第12話
朝。
スズメの鳴き声が私を覚醒へと導く。
スマホを確認するともう八時を過ぎたところだった。
「わっ、ちょっ、ほんと? いやいややば」
ガッと立ち上がって、制服を掴んだところで、あれ、昨日金曜日だったよなと冷静になった。
学校、まぁ正確には校門前だけれど。に行かないといけないという気持ちがあまりにも大きくなりすぎて平日だと脳みそが勝手に勘違いしていた。本当に焦るから勘弁して欲しい。
と、自らの脳みそに文句を言いつつ、私服を漁る。
それはそれとして、遅刻するかしないかの瀬戸際に立たされている。しっかりとメイクして、おしゃれしておこうと思っていたのだ。一応星崎さんとはそういう関係なわけだし。しっかりとおめかしした方が良いだろうから。と、まぁ八時に目が覚めたことでそんな悠長なことは言っていられなくなってしまったのだけれどね。
集合時間は十時。家から学校まで全力で行っても四十五分から一時間くらいはどうしてもかかってしまう。
となると、残り一時間しかない。簡単なメイクと髪の毛のセットなら、余裕でできるけれど、しっかり目にしようと思うと明らかに時間が足りない。技術を持っている人がすれば一時間で完璧に仕上げられるんだろうけれど、私はメイク経験の浅い女子高校生だ。
無理なものは無理である。
悲しいがこれが現実だ。
誰もかれもが、生まれつき上手くメイクできるわけじゃない。場数を踏んで上手くなっていくのだから。
って、こんなこと考えている暇があるなら私服選ばないと。
朝食という概念を吹き飛ばしながら、限られた時間をおしゃれに費やしたのだった。
最寄り駅に向かう中。自転車のペダルを蹴り飛ばしつつ、お腹が空いたと後悔する。
おしゃれすると意気込んだのは良かったものの、そこまでおしゃれはできなかった。制服に頼り過ぎておしゃれって……なんだっけ、とボケ老人みたいな状態になっていた。結果として、おしゃれとは程遠い服装になってしまったし、メイクも軽くしただけ。ちょっとラメの入ったアイシャドウとかしているくらいで、その他は学校に行く時にしているような軽いメイクだ。
そんなことなら、しっかりと朝ごはん食べれば良かった、という後悔である。
その後悔と怒りを活力に私はまた自転車のペダルを蹴って、一本でも先の電車に乗れるように努力した。
その数分後には努力は必ず実わけじゃないんだ、と現実を突きつけられることになるのだけれどね。
青い看板のコンビニでパンとおにぎりを買った。時間がない時の味方だね、コンビニって。
お弁当の底をかさ増ししているとか馬鹿にしてごめんなさい。
まぁ紆余曲折を経て時間ギリギリに集合場所である校門前に到着する。
その場にはもう星崎さんはいた。
膝上の太ももまで見えるグレー寄りの茶色のショートパンツ。上は白いシャツに黒のロングコート。おしゃれポイントはちらっと見えるお腹。おへそも見えるよ。あと深く被る帽子がクールさを演出している。可愛いというよりもカッコいいという感想を抱くようなファッションである。
「よっぴっぴー」
という挨拶をしなければという注釈付きだ。
「その挨拶がなければカッコいいですね、という感想を言うところでしたよ。あ、おはようございます」
ワンテンポ遅れながらも挨拶はしっかりとする。
「これは私のこだわりだから」
「そうですか」
「青山もしとく?」
「しません。いつもいつもなんで道連れにしようとするんですか」
「青山がしたら絶対に可愛いと思うから」
「そういう口車には乗りませんよ」
か、可愛いって煽てられたからってなんでもするわけじゃなんだからね!
