第28話
スマホの煩わしい音が私の意識を覚醒させる。若干イライラしながらスマホを手に取る。あれ、そういえば今のアラームじゃなかったな。そんなことを思いながら、スマホの画面に目線を落とす。市川さんからの着信であった。えーっと、えーっと。昨日、あ。
すんとスイッチを押したかのように目が覚めて、スマホを耳に当てる。
「もしもし」
『もしもしもしもしもし、おはよー』
「おはようございます」
『昨日はどう、しっかりと寝れた?』
「まぁ寝れました」
『動揺と悲しさで眠れてないかなーと思ったけどそんなことなさそーだね。良かった良かった。寝れてないなら良く寝れる飲料ドリンク差し入れしよーかと思ってたとこだったよ』
ふざけているように聞こえるが、私を安心させるためにしてくれているとわかる。だから突っ込まない。
「電話きたってことは意識が戻ったってことですか」
『そーそー。というか飲み込み早いねぇ。もしかして寝てない?』
「今の今まで寝てました」
『そっか。ならあれか。好きな人のためなら睡魔だって殺せます、ってやつだね。まぁ良いか。そういうことだから。アタシは今から病院行くけど来る?』
「行きます!」
『じゃあ駅集合で』
「わかりました」
電話を切って、近くにあった制服を適当に身にまとい、自転車をかっ飛ばしたのだった。
もう息を吸うということすら忘れて、全力で駆け出し改札へと続く階段を一段飛ばしで進む。改札にスマホをかざして、スピードを緩め図に階段を落ちるように下る。ホームに見える電車。耳に馴染み過ぎている発車メロディーが聞こえ、限界突破をする。ピポンピポンと扉が閉まり始め、隙間を縫うように車内へと飛び込む。ゆっくりと動き始めるする電車。肩を揺らしながら息をすること数秒。「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」と車内アナウンスで注意された。そんなこと言われても、次の電車待っていたらそれだけ星崎さんに会う時間が遅くなるわけだし、一々うるさいなぁと心の中で悪態をつく。
出勤ラッシュも相俟って、電車内にはどんどんと人が増えていく。流れに飲まれぬよう扉近くの場所を確保し、三十分ほど揺られる。そうすれば目的の駅に到着し、この地獄のような空間から解放される。解き放たれて自由に羽ばたく野鳥のように、懸命に走る。床を蹴り飛ばし、太ももに張りを感じ、胸に痛みを覚えながら。それらを噛み殺すようにぐっと脇腹をつねって。
「おー」
指定された目的地に到着すると、制服姿の市川さんが立っており、目が合うとひらひらと優しく手を振る。ワインレッドを少し茶色く濁したような長―い髪の毛をゆらゆらさせて、微笑む。
「おはようございます」
「おはよー。ってか、身だしなみすごいねー。もしかしてそれで来たの?」
そう言われて、近くにあったコンビニの扉の前に立つ。反射する私の姿はとても綺麗とは言えないものであった。シャツは出ているし、スカートはよれているし、リボンにいたってはだらーんとぶら下がっている。とても華の女子高生とは思えない身嗜みだ。
「酷いですね。これで来ちゃいました」
「まー、良いんじゃない? 今からピシッとしよう。ピシッと」
市川さんは手を伸ばし、リボンの紐をきゅっと縛ってくれる。ふわっと柔らかいシャンプーの香りが漂い、一瞬頬を緩める。いやいやまずいでしょとぶんぶんと顔を横に振る。振り子のように揺れたポニーテールが市川さんの頬にべちぺちと当たり、市川さんは心底不満顔を見せる。
「この尻尾め」
ガシッと髪の毛を掴んだ。
「こうしてくれよう」
ほいっと私の背後に向かって投げたのだった。
身だしなみを最低限整えて歩き出す。
「どこの病院ですか」
「この地域の一番大きな病院」
「あーあのデッカイところですか」
「そうあのでっけぇーとこ」
こんくらいと手を大きく広げる。
立ち入ったことはないが、時折あの場所の前を通ることはある。なんかいつも救急車いるし、目の前の駐車場には大量の車があるイメージ。
「会いに行こうか。一歌に会いにね」
こうして私たちは病院へと向かった。星崎さんが待っている病院へ。
病院へ到着すると、入口の前で一人の女性が寝そうに欠伸をしていた。
「あ、一歌のお母さん。おはようございます」
「あらみこちゃん。おはよう。そちらの方は?」
「あー、こっちはあれっすね。一歌と一番仲良かった友達ですよ」
市川さんはぱちくりとウィンクをする。え、あ、え? と、困惑。動揺するような反応を見せてから「えーと、そうです」と頷く。
「そうなのね。一歌と仲良くしてくれありがとう。あ、申し遅れました。一歌の母です」
表情が曇る。表情と言葉があまりにもミスマッチで違和感を覚える。それは私だけじゃなかったようで市川さんも怪訝そうに星崎さんの母親を見つめていた。
「おはようございます」
「あらあら丁寧な子ね」
星崎母はふふふと笑う。虚勢を張っているだけなのか、それとも脳天気なのか。今までのこの人を知らないのでなんとも言えない。
「一歌に会いにきたんすけどー」
「あー、ごめんね。病院ってさ午前は面会できないのよ。すっかり忘れてたわ」
星崎母は申し訳なさそうにぱしんと手を合わせる。えー、それじゃあ私が頑張って走った労力は一体なんだったのだろうか。
「覚悟していたとはいえ昨日の今日ですもんね。寝てないんじゃないすか」
「あらわかる?」
「なんか眠そーでしたし。アタシだってそんくらいはわかるんすよ」
へへーと笑う。
「二人はこれからどうする? そうね。一時頃から面会はできるみたいだけれど」
「あー、お昼っすね」
「そうなのよ。学校行くのなら送っていくわ」
パツパツなジーンズのポケットから車の鍵を取り出すと、くるくるーと回す。
「学校に行かないという選択肢なんてあるんすか」
「今の一歌の状況を朝ごはんでも食べながら話そうかなって」
「魅力的な提案すね」
市川さんは瞳を輝かせる。
「青山さんもサボっちゃおうよ、学校」
「昨日も遅刻扱いですし……」
「んなもん気にしちゃダメダメ。素直になんなきゃ!」
ね、と市川さんは肩を触る。
「お腹空いたから……あ、あそこ曲がったところにファミレスあったわよね。そこで朝食取りながらお話しましょうか」
星崎さんの母親らしい人はつかつか歩き出して、市川さんも躊躇することなく着いて行く。どうやら私に拒否権というか、選択肢は与えられているようで与えられていないらしい。強制はしない(強制)という感じ。
うだうだしていたら置いてかれそうで、仕方なく追いかけた。そう、仕方なく。決して学校サボれるとか小賢しいことを考えているわけじゃない。
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