9 悪女は魔王と対峙する

「ニクス・ヘプタぁぁぁ――!」


 ザカイアの呪文が闇夜に響き渡る。


 彼の体から闇が突起のようにいくつも飛び出して、屋上を飛翔した。標的はリリアンだ。リリアンは床の上で倒れて、顔を上げている。意識はとり戻した様子だが、朦朧としているようだ。


 自分へと向かってくる闇を目にし、顔を青くした。


 ルシルは箒で空を駆ける。ターンを決めると、ザカイアの方へと掌を向けた。


「タナト・フェロウ!」


 防御壁が展開、自分とその下にいるリリアンを守る。間一髪のところで弾き返した。リリアンは驚いたようにこちらを見上げる。


「どうして……! 何で私を守るの……?」

「悪いけど、今はお喋りをしている暇はないの」


 彼女の問いをばっさりと切り捨てて、防御の維持に専念する。闇の突起は次から次へと襲いかかってくる。ルシルの防御壁を突き破ろうと、突進をくり返した。防御と闇が衝突する度に、辺りには閃光のような衝撃が弾ける。


 リリアンはルシルをじっと見上げている。


「――あんた、本当はルシルなんでしょう!?」


 その声には悲痛な感情がこもっていた。


「学生時代、私があんたにしたこと……忘れたなんて言わせないわよ! 私は、あんたに守られる理由がない!!」

「リリアン。私ね……」


 闇の突撃を受けて、ルシルは防御越しに押されそうになる。じりじりと箒が後退を始めていた。しかし、ルシルは一歩も引かない姿勢で、闇と対峙し続ける。その合間にちらりとリリアンへと視線を落とした。


「あなたのこと、大嫌いよ。あの時、あなたを助けたこと、後悔したこともある。でも……」


 彼女と目が合ったのは一瞬だ。その瞬間、リリアンの目が泣きそうに歪んだのは、どういう感情がよぎったのか……それはルシルにはわからない。


 ルシルは闇へと視線を戻し、防御壁に力を流しこんだ。


「きっと、あの時、あなたを助けていなかったら……それでも、私は後悔したと思う。だから、理由なんて、ただそれだけなの」

「……ルシル……」


 リリアンがぽつりと吐き出した声。そこには敗北感のような色が宿っていた。


 その時、ルシルは背後から異様な気配を感じた。

 咄嗟に箒から身を投げ出す。

 刹那、ルシルが今まで浮かんでいた空間に、何かが猛スピードでつっこんできた。すれすれのところでかわしながら、ルシルは宙を落下していく。


「タナト・フェロウ!」


 リリアンの防御を継続しながら、もう片方の手で更に防御を展開する。

 突然、襲いかかってきた謎の物体。


 それは1羽のカラスだった――!


 カラスは空中で方向転換すると、またもや一直線にルシルへと襲いかかってくる。それを寸前のところで防御壁が弾いた。


 きぃん……! カラスを跳ね飛ばすと同時に、ルシルは空を落下していく。


 全身を包む浮遊感――直後、ルシルは誰かに抱き留められていた。

 レナードが焦ったような表情を浮かべながら箒を操り、ルシルを抱えこむ。


「君は、いつも人のことばかりで、自分の身を顧みない」

「え? そんなことないと思うけど……!」


 ルシルの反応にレナードは呆れたような笑みを見せる。包みこむような――優しい表情だった。

 レナードはルシルを抱え直して、自分の箒の前部分に乗せる。落ちないように片腕で抱きしめた。


「だから、君のことは俺が守る」


 騎士団のビルを通り過ぎてから、箒は旋回して、再度ザカイアと対峙する。いつの間に集まって来たのか――ビルは、大量のカラスの群れに包囲されていた。カラスたちは騎士たちへと襲いかかっている。


 黒い羽根が舞い、耳障りなカラスたちの鳴き声。そして、ビルの屋上の中心部には、濃い闇をまとったザカイアがいる。


 その不気味な光景に向かって、レナードは迷わず箒を飛ばした。


「君は攻撃に集中しろ!」

「ええ、任せて!」


 急降下、疾走――すかさず、ザカイアとの距離をつめた。


「ああっ……ルシル……! 私を裏切ったなァ……!!」


 ザカイアは闇夜に吠える。

 ルシルはレナードの箒をつかみながら、顔を上げた。徐々に距離を詰める魔王と、正面から向かい合った。


「一度だって、あなた側についた覚えはないわ! 今も昔も、私が信頼してるのはリオだけよ!」

「あアあ゛あぁ! ニクス・ヘプタぁぁぁ――!」


 ザカイアが呪文を叫ぶ。

 カラスが『変貌』して襲いかかってきた。


 レナードの箒の正面に躍りかかって来るが、ルシルの視線はザカイアへと固定されている。


「メリス・ティア!」


 カラスを防いだのは、レナードの呪文だ。ルシルは防御を考えずに、攻撃魔法の構築に専念していた。


 ぱんっ……!