「そういう青山は可愛い服だね」
頭からじーっと足元に視線を落とした星崎さんはそう口にする。
「そうですかね」
時間がなくて引っ張り出してきたような服たちなので、おしゃれであるという自覚は一切ない。だからお世辞だろうなぁとなんとなくわかる。でもそれを指摘するのは無粋というものであって、だから曖昧模糊な返事をした。
「そうだよ」
彼女から帰ってきたのははっきりとした肯定だった。お世辞ならさっさと切り上げれば良いのに続ける。
「いや、まぁ……たしかに青山ぽいかって言われると結構疑問は残ったりするかも~なファッションだけどね」
「私っぽいってなんですか」
「オフィスカジュアル……的な? そのまま品川とかに行っても周囲に溶け込めそうな感じかな」
「なるほど」
つまるところ、堅苦しい服を着ていると思っていたということか。これって馬鹿にされているのかな、そうだよね。
「スカート履いてくるとは思わなかった」
「馬鹿にしてますよね」
「褒めてる、褒めてる。超褒めてるよ」
言葉が軽くて信用ならないけれど、問い詰めても詮無きことなのでやめておく。
「それよりも今日はどうするんですか。なにか用事でもあるんです? 急にでかけるって言われたのでなにも考えてないですけど」
なにかしら考えるべきなのだろうが、流石に昨日の今日で考えられなかった。そもそも昨日星崎さんが強引に誘ってきた時点でなにかしら考えているのだろう、という気持ちがあったしね。
「それねぇ」
苦笑交じりに呟く。
嫌な予感がする。気のせいかな。気のせいであって欲しいな。
「どうしたんですか」
そう願いなら問う。
「勢いで誘っちゃったからなにも考えてないんだよね」
あははー、と笑った。
どうやら私の嫌な予感は的中してしまったらしい。
「昨日どうしようって考えたんだけど、結局どこに行きたいとか決まらなかったんだよね」
「マジですか」
「マジ」
「本気ですか」
「うん、マジ」
私の言葉にこくこくと頷く。
「どうするんですか。今十時ですよ。午前ですよ。もうやることなくなっちゃいましたよ」
友達と遊ぶ。こういうのをまともにしてこなかったので、世の陽キャたちはどうやって時間を潰しているのか知らない。少しでもそういう知識があれば良かったんだろうけれど、生憎そういう知り合いもいなかったし……。あ、あれ、待てよ。居るじゃん。運動できて、コミュ力高くて、友達も多い陽キャが。ほら、目の前に。
「うーん、普段ならおしゃれなカフェ行ったりして写真撮りまくったり、カラオケ行ったり、ゲームセンターでプリクラとか撮ったりするかなぁ。でもどれも青山は好きじゃないでしょ」
そうだよね、という目線を送られる。
おしゃれなカフェとか一度は行ってみたいなと思うし、歌うのはかなり好きだからカラオケは一人で良く行くしなんなら普通に好きだし、プリクラとか撮ったことがないので一度はあのブースに入って、機械を触ってみたり、写真を加工してみたり、スマホの後ろに貼り付けたりしてみたいなと思う。思うけれど、ちょっと言える空気じゃない。あまりにも自信満々だから、したいと言えば傷付けるか、気を遣っていると勘違いされそうだ。
「そうですね」
という意に反した肯定。私の意思弱い。
「ちなみに青山はなにしたい?」
私に思考を覗いたかのような質問に心臓がとくんと跳ねた。水色でそのまま宇宙さえ見えてしまいそうな空を見上げながら、うーんとか、あーんとか、おーんとか、言葉として成立しているとは言い難い言葉を唇は動かさずに発する。
「したいことですか」
唇に指を当てて、さも思案中みたいな表情を作った。
もっともやりたいことは明確に見えているけれど。それを口にする勇気がないだけ。
ほら私頑張れ、と心の中で自分自身を鼓舞してみるが、やっぱり発する勇気は出てこない。
まじまじと星崎さんは私のことを見つめている。
期待の眼差しのようで、若干圧にように感じてしまう。
「そうですねぇ」
二人の間に流れた沈黙が長く続かないように無理矢理言葉を挟む。
とはいえ結局どうしようか、と私の心は振り子のように激しく揺れる。揺れた上で答えに辿り着くことはない。
あれこれ考えに考えて結果、微妙な答えがぽつりと誕生する。最初はその答えを捨ててしまおうと思ったが、それ以上に優れる答えが見つからないような気がして、渋々ではあるもののその答えを提出することにした。
