第30話

 また星崎さん母の車に揺られ、病院へと戻ってきた。時刻は午後一時を少し過ぎたくらい。今になって、あぁ学校サボっちゃったなぁという罪悪感が押し寄せてくる。いや、本当に今更過ぎるけれど。

 制服とは時に場に溶け込める迷彩服になるが、時には目立つピエロにもなる。要するにじろじろ見られていて落ち着かない。

 星崎さん母に着いていく。ちょっとややこしそうな面会手続きをしてくれる。「ありがとうございます」と素直に感謝を伝えると「こういう面倒ごとはね、大人に押し付け……ごほんごほん、任せるのが生きる上でのコツよ」と余計なことを教えてくれた。

 入館許可証なるものを手に入れ、名札のようにぶらんと首からぶら下げる。

 つかつか特に気にせず星崎さん母に着いていくように歩く。

 その間隣を歩く市川さんは「病院ってなんかワクワクするよね。胸が高鳴るというか非日常感があるというか」と楽しそうに話しかけてきた。遊園地に来た子供みたいなテンション感に私は苦笑し続ける。

 しばらく歩くと星崎さん母は足を止めた。

 「ここよ」

 そう言って部屋の中に入る。扉の外には何人かの名前が書かれた札があり、その中に『星崎一歌』という名前がしっかりとあった。この名前を見て、あぁ星崎さんは本当に入院しているんだって実感する。

 「一歌。お友達連れて来たわよ」

 「あー、うーん。友達?」

 「みこちゃんたちよ」

 「あー、市川ねぇ。居ないって言っといてよ」

 「いや無理よ、無理無理なんで居留守使おうとしているのよ。居なかったら大問題じゃない。散歩がてら行ってきなさい」

 やりとりが聞こえ、つかつかと歩く足音が響く。

 やがて顔が見えてくる。黒いミディアムヘアに健康そうな小麦色の肌。星崎さん母の言う通り、本当に元気そうでひとまず安心する。もしも嘘だったらと思っていたわけじゃないけれど、無理しているだけかもと少し勘繰ったりしていたから。

 「市川。お見舞い品を受け取りにきました」

 はいっと星崎さんは市川さんに向かって両手を差し出す。

 「ねぇーよ、そんなもん。高校生に求めんな」

 「常識だよね」

 「開口早々物を要求する一歌が常識を口にすんなよ」

 「酷い」

 「酷くないわい」

 軽やかなやりとり。たったこれだけのやりとりなのに二人は強い絆で結ばれているんだなってのが伝わってきて少しだけ心が痛む。

 「そっちは?」

 星崎さんはこちらに目を向ける。やっぱり私のことは覚えてないんだね。映画やドラマみたいに「青山……」と私のことだけ記憶にある、みたいな展開を願っていたけれど、現実はそんなに甘くはないということか。覚悟していたから、大きなショックではないが、でもやっぱり悲しいのは悲しい。星崎さん母にこのことを言われていなければ、きっとショック過ぎて泣き出していたかもしれない。そういう意味では星崎さん母には感謝してもしきれない。

 「あー、やっぱ一歌覚えてない?」

 市川さんは反応に困るように苦笑する。

 「覚えてないって……知らんもんは知らんし」

 「そうだよな、うん、そうそうその通り」

 うんうんと市川さんは頷く。

 通りすがりのナースさんや、患者さんが少し邪魔そうにこちらを見つめる。廊下を陣取っているから邪魔なのも無理はないか。市川さんや星崎さんもそれに気づいたのか、少しキョロキョロする。

 「屋上行こうか」

 「屋上?」

 「あるよ。憩いの場的な」

 「へー」

 「名前は私が今考えた」

 そんな生産性があるとは思えないような会話を繰り広げながら歩き出す。もちろん私は一切会話に加われない。コミュ障だから、仕方ないけれど。


 屋上。空は憎いくらいに快晴だった。雲一つない青空。隠すものがなにもない太陽が私たちを燦々と照らす。そよ風を遮る遮蔽物もないので強めに髪を靡かせる。名もわからぬ小さな虫が近くの花壇に吸い寄せられるように飛んでいる。星崎さんと市川さんは私の一歩前を歩いて、懐古するように話を弾ませていた。

