第25話

 授業中でなければこのラウンジも人で賑わっていて、まぁ包み隠さずに言ってしまえばとても騒がしいのだが、今だけはシーンとしている。あまりの静けさに心霊現象でも起こってしまうんじゃという恐ろしさがある。そんな恐怖を心の隅に抱えながら、星崎さんは設置されている席に座って、向かい合うように腰掛けた。

 静寂に飲まれてしまって、なにか喋ろうにも喋りにくくて口を開けない。唇を動かしたくても、上唇と下唇が共に乾燥し、引っ付きあって上手く動かせない。しどろもどろとしていると、星崎さんは「ん」と短な声を出し、静寂を軽く飛ばす。

 「あんなこと言われても困っちゃうよねー」

 と、他愛のない発言を繰り出す。その優しさに心は落ち着きを取り戻す。

 「ですね」

 できる限りの笑み。下手くそだろうけれど。でも笑顔を作るという行為そのものに意味があると思うからしておく。

 「静かだね」

 「ですね」

 「いつもとうるささが違うだけでこんなにも雰囲気変わるもんなんだね。いやー、なんか緊張してきちゃうよ」

 「しますねー」

 一歩踏み出す勇気というものが欠如しているので、明らかに空気を柔らかくしようとしている星崎さんの言葉に対して、そういう薄味の言葉を返してしまう。

 こうして逃げると脳裏に過ぎるのは市川さんだ。お前は面倒だとか、ウルトラ面倒だとか、脳内で隙を見つけたかのように罵倒してくる。う、うるさいなぁ。

 「あ、あの」

 緊張は時に声を上擦らせる。

 言って良いのかと、自問自答する。でも答えは帰ってこない。わかんないから。わかるから自問自答なんてしない。つーっと周囲を目線だけで見る。誰も居ない。つまり誰も助けてくれないというわけだ。

 というかそもそもなにに緊張していたのだろうか。星崎さんに裏切られること? たしかに建前はそうだった。でももう十分に理解している。そんなことは万が一、いや億が一も起こらない、と。

 じゃあなにに大して緊張、恐怖に似通った感情を抱いているのか。少し考えてみる。するとなんとなくだが答えは見つかる。私は私自身に緊張して、恐怖を抱いているのだ。緊張している自分を俯瞰してさらに緊張し、そんな私がなにかしたら大きな失敗をするのではないかと恐怖する。

 それだけのこと。

 星崎さんはこの程度のことで対応を変えたりするような人じゃない。ってこと、一々怯える必要ないんじゃない? という結論に達する。

 答えを出した私にはもう怖いものなんてない。真正面からぶつかる。当たって砕けろ、だ。砕けても構わない。もしも砕け散ったとしても、その破片を星崎さんは拾い集めてくれるだろうから。

 「星崎さん。告白嬉しかったです」

 「あ、う、うん」

 表情がギチッとする。

 「でも、だから? うーん、と。私が告白した時は振ったじゃないですか」

 「うん、ごめんね」

 心の底からの謝罪。誠意はお金とか言うけれど、言葉だけで十分誠意は伝わるなぁと思う。

 「謝って欲しかったわけじゃなくてですね」

 そう決して謝罪して欲しいわけじゃない。

 「なんで振ったのか、が知りたくてですね」

 結果じゃなくて、その過程が気になる。あまりにも不自然な流れだから。結末がおかしければ、過程がおかしい。数学と同じ。言ってしまえば途中式が知りたいのだ。

 「なんで振ったのか……」

 言葉を詰まらせる。私のことをじっと見る。五秒、十秒と見つめ合う。互いに視線は逸らさない。

 「知りたい?」

 「です」

 こくりと頷く。星崎さんは頬杖を突いて、うーんと唸るように私のことを見つめる。さっき一瞬目線を互いに外したのに、また互いに互いを見つめる。

 「そっか」

 「はい」

 「……」

 星崎さんはついに黙る。真剣になにか考えるように瞼を閉じた。

 しばらくしてゆっくりと瞼を開ける。

 「私はね、私じゃないの」

 覚悟という二文字が顔に書かれている星崎さんはそうわけのわからないことを口にし始めたのだった。

 うーん、ほーん、へーん、やっぱり意味がわからない。

 「だからいつか未来で、私が私じゃなくなって本当の私になった時に青山を悲しませちゃうから。私の想いだけで付き合い始めたら苦しめるから。そういう未来が簡単に見えちゃって、そうなるくらいなら今振った方が良いのかなって」

 はい、そうですかって納得できるものじゃない。なにせ疑問が増えただけだから。でも演技じゃないのはわかる。本心で口にしていることくらい。下唇を噛んで、ぷるぷると震えている姿を見れば誰だってわかる。なんか、もう良いかなって。

