第32話
とある木曜日の放課後。私と星崎さんは教室に残っていた。残らざるを得なかったというのが正しいのかもしれない。
「あ、あそこ……」
「ってるよー。あれは隠れてるつもりなんだろうな」
チラチラと私たちが見ている先には、壁に隠れている市川さんの姿がある。もっとも髪の毛が長すぎて隠れきれていないのだが。頭隠して尻隠さずならぬ、身体隠して髪の毛隠さずである。
「監視されてるんですかね」
「そうだろうね。なんだかんだ未だに仲良くなってないって疑ってるみたいだし」
ゴールデンウィークも明けて、これから梅雨がやってくるぞーという季節。そこそこ上手くやり過ごしたつもりだったのだが、市川さんの目にはそう映っていないらしい。
信じてくれなくて残念と言いたいところだが、市川さんの疑いが正しいのでそうも言っていられない。
「前の私と君は一体なにをしていたわけ?」
市川さんの席に座って、つまらなさそうに頬杖を突く。空いた左手でスマホを触る。
「なにしていたかですか」
ちょっと考えてみる。考えてみると、あれ、なにしていたっけ、って迷走する。なにって言えるほどなにかしていたわけじゃない。というか、実はなにもしていないのではないだろうか。放課後にちょろっと会話して、一緒に帰って、時にはでかけたりして。それだけ。特別なことをなにかしていたというわけじゃない。
「なんもしてないですね」
答えとしてはこうなってしまう。
これ以上に適切なものって多分ない。これ以外のことを言うのは嘘を口にすることになってしまうから。いやねぇ、それはまずいでしょって。
「なんもしてないの」
吃驚。困惑。怪訝。色んな感情がごちゃ混ぜになっているのが見てわかる。
「してないですね」
その感情たちを打ち消すような肯定してみるけれど、さほど効果はなさそう。
「仲良かったんでしょ」
「はい」
「なんもしてないの?」
「ないですね」
「おかしくない? 仲良いならそれなりに遊んだりするもんじゃないの。じゃれたり、なんだりわかんないけど」
「証拠はないって星崎さんが言ってたじゃないですか。仲良いのに」
「それとこれとは話別だよ、別……」
呆れて声も出ないのか、唇を一にして、呆れるようにため息を吐く。
「逆にどういうものを想定していましたか」
こちらとしてはなにもわからないので、逆に問う。基準がわからなければなんにもできないし。と、少しだけ心の中で言い訳を挟みつつ。
「イヤホンをわけあったり、抱き合ったり、手繋いだり」
一つ一つ指を折っていきながら、星崎さんの中にある仲良い人たちがすること……らしいものをあげていく。ふむふむと頷きながら、頭に入れて、あぁ、え、ふーん、そういう小さなことでも良いんだってビックリする。それなら私もしていたなぁ、と思う。
「時間を共有するのが仲良い人がするものである、と私は思ってる。君と前の私はどうやら違うみたいだけどね。まぁ、人と人との繋がりの数だけ、関係の形があるからこれ以上とやかく言うつもりはないけど」
ぐーっと背を伸ばす。
「市川さんって求めてるんですかね。そういうこと」
「どうだろうね。求めてんだろーなとは思ってたけど、二人がそういうことしてなかったんなら違うかも。アイツはなに考えてるか基本わかんねぇから」
「しておきますか。まだ見られてますし」
視線を感じる方向へちらっと目線を向ける。
「……やってポイント稼げるなら悪くない」
「なにしますか」
「手とか合わせておけば良いんじゃないか? ボディタッチは仲良いって思われるだろ」
星崎さんは知らんけどなと言いつつ、ふん、と鼻で笑う。
そして「さっさとやるぞ」と手を無造作に掴んで、ぴたりと手のひらを合わせる。それからギュッと抱きついて、数秒星崎さんの胸元に顔を埋める。突拍子のない行動に息ができなくなる。巨乳過ぎるから。すぐに解き放たれる。
「まぁこんなもんで良いだろ。緊張と緩和ってやつだな」
