第4話
午後四時。もう四月なのでまだ日は沈まない。二か月前くらいだとこの時間には既に空はオレンジ色に染まっていた。陽が持つようになったなぁと……そうか、これが四月の魔法ってやつかなんて思いながら、私は教室を後にした。
向かった先はテニスコート。校庭の隣に設置されており、面数も多くてしっかりと整備も行き届いている。中学の時は校庭の一部を無理矢理テニスコートにしましたって感じだったので、初めて見た時は「すげぇ」って感動したものだ。私はテニス部員ではないし、なんならテニスのルールすらまともに知らないんだけれどね。
だらだらと歩いていると、テニスコートに到着する。
近くのベンチに腰掛けて、星崎さんがやってくるのを待つ。
テニスコートの端。倉庫近くに集まってなにやら話している。あれがミーティングってやつだろうか。部活動とは中高と無縁だったので、ちょっと憧れがあったりする。なんかさ、カッコいいよね。ミーティングって。ちょっとだけ憧れたりする。
しばらく待っていると、解散したようで星崎さんは真っ先に私を見つけ、ぱたばたと駆け出す。ヒマワリの髪留めを付けた部員に声をかけられて、足を止めて振り向いた彼女だったが、両手で大きくバッテンを作るとててててーっと私の方に走って来た。
運動したあとだからだろう。額からつーっと汗が垂れている。それに本人も気付いたのか、服の裾で汗を拭う。またちろりと真っ白なお腹が「コンニチハ」している。この時間だと「コンバンハ」かもしれない。そんなどっちでも良いようなしょうもないことを考えていると、彼女はふぅと疲労交じりの息を吐いて、学校指定のバッグからペットボトルのスポーツドリンクを取り出して、手際良くキャップを外すとぐびぐびと飲む。あまりの飲みっぷりに見ているこっちが爽快な気分になる。
「ふぅ、美味しい」
全部飲み干したようで、空になったペットボトルをくるくると回している。そして少し離れたゴミ箱にひょいっと投げる。一直線に飛んでったペットボトルは吸い込まれるようにゴミ箱へと入った。ナイスシュート。
「凄いですね。もしかしなくても、星崎さんって運動神経良かったりします?」
テニス部で、体型もすらっとしており、胸元だけ無駄な贅肉がついているけれど。ゴミ箱へ投げるのは正確。運動できる要素しか揃ってない。
「人並みじゃない?」
こてんと首を傾げる。しばらく立ちっぱなしだった星崎さんは私の隣に腰掛けた。
「そうですかね」
「そうだと思うよ。私よりもテニス上手い人は星の数ほどいるし、部活の中でも中の上くらいだから」
謙遜しているとかではなさそう。というか、上を見ればそりゃ際限ないだろう。下を見ない時点で上手いんだろうなって伝わる。
「でも、青山よりは運動できるかも」
「それは間違いないですね。私テニスなんてしたらラケットをすっ飛ばしてしまいそうですし。ぽーんって」
そもそもラケット握れるのかな。握って、しっかりと振ることができたとしても、ボールに当てるのに苦労しそうだ。
「そこまで運動音痴なんだ」
「悪いですか」
「人には得手不得手があるからね。個性だよ、個性」
そう言いながら、彼女は立ち上がる。変なフォローをされたせいで逆に心が抉られた。
「そろそろ帰る?」
私に手を差し出してくる。その手を握って立ち上がる。
「帰りましょうか」
手を離した私たちはそのままつかつかと校門へと向かって歩き出したのだった。
校門を出ると星崎さんは私の顔をぐぐぐと覗き込んだ。
「どっち?」
「とは?」
質問に質問で返したからか、星崎さんは若干不満そうに頬を膨らます。
「通学路。家。帰り道」
スゴイ……単語だけで会話を成立させようとしている。なによりもそれだけでしっかりと伝わる。
「私の家はこっち側です。っても、電車使うので通学路的には一旦こっち行かないといけないんですけどね」
西を指差してから、東を指差す。
「電車民か」
「電車民です。星崎さんは違うんですか」
「私は自転車民だよ」
彼女はちゃりんちゃりんとおどけながら口にする。そのままつかつかと私が二回目に指差した方角へと歩き出した。
