第9話

 次の日。学校に行くと、市川さんが自席でスマホを触っていた。珍しい。いつもは星崎さんとキャッキャしているのに。

 昨日軽く顔を合わせて、挨拶したくらい。あとは……名前って言っても苗字だけれど。とにかく名前を覚えてもらったくらいの関係性。挨拶程度はしておくべきかなとか、なにも声かけずにそのまま自分の席に向かうべきかなと、短時間で超高速に思考を巡らせる。今だけは東大生になった気分だ。

 逡巡した末に辿り着いた答え。それは会釈をする、であった。我ながら完璧だと自画自賛したくなってしまう。

 「お、青森さんじゃん、おはよ〜」

 「それは本州最北端じゃないですか。青森じゃなくて青山です。おはようございます」

 「ん〜、そうそう。青山さんね。人の名前覚えるの苦手なんだよね。許して」

 どうやら私の名前はまだ覚えてくれていないらしい。別に珍しい名前でもないだろうに。そんな覚えられない要素でもあるだろうか。珍しくもないし、ありきたりでもない一番中途半端って言われればたしかに……ってなって否定はできないけれど。

 「今日は星崎さんと話さないんですね」

 「休みだかんねー」

 「あれ、休みなんですか」

 知らなかった。まぁ連絡先すら知らないので知ることすらできない。

 「本当に親戚に不幸が……」

 「んなわけないない。あれはアイツの出まかせ。調子乗るとすぐにホラ吹きになっから」

 スマホをこつんと机に置く。

 「多分だけど病院行ってるんじゃない? それか筋肉痛でサボってるか」

 「両極端過ぎませんか」

 「でもどっちもありえそうって思っちゃうでしょ。一歌は良くも悪くも自由人だかんねー」

 自由人。それはたしかにその通りだ。

 初対面でこの関係を持ちかけてくるような人間なのだ。自由人以外のなにものでもないだろう。そんなことを思いながら、席に着いた。

 始業のチャイムが鳴っても、星崎さんはやってこない。

 本当に休みなようだ。

 星崎さんが居ないからか、市川さんも元気がない。いつもはワイワイして、天衣無縫というかふわふわしたような雰囲気を醸し出しているのだが、今日は鬱屈とした感じ。

 「……っ」

 後ろから苦しむような声が聞こえる。そんなに星崎さん不在が辛いのか。と、振り返る。

 なにか声をかけようと、市川さんを見ると、彼女は必死に立ち上がろうとしていた。

 ゆっくり立ち上がり、その度に声を上げ、顔を顰める。

 「筋肉痛ですか」

 「昨日顧問に散々扱かれちゃったかんね。走って走って走って走って……はぁ」

 市川さんの苦しみを間近で見て、冗談ではなく本気で筋肉痛休みな可能性が私の中で出てきたのだった。なんなら最有力候補に名乗りを上げました。


 お見舞いという名の押しかけをしようと思ったが、星崎さんの家を知らないという根本的なことに気付いて断念した。市川さんに頼めば教えてくれそうな気もしたけれど、そこまでして会いに行きたいかと言われると、そうでもない。面倒くささが勝る。

 というわけで、なにをすることもなく静かな放課後を迎え、一人で帰宅し、翌朝いつものように登校する。そして相変わらず、朝昼は私に干渉しない。今日は放課後になっても不干渉は続いていた。教室で待っていても彼女は教室にやってこず、あぁ嫌われちゃったかなぁとネガティブな思考に辿り着き、帰宅することにした。下校途中。具体的な場所は校門を抜けて一分歩いたら辿り着く交差点。赤信号で立ち止まったのと同時に背中へ強い衝撃が加わった。もう少し強ければ車に衝突されたんじゃないかと勘違いするほどの強さ。

