第三部 復活の儀式編
1 気付かれた真実
レナードに「ルシル」と呼ばれてしまった。
気付かれていたのだ――!
ルシルの胸は早鐘を打つ。今すぐ隠れたくてたまらないのに、レナードの真摯な眼差しに捉えられて、目を逸らすことができなかった。
まるで二層に分かれているかのように、煌びやかな夜景と、濃い闇が満ちる上空。2つの風景の間には、きっとどこかに境目が存在しているにちがいない。街の喧騒はルシルたちの下までは届かない。静謐な夜の気配だけが辺りには漂っていた。
自分の鼓動の音が、やけに大きく耳に響く。
「……いつから……?」
ルシルはかすれた声で尋ねた。
「いつから、気付いていたの?」
「魔法学校で、君がポリーナの呪いを解いた時」
「そんなに前から!?」
どこでバレたのか。ルシルは記憶を引っ張り出そうとするが、混乱していて上手くいかない。
「どうして、私だとわかったの?」
「見ればわかる」
「え、見るって? 何を?」
レナードはじっとルシルを眺めている。不意に彼が箒を寄せてきた。ルシルは下がろうとして――伸びてきた手が、それを許してくれなかった。
レナードが箒から腰を浮かせる。
次の瞬間、
「え、ちょ!?」
自分の箒に足をかけ、跳躍。
ルシルの箒にずしんと重みが加わって、揺れる。
信じられない行動だし、信じられない運動神経だ。
レナードがルシルの箒に乗って、2人乗りの状態となった。
――背中から抱きしめられている。
お腹に回った手。背中に感じる体温。互いの息遣いがわかるほどの距離。ぎゅっと強く抱きしめられて、ルシルは呼吸が止まりそうになった。
「逃げるな。……もう俺の前から、いなくならないでくれ……」
「リオ……!?」
困惑して、箒の制御が上手くいかない。がくがくと揺れる箒に、レナードが手を添えた。途端に飛行は安定し、静謐な夜の空気に戻る。
まるで下界とは切り離され、この世界に2人きりになってしまったのではないかと感じてしまうほどに。
よりレナードの体温を強く意識してしまうことになって、ルシルは真っ赤になった。
「ルシル……本当に君なんだな」
「わたし……」
何も言えない。
心臓の音がうるさすぎて、言葉が出てこない。
レナードも口をつぐむので、沈黙が落ちた。ルシルはどうしていいのかわからず、縮こまるばかりだ。
束の間の静寂が続いてから、
「参ったな……いざこうしてみると、何も言葉が出てこない……」
「え……?」
耳元で響いた声に、ルシルは驚いた。レナードの声が震えていたからだ。そして、わずかに湿ったような声色。
(リオ……泣いてる……?)
確かめたくても、この体勢では振り返ることができない。
ルシルも泣きたいような、よくわからない気持ちになって、ぐっと唇を噛み締めた。火照った頬に、ひんやりとした夜風が心地いい。
「――メリス・ティアって、どういう意味?」
ルシルは前を向いたまま、尋ねる。
「ねえ、リオはどうして呪文が変わっちゃったの?」
「ルシル」
お腹に回った手が、わずかに震えを帯びる。更にぎゅっと力が込められて、息もできないくらいに強く抱きしめられた。
「俺は、この8年……君がいなくなってから、ずっと――」
レナードが何かを告げようとした、その瞬間のことだった。
――別の声が割って入ったのは。
「大変だ! レナード! アンジェリカ!」
夜空に響き渡るのではないかと思えるほどの声。続いて、箒が空を切る音が聞こえてくる。
猛スピードで飛んできたのは、アルヴィンだった。
「すぐに騎士団に戻ってくれ!」
ルシルとレナードは目を丸くして、彼の姿を見る。
一方、アルヴィンもこちらを見ている。こちらの姿にぎょっとして、
「お前ら、なぜ2人で1つの箒に乗ってる……!?」
「え!? あ、あの、これは……!」
ルシルは今の状態に気付いて、慌てて弁解しようとする。ついでにレナードの手を剥がそうと試みるが、いくら引っ張ってもびくともしなかった。
一方、レナードは堂々と答えた。
「新人が箒に乗るのが下手だからだ」
「はあ……。ああ、なるほど……? いや、だからって2人乗りする必要はあるか!? って、こうしてる場合じゃない! 大変なんだ!」
アルヴィンは目まぐるしく表情を変えてから、当初の慌てた様子へと戻る。
