第24話

 翌日。雨。滂沱の雨。危ないので本日は臨時休校です、というメールをソワソワ待っていたほど、だ。でも学校は通常。車両故障やら、人身事故やら、乗客トラブルやらで遅延して欲しくない時にしている電車も通常運行。なんで。

 そんな中、今日も今日とて私は登校している。どんな日でも学校に行くなんて超偉いで賞を授与されてもおかしくない。

 これ意味あるのかな、とか思いながら傘を差す。もうこれ滂沱の雨じゃなくて猛烈な雨でしょ。ちりんちりんと傘の合間を縫って傘を差してなければ、カッパも身につけてない自転車が走り抜けて行った。あれは……勇者だぁ。

 さらに歩いて、信号待ちで足を止める。つんっと傘が揺れた。ふと振り返るとビッショビショになった市川さんが困ったように笑っていた。

 「おはようございます」

 「おっはよー! 青雨さーん」

 「青山です。青山。あと雨に引っ張られすぎてます」

 「うんうん、知ってんよそんくらーい」

 じゃあ名前間違えないでくださいよ、とは口が裂けても言えない。私は臆病者でチキンだから。

 「で、そんなことはこの傘くらいどーだって良くて」

 傘の内側からぱちーんと指パッチンをする。ぱしんという激しい音と共に水は弾ける。えぇ全部こっち飛んできたんだけれど。

 「ごめんごめん。今のはミス」

 「ミスってなんですか」

 そもそも弾くなよ。

 「ミスってのは間違い。ミスなんて小学生でもわかんかんねー」

 「いや、そういう意味じゃなくてですね……あぁ、いや、なんでもないです」

 指摘したくなったけれど、するだけ無駄だなぁと思ってすぐに手を引く。無駄なことには時間を割かない。合理的な女ですから。

 微妙な反応を見せてしまったからだろうか。彼女は傘を閉じて、脇に挟み、雨をシャワーのように浴びる。当然さっきよりも数倍びしょびしょになって、ワイシャツは透けてしまっている。中の下着が見えている。

 「ピンク」

 「青山さんの頭の中が?」

 「市川さんの下着が、ですね」

 私はじーっと彼女の下着を見つめる。胸元に視線を落とした彼女は急に胸を両手で隠す。

 恥じらっているのかなと思いきや、そこまで恥じらいは表情からは感じられない。むしろなぜか飄々としている。そういう性癖なのかな。濡れたシャツを着るとか、下着を見せつけるとか。そういうことなら触れない方が良さそう。

 「アタシのブラはピンクだし、花柄だよ」

 「そこまで聞いてないです」

 「見てきたのは青山でしょ。きゃーへんたいさーん」

 棒読み含めてわーわーと言いながら私の傘に割り込んでくる。市川さんは星崎さんのことを自由奔放とか言っていたがぜひ鏡を見て欲しい。

 「アタシの下着なんてどうでも良くて、昨日どうだったの?」

 校門を抜け、昇降口へ入り、靴から上履きに履き替え、教室へ向かおうとすると市川さんに手を掴まれ教室とは真逆の方向へと引っ張られていく。抵抗しようにも運動部と帰宅部では力の差があまりにも歴然としていて、抵抗する術がなかった。私は諦めて引き摺られていく。

 「どこに行くんですか」

 「さっきの質問に答えてくれない悪い子ちゃんには答えない」

 「叫んで助け求めますよ」

 「それは……ちょっと困るかも」

 少し悩んだ彼女はそうぽつりと呟く。

 「行くのは更衣室。あそこに昨日置いてきた体育着があるから、それに着替える」

 なにも考えてない頭ぱっぱらぱーではないらしい。昨日置いてきた体育着ってのは少し気になるけれど。まぁ良いか。

 「はい。アタシは答えたよ。次はそっち」

 「昨日ですよね。なんの話ですか。学校? それとも放課後?」

 「放課後」

 「……」

 市川さんが把握してそうな放課後のイベントってなにかあったかな、と考える。なにかあったのかもしれないけれど、星崎さんの件が上書きされているせいで、思い出したくても思い出せない。

 「告白されなかった?」

 悩んでいることに気付いたのか、市川さんはそう問いかけてくる。その問いかけのせいで尚更わけがわからなくなる。星崎さんのことを言っているのかなとか、だとしたらなんで知ってんのとか、知っているわけないから他のことを指しているのかなとか、いやでも他には思い当たらないなぁとか。とにかく色んなことをグルグルグルグルと。