 「青山、よっぴっびー」

 「だからその挨拶馬鹿みたいなのでやめた方が良いですよ」

 「えー、この馬鹿っぽさが可愛いんじゃん」

 特殊な挨拶をする星崎さんはニッと白い歯を見せる。

 言動からは病み上がりの様子は一切ない。元気元気〜って感じだ。つまるところ、本当に筋肉痛で休んだのだろう。どんな練習したら学校行くことを諦めるくらいの筋肉痛が起こるのか。私と違って彼女たちはそこそこ運動しているはずなのに。相当キツイんだろうか。

 「その目やめて」

 哀れなものを見るような目線ん送っていると、彼女は耐えられなくなったのか咳払いを交えながら、目を細めつつそう口にする。

 しょうがないので話題を変えよう。

 「昨日はどうしたんですか。学校休んでましたけど」

 「学校サボりたいお年頃なんだよ」

 理由がめちゃくちゃだ。そもそも学校サボりたいお年頃ってなに。それ小学校か中学校。一周回って大学生じゃないの。

 「高校生なんて出席日数が命じゃないですか。赤点で留年はないですけど、出席日数足りないと助けてくれないですよ」

 「相当休まなきゃ留年しないよ」

 まぁ二ヶ月くらい休まないと留年はたしかにないけれど。

 「そもそも考え方が間違ってる。サボってるって言うと聞こえは悪いけどね、やってることはただのサラリーマンと同じだよ。有給だよ、有給!」

 学生に有給なんて概念は存在しないんだよなぁ。でも星崎さんはなんだか楽しそうだしまぁ良いか。

 「それよりも、そっか」

 しばらく歩きスマホをしてから、彼女はなにか思い出したようにそう声を出す。

 「どうしました?」

 「いや、連絡先交換してないなぁと思って」

 「そうですね」

 「あ、あれ? したくない? 連絡先交換」

 星崎さんが想像していないような反応をしてしまったようで、若干の動揺が感じられた。ふむ、一体どんな反応を望んでいたのだろう。という疑問を抱く。

 「どうしました?」

 「もっとするする~ってくるかなって」

 どうやら素っ気ない態度が想定外だったらしい。

 普段の私ってそこまでガツガツしているだろうか。少なくとも自覚はない。いや、多少はあるけれど。

 「しないですよ、そんなこと」

 とりあえず前回調子に乗ってはならないという教訓を得たので、私は冷静に対応する。

 「それでします? 連絡先交換。するならしましょう。しないならそれで良いですけど」

 「別にしない理由ないし、しとこっか。あった方がお互いに便利だろうし。なによりもその方が恋人っぽいもんね」

 「そうですかね……」

 いつも思うが、恋人っぽいというのがあまり理解できない。彼女の中に明確な基準があるようだけれど。わからんもんはわからん。

 スマホをかざして、連絡先を交換した。私はさっさとスマホを片付ける。

 「これでいつでも連絡できちゃうね」

 「そうですね」

 「家帰ったらしちゃおっかな」

 ちらちらと見てくる。なんだなんだ。

 「私、わけわかんない人は問答無用でブロックするので」

 「遠回しに私のことわけわかんない人って言ってる?」

 「遠回しというよりも直接的ですかね」

 「えー、全く嬉しくないんだけど」

 ふふっ、と彼女は笑ったのだった。

 星崎さんと駅で別れて、電車に三十分ほど揺られると家の最寄り駅に到着して、そこから自転車で十分ほど走ると自宅に到着する。到着したのと同時に滅多に震えることのない私のスマホはポケットの中で振動する。

 自転車置き場に駐車させてから、玄関まで歩きつつスマホの入ったスカートのポケットを撫でるように触ってみた。意味は特にない。

 最初は誰からのメッセージだろうか、と訝しむようなこともしたけれど、数歩進んだところで一人顔がはっきりと脳裏に浮かぶ。百パーセントとは言い切れないけれど、九十九パーセント当たっている自信はある。理由は……そんな野暮なこと気にしないでよ。