「――捕まえていた
ルシルとレナードは同時に息を呑んだ。
「どういうこと!?」
「連れ去られた、だと? そんなことは不可能に近い」
レナードの冷静なセリフに、ルシルは内心で同意した。
拘留中の闇纏いには、魔力封じの腕輪を付ける。留置所に行ける唯一のエレベーターは、職員が所持しているカードキーがなければ作動しない。
だから、本来であれば脱獄なんてありえない。ただ1つの可能性を除いては。
「普通は不可能よ。――協力者でもいない限りは」
アルヴィンは唇を噛んで、苦悩の表情を浮かべる。その顔でルシルは悟った。
「いるのね? 騎士団の中に、内通者が……」
「闇纏いたちを連れ去ったのは、ケイリー・クレインだ」
その名前が飛び出してきたことが信じられず、ルシルは愕然とする。
「ケイリー先輩が!? どうして……!」
「わからん!」
「それじゃあ、ケイリー先輩と闇纏いたちは今、どこにいるの!?」
「騎士団の屋上だ! 隊長を人質にとられて、近付けん」
アルヴィンは迷うように視線を逸らしてから、低い声で続けた。
「それで……ケイリーの要求がアンジェリカ……お前なんだ」
「え……?」
「お前を、連れてこいと……」
ルシルは呆気にとられて声も出ない。
代わりにそれを一蹴したのは、レナードだった。
「断る」
「なっ……!?」
「え、リオ!?」
有無を言わせぬ口調に、ルシルもアルヴィンも呆気にとられる。レナードは離さないとばかりに、ルシルを抱きしめると、
「犯人の狙いが何かはわからないが、彼女は行かせない」
「でも、隊長が人質にとられているって……!」
「どうでもいい」
「え……!?」
「君を危険にさらしたくない。また、もし、君の身に何かあったら……君がいなくなったら、俺はどうすればいい……!?」
彼の声にこめられた感情。それは悲愴な色をまとわせていた。ルシルは息を呑んで、何も言えなくなってしまう。
「俺は…………以外は、何もいらない」
「え……?」
「世界なんてどうでもいい。俺がザカイアを倒したのも、ただ、君を……」
ぐ……、と、ルシルの体に回った手に、強く力がこもっていく。息ができないくらい、抱きしめられている。
彼がどんな表情を浮かべているのか――この体勢では確認することもできない。
ルシルは唖然としてから、今はそうしている場合ではないと思い直し、彼の腕を叩く。
「リオ! レナード! しっかりして! わかった、じゃあ、こうしましょう。この件が解決したら、さっきの話の続きを聞くわ。それまで私はいなくならない」
「…………」
「約束する。だから、その代わりに……『メリス・ティア』の意味を私に教えてくれる?」
「まだ足りない」
すがるような声が告げた。
「何があっても俺のそばから離れないと……それと……もう二度と、死なないと約束してくれ」
ルシルは気付いた。彼の手が震えを帯びていることに。
その言葉と、真摯な口調に胸を打たれる。ルシルもまた真面目に答えた。
彼の手に自分の手を重ねて、
「……約束するわ」
誓いを立てるように。
レナードが指を伸ばして、ルシルの手を握り返した。彼の指先が冷たくなっている。それで彼が緊張していることを悟った。
また不意に泣きたくなって、ルシルは目を伏せる。
数秒の沈黙が通り過ぎて、
「おい……俺も、この場にいるんだが!?」
アルヴィンの言葉に我に返る。
ルシルは赤面して、あわあわと視線を漂わせた。
箒の後ろが軽くなる。レナードがいつの間にか、自分の箒に移っていた。ルシルの箒の横につけるようにして、飛行している。彼の視線はまっすぐルシルへと注がれていた。
――今は目を合わせられない。
ルシルはわざと速度を上げて、先を飛んだ。
「……すみません。アルヴィン先輩。状況を教えてください」
「お前らの関係が気になる……! ああ、だが、今はそれどころじゃない。ここで嘘をついても仕方ないから、正直に言うぞ。状況は最悪だ……!」
彼の言葉で即座に気を引き締めていた自分は――いつの間にか、闇纏いよりも、騎士として馴染んでいたのかもしれない。
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