第33話

 帰宅すると同時にぷるぷるとスマホが震える。はてさてなんだろうと首を傾げ、スマホを確認すると市川さんからの電話だった。

 「もしもし。青山です」

 『アタシが名前間違えまくるからついに先手を……』

 特に意識していなかったが、たしかに対策になっているな。次からこうしよう。

 『じゃなくて。今どこにいる?』

 「今ですか。家に帰ってきたところです。自室ですね」

 『あー、たー、うーん。そうだよね。帰ってるよねー』

 気まずそうで少しだけ申し訳なさそうな声色。

 「どうかしましたか?」

 なにかあったのは火を見るより明らかだ。ふらふらと寄り道しながら本題に辿り着くというのも時には大切なのだが、今回はそんな悠長なことをしてられないという雰囲気が電話越しではあるものの伝わってくる。だからさっさと本題に入れるようアシストをした。

 『一歌が目を覚ました』

 「良かったです。一安心ですね」

 星崎さん母は脳損傷? って言っていたっけ。具体的なものは忘れちゃったけれど、とにかくそれの後遺症でまだ調子が不安定だったというのが要因で倒れただけだろうから、物凄い心配をしていたというわけじゃない。病院の先生もまぁ外に出してオッケーって判断をしたくらいなんだし。心配していないとはいえ、やっぱり若干の不安は拭えない。疎い分野だから尚更。もしかしたらという最悪な想定をしてしまう。だからその最悪な想定が現実にならなくて良かった、という安堵があった。それで出てきた一安心という単語だ。

 『一安心。まぁそうかもしれないけど、うーん。まぁ、うーん』

 猛烈に歯切れが悪い。

 「え、違うんですか」

 『意識は戻ったからたしかに安心ではあるんだけどー、いや安心だよ。すごく安心。超安心。めーっちや安心』

 そのセリフたちに不安を覚えてしまう。安心って言えば言うほど不安になるのなんだか皮肉だなぁ。

 『まぁ単刀直入に言うなら、青山の知ってる一歌が戻ってきた』

 「へ?」

 『もう一回言おうか?』

 「大丈夫です。聞こえてはいるので。ただ脳が上手く処理できてないだけです」

 脳みそに情報が入ってきて、ぐわーっと思考回路を駆け巡って、やがてその思考回路はショートする。情報の塊が走り去るせいで渋滞している。ゆっくりと溶けていくように理解していく。

 「私の知ってる星崎さんが帰ってきたってことですか」

 『そーゆーことになるね』

 「ほんとですか」

 『こんなじょーだん言うように……は見えるよねぇ。日頃の行いの悪さだなぁ。とにかくこれはほんと』

 なんか勝手にショックを受けている。私もちょっとは悪かったのかな。多分。

 『一歌がね、青山さんに会いたいって駄々こねてるの。珍しいでしょ。青山さんの知ってる一歌がだよ』

 「そうですかね」

 頷かない。だって私にとっては珍しくないから。部活に行かないと駄々を捏ねたり、恋人らしいことをしたいと困らせてきたり、二人乗りしたいと言ってみたり、と結構好き勝手しているような印象ではあったから。

 『あー、前の一歌は青山さんの前では甘えてたんだなぁ、きっと』

 「かもしれないですね」

 『で、来れる?』

 「今からですか。行っても病院入れないですよね」

 今は十九時。ここから全力を出しても二十時を回ってしまうのは確実だ。その時間帯からは面会できないはずだし、と躊躇する。無駄足になるのが目に見えるから。

 『今は救急外来だから大丈夫』

 「そういうものなんですね」

 『病人本人の希望だしね』

 「優遇されてますねー」

 『病人の特権だね。ちょっと羨ましかったりする。アタシもワガママ三昧になりたい』

 もう十分ワガママ三昧でしょうに。言わないけれど。

 『というわけで来て欲しいんだけど』

 「行かなきゃダメなやつですよね」

 『ダメってわけじゃないけど。まぁー来た方が良いだろうね』

 「なら行きます」

 まぁ元々断るつもりは一切なかった。

 また星崎さんに会える。そのチャンスを逃すわけにはいかない。私の知っている星崎さんの人格は新しく芽生えてきたものであって、周囲はその人格を偽と口にする。実際そうなんだろうけれど。とにかくそういうわけだから、またいつ居なくなってもおかしくない。明日で良いやって眠ったら、元の人格に戻ってしまうという可能性は大いにあるはず。もしそんなことになったら後悔どころの話ではない。自分のことを責めまくって、メンヘラみたいになっちゃうかもしれない。

 『じゃあ待ってる』

 「あれ、ちなみに星崎さん母居ないんですか」

 『居るよ。代わる?』

 「いや、その必要はないです」

 『オッケーオッケーオッケッケー。じゃー、外で待ってるよ』

 「わかりました」

 私は近くにあった私服を身にまとい、自転車のペダルを踏む込んだ。五月特有の過ごしやすい空気を浴びながら、私は自転車をかっ飛ばしたのだった。

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