 だからまぁ、今確認しなくても良いかと結論付けて、私は家の玄関の扉を開けて、そのまま流れるように自室へと向かったのだった。

 自分の部屋へ入るなり枕に顔を埋める。身体もベッドに預けており、このままだと制服にシワがついてしまうな、と理解はするけれど、それだけ。脱ごうとは思わないし、ここから立ち上がろうとも思わない。もぞもぞとスカートを触ってスマホを取り出そうとする。その作業に少し手間取ってしまったが無事にスマホを取り出せた。

 真っ黒な画面。私の顔が反射する。

 頬を緩ませ、期待の眼差しを向けている。え、いや、え。なんで私こんなに楽しそうな表情を浮かべているのだろうか。

 謎だ。

 わかんない。なんで。

 「これじゃあ……」

 ぼそっと呟いてから、その声を掻き消すように声にならない声を枕に思いっ切りぶつける。

 友達から連絡が来るって、頬が緩んでしまうほどに嬉しいことなのだろうか。そもそもの経験値が極端に不足しているので、肯定も否定もできない。

 まぁとりあえず、連絡を返さないと。うじうじしてても時間が経過するだけで、なにか解決するわけでもないし。

 いつの間にかベッドに落としていたらしいスマホをノールックで拾って、ホームボタンを押す。うっと少し刺激のある光を目に入れながらメッセージアプリを開く。トーク画面を開けば一番上に出てくる星崎さんの名前とアイコン。

 『なんか帰ってからこうやって文字で話すって本当の恋人みたいで楽しみ』

 というメッセージだった。

 『そうですね』

 なんて返信するか迷いに迷った結果、こう送信した。そうですね、なんて一ミリも思ってはないんだけれど。変なことを付け足して回りくどい文章を完成させたら、星崎さんに私の意図とは違う形に受け取られてしまいそうで、ちょっとそれは嫌だから、シンプルかつ角の立たないものにした。陽キャというか、世の中の女子高生たちはいつもこうやって色んな人とメッセージだけのやりとりをしているのだろうか。

 今の短文を送るだけでも相当な労力で、息を切らしてしまっているというのに。

 私の体力が足りないってのも一要因としてあるのかもしれないけれど、そこは見て見ぬふりをしておく。

 『青山はなにか実感できたりした?』

 疑問形で返されると、私もなにか返信しなきゃという気持ちになる。

 『恋人ごっこのことですか』

 しばらく悩んだ。

 『そうそう。恋人ごっこで恋人ってこんな感じなんのかー、とか思ってたのとは違うな―とか』

 また返信がくる。

 さてはて、私は恋人ごっこを通じてなにを思い、感じ、学んだのか。いざそう問われるとパッと答えは見つからない。

 なにかあるのかな、と考えてみる。

 友達というものがどういうものなのか、改めて考えさせられた。

 うん、これはそう。その通り。私の心の大半を占めるのはそれだ。

 だけれど、それを星崎さんに報告するのは憚られてしまう。なんかこの関係の趣旨とは絶妙にずれているし。

 そもそもだ。

 この歪でぐらぐらとふらつくような関係になってまだ一週間も経過してない。この関係を通じてどういう想いを抱き、感じ、学んだか。そんなの出せるほど深くはない。

 『まだわからないです』

 シンプルかつ正直な感想。

 『そっか。ならもっと恋人っぽいことしないと、だね』

 彼女の頭の中にある、もっと恋人っぽいことってなんなんだろう。

 わからないけれど、返信しないという選択肢は私の中にはない。勇気がないからできないだけなんだけれど。

 『そうですね』

 結局こうなる。この言葉があまりにも便利すぎる。

 『明日の放課後から楽しみにしとけよーーー!!!!!!!!!!!』

 主張の激しい長音符と感嘆符。

 というか返信が早すぎる。私は一つ返すのに五分くらいスマホと睨めっこしているのに、星崎さんは一分も満たないで私に返信する。

 これが能力の差、か。

 陽キャの力をまじまじと見せつけられて、なんだか返信する気力を失う。仰向けになって、白い天井をぼーっと見つめているとなんだか眠くなってきたのだった。

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