 「告白ぅ」

 脳がショートした結果、ねっとりとした声だけがの残った。

 「そう告白。一歌からの告白」

 更衣室で服を躊躇なく脱ぎ始めた。いや、更衣室だし、私とは同性だし、恥じる理由なんてないから彼女の行動が正しいのはわかっているけれど。

 「知ってるんですか」

 「知ってるも何も相談されたからね。言ってしまえばとーじしゃだよ。なんか会社みたいだね。当事者って」

 からから笑いながら体育着を身に包む。襟を鼻元に持ってきてくんくん匂いを嗅いで、眉間に皺を寄せる。臭かったらしい。

 「とにかく当事者だからアタシには知る権利がある」

 「まぁ、それはそうだと思いますが……本人に聞けば良いんじゃないですか」

 「ん、本人」

 ピシッと指差される。いや、うん、たしかにその通りなんだけれど。

 「私じゃなくて星崎さんですよ」

 「じゃあ逆に聞くけど」

 「はい」

 「聞いてないと思う?」

 うーん、少し考えてみよう…………聞いてないわけがないな、という結論に達する。

 「聞いてますね」

 「そのとーり」

 グッとサムズアップ。やけにどや顔なのが腹立たしい。

 いや、待てよ。

 どうせここまで突っかかってくるのなら、逆に利用してしまえば良いのではないだろうか。

 我ながらナイスアイデアだ。

 「昨日、保留したって聞いたよ。告白」

 「あぁそこまで聞いてるんですね」

 なら話が早い。説明する手間が省けた。

 「告白されました」

 「しってんよー。フリーなアタシへの当てつけ?」

 むぅっと頬を膨らましながら、彼女はつてつてーっと歩き出す。ぶんぶんと体育着袋を振り回しながら。

 「違います」

 「知ってましたー」

 振り回していた体育着袋をぐっとキャッチしてから、正面に回り込んでべーっと舌を出す。わざわざその為だけに小走りしたの。

 「あまりに都合良すぎるなぁって思うんです」

 足を止めて素直な言葉を口にする。チャイムが雨音に紛れて鳴り響くけれど互いに気にしない。雨足は強まる一方で、ついにはチャイムの音さえも掻き消してしまう。

 「告白されるのが?」

 「はい、そうです」

 「一歌に?」

 「はい」

 「なんでよ。好かれてるだけじゃないの」

 「振られてるんですよ。一回。告白して、玉砕ですよ」

 「らしーね」

 どうやらそこまで知っているらしい。はてさてどこまで知っているのだろうか。陽キャの情報網恐るべし。

 「でもそれがどうしたの?」

 「あると思いません?」

 「なにがよ。わかーんなーいから思ったってことにしておいてオッケー」

 なんて適当な……。

 「すみません、こっちの落ち度でした。私は思うんですよ。なにか裏があるんじゃないかって」

 「なるほどね」

 ふむふむと神妙な面持ちで頷く。

 「具体的にはどんな裏があると思う?」

 という問い。改めて考えてみる。まず考えられるのは……。

 「お金を巻き上げようとしてる、ですかね」

 「ふーん。青山さんは一歌のことそーゆーことしちゃうような人に見えてるんだ。あとでこっそりと報告だ」

 「いや、そういうわけじゃ。星崎さんはいつも半分こしてくれるような優しい子でしたし」

 「じゃあ答えでてんじゃんね」

 そ、それは……たしかにその通り。ぐうの音も出ない。

 「他には……弱みを握って私でストレス発散しようとしてるとか、ですかね」

 「ふーん。一歌はDV彼女、と。ドメスティックバイオレンス彼女ってところかな」

 「いや、私が抱きつくだけで恥ずかしがったり、なんかちょっと嫉妬したりしてましたし、DVとかはありえないです」

 星崎さんが悪者にされて即座に否定する。

 「これも答えでてんじゃんね」

 「た、たしかに……そうですね」

 「この際だから全部出しちゃいな」

 「あとは」

 口元に手を当て、うーんと唸る。そう言われると急に出てこなくなってしまう。流れの悪いホースのように。

 「つ、都合の良い女にするつもりとか、ですか」

 「都合良いって? 随分抽象的だよね。その言葉」

 それはまぁその通りだろう。否定するつもりはないし、そもそも否定できないし。

 でも具体性持たせてと言われて、いざやってみると難しい。都合良いという便利な言葉に逃げて、深くは考えてなかったんだなぁと思い知らされる。

 「例えば……」

 「例えば?」

 「暇な時にだけ呼び出されたり、免許とか取ったら移動手段として呼ばれたり、奢らされたり……」

 「さっきと重複するけど」

 心底面倒臭そうに睨む。睨まれた私はひぃっなんていう腑抜けた声を出してしまう。

 「一歌がそういうことすると思う?」

 彼女の問いは問われる前から頭の中で繰り返されていた。さっき言われて記憶に新しいというのもあるのだろう。そしてなによりもそういうようなことをするような子じゃないと短い付き合いながらもわかっているから、喉元に突っかかって違和感として私の中で終始モヤついていたのだ。きっと。

