第35話
「先にわかちゃんの方から送ってっちゃおっか」
「アタシは問題ないすよ」
「じゃあ、お願いします」
「道案内だけお願いしても良いかしら。ナビの使い方とかわかりそうなら住所入力してくれても大丈夫よ」
「使えるので少しお借りしますね」
「どうぞどうぞ。それならわかちゃん助手席に座った方が良さそうね」
なんて会話をしながら駐車場に辿り着き、ちょっと前に乗った車へ再度乗る。懐かしさと新鮮さが混合しており、若干の気持ち悪さを覚える。
エンジンを始動させると、カーラジオが流れる。それと共にナビも起動して、現在地が表示される。メニュー画面から住所的入力画面に移り、ぴこぴことムカムカするくらい入力しにくいフォーマットで文字を入力していく。ちょっとだけ時間を要したが無事に自宅の住所を入力できて、案内開始される。『一般道を通るルートです。道路交通法に基づく標識に従い走行してください』とナビは指示を出す。
「スムーズにいけば一時間かからなさそうね」
「お願いします」
「任せなさい」
腕まくりをした星崎さん母はゆっくりと車を前進させた。
車に揺られながらしばらくは他愛のない会話を三人で繰り広げる。星崎さん母がボールを出して、市川さんがキャッチし、優しくふんわりとこちらへパスをし受け取って、私はそれを懸命に弾き返す。ほとんど一方的な会話であり、当然ながら星崎さん母の話題が枯渇してしまう。三人が口を閉じせば、ラジオの音だけが虚しく流れる。その音も時折アスファルトとタイヤが擦れる音で途切れたりする。これエンジン音なのかな。乗り物に疎いから良くわからない。
「わかちゃんが偽の一歌を引き出したの?」
信号が赤になり、停車すると同時に問い掛けてくる。
「どうなんですかね」
私がトリガーになったのかもしれない。でも本人が言うにはずっと意識があって表に出てきたかったと言っていたから、絶対に私がトリガーであるとも言えない。微妙な立ち位置だ。
「アタシの方見ないでよ。わかんないよ、わかんない」
チラッと市川さんの方へ目を向けたら過剰なくらい反応した。それがちょっと面白くて微笑してしまう。
「本人はそう言っているしそうなんでしょうね」
あくまで最終確認のつもりだったようで、星崎さん母は結局私が明確な答えを提示しなくてもそうやって頷く。青信号になり、車はまた動力を取り戻す。
「私は今の状況を良く思っていないのよ」
「……」
「今のまま一歌が生きていく。それってつまり偽の一歌が支配するってことになるわよね。それって本当の一歌じゃないじゃないって思うのよ」
私の好きな星崎さんの人格が残り続けるのならば、という話だろう。それはまぁたしかに一つの意見としては真っ当なものだ。
「でも私は今のほしざ……一歌さんの方が好きです」
というか、もう一つの方の星崎さんは私のことを極端に嫌っているし。
「そうよね」
「はい」
「一歌の未来を考えるとやっぱりこのままじゃダメだと思うの」
今の方が性格は良いし、未来だけを見据えるのならばむしろこっちの方が良いのでは、と言いたくなった。でも贔屓目な発言かもと踏み留まる。
「偽物の人格が本物として生きていく。いずれ綻びを生むことになるわ。現に今回だって生んでしまっているのでしょう? こういうのが数多く起こることになるのよ。そう考えるとこのままで良いとは言えないわ」
ハンドルを片手で握り、そうぶっきらぼうに抑揚なく口にする。
綻びが生じた。たしかに史実だけを見ればその通りだ。でも生じた原因を考えてみれば対策なんていくらでもできるし、そもそも星崎さんが覚悟を決めてこのまま生きていくと決断すれば、それで簡単に解決できる問題であるはずだ。星崎さん母が問題視するほど、重要な問題だとは思えない。個人的な願望が込められているだけと言われればそうなのかもしれないけれど。
「それに本物の一歌を求める人は沢山いる。幼稚園の知り合い、小学生の知り合い、中学生の知り合い。同じ部活だったメンバー、幼馴染。本当に沢山だわ。偽の一歌よりもうんと多く。皆内心では本物の一歌の帰りを待ってるのよ」