こういう感じで、市川さんの目がある時はとりあえず絡む。そんな表面上の関係がしばらく続いたのだった。
とある日の放課後。
市川さんにまた捕まった。隣には星崎さんが立っている。もう既に面倒事を抱えてそうな雰囲気にこちらもげんなりとしてしまう。
「アタシ気付いちゃったんだよね」
なに、どうした、と言葉にはしないけれど、目線で訴え、話すように促すと、彼女はそう言い始める。
「はぁ、どうしました」
「二人はまだ仲良くなってない」
なにを言い出すかと思えばそんなことだった。出たよ、まただよと呆れる。
「そんなことはないよ。ねー?」
一方で星崎さんは星崎さんで一切悪びれた様子を見せずにそう口にする。まるで真実であるかのように。もうこんなのペテン師だよ、ペテン師。良くもまぁ真顔で嘘を言えるなぁと感心してしまう。遠回しに頷けよ、と睨まれてこくこくと頷く。
「ないない! だって一緒に帰らないじゃん。おかしいよ」
「私は自転車だし。しょうがないと思うけど」
「しょうがないけど、しょうがなくない!」
「えぇ、どっちですか」
「しょうがなくない!」
しょうがなくないらしいです。
「だから決めたの。今日は遊びに行くよ」
私と星崎さんの手を引っ張りつかつかと歩き始める。
「私今日病院行かなきゃいけないんだけど」
「おばさん一歌は暇だよーって言ってたよ。やり取りだってあんだかんね」
「……」
証拠まで提示され、星崎さんは撃沈。
「私に拒否権はないんですか」
「ないよ。それに青島さんはどーせ暇でしょ」
「青山です」
「知ってる。どーせ暇人なのも知ってる」
くっ、このなにをー、と言いたくなるけれど事実なのでただぐぬぬとすることしかできない。
「仲良い二人は遊ぶことくらい別になーんにも問題はずだよね。だって仲良いんだもんね。ねー。問題ないよねー」
どこまで見透かされているのだろうか。もしかしたら今までの工作も全てバレているのかもしれない。そう勘繰ってしまうほどに煽ってくる。
星崎さんは呆れたため息と共に私をぎぎぎと睨む。どうやら私のことを疑っているらしい。そんなわけないでしょ。あれだけ明確に嫌悪感出されてしまえば、距離感取らざるを得ないし。
「お腹痛いような気がしてきました」
「気のせいだよ」
と、気にすることすらせずにつーっと私の手を引く。どうやら逃げ道なんか存在しなかったらしい。曇天模様な空を窓からちらっと確認して、小さな息を吐いた。
連れてこられたのは駅近くにあるカラオケ屋。格安な高校生料金があるせいで弊校の溜まり場になっている。高校生には遊ぶ場所が提供され、カラオケ屋としては計算できる収入源がある、でウィンウィンな関係になっているらしい。だからここである程度騒いでも学校に通報されることはない、と噂だ。学校にクレームを入れて、カラオケ屋への寄り道を禁止されてしまえば、多分この店は立ち行かなるなるだろうし。警察沙汰になれば話は別だろうけれど、流石にそこまで騒ぐことはないのだろう。今までそういった話を聞いたこともないし。あー、でも高校生ならではの問題は多々耳にしたことがある。まぁ、高校生が使える個室って珍しいしね。だからカップル二人っきりだけだとちょっと警戒されるんだと。これはどこのカラオケ屋でも同じかもしれないけれど。
「カラオケ……」
星崎さんは顔を顰める。
「歌下手くそだもんねー」
「そうなんですか」
「こっちの一歌はめーっちゃくちゃ下手くそだよ。音痴も音痴。ぼそぼほ歌うし」
躊躇という言葉が辞書にないのか、ボロクソに批評する。
「でも下手なイメージなかったです」
「まぁ青山さんの知ってる一歌は歌上手かったからねー。なにが違うんだか」
「知らん、行くんだろ、カラオケ」
と、市川さんの手を振り解き、彼女は一人でカウンターへと向かった。市川さんは追いかけるように走り、私はその後ろをゆっくりと歩いたのだった。
個室へと案内される。