 その光景をぼんやりと眺める。話には入らない。入れないし、そもそも会話がしっかりと頭に入ってこない。

 設置されたベンチに二人は腰掛ける。ぼーっと立っていると気を遣われたのか、市川さんがぽんぽんと隣を優しく叩く。口にはしないが座りなと言っているようで、素直に甘えることにした。

 私、市川さん、星崎さんという並び。少し前までなら考えられない並び順だ。こうやって今までと違うことを突き付けられて、あぁ関係が大きく変わってしまったのだと強く実感する。今までとは違うんだ、という悲壮感と共に。

 「それでそこの子は?」

 星崎さんがふと思い出した、と言わんばかりに市川さんをすっ飛ばして視線を送る。よそよそしく会釈をしてしまう。

 「あ、うぅ……」

 明確に見えた距離感に戦意喪失してしまった。リレーでバトンが渡ってきた時に半半周差つけられていたら諦めるような感覚。蓋を開けなければ、まだ可能性はあるかもしれないと見えぬ可能性へ向けて手を伸ばして無闇に踏み出すのだが、絶対に無理だ、とわかればその気力すら失われてしまう。諦めることは良くないと説法解いたりする人がいるかもしれないが、無理なものに突っ込んだって未来はない。得られるものだってそこまで多くはない。時間を無駄に消費したというデメリットだけがぽつんと残り、心を蝕むことになる。いや、まぁそれを経験だ、というのであればそうですか、そうですね。となるのだが、少なくとも私はそうは思わない。だからこうやって立ち上がることすらせずに白旗をパタパタと振る。

 「えー、彼女はそーだな。うん、一歌の友達。高校で一番の友達だよ」

 市川さんは恋人とは言わない。まぁ言ったところで混乱させるだけなのは目に見えているし。詮無きことであろう。

 「高校一番の?」

 星崎さんは食いつく。

 「そそ。一番。ファースト」

 「私が一番仲良かった?」

 「そう。めーちゃ仲良かったんだよ」

 星崎さんはうーんと、悩む仕草を見せる。じーっと見つめる。頭のてっぺんからつま先まで味見するようにじろじろじろじろと眺めてくる。小っ恥ずかしい。

 「覚えてない」

 「ですよね」

 あははー、と笑う。

 「名前は?」

 「青山若葉って言います」

 「あおやまわかば……」

 眉間に皺を寄せ、考えるように指を唇に当てる。当然ながらぽんっと出てこないようでこてんと首を傾げるだけ。

 「誰?」

 たったの二文字。漢字にすると一文字。これ以上にないくらい端的な言葉なのに、拳で殴られたかのような衝撃が全身に走る。

 作り笑い。にーっと下手くそな笑みを浮かべる。

 誰も悪くないからこそ、この辛さやら苦しさやらを表に出すべきでないと言い聞かせる。そうして下手くそな笑みで誤魔化そうと試みた。もっともそれが成功しているのか否かはわからない。不明。ちらりと星崎さんの顔を見る。私の方に目線すら向けていない。眉間に指で摘むように触っているだけ。興味すら持ってくれない。

 あぁ、そうか。

 「そうですよね。わからないですよね。しょうがないと思います」

 そう言って立ち上がる。

 「ちょっと用事を思い出したので、外しますね」

 「え」

 市川さんは私の袖口を掴む。それを振り払うように解く。

 「帰ります。星崎さんのお母さんにはお世話になりました、とお伝えください」

 つかつかと歩き出す。走り出したい。一秒でも早くこの場から姿を消したい。そういう溢れんばかりの想いを抑えて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る