 光にカラスが弾かれて、吹き飛んでいく。視界が開けたと同時に、ルシルは放った。


「タナト・フェロウ――!」


 それは、まるで光輝く矢のように。


 幾筋にも別れて光が放たれ、ザカイアへと降り注いだ。ザカイアが闇を広げて、その光を受け止める。


 その行動を目にして、ルシルはあることに気付いた。ザカイアの防御の仕方がおかしい。自分に降りかかる攻撃を防ぐのは当然のことだが、本来は外れている攻撃までをわざわざ防ぎに行った。


 伸びた闇が収束して、ザカイアの下へと戻っていく。すると、闇の下からは魔法陣が現れた。


 ザカイアが庇ったのは――魔法陣だ!


「リオ! 復活の儀式はまだ途中なのよ。あと2人の生贄を捧げることで、初めてザカイアは蘇るの」


 ビルを越えて飛翔していく箒の上で、ルシルは声を上げる。


「だから、今のザカイアはまだ不安定……! 儀式を失敗させれば、彼はこの世に存在することができなくなる」

「なるほど。それなら、あの魔法陣を壊せば……」


 もう一度、ターンを決めて、箒はビルの方へと向いた。


「なるべく低く飛んで! あなたの飛行技術、期待してるわよ」


 ルシルの声に、レナードは飛行で応えた。高度がぐっと下がり、このままではビルに追突するのではないかと思う、すれすれのところを飛んで行く。屋上の柵を跳び越えて、床に接触する寸前で、すべるように箒は前進を続けた。


 魔法陣にもうすぐたどり着く、その直前、


「ニクス・ヘプタぁぁぁ――!」


 ザカイアが魔法陣を守るようにそびえ立つ。闇が膨張、そこから何本もの突起が現れた。ルシルたちを捕まえようと襲いかかってくる。

 その瞬間、ルシルは合図を送った。


「リオ!」


 レナードがルシルを抱えて、箒から飛び降りる。彼はルシルが出現させた箒に手をかける。ルシルの箒は急上昇、闇の猛攻をかいくぐり、ザカイアを跳び越えた。


 レナードの箒はそのまま前進を続け、ザカイアに突撃を決める。


 空中で箒にぶら下がった体勢のまま、2人は同時に唱えた。


「タナト・フェロウ!」

「メリス・ティア!」


 ルシルの掌から放たれる光。


 それは雨のように屋上へと降り注ぎ、魔法陣を焼いた。


 しゅうううう……炎が鎮火するかのように、そこかしこから煙が立ち上る。魔法陣が光に焼かれて、消えていく。


「うう……ああっ――!」


 それに合わせて、ザカイアが悲鳴を上げる。先端の闇から霧散していく。


「ああ……あああっ……! あアアあ゛あぁぁぁぁ――っっ!!」


 消滅は胴体へとたどり着き、最後に残ったのは頭――。


 ぱんっ…………!


 閃光が弾けて、その頭が吹き飛んだ。


 辺りに沈殿していた闇が消えていく。

 すると、ケイリーの体が見えるようになる。彼女の意識はもう残っていないようで、糸の切れた人形のようにその場に倒れこんだ。


 カラスたちが逃げるように散っていく。黒い羽が舞って、屋上へと降り注いだ。ひらりひらりと落ちる黒い羽根が、焼け焦げた魔法陣の上に乗る。


 ルシルはほっと息を吐く。そして、自分が不安定な体勢でいることに気付いて、慌ててすがりついた――レナードの体に。抱き着くような状態になってしまった。レナードは片腕でルシルの体を抱きしめている。


 そうして、2人は屋上の床へと降り立った。


 クラリーナが起き上がって、ルシルたちの方へと寄ってくる。複雑そうな目でルシルを眺めた。


「本当に……君はルシルなんだね……」

「隊長……」


 ルシルが何かを言う前に、レナードが庇うようにルシルを後ろへと追いやる。


「彼女に手は出させない。ルシルを守るためなら、俺は騎士団を敵に回すことも辞さない」


 クラリーナは呆気にとられた顔でレナードを見ている。

 やがて、苦笑いを口元に浮かべた。


「まるで番犬だね……。そんなに威嚇しないでよ。いろいろなことがありすぎて、私も混乱してるんだ」


 参ったなという様子で、クラリーナは頬をかく。しかし、彼女の瞳には混乱こそ浮かんでいるが、敵意はない。


 クラリーナは途方に暮れたように、視線を逸らす。ビルから見える風景を眺めた。ルシルとレナードも彼女に習って、そちらを見る。


 いつの間にか夜は明けて、東の地平線には太陽が顔を覗かせていた。


「そういえば、レナードさん。君が言っていたこと……どうやら本当だったみたいだね」


 ぼんやりと夜明けの空を眺めながら、クラリーナは呟いた。

 ルシルが彼女を見ると、視線が交わる。困ったような笑顔でクラリーナは続けた。


「――魔王ザカイアを倒したのは、ルシル・リーヴィスだったって話さ」


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