椅子はコの字になっており、私と星崎さんは机を挟むように。市川さんは所謂王様席に着席する。そして星崎さんは端末を手に取って、爆弾ゲームのようにそそくさと市川さんへ手渡す。操作をすることすらしない。
「青山さん先に歌う?」
いつもの光景、みたいな感じで市川さんは突っ込むことすらしない。気になるのは私だけだったようだ。
ぶんぶんと首を横に振る。陰キャ過ぎるので真っ先に歌うのはなんとなく恥ずかしい。どうせ後で歌うんだから変わらないでしょ、とか言われればそうなんだけれど、やっぱりなんとなく先陣を切るって怖いじゃん。
「じゃー、アタシからいっちゃいますか」
精密採点を入れてから、端末を手慣れた手つきで操作していく。ピッと、曲を送信し、マイクを握る市川さんをじーっと眺める。目が合うと、すっと端末を渡された。暗に次歌えよと言われている。
こういう時にどういう曲を入れるか、悩んでしまう。ミーハーな曲を選ぶべきか、少しマイナーだけれどギリギリ知ってそうな曲を選ぶべきか、それとも懐かしい曲を選ぶべきか、いっそのこと大胆にお前ら絶対に知らねぇーだろみたいな趣味全開な曲を入れてしまうか。ぐぬぬと悩む。で、前の人がラスサビに差し掛かって、ヤバいこのままだと終わっちゃうと慌てながらランキングから歌えなそうな曲を選んで無難にやり過ごす。
選曲はスリーピースバンドの失恋ソング。未練たっぷりで、哀愁を漂わせながらも、視点がクリアで感情移入しまくれる曲。実は結構好きだったりする。カラオケ特有の映像が流れ、ぐっとマイクを握る手に力が入る。歌い出しはやっぱり恥ずかしい。でも歌っていくうちに段々と気持ちが乗っていく。心にぽっかりと空いて見て見ぬふりをし続けていた穴が塞がっていくような感覚に陥る。サビに入れば熱は更に加速する。想いが乗って、言葉として出てくる。普段口にしてはならないと、塞ぎ込んでいたものを表に出せるという事実がさらに歌声に想いを乗せていく。遠回しな歌詞じゃなくてストレートだからこそ、歌う時に想いを込めやすい。
「うっーーーま」
間奏で一息吐くと、市川さんは目を見開く。深い意図は感じられず、心の底からそう思ってぽろっと言葉っぽさがある。いつもならお世辞かなぁとか思うところだけれど、そういう思考に辿り着かせないくらいには感情が篭っていた。
「ありがとうございます」
と、恥ずかしくなりながら感謝の言葉を述べ、二番に入った。
歌い終わって、星崎さんにマイクを渡す。
「最初に歌っておけば良かった……チッ」
舌打ちされた。マイクを受け取った後に舌打ちするもんだから、マイクが舌打ちの音を拾って、部屋全体に響く。苦笑しながら、市川さんの方を見ると、特に気にすることなく曲を入れるタブレットを触る。その様子を見て、そう珍しいことじゃないんだなぁと思う。
星崎さんの選曲は四人組バンドの恋愛感を問うような曲。めっちゃ上手いかと言われるとそうでもないんだけれど、でも市川さんが馬鹿にするほどでもないなぁと聴いてて思う。多分感情が入っているからなのだろう。サビに入る。歌詞が私の心にずさずさと突き刺さる。さっき埋めた部分を綺麗に抉り取ってくる。あまりに今の私には刺さる曲で意気消沈してしまった。
それからぐるぐると持ち回りで歌い続ける。
特筆するような会話はない。上手いとか、歌に関する感想とかそんなのばっかり。しかも市川さんが中心になっており、私や星崎さんはただの返答マシーンと化している。なにをしたいのか、掴みかねていた。
さっきのバンドの別曲を入れる。
「また失恋ソングじゃん」
「へ、これ失恋ソングですか?」
市川さんに突っ込まれたが、その自覚はなかったので首を傾げる。タイトルは前向きな言葉だし、歌詞的にも失恋ソングだなんて思ったことは一度たりともない。
「失恋ソングだよ」
まぁそういう見方もできるのかもなぁ、と勝手に結論付けたところでイントロが終わり、歌い始める。あ、あれ? ただの恋愛ソングだと思っていたのに、歌っているとたしかに失恋ソングのように聴こえてしまう。というかもうそうにしか聴こえない。表面上はただの恋愛ソングだが、少し奥に入ってみると見える景色がガラッと変わる。
