第34話

 病院の最寄り駅に到着し、人と人の隙間をするすると糸を通すように縫っていき改札を抜ける。天に昇り神々しくもお淑やかに光を反射させる月。その周りでキラキラ輝く恒星たち。カラオケ屋へ行く前は空はぐずっていたのに、今はもう澄んでいる。いつもより少し硬いように感じるアスファルトをつま先で蹴って、気持ちの良い汗を額から流す。赤信号で足止めを喰らい、焦燥感に駆られながら汗を拭う。車の流れが途切れ、信号は緑色にぴかりと光る。ふぅと大きく息を吸って、小刻みに吐き出しながら走り出す。そうしているうち病院へと到着する。ふぅふぅと息が乱れる。ゆっくり歩いて息を整えながら、市川さんを探す。外で待っていると言っていたのでこの辺に居るとは思うんだけれど……とつーっと視線を動かしながら探す。病院の入口付近で立ちながらスマホを触る市川さんの姿を見つけた。それと同時に彼女もパッと顔を上げて、目が合う。頬が緩み、ひらひらと手を振ってくれる。ミラーするようにひらひらと手を振った。そうすると彼女の方からとてとてとこちらに駆け寄ってくる。動く度に揺れる長い髪の毛がなんともまぁ美しい。

 「行ったり帰ったり大変だよね」

 開口早々慮る言葉が飛び出てきて、本当に目の前にいるのは市川さんなのかと懐疑的になる。実は市川さんの皮を被った別人なんじゃないか、とか。

 「今絶対失礼なこと考えてたでしょ」

 「え、いやー、うーん。気のせいじゃないですか?」

 あははー、と誤魔化す。

 「それよりも星崎さんはどこに居るんですか」

 不都合なものはさっさと話題を逸らす。それが私流。

 「会いたいんだね。うーん、愛だねぇ」

 逃げた先でねっとりと捕まる。これならさっきの方が良かったかもしれない。

 口元に手を当ててにやにや見つめてくる。恥ずかしさで違いますって否定したくなるけれど、違うわけがないからたちが悪いなぁと思う。

 「行こうか。青山さんの愛しの相手もさ、青山さんが来てくれるのを楽しみにしてっからね。さっさと連れていかないと怒られるし」

 そう言って、私は市川さんに手を引かれる。ぐいぐいと引っ張り、病院内を慣れたようにつかつか歩く。そうして一つの部屋へと連れてこられる。丁度その部屋から星崎さん母が出てきて「あらいらっしゃい」とだけこちらに声をかけてきて、それ以上なにも言わず、こちらの返答を待つようなこともせず、その場から立ち去る。この前の飄々とした雰囲気とはガラッと変わっていて、若干の違和感を抱く。もしかしたらなにか不都合でもあったのかな、とか色々勘繰る。まぁ考えたところで答えは出てこない。

 「ほら入ろっか。それとも二人っきりが良い? あーんなことやこーんなことするんじゃアタシはお邪魔虫だもんねー」

 「しませんから」

 「じゃ、入ろ入ろ」

 手のひらでころころ転がされているような気がしなくもないけれど、まぁ良いか。

 病室へと足を踏み入れた。病院特有のやけに大きいベッドで仰向けになっている星崎さんの姿がそこにはあった。なんというか無気力で呆けているような。この部屋に入って最初に抱いた感想がそれだった。

 足音に気付いたのか、仰向けのまま少しだけ顔をこちらへ向ける。

 「あっ青山! よっぴっぴー」

 さっきまて深海にでも沈んだかのような表情だったのにパーッと晴れる。台風の目に入ったような気分になる。それほどに明るくなった。

 馬鹿みたいな挨拶も心に響く。本当に私の知っている星崎さんなんだって。

 「星崎さん……」

 「はい。星崎です」

 いえーいっ、なんて嬉々とした声音でピースをする。

 「ね、戻ってるでしょ」

 隣に並んだ市川さんは少し膝を曲げて顔を覗いてくる。顔が当たらないように注意しながら、こくこくと頷く。

 星崎さんはよいしょと起き上がり、ちょこんと正座する。

 「大丈夫なんですか。起き上がって」

 「んー、多分。頭痛いわけじゃないし、怠いわけでもないんだよね。身体は元気元気ーって感じ。まぁ病院に運ばれたから、とりあえず安静にしてろって言われてるけどね」

 不安定なタイミングだから、ということか。様子見とでも言えば良いのだろう。

 「それよりも私のこと嫌いになったよね?」

 ベッドの上で座る彼女は指をもじもじ動かしながら、つーっとこちらから目線を逸らす。逸らした先には真っ暗なテレビの液晶があるだけ。意図的にズラしたのだとわかる。

 なんで急にそんなことを言い出したのだろうか、という疑問が襲う。市川さんであればなにかしら事情を知っているのではと彼女に解を求めるように眼差しを送る。なにも知らないようで二回首を横に振った。

 「急にどうしたんですか。頭おかしくなりました?」

 「頭おかしいのは元々。仕様だから!」

 ブラック過ぎる自虐に笑って良いのか迷って、微妙な反応をしてしまう。笑えるわけないんだよなー。あの市川さんでさえ苦笑して反応に困っている。そりゃそうだ。

 「……嫌いになんてなりませんよ」

 重たいとは言えないけれど、かと言って軽いわけでもない。でも喋りにくい空気であることは違いなくて、本来口を開くべきはずな星崎さんはなにも言わない。だから渋々私が口を開く。迷いながら。

