第36話

 今日も今日とて病院に赴いている。今日は放課後に直接病院へ向かう。もちろん市川さんも一緒だ。着いてきてくれるというから着いてきてもらった。なんか「今日は顧問が居るから……」という本音がぽろりと聞こえてきた気がしたけれど多分それは気のせいだろう。うん、きっとそうだ。決して星崎さんのお見舞いを理由に部活をサボろうという打算的な思考を持っているとかそういうのじゃないと思う。

 病院に入り、市川さんがささーっと受付け処理をしてくれる。星崎さん母然り、市川さん然り、なぜ私の周りの人たちは皆揃いも揃って来院受付を手際良くできるのか。もしかして生きていく中で自然と身につけることなのかな、と不安になる。

 そのまま昨日歩いた通路を思い出しつつ沿って星崎さんの病室へと向かう。しばらく足を動かせば到着し、とんとんとノックをして、彼女の声が返ってくる前に市川さんはガラッと扉を開ける。いや、待った方が良いでしょ、という声を轟かせる前に市川さんはつかつか病室へと入った。病室の外でうだうだしていてもしょうがないので、市川さんに続いて病室の中へと流れ込む。

 「いらっしゃい」

 星崎さんは表情を綻ばせる。星崎さん母は近くでりんごの皮を向いていた。入院っぽい光景にちょっと感動する。

 「アタシが来た時はそんな顔しなかったのに」

 市川さんは不満顔を浮かべた。

 「そりゃね。市川と青山じゃ雲泥の差だもん」

 「琴音」

 「はいはい」

 星崎さんは市川さんとは対照的な笑みを浮かべる。星崎さんが光だとするのならば、市川さんは闇。天使と悪魔。とりあえずそれっぽい言葉を並べてみた。

 「あの、星崎さん」

 一歩踏み出して、星崎さんに近寄る。星崎さん母や市川さんは察したのか、息を潜める。二人だけの空間ではないけれど、二人だけの空間のように感じる。静けさとか、雰囲気とか、様々な要素が上手く絡まった結果だろう。

 「うん?」

 「共存してみる気はないですか。二つの人格と共に生きる。共存です」

 「ない」

 怒らせたら元も子もないので、丁寧且つ慎重に、地雷を踏み抜かぬよう探りながら声をかける。しかし優しすぎてからか、簡単に跳ね返されてしまった。

 「青山を傷付けるような人格は一生封じ込められてれば良いと思う」

 ガシュッとリンゴを刻む音が響く。

 「私は傷付いてないので……」

 穏便に丸く収めたい。だから嘘を吐く。けれど星崎さんはぎろっと鋭く睨む。

 「嘘じゃん。だって泣いてたもん。青山」

 「泣いてないです」

 「泣いてたでしょ。私知ってるよ」

 言いくるめられてしまう。

 「あんな思いを二度とさせたくない」

 「それは……その」

 「あんな狂った人間。さっさと居なくなっちゃえば良いのに」

 星崎さんはそう吐き捨てる。星崎さん母は眉をぴくぴく動かす。

 「ワガママばっか。そんな娘に育てた記憶はないのだけれど」

 「自分が気に入らない人には嫌悪感ダダ漏れで、毒ばかり吐くような娘を育てた人が口にするセリフじゃないんじゃない、それ」

 「なっ……」

 ことんと星崎さん母は包丁を置いて、星崎さんは星崎さんで顔を顰める。

 「大体青山に仕込んだのも「チッ、早く私に身体返せよ」うるさい」

 表情がくるくる変わる。声色も変わって、一瞬星崎さんが入れ替わったのがわかった。

 「やめてよ「うるせぇな」こないで「お前が居なくなれよ」なんで私が「お前が邪魔だからだろ」邪魔なのはそっちでしょ「お前だよ。邪魔なのは。これは私の身体」私のだよ」

 さらに入れ替わりは加速する。

 傍から見れば一人芝居だ。一人二役。

 「一歌に身体返しなさいよ」

 と、星崎さん母は加勢する。混沌と書いてカオスと読む、じゃないけれどそれほどに狂気じみた空間が生まれた。

 「お母さんは黙っ「母さんの言」こっちも出てこないで「お前がさっさと消えてくれよ」だから――」

その嫌な空気を一蹴するように市川さんが口を割る。

 「全員うっせーよ。うるさいよ。ぴーちくぱーちくうるさい。仲良くできないの? なんで言い争いしかできないの? 小学生? いいや、小学生でももっと理性保てるか。幼稚園生じゃんもうこれ」

 投げ捨てるような言葉に全員市川さんの方へ視線を向ける。もちろん私も。

 「星崎一歌! 君たちはさぁ、喧嘩したい訳? 言い争いがしたいの?」

 彼女はふるふると首を横に振る。若干俯いているせいで、今の人格がどっちかはわからない。判断できない。

 「おばさんはおばさんでなにがしたいんすか。良い大人が約束を破りたいだなんて中学生みたいな考えを持ってるわけじゃないすよね」

 「そんなわけないじゃない」

 「じゃあ子供みたいなことしないでください。唯一の大人なんすから」

 言葉が刺さったのか、星崎さん母は突然しおらしくなる。

 「青山さんも説得するならしっかりとする。しないからこうやって訳わからないことになんの。わかる? やるならやる。しっかりやる」

 「は、はい。すみません」

 飛び火を……と思ったが、全く悪くないとも言えないなぁと素直に反省の意を示す。

 「ほんとなんでアタシの周りは皆面倒なんだろう」

 困ったように笑う。それから息を一つ吐いて、ぱんっとわざとらしく手を叩く。

 「だから仲良くして。穏便に済ませようよ。良いじゃん。二つの人格があってさ、どっちも生きてく、ね」

 諭すような言葉。誰もなにも言えなくて、ただその言葉だけが病室内を木霊した、ように思えた。

 全員が頭を冷やす。それから口を割ったのは星崎さんだった。

 「嫌いなものを好きになることはできないから」

 どっちの星崎さんかはわからない。

 「別に好きになる必要なんてねぇーんじゃない? 干渉しなきゃ良いだけ。そっちが一歌のことを指してんのか、青山さんのことを指してんのかはわかんないけど」

 「そっか好きになる必要はねぇーのか」

 どうやら元々の人格らしい。

 「……」

 星崎さんは唇に手を当て、うーんと唸る。俯いてから約一分。沈黙が流れる。それからゆっくりと彼女は顔を上げる。

 「話し合った結果、してみるよ。共存」

 星崎さんはそう静かに宣言した。

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