「星崎さんが言うその、恋人みたいなこと……でしたっけ。それをできる限り叶えましょうよ」
どうせ自分一人ではきっぱりとした答えは出せない。
それを理解したからこその発言だ。
良く言えば星崎さんのために時間を使うと明言したことになるし、悪く言えば星崎さんに主導権を押し返した、となる。
主導権もとい厄介ごとを押し付けられた星崎さんはきょとんとした表情を数秒浮かべてから「うーん、どうしたもんか……」と呟く。
悩んでいる。
「テニスとかしてみたいかも」
「それは無理です。本当に無理です」
拒絶する。
「だよねー」
わかってましたみたいな頷き。
「正直、思いつかない。パッとは」
お手上げだ、と両手を上げる。白旗があったらそれも一緒に掲げてそう。
「えぇ、どうするんですか。帰ります?」
「せっかく休日に集まったのに勿体ないよ」
正論を放たれ少し解せない。この状況を作った人間がそれを言うなよと文句の一つくらい言いたくなる。それでもグッと堪えるあたり私って超優しいなぁと自画自賛して怒りを鎮める。偉いね、私。
「でも私の家に行けばなにか思いつくかも」
「え、なんですか、それ。パワースポットですか」
「なに言ってるかわからないけど、でもまぁうん。そういうことで良いよ」
私の発言を面倒そうに処理する。酷い。
「じゃあ行きますか。星崎さんの家に」
「手間かけてごめんね」
「大丈夫です。このままずっとなにもせずここで立ちっぱなしというのに比べればマシだと思うので」
せっかくの休日。しかも比較的早起きをしたというのに、時間だけが無駄に過ぎていく。その現状を考えれば、なにか行動する。それだけで大きな進歩だと言えるだろう。
そう思いながら、私は星崎さんの隣に並んで歩き出したのだった。
三十分ほど歩くと目的地に到着する。
「ここが私の家」
そうやって指差すのは普通の一軒家。特筆することはなにもない。本当にただの一軒家。
駐車場があって、庭があって、二階建てで……。「星崎」という表札がちょっと目立つかもって感じ。
「ちょっと待っててね」
「え、家上げてくれないんですか」
てっきりお邪魔することになると思っていた。
「人を家に上げる主義じゃないから」
「そうなんですか」
「そう。だからちょっと待ってて。あ、玄関は良いよ」
そう言って招かれる。
外に比べれば数段ぽかぽかした空気の玄関。まぁほとんど廊下なんだけれど。こう一歩入っただけで全身星崎さんに包まれたような感覚になる。頭から星崎さんの香りがする香水を被ったような。そんな感覚だ。自分で言っておいてなんだけれど、少し気味が悪い思考だ。
玄関には靴がそこまで並んでない。さっき星崎さんが履いていた靴に、ブーツが一つ。あとは革靴と、サンダルが数個。家の奥からは声らしき声は聞こえないし、テレビや水道などの生活音も聞こえてこない。両親は外出中なのかなぁと推測できた。
ということは、つまり今私と星崎さんしかここに居ないってこと? なんだろう。わからないけれど、ドキドキしてきちゃった。やば。
頬は火照る。玄関に設置されている等身大の鏡には頬を真っ赤に染める私の姿があった。なんでそんなに朱くしているんだろう。見間違えかな、と目を擦ってもう一度確認するけれどやっぱり朱い。そうか、そうか。なるほど。この玄関は外よりも体感数度ほど高い温度だから熱くなってきちゃったのだろう。
とりあえず玄関の扉を開けて、換気することにした。それから深呼吸も同時にする。
外の空気を吸うことでふつふつとした気持ちも、身体の熱さも冷めてきた。
「おまたせ」
一人で勝手に悶々とした気持ちと葛藤し、無事に勝利したタイミングで星崎さんは二階から戻って来た。
手にはピンク色の大学ノートがある。その表紙には『――が―き――し――――』と書かれている。彼女は抱えるようにそのノートを持っているため、表紙になんて書かれているのかイマイチわからない。
「それなんです?」
だから問う。
「ん?」
と、首を傾げる。私はノートをジーっと見つめ、星崎さんは気付く。
「このノートのことね」
「はい」
「これはね『恋人ができたらしたいこと』ノート」
「え、なんですかそれ」
眉間に皺を寄せる。
「恋人ができたらしたいことを記したノートだよ」
そのままの意味だった。
うーん、えーっと、うーん?
