第23話

 最寄り駅。あと十分で九時になる頃。電車が到着し、発車すると改札からは沢山の人が出ていく。制服に身を包んだ人も居れば、私服でリュックを背負う若い人も居るし、今にも死にそうなほど疲れた顔をしているスーツ姿の人も居る。スマホを片手に、あぁこうやって人は進化していくんだなとなんだか悲しい気持ちになった。人生を遠く見据えていると、手に持つスマホはぶるりと震える。『着いた!』という星崎さんからのメッセージであった。数秒もしないうちに星崎さんは改札前に現れる。なんだか恥ずかしかったけれど、ひらひら手を振ってみた。すると星崎さんはひらひらと手を振り返してくれる。些細なことなのに嬉々とした気持ちになれる。

 「お待たせ」

 ピッと音を鳴らし、改札を抜けてきた星崎さんは少しだけ照れくさそうにしながら私の元へぱたぱたと駆けてきた。

 「待ってないですよ」

 実際ここに来たのは十五分前。なので嘘を吐いてはいない。

 「そっか、良かった」

 「むしろ早かったですね。もうちょい遅くなるかと思ってました」

 「良いタイミングで電車来たから」

 「そうだったんですね」

 「とりあえず歩こっか」

 「はい」

 「どっか公園とかある? この辺。私疎いからわかんないんだよね」

 あははー、と頬を触る。

 「少し歩いたところにありますよ。まぁこじんまりとしてて、公園ってよりも空き地って感じですけど」

 球技はできないし、騒ぐこともできない。なんなら鬼ごっこすらまともにできない。そんな公園。小学生がその公園で遊んでるところなんて見たことがない。

 「ベンチあるなら大丈夫」

 「ベンチはあります」

 ベンチくらいしかないですけれどね。ガハハ、とは言えずにそれだけ口にしてから黙って案内しだした。


 市役所の方へと向かって歩くこと約五分。目的地である公園に到着する。月明かり、あとは星に照らされる。街頭は道すがらにあっても、公園内には設置されてない。いや、端っこの方には道路を照らしているのか、公園を照らしているのか良くわかんないような街灯はあるんだけれどね。それだけ。しかもその街灯にはここぞとばかりに名も知らぬ虫たちが集っていて、近付きたいとも思わない。少しだけ冷たい目を本能に赴くまま動く虫たちに向けて、私たちは植え込み近くにあるベンチに腰掛ける。座ると尾骶骨に走るきーんとした冷たいを越える感覚。もしかしてペンキ塗りたてだったりした? と、思って慌ててベンチを擦るように触り、手のひらを確認する。暗くて手のひらの色はイマイチわかんないけれど、多分大丈夫そう。ギュッと拳を作ったら皮膚の感覚があるから。ペンキが手についているとかはなさそうだし。

 「ごめんね、急に」

 申し訳なさそう、という言葉以外見当たらないような声色。

 「いや、本当に気にしてないっていうか。むしろこっちこそ悪かったなぁって感じなわけでして、こうやってまた会ってくれるのはとっても嬉しいですし、ありがたいなぁーと」

 なにか喋んなきゃ。その一想いで唇を無理矢理動かした結果、纏まりのない言葉をぶつけてしまった。あれこれと喋ってからさーっとやらかしたという念が込み上げてくる。

 「良かった」

 安堵混じりの声。心做しか表情もほっとしたようなものに見える。脳内補正をしているだけか、本当にそうなのか。今の私には判断ができない。それほどに冷静さを欠いているから。

 「直接話したいことがあってね」

 「わ、私も……話したいことがあります」

 星崎さんの言葉に被せた。被っちゃったんじゃない、意図的に被せた。我ながら小賢しい人間だと自嘲してしまう。

 私が話したいこと。というか、お願いだ。私のせいで関係がギクシャクしてしまった。歪でふらふら揺れていた関係も身勝手な行動で破壊してしまった。そんな私が言えたことじゃない。それは重々承知している。その上でだ。友達になって欲しいと願う。星崎さんが遠くに行ってしまって、初めて失ったものの大きさというのに気付かされた。まだ私の頑張り次第でどうにでもなるかもしれない。いや、もちろんこれが希望的観測過ぎる話というのは言われなくてもわかっているんだけれど。でもやっぱり可能性があるのなら手を尽くしたい。