歌いながら、瞳が湿ってくる。潤いを持って、そのままぽろりと零れてしまいそうになり、我慢しようとしたら音程がズレてしまう。少しだけ上を向いて、感情をコントロールする。泣きそうだけれど、泣いちゃダメだ、と自制するように。それでも心の中でぐちゃぐちゃになったものがどんどんと大きくなっていく。押さえ込もうとしても、弾き返されて無力化される。今もどんどんと肥大化していく悲壮感。泣き出しそうな心。それを見ながら、なんとなく察してしまう。あぁこれはもうどうしようもないんだろうな、と。諦めてしまった。そうなればもう邪魔するものはいなくなるので、一直線に走り出す。ずず、と鼻をすすり最後のささやかな抵抗。それも虚しく一粒の涙がぽろりと溢れる。そうなればあとは泣くだけ。ぽつぽつと机に水滴が垂れ、カラオケの伴奏だけが虚しく部屋を包む。
「え、ちょ、え、え」
市川さんが慌てたような声をあげる。
「大丈夫?」
そのまま立ち上がって、私の背中をさする。
「大丈夫です。すみません。すぐに泣き止むので」
と、答えるけれど、その一言でさらに雨足は強まってしまう。
止めようと思って止められるものじゃない。一度コントロールを失ったものは二度と手網は握れない。市川さんはカラオケの伴奏を止める。伴奏は止められても、私の感情は止められないのだ。明るい採点音が響く。場違いなその音が私の感情を少しだけ落ち着かせる。それでも所詮ただの音で、感情もなにもない。だからその落ち着いた心もすぐにぶり返す。
「とりあえず水でも飲ませたら」
星崎さんは面倒臭いものを見るような眼差しを向けながら、誰も口付けていないコップを差し出す。それを受け取って、一気に呷る。水分が血液に混ざって身体を駆け巡る。少しだけ本当に少しだけ落ち着きを取り戻した。
市川さんは私の背中をずっと撫でてくれる。優しさに心が和らぐ。
「落ち着きました。ありがとうございます」
「そっか、良かった」
とは言うものの、市川さんの表情は晴れない。
「……」「……」「……」
三人揃って黙る。カラオケを続ける雰囲気ではないし詮無きことではあるのだろう。もっともそういう雰囲気にしてしまったのは誰でもなくこの私なのでちょっとした罪悪感を抱く。申し訳ないな、と。
「こーいうのってさ、軽々しく聞くもんじゃないってわかってっから、嫌なら答えなくて良いんだけどね。でも一応聞かせて欲しい。アタシじゃ相手にならんかもしれんけどねー。どうしたの?」
遠回りに保険をかけにかけて尋ねてくる。たしかに軽々しく聞くもんじゃない。デリカシーの欠片もないと思う。けれど聞かざるを得ない状況を作ってしまった自覚もある。要するにとやかく言う資格も権利も私にはない。
「失恋したので、心に刺さりまくってしまっただけですね」
「ふーん。恋人居たんだ。意外」
星崎さん顔を上げた。はやっと興味を示す。
「お前じゃい」
市川さんはパッと反射的に突っ込む。
「え?」
突っ込まれた方は突っ込まれると身構えていなかったからか、きょとんとした反応をするだけ。特に意味のあることを言うわけでもなく、本当にそれだけ。
「私?」
指を自分に差し首を傾げる。
「え、知らないの」
「なんも」
「一歌と青山さん付き合ってたよ」
「あー、市川もかなり面白い冗談言うようになったんだね。今までただ訳のわからない暴走機関車だと思ってたけど」
「失礼な。しかも冗談じゃないわい!」
二人は啀み合うように見つめ合う。バチバチと火花が散っているように見える。
「ほんと?」
先に折れたのは星崎さんだった、目線を逸らし少し弱気になった。
「この状況で嘘言えるような胆力、アタシにはない」
「それもそっか」
困ったように頬を人差し指で撫で、こちらに目線を向ける。
「付き合ってたの?」
その問いに首肯する。反応を見てから星崎さんは髪の毛を触った。
「偽の私無責任すぎんなー」