「あれ、自転車なんですよね。歩きで良いんですか」
「今日は歩きだよ」
「気分で変わるものなんですか」
「いや違う違う。ウチの学校ってさ、学校の自転車点検通さないと駐輪場のシールもらえないでしょ」
「あー、なんかそんなのありましたね」
一年生の時、担任が説明していた記憶がぼんやりと蘇る。私は関係ないからって寝ていたなぁ。なんかすみません。
「年度で変わるから、今使えないんだよ。だから歩き。強制的に歩きだよ」
なるほど。やけに自転車が少ないのはそういうことだったのか。というか、じゃあなんで駐輪場に自転車が置いてあったのだろうか。教職員の自転車だろうか。う、うん。そういうことにしておこう。というか不便だなぁそれ。ブラック校則ってやつですね。
「来週からは使えるから。二人乗りしよっか」
「しません」
「えー、青春っぽくて良くない?」
「二人乗りが青春ですか」
あまりピンとこなかった。
二人乗り=青春という方程式が私の中には存在しない。というかいるの。存在する人。
「カップルといえば二人乗りみたいなところない? 荷台に乗った彼女がさ、彼氏の腰に抱き着いて『きゃー、こわーい』なんて甘い声を出したりしてね。それで彼氏は『お前のこと必ず守るから』とか臭いセリフ言っちゃってね。恋は盲目って言うから、彼女はその言葉にキュンキュンしてさらにぎゅって抱きしめちゃうの」
たしかになんとなくその描写は思い浮かぶけれど……。
浮かぶってことは青春っぽいし、カップルがするようなことって認識が私にも無意識であったのかしれない。
「やってみよっか」
「へ、二人乗りをですか」
「あははは、青山が二人乗りしたいならしても良いけど」
笑われた。私を勝手に二人乗りをしたがる不良に仕立て上げるのはやめていただきたい。
「でも今回は違う」
「はぁ……」
じゃあ、なんです。と問うような視線を送る。
「二人乗りのシミュレーション的な?」
「え、シミュレーションですか」
「そう!」
そこまで言われても理解できなかった。
首を傾げると、星崎さんは私の前へたたたと突然走り出して、すぐに止まる。それから両手を前に出した。
「ほら、腰掴んで」
「え、腰ですか」
「そう。腰。二人乗りする時みたいにぎゅって掴んで!」
なるほど。したいことが理解できた。やれって言うのなら仕方ない。全力で背中に抱き着かせてもらおう。ぎゅっと掴む。見た目は細身なのに、抱いてみるとかなりガッチリしていて吃驚してしまう。
額を背中にくっつけると、彼女はビクッと跳ねるように震えた。
鼻腔を擽るのは制汗剤の爽やかな香り。石鹸っぽさがある。
しばらく沈黙が続く。その沈黙を破ることなく、周囲の目がふと気になって離れた。
「良い香りの制汗剤を使ってるんですね」
「え、え、あ……」
珍しく星崎さんが狼狽する。彼女の言葉にならない言葉を、高架上を走る電車が掻き消す。
「あ、電車来てる。ほら走ろう」
星崎さんは私の手をぎゅっと掴む。
そして引っ張って走り始める。
「星崎さん!」
「どうした青山」
「無理ですよ。無理です今ここから電車見えてるってことは駅着いた時にはもう発車してますから」
「諦めたらそこで試合終了だって安西先生も言ってたでしょ」
「これは諦めても良いことですから。だいたい物理的に無理なんです。間に合わないものは間に合わないので」
という私の叫びにも近い声かけは当然のようにスルーされて、走り続けた。
私と星崎さんの運動能力には雲泥の差がある。駅に到着した時にはもう半分くらい死にかけていたし、当然のように電車は駅からいなくなっていた。間に合うわけないという私の見立ては正しかったらしい。
「ほら、間に合わないじゃないですか」
ぜぇはぁぜぇはぁと改札の前で息を整えながら、文句をぶつけた。
「大事なのは結果じゃなくてさ、諦めない心を持ってるということが大切なんだと私は思うわけだよ」
さも良いこと言ってやりましたみたいに、キリっとする。
キリじゃないんだよ。キリじゃ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます