひらひらと手を振ってくれた。一方で星崎さんは興味なさそうにぷいっとそっぽを向く。星崎さんの席を市川さんは案内する。星崎さんが席に着いてからこちらにとてとてとやってきて、ニッと白い歯を見せ笑う。

 「おはよ」

 「おはようございます」

 「一歌と話す?」

 席に座った彼女は一瞬星崎さんの方へ視線を向けた。

 とても魅力的な提案だったが、少し思案して首を横に振る。

 「話さないんだ」

 「上手く話せる気がしないですし」

 距離感があるとどうしてもギクシャクしてしまう。コミュ力があれば話は別なんだろうけれど、私には如何せん経験がない。だから今の状況で会話をしたとしても上手くいくとは思えないし、なんなら会話になるかどうかも怪しい。

 「そっか」

 と、市川は頷く。それから立ち上がってとてとてと星崎さんの方へと消えていく。

 所詮星崎さんとの縁で繋がっていただけであって、市川さんにとっては私はもう用済みなんだろう。と、卑屈になっていると、市川さんは星崎さんの手を引っ張ってこちらへ連れてきた。連れて来られた星崎さんは不満顔だ。私は私で困惑してしまう。そして動揺も挟まる。

 どうしよう、どうすれば良いの大合唱。

 「市川さん……」

 「アタシはね、二人に仲良くして欲しいわけでーすよ」

 胸を張る。

 「ずっと二人の関係を近くで見てきてね。まぁずっとは嘘だけど。でももうね、二人が仲良くないって違和感なわけ」

 「んな、勝手な」

 星崎さんは嘆く。

 「勝手じゃないわい! 大体ね、もう一人のアンタはそれを望んでるんだよ」

 ピシっと星崎さんを指差す。指差された星崎さんはびっくりしたのか、ピンっと背筋を伸ばす。

 「うーん」

 敢えてなにか言うのならば面倒臭そうな。そんな反応だ。

 「うーんじゃなくて、して、仲良く!」

 「仲良くぅ……?」

 「そう仲良く」

 星崎さんの視線がじーっとこちらに向く。

 「はい。握手。仲良くする」

 どっちも手を動かさないので、市川さんは私と星崎さんの手首を掴んで無理矢理握手させてきた。星崎さんは心底嫌そうな顔をして、空いている手でこめかみを指で触った。


 無理矢理糸を結ばされて、放置された。そのまま放課後を迎える。

 「仲良くすること」

 と、釘を刺され、私と星崎さんを教室においてととーっと部活へと向かってしまった。取り残されて気まずい空気が流れる。ちらりと彼女の顔を見て、あれこれ考えるけれど結局一歩踏み出すことなく留まる。星崎さんは星崎さんでただただ面倒臭そうに私のことを見つめていて、その圧が恐怖をさらに駆り立てる。それも言い訳だろ、と言われたら反論できないんだけれど。

 「私的にはなんだっけ、名前もわからないけどさ、君と仲良くするつもりはない。私うじうじしてるようなヤツは一番嫌いだから」

 面と向かってそう宣告される。なんとなく嫌われていそうだなって思ったけれど、やっぱりそうらしい。当たって欲しくないところで勘は当たってしまう。辛い。眉間に皺を寄せているのが更に私の心を抉る。そんなに顔合わせたくないんだって伝わるから。

 「なんか記憶失ってて、その間に違う人格? みたいなやつが生きてたらしいけど、それ私じゃないから。もう死んだってことにしてくれて構わないよ。だから仲良いとか思わないでね」

 「は、はい」

 「でも、そうすると市川が厄介か。うーん」

 少し考え込むように俯く。しばらくするとハッとなにか妙案でも思いついたのか晴れた表情を浮かべて顔を上げた。

 「市川の前では仲良いふりをしておこう。あれは厄介だ。市川と仲良さそうだからわかってると思うけど、アイツはやべぇ。一度決めたことはそう簡単に曲げない。無理矢理にでも私たちの仲を取り持とうとするはず。だから仲良いフリをするしかない。そうすればお節介してこないだろうから」

 わかりましたとは頷きたくない。

 けれど。

 「わかりました」

 と言ってしまうし頷いてしまう。

 「市川の前で仲良いフリをしておけばそれで良い」

 「はい」

 こうして、少し前とは対極でまたまた歪な関係が始まった。


 翌日登校すると、市川さんは監視するように教室へ足を踏み入れた私のことを凝視する。本当に凝視。親指と人差し指で輪っかを作り、眼鏡みたいにしてじーっとこちらを見つめてくる。小学生みたいな行動をしていて、仲間だと思われるのはなんとなく恥ずかしくて関係ないですよ、みたいな態度をとる。

 それが不服だったのか、市川さんは席から立ち上がって、つかつかとこちらへやってきた。

 「監視ちゅー」

 「なにをですか」

 「一歌との関係を監視ちゅー」

 「まだ来てないですよ」

 チラッと星崎さんの席を見る。まだ空席。

 「それじゃあ青峰さんをウォッチング」

 「青山です」

 「知ってる知ってる」

 じゃあ間違えないでください。とは言わなかった。

 チャイムが鳴って、朝のSHRが始まるというタイミング。担任が教室に来ないぎりぎりのタイミングで星崎さんはやってくる。遅刻ギリギリなのに、優雅に入ってくるもんだから余裕でセーフと勘違いしてしまう。


