第8話
次の日の放課後。教室でジッと待っていると、テニスウェアを身に纏った星崎さんが顔を出す。もしかしたら来ないんじゃないかという一抹の不安に襲われていたのでほっとする。
嫌われていたらどうしようって本気で心配していたから。良かった。
「ちょっと休憩」
彼女はそう言うと私の後ろの席に座る。
市川さん。ごめんね。星崎さんが貴方の机を椅子代わりにしています。って、星崎さんと仲良かったし大丈夫か。
「部活行かなくて良いんですか」
「行かなきゃいけないよねぇ」
と言いながら顔を顰める。行きたくないオーラを全身に纏っている。身なりと雰囲気があまりにもミスマッチだ。
「じゃあ行ってくださいよ」
「青山は私と一緒に居るの嫌?」
私の頭に顎を乗せて喋る。
「嫌ではないですけど。それはそれ、これはこれじゃないですか」
「それはこれ、これはそれだよ。良いじゃん。一緒に居ようよ」
言葉の威力は凄まじい。でも騙されてはならない。コイツはただ私をサボる口実にしようとしているだけなのだ。
そもそも部活なんだしサボっても良いのでは? と一瞬頭に過ったが、そうだとしても私のせいにされるのがなんとなく癪なので追い返すことにした。
教室に来てくれないかもと不安になったり、追い出そうとしたり、これじゃあ私が情緒不安定なヤバいやつじゃん。あながち間違ってはないのかもしれないけれど。
「さっさと部活行ってください」
「えー、ケチ」
「逆になんで行きたくないんですか? 誰かと喧嘩とかして顔合わせにくいとかですか」
「喧嘩? してないよ」
なに言っているの、みたいな視線を送ってくる。
「じゃあどうしたんです」
「顧問居るんだよ。こわーい顧問」
「練習がきついとかですか」
「そうそう、そういう感じ」
要するにただ逃げてきただけ、と。
首根っこ掴んで、テニスコートまで連れて行ってしまおうかなと、思ったタイミングだった。
廊下からどたどたと激しい足音が響いてきた。教室の前でぴたりと止まり、二秒後にはガラッと勢い良く扉が開く。あまりの勢いに扉が外れそうになっていた。開けた当事者はそんなの気にする様子はないという感じでつかつか教室へと入ってくる。
星崎さんの髪色を地毛として申請したら通りそうな茶色と表現するのなら、彼女の髪色は地毛とは到底言い難い茶色となる。周りくどい言い方をしないのならば、赤茶だ。
髪の毛は腰辺りまで垂らしており、動く度にゆらゆら揺れる。メデューサのヘビを彷彿とさせる。
「やっぱりここに居たぁぁぁぁっ!」
元気溌剌な彼女はピシッと星崎さんを指差す。
「い、市川……」
「もー、だから一歌さ、私のこと市川って呼ぶのやめてって中学の時から言ってんでしょ。可愛くないの。市川って苗字」
むっと頬を膨らませ、不満をアピールしている。
「あ、えーっと。青谷さんだっけ。こんにちは」
私のことは今の今まで目に入ってなかったようで、わぁと驚きながら挨拶をしてくれる。礼儀正しい良い人だ、と市川さんに対する評価は上がったが、私の名前を間違えているのですぐに評価は下がった。実質プラマイゼロ。
「青山だよ」
指摘する必要もないかぁとスルーしようとしたが、星崎さんが訂正してくれた。
変なところで律儀だな、この人。
「あ、そっか。青山さんか。ごめんごめん。アタシさ、人の名前覚えるのが苦手なんだ。許して」
「気にしてないので大丈夫ですよ」
「そっかー、へへ、ありがと」
鼻の下を擦り、表情を綻ばせた。
「じゃなくて、まず一歌! アタシの机から降りんしゃい」
「ここは私の席だから」
「アタシの机、な。アンタの席じゃないわい」
「私の特等席だよ。節穴?」
「お前の頭には脳みそ入っとるんか」
つんつんと星崎さんの頭を突っつく。「あー、これは空っぽですわ。重症ですね」と煽って、星崎さんは「ギュウギュウだよ。満員電車よりも詰まってる」と答える。
呆れたような表情を浮かべる市川さんは、星崎さんの背中を押して立たせることに成功した。
「じゃなくて、早く来い」
「どこに」
「往生際の悪いヤツめ。テニスコートに決まってんだろ」
「あー、私今日部活休むから」
「着替えてるくせに」
「ちょっと祖母がね、今日峠らしいから」
「何回目の峠だよ。もうただの山脈だよ、それ」
と星崎さんの嘘を簡単に見破る。
これが中学校からの友情というやつなのだろうか。羨ましい。月日という武器には勝ることはできない。
「じゃ、青山さん。これ連れてくからね」
星崎さんの襟を掴むと、引き摺るようにして教室から出ていく。
「あ、祖父も亡くなりそう!」
「ついでにで親戚を勝手に殺すな」
廊下の遠くの方からそんな会話が聞こえてきた。
教室に取り残された私はぼーっとする。
静寂な空気に落ち着きを感じながら。
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