 「ほんと?」

 不安そうにこちらへ目線を戻す。

 「なんで嫌いにならなきゃいけないんですか」

 「だって私青山に酷いことしちゃったから」

 「え、酷いことですか」

 「青山なにされたん。一歌はなにしたん。もしかして無理矢理……みたいな?」

 なんのことだろうと考えていると、市川さんが隣で想像力豊かな妄想をし始め、暴走している。もう無視して良いかな。この人。

 「だって酷いこと言っちゃってたし」

 「……?」

 思い当たる節が全くない。一ミリもない。知らず知らずのうちになにかされていたのだろうか。それはそれで怖いんだけれど……。

 「なんか前の私、青山のこと凄い嫌ってたし」

 「もしかして記憶あるんですか」

 「意識は表に出せなかったけど、記憶はあるよ」

 へー、ふーん、へー、という感じ。市川さんに目線を寄越すが彼女はふるふると首を横に振るだけ。知らねぇーよとでも言いたげな様子だ。

 「ずっとなんでそんなこと言うのって訴えても無視し続けるから、無理矢理出てきた」

 そんなのありえるのかって疑ったけれど、実際問題こうやって星崎さんは戻ってきているし、疑うのはきっとナンセンスなのだろう。一々訝しんでもしょうがないので、そういうものだ、って受け入れることにする。

 「じゃあもう一人の一歌も出そうと思えば今出せるわけ?」

 市川さんは若干面倒臭そうに問う。

 「うん。というか、出せ出せ返せってうるさい。昔の私ってもっと可愛い乙女みたいな感じかなーって思ってたんだけど全然違うんだね。なんかショック」

 「巷ではこっちの一歌の方が可愛らしいって好評だったよ」

 「あんなのただのヤンキーだもんね。怖いだけじゃん、私はああいう人嫌い」

 星崎さん本人が自身のことを嫌いっと言っているようでおかしい。笑ってしまいそうになる。笑っちゃいけない場面なのは言われなくともわかるのでぐっと堪える。

 「青山を傷付けるようなことをこれからもするつもりなら私がこの場所を死守する」

 高らかに宣言する。冗談を口にするとか、そういう感じは一切ない。

 「それってつまり……」

 「私が星崎一歌になる。今までは前の私が帰ってきた時に戸惑わないようにって色々頑張ってたし、やり残してたこととかはできる限り消化できるよう努力もした。私ってどういう人だったかを聞いてできる限り乖離しないように意識もしてた。これに関してはまぁ、私の想像の斜め上だったから結果を見れば上手くいったとは言い難いけど」

 饒舌に喋りきると、ふぅと息を吐く。顔を顰め、眉間を指で抑える。

 「そんなことできるんですか」

 純粋な疑問だった。私は医者でもなければ、医学に精通しているわけでもない。言わば素人。なんならインフルエンザとおたふく風邪、それに癌くらいしか病気を知らないので素人以下まである。そんな私でもわかる。人格をコントロールできるなら、二重人格になんてならない、と。できないから現状こんなことになっているわけだし。多分。

 「できるとかできないとかじゃない。やるの」

 「なるほど」

 「わかってないでしょ」

 むっと頬を膨らませる。願望と実行じゃ大きく違うのになぁと考えていた。まぁ言ってしまえばそんな根性論通用しないでしょ、ってところだろうか。非現実的な話だと思いつつも、魅力的なものでもある。だから特に言い返したりはしない。できるものならばぜひ実現して欲しいと願うからだ。私にとってはそっちの方が都合良いし。今の星崎さんを手放さなくて良くなるから。

 「もう二度と青山を離したりしないから。傷付けないからね」

 星崎さんは立ち上がって、少しくらっとふらつく。ベッドの上で足元が悪いからだろう。

 「……あら、一歌。友達が来て嬉しいのはわかるけど、安静にしてなさいって言われたでしょう?」

 後ろから声が聞こえる。星崎さん母である。

 「……」

 一歌はムッと不服そうにしながら、睨む。

 「いや安静にすべきだと思いますけど」

 私がそう星崎さん母に乗っかると星崎さんはさらに不機嫌そうになる。隣にいる市川さんも吃驚したような反応をした。そんな変なことをしたつもりはないけれど。単純に私の中で立っている一般論を口にしただけ。

 「ほら、わかちゃんも言ってるわよ」

 「わかちゃんって誰」

 「わかちゃんはわかちゃんよ」

 「青山のこと? 青山のことそんな馴れ馴れしく呼ばないでよ。青山のこと。私だってまだ苗字なのに」

 「あら、アンタにも可愛らしいところはあるのね。まぁ良いわ。一歌の身体に傷付くのは困るから。さっさと寝ておきなさい」

 星崎さん母はかなり圧をかけて、気圧された星崎さんは項垂れるように仰向けへと戻った。不機嫌そうな表情だけはそのまま。

 「偽の人格で身体を傷付けたら、本当の人格は困っちゃうものね」

 星崎さん母はそう言いながら、毛布をかける。

 「二人も遅くなっちゃうからそろそろ帰りましょうか。車で来ているから送っていくわよ」

 市川さんと見つめ合う。断れる雰囲気ではないなぁと思って首を縦に振る。市川さんは少しため息を混じらせながら「じゃあ二人お願いします。青山さんちょっと遠いんですけど大丈夫そうすかね。無理なら遠慮しときますが」と問い「運転は好きな方よ。距離は気にしないで頂戴。県境跨ぐとかだとちょっと困っちゃうけれど」と答える。「それは大丈夫すね」と頷く。こうして私たちは星崎さん母に送ってもらうことになった。

 病室を出る時にひらひらと星崎さんへ手を振る。

 「明日も来てね」

 彼女のその言葉を聞いて、私は部屋を後にした。

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