「だからって今の一歌さんを無碍にして良いわけじゃないと思います」
我慢しなきゃしなきゃと言い聞かせていたけれど、流石に我慢できなくてポロリと零してしまう。けれど仕方ないよね、と言い訳を心の中に浮かせる。だってあまりにも星崎さんのことを蔑ろにするんだもん。これじゃあまるで今の星崎さんは要らない子みたいで可哀想だから。私が星崎さんを愛しているからそう見えるだけかもしれない。それは否定しない。恋は盲目なんて言葉もあるし。自分自身至って冷静ですと自信もって言えるわけでもないから。ただこれだけははっきりとさせておきたい。私はそう思っている、と。
「それはこちらにも言えることよ。偽の一歌を守るために本物の一歌を蔑ろにして良いわけじゃないわ」
「元々蔑ろにしようとしていたのはそちらですよね」
「そうね」
悪びれもなく認める。もっと否定してくるもんだと思って身構えていたので想像していなかった反応で呆気にとられてしまう。
「本物が元々あるべき鞘に戻る。偽物は偽物らしく本物に譲って去る。そうしないのならば蔑ろにされる。当然のことじゃないかしら。世の中パチモンは皆非難轟々に合うのよ。そういうものなのよ」
「今の一歌さんだって一人の一歌さんなんですよ。偽物とか本物とかそういうので括れるようなものじゃないです」
決して括れるものじゃない。そう言い切って、心の中にあったものはぶちまけるように爆発させてから、ずっと引っかかっていたものに気付く。あぁ私は本物とか偽物とかそういう括りに違和感を覚えていたんだって。
たしかに元々の星崎さんを知っている人からすれば、今の星崎さんは偽物で前々の人格は本物。そう認識するだろう。でも私からすれば今の星崎さんが本物であって、前の星崎さんは偽物に見えてしまう。結局のところ本物とか偽物とかそういうのって主観的な話でしかない。立場が変われば見え方というのは大きく変わるのだ。だからそうやって本物とか偽物とかって括るべしじゃない。括るのはナンセンスだ。
「括るべきじゃないですし、括るんだとすれば、どっちも本物なんですよ」
「最初に生まれた方が本物よ。良く中国でパチモンのドラ〇もんとか出回っているじゃない。それも本物って言うわけかしら」
「それは……」
ちょっとだけ言い淀む。でもすぐに切り返す。
「その理論だと日本で最初にできたコンビニだけが本物で残りは全部偽物ってことになりますけど。今日本にある大手三社のコンビニは全部偽物ってことですか? そういうわけじゃないですよね」
あーいえばこーいって、こーいえばあーいう。でもしょうがない。ここまで刃向かってしまったらもう燃え尽きるまでぶつかり合うべきだから。今更引き下がったところでだし。
「あのー」
終わりの見えない言い争いをしていると、後部座席から様子を伺うような声が飛んできた。その声に反応して互いに唇を結ぶ。
「その言い争い不毛過ぎるのでやめてください。おばさんも青山さんも」
振り向かないので表情までは確認できないけれど、きっと真面目な表情を浮かべているのだろうと想像できる調子だ。
「まず青山さんはさー、少し考えたらわかんでしょ。あれこれ言ったってなんにも解決しないって。なのになんで対抗意識燃やしちゃってんのよ。さっさとはいそうですね、って流せば良いでしょ」
罵倒じゃないけれど、耳が痛くなるような説教。もっとも本人にそのつもりがあるのか怪しいけれど。でもあまりにもまともでもっともな説教。まぁこういうのを世の中的にはド正論と言うのだろう。とにかくそういうわけで、こちらとしてはなにも言い返せなくなる。
「おばさんはおばさんすよ」
図星をつかれて黙っていると、市川さんは続けた。
「本物とか偽物とか一々拘らなくて良くないすか。中身が代わったら子供として見れなくなっちゃうんすか。赤の他人として見捨ててしまうんすか。そういうわけじゃないすよね。冷静になってください。そりゃ自分の娘が記憶なくなって、違う人格になって、おばさんも苦労してたのは知ってますよ。記憶戻った時に喜んでたのも知ってますよ。だからってもう片方の人格を否定して良い理由にはならないと思うんすけど。あの一歌だっておばさんの娘なんすから。アタシなにか間違ってること言ってますかね。ね?」
星崎さん母へ、そして私へ。それぞれに問いかけてくる。
「そもそもすけどね」
信号で止まったタイミングでグイッと顔を運転席と助手席の間に持ってくる。それから星崎さん母へ顔を向け、目を合わせてから次はこちらへと顔を向ける。なんのいとがあったのかわからないがニコッと可愛らしい笑顔を見せると、さっさと顔を引っ込めてカチッとまたシートベルトを締めた。
「どっちかを得て、どっちかを捨ててしまおう。その考え方そのものがアタシは間違ってると思うわけなんすよ」
突然そんなことを言い出す。なにを言っているんだ、と思った。時代が時代なら市川殿はご乱心だって腹を切られているよ。
「みこちゃんは一体なにが言いたいのかしら」
「青信号っすよ」
「あぁ……」
星崎さん母はもう運転に集中できていないようで、青信号になっていることにすら気付いていなかった。ハッとした様子でゆっくりと発進する。どっか停まった方が良いのではと思いつつも、免許持ってない私が言い出すのはおかしい気がしてやめた。
「共存ルートを探れば良いんじゃないすかね」
「共存ですか」
「きょーぞん。片方の人格を選んだら、もう片方の人格は失われるだなんて誰が決めたんすか。おばさんは『このままだと一歌の人格は消滅することになる』って病院の先生にでも言われたんすか」
「それは言われてないわ」
「そうすよね。それなら両方とも残せる未来だってあるんじゃないすかね」
目から鱗だった。片方を選べばもう片方は消えてしまう。そうやって思い込んでいた。先入観ってやつだろう。
「でもどうやってやるつもりなのかしら。そう都合良くできるとは思えないけれど」
「それはたしかにそうですね」
意見の一致。二人とも見えていなかった世界線という共通があるからこそ同じ意見になってしまう。なんかちょっと癪だけれど。
「やるってか、多分もうやろうと思えばできるんじゃないすかね。だって人格が入れ替わってる時でも意識はあるらしいですし、『人格変われ』って命令できたりもするらしいですから。共存は案外そう難しい話でもないと思うんすよね」
理想論ではない、と。というかたしかにそんな話していたね。
「まぁこればっかりは本人たちに聞いてみないとわかんないすけどね。本人たちが嫌がればそれはもうどうしようとないすから」
そう纏めてから、パンッと市川さんはわざとらしく手を叩く。
「ってことで、これじゃあ不満すかね」
「及第点ってところかしからね。他の人格があるというのはやっぱり許し難いところはあるけれど。それに今の一歌だって一年半くらい一緒に過ごしているのよ。好きじゃないけれど決して嫌いというわけでもないわ」
「青山さんは?」
市川さんはそう問いかけてくるのでぶんぶんと首を横に振る。
「じゃあそういうわけで、無粋で面倒な言い争いは終わりにしましょうね」
こうしてなんだなんだで丸く綺麗に収まった……多分。収まったって言って良いはず。なにはともあれ市川さんが居てくれて良かったなぁというような移動時間だった。
「共存を提案するのはわかちゃんからお願いしたいわ。私からしても多分拒否されるもの。あの子は私のことをあまり好いていないから」
星崎さん母は嘲笑気味にそう言った。そして「自業自得だけど」と付け足す。市川さんは特になにも言わない。肯定も否定もしない。ただまぁそういうことなんだろうなと思った。つまり私がやらなきゃならない。一気に気分は重たくなってしまった。辛い。
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