 「わかりました」

 わかんないけれど、わかった。

 「付き合いましょう」

 不安がないわけじゃない。だって意味わかんないし。でも星崎さんを信用しているから。星崎さんが考えに考えて、付き合っても大丈夫と判断したのなら、それに従ってみるのも一興。それに信じているから、裏切られるとかなにか裏があるんじゃないかとか考えるのをもうやめたから。そうなれば正直付き合わない理由がない。好きな人に告白された。それで保留し続けるほど、私の頭はイカレていない。良いじゃん、もう。って感じ。

 「彼女? 恋人?」

 「はい。私は星崎さんの恋人です」

 恋人ごっこではない。本当の恋人だ。そう自覚しているからこそ、かーっと身体が熱くなる。恥ずかしい。ただ恥ずかしい。頬が火照りぽわぽわしている私の手を彼女はそっと握る。

 「嬉しい」

 破顔。

 「恋人、私に恋人。えへへ。本当に嬉しい……」

 一瞬一瞬を噛み締めるように彼女は笑う。恍惚とした表情を浮かべ、手の甲を優しく包み、時折撫でる。

 「あ……」

 動かしていた手は突然止まる。眉間に皺を寄せ、顔が段々と青白くなる。明らかな違和感。

 「大丈夫ですか?」

 気の利いた言葉なんて出てこなくて、大丈夫じゃなさそうなのに大丈夫と、問うてしまう。

 「大丈夫。大丈夫」

 「本当ですか」

 「たまにある頭痛だから」

 と、こめかみに指を当てる。スラスラスラスラと円を描くようにこめかみを撫でる。辛そうな表情は柔がない。

 「だから大丈夫。いつものだから。いつものだから大丈夫。まだその時じゃないから。大丈夫なはず」

 顔面蒼白。唇は紫だし、頬も額も真っ白。

 自分に言い聞かせるようにぽつぽつと言葉を振り絞って、それども声量は尻すぼみになり、辿り着いた先は机に突っ伏せるという行為。

 「星崎さん……」

 机に伏せた星崎さんの頭皮をつんつんと突っつく。反応はない。もう一度つんつんと突っつく。それでもやっぱり反応はない。

 「星崎さん……っ!」

 変な汗が額から顎に輪郭を沿って伝う。

 星崎さんの肩を掴んで、ぐわんぐわんと揺さぶる。それでも反応はない。眠っているというよりも、死んでるの方が近い。

 焦りながらも、あまりに突然のことで冷静さもあった。あぁ、これ、私にはもうどうしようもないやつだと瞬時に理解できた。若干の無力さを感じながらも、走り出す。走って、走って、走って、自分の教室の扉をガンっと! 開けた。

 「助けてください! 星崎さんがっ……!」

 今まで出したことないような大声を出す。クラス中がこちらに視線を向ける。教師も市川さんも。声を聞いた二人は血相を変える。

 「どこ!」

 最初に立ち上がったのは市川さんだった。

 「ラウンジで座ってます」

 「わかった。せんせ。早く行って」

 「養護教諭呼んだ方が良い。誰か頼んで良いか」「それじゃあ私が」「せんせ。アタシは救急車呼びます。良いですよね」「頼んだ」

 と、クラスは授業どころではなくなる。詳細を話していないのに担任と市川さんはテキパキと動き始めて、困惑する。なにこれって。なにがどうなっているんだって。

 状況を掴めないからこそ、その困惑は大きくなっていく。

 

 市川さんはスマホを耳に当て、唇を動かしながら教室を去ってしまうし。取り残された私含めたクラスメイトはぽかーんとしている。どうすれば良いのかわからず、喋ることさえ憚られるといった感じ。なんとなく異常事態というのはわかるけれど、茶化して良いようなものではなく、どう触れるか悩んでる。

 私は結局なにをすることもなく立ち尽くす。クラスメイトはゆっくりとザワザワし始めて、野次馬精神逞しい人たちがラウンジに駆け出し、それを見たクラスメイトが徐々に教室から抜け出していく。その様子をただ茫然と眺め、気付けば救急車のサイレンが近付き、音は消え、さらに十五分経過すると救急車のサイレンはまた鳴り始め、遠くに消えていく。

 結局この一時間目は自習となった。

 「とりあえず命に別条はないってさ」

 と、ことの顛末を知ってそうな市川さんは声をかけてくれた。安心させるために声をかけてくれたんだろうけれど、それならなにがどうなっているのかしっかりと説明して欲しい。あまりにも放り投げられてて、とてもじゃないが、あぁこれつまりそういうことなんだねって察せられる状況じゃない。

 「あとで教えたげる。今はちょっと周りに人が多いし、ね」

 と、軽くウインク。

 それはたしかにごもっともだ。

 私はコクリと頷いた。

 今日の授業は全く身が入らなかった。なにがどうなっているのか、と少ないヒントを元に頭の中でグルグルと思考して、悩んで悩んで悩み続けて、苦しみ続けたから。

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