 だから友達になってくれと懇願する。願いが通るか否かはあまり関係ない。言ってしまえば自己満足なんだろうなぁとも思う。

 「先話す?」

 戸惑いながら、こてんと首を捻る。

 私はぶんぶんと首を横に振った。ここまでやっておいて勇気が出ないなんて恥ずかしい話だが、こればかりはもう私の個性ということで受け入れて欲しい。

 「じゃあ私から」

 いつもの溌剌した様子は一切なく、代わりにあるのはもじもじと指を動かし、恥じらう乙女というような仕草ばかりをする星崎さんであった。新鮮な星崎さんに私は不覚にも可愛いなぁという素直な感想を抱いてしまう。

 「どうぞ」

 「どうもどうも」

 髪の毛を触りながらぺこぺこする。

 少し空気が弛緩したなぁとホッとしていると、彼女は立ち上がって私の前へとやってくる。

 それから跪く。

 砂利に左膝をくっつけて、右足だけで踏ん張る。右膝に両手を置いて、顔はしっかりとあげて私の方へ熱い眼差しを向ける。避けようとしてもそれすらさせてくれないようながっつく視線。あまりの熱にくらくらしてしまいそうだ。

 「あ……うぅ……」

 夜風が冷たくて助かった。じゃなかったら私はのぼせてしまいそうだったから。

 言葉として成立しない言葉を生気なしに口から放出させていると、星崎さんはわざとらしくこほんと一つ咳払いを挟む。天に召されそうだった私はその咳払いで現実へとぐぐぐと引き戻された。

 「まず告白断ってしまってごめんなさい」

 跪いたままの謝罪。傍から見れば訳分からない光景だろう。実際私も良くわかってない。なにこれって感じ。

 「気にしないでください。元はと言えば私が悪いので……」

 「青山はなーんにも悪くないような」

 「思い上がって、告白しちゃったので。良く考えれば上手く行くわけないのに……私って人と交流する機会が少なかったので、変なところでアクセルベタ踏みしちゃうんですよね」

 悪い癖なんだろう。こんな癖があるのは私もつい最近知ったんだけれど。

 「そういうことならやっぱり青山は間違ってないと思うよ」

 「へ?」

 「やば、緊張してきた」

 こっちからでもわかるように大きく息を吸って、むはーと息を吐く。

 「緊張? ですか」

 「うん、緊張」

 星崎さんが緊張。

 一体なにを言われるのだろう、という不安に駆られる。

 私が緊張するのは言ってしまえばデフォルトみたいなものだけれど、星崎さんが緊張する。固有名詞がすり変わっただけで、なにか大事なんじゃないかというピリついた空気が漂う。まぁ私が勝手にそう感じ取っているだけなんだけれど。

 「都合良いし、今更なに言ってんだって思うかもしれないけど」

 「え、あ、はい」

 切り出し方がさらに怖い。大体こういう時って後にくる言葉はこちらにとって都合の悪いことだったりする。

 だから身構える。どんなボールが飛んできても対応できるようにしっかりと構えて、弾き返す準備をする。もっとも弾き返すほどの能力があるか、否かという問題に関しては不明瞭だけれど。そこを気にしだしたらその時点で負けなような気がするから見て見ぬふりをしておく。きっとそれが良い。多分。根拠はないけれど。

 「本当は好き」

 「は、はい?」

 きょとんとしてしまう。

 私にとってこれ以上になく都合の良い、そして耳あたりの良い言葉が耳に入ってきて、色んな感情が犇めき合う。これはそうか、そうだ。夢。夢だ。夢を見ているんだ。と、あまりに都合が良くて現実として受け入れられない。