「じゃあ今まで言ってた『恋人っぽいこと』とかも全部それに書いてたものをやってたってことですか」
「そう」
こくりと頷く。
そりゃ共通項が見つからないわけだ。
「これがあれば今日やりたいこと見つかるかなぁと思ってね」
私の隣に座ると、ノートをペラペラと捲る。
チラッとノートの中を確認しようとするけれど上手く見えない。光の加減、距離、私の視力の悪さ。すべてが上手く嚙み合ってしまっている。とはいえグッと近付いて見るってのもなんだか違うなと思ってさっさと諦めた。めっちゃ見たいってわけでもないし。
ぼーっと壁を見つめる。テニスラケットケースが何個もぶら下がっており、その床にはスーパーで使われてそうな買い物かごが置かれている。その中には大量のゴムボールみたいなのが入っている。元々は白かったのだろうけれど、砂やらなんやらで汚れてしまって淡いクリーム色になっていた。その隣には同じかごがあって、そこには私たちが良く知っている緑色のザ・テニスボールというようなボールが大量に入っている。その上には無造作にマーカーが置かれていて、もしかしなくても星崎家はテニス一家なのだろう。
一人のためにここまで大量のテニスアイテムを収集するとは思えない。いや、全部そうかもって偏見で考えているから実際はどうなのかわからないけれどね。スポーツ本気でするならこういうもんだよ、って言われれば、そうなんですねって頷くしかないが。なにせ私は運動やらスポーツやらとは程遠い世界で生きてきたから。
「どうした?」
ノートを捲る音が聞えなくなったなぁと思ったのと同時に星崎さんの声が飛んできた。
心配そうに私のことを見つめる。
「いや、テニスグッズ多いなぁと思っただけです。あの白いのもテニスボールですか」
「あれは軟式。ほら、中学だとソフトテニスが主流でしょ」
「そうなんですか」
「えー、青山本当に疎いんだね。この前の冗談かと思ってたよ」
どうやら常識だったらしい。知らないものは知らないよぉ……。
「両親もずっとテニスやってたみたいだし、私の環境が特殊なのかな」
「多分そうだと思いますよ」
「そっかー」
と言いながら肩に寄りかかる。あまりに突然だったから、びくっと反応してしまう。その反応を楽しむかのように彼女はにへらと笑う。
「なにかやりたいこと見つけましたか」
「一つあったよ」
私の問いに星崎さんは溌剌と答える。
さっきまでの反応やら態度やらからてっきり見つからなかったのかなと思っていたので正直ちょっと意外だ。
「なにしたいんですか」
「うーん、とね」
歯切れの悪い言葉。つっかえて、少しだけ恥ずかしそうに頬を指で撫でる。それからはにかんだけれど、いつもみたいに輝かしいものではなく、暗さというか作り物のような雰囲気がある。
どうしたのかな、と心配こそするけれど、そこからさらに一歩踏み出す勇気はなくて足踏みしてしまう。そして結局なにを言うわけでもなく、心の壁に身体を隠して、星崎さんの言葉を淡々と待った。
「なにをするって言うわけでもないんだけど、だらだらと歩いて、適当にお店入って……みたいな。流れに身を任せて好き勝手やるデートをしてみたいなぁって」
「それってすごい長い付き合いの人たちがするものなのでは?」
やることを一通りやって、もうやることがなくなり会話とかなくてもまぁまぁ楽しめるような関係性の人たちがするようなことなのではないだろうか。星崎さんが私のことをどう思っているかはわからないけれど、少なくとも私は沈黙が流れれば気まずさを覚えてしまう。
テニスをするのに比べればうんと拒否反応は少ないけれど、でもしたところで後悔する未来しか見えないし、という意味で嫌だなぁと考える。
「青山とはまだ短い期間だけど、でもこういう関係なわけだし、私はもっと青山のことを知りたい」
「そ、そうですか」
突然のカミングアウトに私は動揺してしまった。声は上擦って、キョドってしまう。
「青山はそうじゃない?」
そんな私の反応を気にしないように彼女はそう続けた。
「いや、そんなことは、ないですけど」
熱い視線と言葉。私には効果抜群だった。
「そっか、それじゃあゆっくり話そうよ。それで教えて、青山のこと」
「ひゃ、ひゃい」
噛み噛みになりながら私は頷く。
星崎さんは立ち上がって、ノートを抱えながら家の奥へと消えていく。数秒もしないうちに戻ってきて、ピシッと外を指差す。
「それじゃあ行こうか」
「は、はい」
こうして私たちは目的地を決めることなく、のんびりだらだらと歩くことになった。
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