 「ないです。思わないです」

 顎を二度横に振る。

 「もう答えでてんじゃんね」

 「いや、でも、その……」

 「はぁ」

 眉間を指で摘んでふぅと息を吸いながら、天を見上げる。白い天井しかないのに。吸い込んだ息を一気に吐く。

 「なーんでどっちも面倒なんだろうね」

 苦笑。

 「一歌も青山さんもどっちも面倒。ま、どっちも面倒でうじうじした最悪な性格だからある意味お似合いなのかもしれないけど」

 今までの溜め込んだものを一気に吐き出すかのように罵倒が流れ出る。どどどど、という轟音を立てながら。

 「酷い……ですね」

 「褒めてんだよ。べりーべりー褒めてる」

 と言いつつも、指で表すちょこっとなジェスチャー。えぇーっと、なにそれ。言葉と行動が乖離しているんですけれど。

 「ま、アタシが保証してあげる。裏なんてない。一歌は本心で告白してるって」

 「でも断った理由がわからないんですよね」

 好きだったのに私の告白を断って、しばらくしてからあっちから告白してくる。その流れがあまりにも不自然で、納得のいく答えが出ていないからどうしてもあれこれと勘繰ってしまう。

 「断った理由……ねぇ。たしかに青山さん的にはすーごーくー不自然だよね」

 「はい」

 深くは口にしなかったが、それでも理解してくれる。

 「日が経った、とかならまだわかるんですよ。時間空けて冷静になったのかなぁとか、本心が見えてきたのかなぁって、それなりに解釈できますけど、一日しか開けずにこれですし」

 「気持ちはわかる」

 同調。それだけ。待てど暮らせどそのあとに続くものはなにもない。はて、と首を傾げる。あれ、次の言葉を待つこっちがおかしいのかな。

 「わかりますか」

 「わかるよ、わかるけどね。人には言えないことの一つや二つ……って、あーちょっと待ってね」

 人差し指をピシッと差してくるくると回したと思えば、鼻の頭に指を置いて目を細めてうーんと唸り始める。なにこれ、と引っ掛かりを持っていると、ぱんっとわざとらしく手を叩いた。雨の音を一瞬だけ掻き消したその音は解けるように消えた。

 「ほーんっとどっちも面倒だね」

 「えぇまたそれですか」

 「いやだって、本当に面倒だもん。青山さんも一歌もどっちもウルトラめんどくさい」

 「ウルトラめんどくさいって……そんなこと言われても困ると言いますか」

 面と向かって面倒と罵倒じみたことをされるというショックもあるけれど、攻めぎ合えば困惑の方が勝る。

 「青山さんは本人に聞けば良いんだよ。そんなに信用できないなら」

 「信用できないってわけじゃ――」

 「できてないでしょ。信用。本当に信用してるんなら相手のこと疑ったりしないよ。例え騙されてんのかもしれなーいっ! って、不安になっても」

 「それは市川さんだけなんじゃ」

 「そーかな、そーかも」

 そうだそうだと頷く。

 「関係ないけどね。アタシだけとか、そうじゃないとか。だってアタシの意見だし」

 「それじゃあ元も子もないんじゃ……」

 「アタシが思ったのは、二人揃って同じくらいの面倒くささだなーってだけ。しっかりと話し合えば解決することなのに。なにをそんな互いにうじうじしてんだーってね。そう思うし、ちょっとダルい」

 乾いた笑いを浮かべるのと同時にチャイムが鳴る。どうやら朝のSHRが終わったらしい。

 「もー、そんな時間経っちゃったかー。こりゃアタシたち欠席扱いだねー」

 「教室戻りますか」

 「アタシとしては授業サボるのもそれはそれで悪くないけど」

 「戻りましょうか」

 「んんー。まぁとにかく。ちゃんと二人で話し合うこと」

 ピトッと指を額に当てて、すぐに離す。コクっと頷く。頷いてから、あれ、そもそも聞いてきたのあっちだよな。市川さんじゃん。なんで私がこんな悪いみたいな感じになってんだろうか、と不思議だ。