 その唯一と言っても良い逃げ道を冷たい夜風が塞ぐ。

 夢じゃないのなら、そうだ。これは言葉の綾ってやつなんだね。星崎さんは『本当は好き』としか言ってない。誰が好きとか、なにが好きとか、そういう具体的なものを示す主語は口にしていない。誰も私のことが好きなんて言ってないのだ。なーんだ。私の思い上がりか。

 「青山のことが好き。友達としてもだけど、恋愛的な意味で」

 まるで私の心の中を読んでいるかのような。無理矢理壁をこじ開けて逃げ出したのに、くいっと首根っこを掴まれてそのままずるずると引き摺り出されてしまった。

 ここまで都合良く物事がころころと転がると、嬉しいという感情をひゅーっと通り越して怖くなってしまう。なにか裏があるのではと勘繰ってしまう。しょうがない。人生ってストーリーはそんな都合良い展開が待ち受けているわけじゃないって私は知っているから。だから反応に困る。

 掌で転がされている可能性が非常に高く、どういう反応をするのが正解か悩んでしまう。素直に騙されたフリをすれば良いのか、はたまた「お前が騙してるのは知ってるぞ!」と食ってかかるべきなのか。

 「今更告白してなに考えてんだって思うのは当然だと思うし、振っておいてってムキになる気持ちもわかる。でも私の本当の気持ちはやっぱり伝えておくべきだと思ったから。例え受け入れて貰えなくても……」

 そこまで口にしてから、ぱしんと頬を手で叩く。そしてぶんぶんと首を横に振る。まるで邪な気持ちでも吹き飛ばしたかのような。そう見えてしまう私こそが邪な気持ちを抱いているのかもしれないけれど。

 「ううん、違うね。違う」

 そのまま自身の頬をむにむにと触っている。急にその手をピタッと止めたと思えば、そのまま手を頬に引っつけてむむむと私を睨むように見つめる。

 「受け入れて欲しい。できれば付き合って欲しい。こんな私のワガママを聞いて欲しい」

 彼女はそっと手を差し出す。

 既視感。

 まるで映画の中のシーンのようで、バラの花束だったり、指輪だったりを持っているような。そんなイメージが簡単に湧く。もっとも星崎さんはなんにも持ってはないんだけれど。

 その手を取ればきっと幸せになれる。それくらいは私にだってわかる。鈍感であまりにも経験不足な私ではあるが。

 じゃあその手を取るか。取れば良いんだろうけれど、やっぱり躊躇してしまう。手を取ることに対する恐怖もある。でもそれ以上に手を取った時になにをされるのかという恐怖が込み上げてきてしまう。やっぱり心のどこかで裏があるんじゃないかと考えているということなのだろう。

 都合が良い。これは紛うことなき事実。

 なぜこんなにも都合が良いのか。ここが説明なされていないせいで、私はこうやって疑心暗鬼になっている。

 これが例えばドラマとか、アニメのストーリーであれば多少のご都合主義も良いアクセントなのかもしれないけれど、現実世界だとそうもいかない。ご都合の良い流れには必ず裏があるから。現実世界に甘いだけの話なんてないのだ。

 少し話が逸れてしまった。

 私がするべきことはただ一つ。

 「ごめんなさい。時間貰っても良いですか……」

 ごちゃごちゃになった思考回路で冷静な判断を下せるとは思えない。そこまで私自身のことを信用していないってのもある。だから、少し時間を貰いたい。時間をできる限り使って、ゆっくり考えたいのだ。

 「それはもちろん」

 コクっと頷く。

 「ありがとうございます」

 「それで、青山の方は? なんかあったんでしょ、話」

 星崎さんは膝についた砂利を叩きながら問う。

 あぁ、あれは今言えないなぁ。

 「なんでもないです。どっか飛んでっちゃいました」

 「飛んでっちゃったってなによ」

 「飛んでったは飛んでったんですよ」

 説明する気ゼロな説明を口にして、私は歩き出す。こうして夢の世界に入り込んだような不思議な一日は幕を閉じたのだった。

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