「良いです。気にしないでください。星崎さんが私のことを嫌いってのは知ってますから。無理してもらいたいとは一ミリも思ってないですし」
「そりゃこの話を聞いて好きになるとか、そんなことはないけど……ごめん。ちょっとトイレ」
星崎さんは急に苦しそうな表情を浮かべ、御手洗へと向かった。取り残された私と市川さん。
「なんかごめん」
「いや、謝らないでください。溜め込んでた私が悪いので」
そもそもしっかりと言わなきゃいけないことを言えていればこんなことにはならなかった。元々付き合っていたんですということや、星崎さんには嫌われているので仲良くするのは無理ですとか。
「アタシも流石にデリカシーなさすぎたかもって反省してる」
「キャラに合わないこと言わないでください。調子狂います」
「普段泣かない人が泣いて調子狂わされたんだから、それくらい良いじゃん」
と、少しだけ頬を膨らます。
「泣いてないですよ」
「泣いてた」
「ただ瞳から水が垂れてきただけです。泣いてはないんですよ」
「それを世間一般的には泣いたって言うんだよ、ってなんでアタシが正論ツッコミしてんの。おかしいでしょこれ」
おかしいですかねーなんてノってみようかなと思った矢先。扉の向こう側がやけに騒がしいことに気付く。防音なはずなのに外の音が聞こえてくるなんてそこそこ騒がしいはずだ。うーん、と少し考える。まぁパッと浮かぶのはイキリ高校生たちが廊下で騒いでいるとかだろう。でも店員さんらしき人影が扉の前を小走りで通り過ぎたりするので、それは違うなとなる。
「なんかあったんですかね」
「ぽいねー。騒がしい」
市川さんも同じ感想を抱いたらしい。仲間だ。
「野次馬します?」
「アタシは結構そういうの好きだよ」
ニッと白い歯を見せる市川さんは立ち上がって、そーっと扉を開ける。ちらっと顔を出したと思えば、さっきまでの慎重さはどこへやら豪快に扉を開けて、そのまま飛び出す。じーっと自然に扉は閉まる。ゆっくりぱたんと。なんだったのか、と思いながらぼーっとするが市川さんが戻ってくる様子はない。不思議に思って、私も扉を開ける。目線の先には人集りがあって、その隙間を縫った先に見えるのは倒れ込む星崎さんと介抱する市川さんの姿だった。駆け寄ろうとするが、私が駆け寄ったことで大したことはできないことに気付く。足でまといでしかない。自虐でもなんでもなく、ただの事実。圧倒的戦力外なのだ。
邪魔にならないよう部屋で待つことにする。薄情者と言われるかもしれないが、これが最善なのだから仕方ない。無理に出しゃばって邪魔をする方が余程悪だと思うし。それなら薄情者で良い。偽善者でも良い。
三十分くらいが経過する。一度市川さんはこちらへと戻ってきた。
「さっき見にきからわかると思うけど、一歌倒れた。意識はないけど、息はしてるから多分これ関係だと思う」
とんとんと頭を指で叩く。
「一歌と一緒に居てなんか違和感とかあった?」
「最近なんか唐突に辛そうな顔してたり、私から逃げるみたいなことはしてました。それこそさっきみたいにですね。まが私のこと嫌いだから逃げてるんだって思ってましたけど、逃げるタイミングとしてはおかしいですし違和感と言われれば違和感なのかもしれません。でもそのくらいですかね。他におかしなところはわからないです。そもそも私今の星崎さんのことあまり知らないですし」
星崎さんのことを知らない。その事実に悲哀が込み上げる。
「オッケー。それも伝えとくね。それじゃあ付き添いで病院まで行ってくるから今日はここで解散で! あ、お金多分こんだけあれば足りると思うから。二人分ね」
と、万札をポンっと机に置いて、星崎さんの荷物も回収し、颯爽と立ち去った。本当にぽつんと取り残され、明らかに過剰な万札を手に取って、これからどうしようと少し考え込んだのだった。
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