 更衣室のある別棟から教室のある本棟へと歩く。教室に近付くにつれて、ワイワイガヤガヤとあぁ休み時間なんだなって実感させられる。それほどにうるさい。

 「青山と市川。やっぱ仲良いんじゃん」

 教室に足を踏み入れようとすると、後ろから声が聞こえる。振り返ると、星崎さんが立っていた。隣に並ぶ市川さんは面倒なものを見るような目で星崎さんを見つめている。

 「まず一歌が思ってるようなことはないから。大体アタシは男が好きなんだかね」

 「まだなにも」

 「言ってないけど目が物語ってる」

 星崎さんの声に声を被せる。星崎さんは市川さんに気圧され、言い淀む。

 「まぁなーんでも良いけどね。お二人さんにこれ以上振り回されんのアタシとしてはごめんだよ。映画の負けヒロインくらいのポジションには立ててるかなぁと思っていたら、このストーリーはどうやらガールミーツガール作品みたいだし。アタシはただのモブだから。これ以上面倒臭いのこっちに持ってこないでね。はい、ってことで、さっさと二人で話す。話すったら話す」

 ぱんぱんと手を叩くと、私の背中をぐいっと押す。星崎さんの方が距離やらポジションやらを考えたら押しやすそうなのに。わざわざ私を、だ。

 押されて前に足が出る。勢い余ってとんとんとんとんと進み、どてんと星崎さんと衝突。

 星崎さんは運動部なだけあって体幹が良い。突然のことだったのに、しっかりと私のことを支える。抱擁するように。

 「じゃ、あとはお二人でごゆっくり〜」

 「じゅ、授業は……」

 「んなもん、アタシがどーにかしといてあげる」

 ヒラヒラと手を振ると、彼女は教室の方へと去っていく。廊下に取り残された二人。私は星崎さんに抱きしめられたまま。見上げると、ちょうどそこには星崎さんの顔があって、たまたま星崎さんも視線を下に落としていたのか目が合った。しばらくじーっと目が合う。温度計のようにぐーっと星崎さんの顔は赤く染っていく。抱きしめられているから、心臓の鼓動が早くなったのもわかった。恥じらい、そして緊張。これくらいは言われなくとも察せられる。察せられなきゃ良かったのかもしれないけれど。生憎察せられた。だからこそ、こっちも意識して、ドキマギしてしまう。圧倒的な悪循環。

 授業開始を告げるチャイムが鳴り響き、廊下にたむろしていた生徒たちは門限が迫っているかのようにバタバタと教室に帰っていく。これで私たちは完全に取り残された、という形になった。職員室からやってくる教師。「教室入れよ、授業するからな」と声をかけてきて、それを待っていたかのように「あー! せんせー。あの一歌体調悪いらしいので青山さんに任せましたー!」という市川さんの声が教室から響く。「お前の方が適任だろ」「アタシは妄想で忙しいので無理すね。妄想繁忙期すから。なんでアタシの代理で青山さんを送りましたー」という会話が教室の方で繰り広げられる。空気を読むということに長けている星崎さんは「すみません。身体がだるくて」と、こめかみに手を当てる。教師はそれ以上なにも言うことなく教室へと入っていき、正真正銘の二人っきりの空間が生まれる。

 「市川……」

 恨むように教室を睨む。咄嗟にその場のノリを合わせただけで、本人としては望んだ形ではないのだろう。じゃないとこんな表情できない。

 「まぁしょうがないか」

 諦めたようなため息を混じらせる。

 「どうする? 今からなら教室戻れるけど」

 「あーっと……」

 教室に戻るという択もあり、だ。安定を選択するのならば、教室に戻るべきなのだろう。でもそれで良いの? ともう一人の自分が心の奥底から問いかけてくる。無視しようにも存在が大きすぎて無視できない。渋々ではあるが向き合う。

 なにもしなきゃ、なにも変わらない。当たり前のようだけれど忘れちゃいけないことだ。

 「しっかりと話せる二人っきりの場所に行きましょう」

 これが答え。

 「そっか、じゃあそうしよっか」

 なにか一つ覚悟を決めたように頷く。真剣な表情。こちらまでギュッと身が締まる。

 かと思えばふにゃ〜と急に柔らかくなった。

 「行くって、どこに行く?」

 そういえば決めてなかった。まぁ浮かぶところなんてないけれど。きっとこういう時は屋上なんかを使うのがベターなんだろう。でも残念ながら雨ザーザーだ。

 「お任せします」

 「人任せかー」

 「信じてるんです」

 「これに信じるもなにもないでしょ」

 ふふふ、と笑う。なんとも言い難かった空気は一瞬にして弛緩する。

 「困った時のラウンジだね」

 星崎さんは私の手を掴んで、そのまま引っ張る。目的地を理解しつつも、敢えて引っ張られたのだった。

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