 休み時間。

 市川さんは星崎さんの方へと駆けて行き、なにやら話し込んでいる。聞き耳を立てるというのはあまりよろしいことではないよなぁと思いながらも聞き耳を立ててしまう。すると、「なんで遅刻ギリギリなの」「忙しいから」「朝学校来るだけじゃん」「それはそれ、これはこれ。わかる?」「いや、わかるけど」と不毛なやり取りをしていた。星崎さんはなにをしていたから遅刻ギリギリに来ているというわけじゃないんだろうなぁと受け答えでなんとなく察せてしまう。ただ私と居たくないから、遅く来ている。それだけなんだろう。


 放課後。

 今日は部活が休みらしく、市川さんに捕まっていた。教室には私と星崎さん、市川さんの計三人が残っている。

 気まず過ぎて頭から変な汁が出てきそう。

 「仲良くなった?」

 「なったなった。超なったよ」

 市川さんのお節介を星崎さんは適当にあしらおうとする。部屋を片付けろと口煩く言ってくる母親と、その場凌ぎで適当終わらせようとする子供という感じ。

 「証明は? 証明。証拠!」

 「えぇ……証拠?」

 「証拠!」

 「逆に聞くけどさ、友達と仲良い証拠ってなにかある? 私と市川が仲良い証拠ってないでしょ」

 「それは……そうかも」

 「じゃあなに? 私と市川って全く仲良くない?」

 「そういうわけじゃないね」

 「でしょ」

 むふんと腕を組む。

 「だから私とこのあの……えーっと」

 「青山です」

 こちらを見ながら終始困ったような顔をうかべる星崎さんに助け舟を出す。

 「そうそう。青山。青山と私は仲が良い。証拠はないけどね。仲は良いんだよ」

 言い負かすじゃないけれど、それに近しい。

 「そっかぁ、そうだね。そうかも」

 と、市川さんは身を引く。


 また別の日。

 「二人って休み時間に会話しないよね」

 「それって前からそうじゃなかったでした? 少なくとも私はそうだったと思うんですけど」

 「うーん、そうだっけ。たしかにそうだったかも。でも仲良いなら関係ないよね」

 と、ゴリ押し。

 嫌だ、なんだとごねてしまえば実は仲良くないのではと疑いを強めるだけ。こうなってしまった以上私は星崎さんとの会話を試みなければならない。

 少し前の星崎さんからは考えられないけれど、今は孤立している。一人で席に座り、教科書とノートを机に広げ、必死に手を動かす。中学三年の後半から高校二年生までの記憶が綺麗に抜けてしまったせいで、勉強に支障が出ているらしい。だからこうやって隙間時間を見つけては必死に勉強する。良くやるなぁと感心するけれど、やらざるを得ないのだろう。

 「星崎さん」

 「ん」

 星崎さんの席の前でかがみ、目線の高さを合わせて声をかけた。もちろん返事は芳しくない。手を動かすのをやめずに、声だけで反応をする。目線すらこちらへ向けない徹底ぶり。

 「市川さんに仲良いなら休み時間くらい話せって言われまして」

 「あー、そういうこと」

 「はい」

 「お前って勉強どんくらいできんの」

 シャーペンをくるくると回しながら、左手で頬杖を突いて尋ねてくる。

 どういう意図を持っての質問なのだろうと、少し探りを入れたかったが、入れられる雰囲気ではなかったのでそうそうに諦めた。

 「人並みにですかね」

 「その人並みって具体的にどんくらいなわけよ」

 「学年五十位前後ってところです」

 超頭が良いかと言われればそんなことはないけれど、極端に頭が悪いわけでもない。平気を下回ることはないですってレベル。それをレベルが高いと称すのであれば頭が良いとなるし、それくらい当然と言うのならばまぁ普通かなぁとなる。いやいや全教科九十点が当たり前でしょと言われるのなら頭悪い部類になるだろう。

 「そうか」

 どの程度の価値観を持っているのか、測りかねてこくこくと頷くだけのマシーンと化す。

 「なら丁度良い。わかんねぇーとこがあってな、あとで職員室行こうと思ってたところだから教えてくれ」

 とんとんとノートを指差す。

 「あー、それはですね。その公式を普通に流用すると間違えてしまうので――」「うっせぇわかってるわ」「わかってるなら間違えないでください」

 星崎さんのノートと教科書を使いながら、あれこれと説明していく。勉強を教える。そうすれば必然的に会話することになるし、星崎さんは勉強を進められるし、市川さんからの目も背けることができる。

 教えながら良く考えたもんだと感心した。

 「ごめ、ちょ、トイレ」

 星崎さんはそう言うとさっさと立ち上がって御手洗へと向かう。

 まぁとにかくこんな感じで、市川さんになにか言われればその度に星崎さんに勉強を教える。そういうループが行われた。

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