第22話
夜八時。感傷に浸り、私は振られた可哀想な人間〜と自分で自分を慰めながら、夜風にあたりたくてベランダに出る。春だけれど、まだ寒さは残ってて、夜になればそれは顕著になる。ベランダの柵に肘を置き、そのまま腕も置く。柵は冷えきってて、つーんと冷たさが皮膚を伝って全身に駆け巡る。ちょっと外に出たのは失敗だったかもしれない。そんなことを思い、北風なのかわからないけれど冷たい夜風を浴びながら、ぼんやりと空を見上げる。真っ暗闇に点在する星空。満点の星というやつだ。星……星、星。あぁ。光り輝く一等星を眺め、嫌なことを忘れられたのに、星という単語のせいで星崎さんを思い出してしまった。とんでもないところにトラップが仕掛けられており、私は深々とした溜息を吐く。
「遠い……なぁ」
手を伸ばして、掴むジェスチャーをする。当然ながら掴めやしない。むしろ掴める方がおかしい。掴めたら大問題だ。星を掴めましたってなったらロケットも宇宙飛行士も要らなくなっちゃうからね。
うぅさむさむと肌を擦りながら部屋に戻る。勉強机がチラッと目に入る。意識がそっちに向いたってことは勉強をして、今の気持ちを吹き飛ばしてしまえということなのだろう。たしかに勉強すれば気分転換にはなるかもしれない。徳川家康、秀忠、家光、家綱、綱吉、家宣、家継、吉宗、家重、家治、家斉、家定、家茂、慶喜。徳川家を並べたところで星崎さんのことが忘れられるわけない。と、勉強机の前で頭を抱え、ぐわんぐわん頭を揺らす。その際にチラッ視界に入った勉強机の上に置かれているスマホ。緑色のランプがちかちか点滅していて、なんだこれはと興味本位で手に取る。カチッとスリープモードを解除すると、電話がありましたという着信を知らせるメッセージが届いていた。ふーん、と興味なく机にスマホを戻してしまうが、え、ん、え、電話? と、慌ててスマホをまた手に取って、スリープモードを解除する。着信の相手は星崎さんだった。まさかと思ったがそのまさかだったらしい。まぁ私のスマホに電話をかけてくる人なんて限られているから、当然っちゃ当然なんだけれどね。
手はぷるぷる震える。春の夜の寒さで手がかじかんでいるだけなのか、それとも緊張で震えているのか。どっちにせよなんとなく恥ずかしいので気にするのはやめにした。その恥ずかしさを誤魔化すかのように、電話を折り返す。
呼出音がしてすぐに会話モードに移る。電話しておいてなんだが、いざ出られると緊張してしまう。ドキドキして、なにを話せば良いのかわからなくなる。パニックになりながら必死に言葉を探してあーとかうーとか言葉にならない言葉をあれこれ口にして時間を繋ぐ。
「もしもし」
と、やっと必要な言葉を紡ぐ。
『もしもし』
私の声が跳ね返ってきているだけなんじゃないかってくらいそっくりな声色と口調で返事が来る。もちろん星崎さんの声なので、そんなことはないんだけれど。
『夜にごめんね。突然』
脳内に買っている男がいきなりさぁとイケイケボイスで囁く。夜の字しかあってねぇから引っ込んでてくれ。
「大丈夫です。どうしましたか」
まるでなにもなかったかのようにそう受け答える。
『今から会いたいんだけど大丈夫そう?』
「うーん今からですか。えー、えっ、い、今からですか」
一度受け入れて、とんでもないことを言われてことを自覚し、もう一度変な声を出してしまう。
『うん』
正気かと言いたくなったが、この二文字で本気だってのが伝わってきた。今は二十時。まだ二十時とも捉えられるし、もう二十時とも捉えられる。どっちもどっちだなぁ。
「そっちまで行くと少し時間かかっちゃいますけどそれで良ければ問題ないです」
軽く見積っても一時間だなぁ、と。パジャマだし、ノーメイクだし。まぁメイクに関してはなくても良いけれど。でも好きな人にスッピンを見られるのは恥ずかしいかも。マスクすれば良いか。と、自問自答を繰り返す。
『あー、なら私の方から行くよ』
「いや、それだと時間かかっちゃいますし、大丈夫ですよ。私がそっちに行くので」
気遣われたことに気付いた。告白をした、逃げた。出し始めたらキリがないのでここらにしておくが、本当に色々と星崎さんに対して罪悪感を募ることがあった。だから罪滅ぼしというわけじゃないけれど、せめてそれくらいはという気持ちになる。少なくとも星崎さんに気遣わせるなんて言語道断、というわけだ。
『私がしたいから』
「でも――」
『ダメ?』
そう言われてしまうと私は弱ってしまう。狡い。
「わかりました」
『ありがとう』
「駅まで迎えに行きますね」
ソファでふんぞり返って、星崎さんの到着を待つ。というようなことができるほど私は図太くない。『うん』という返事を聞くなり、電話を切って家を出る準備をする。親からはこの時間にメイクをし始めたり、パジャマから着替えたりで怪訝そうにされだけれど、「別に家出じゃないから」とだけ伝えた。そして準備ができて、颯爽と自転車に跨り、最寄り駅までペダルを蹴り飛ばしたのだった。
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