10 メリス・ティアの呪文【終】
ケイリーが起こした事件は、大きく報じられた。
『黒き王、ザカイアの復活……!? しかし、その野望は英雄によって打ち砕かれる!』
大きく見出しが載った記事。それをルシルは自分のデスクで眺めていた。
あの事件から数日が経っていた。市内はこの話題で持ち切りだ。しかし、相変わらず街中は平和な雰囲気に満ちているし、市民はこの件を他人事のように語っている。
すでに首謀者は死亡し、事件は解決したと報道されているからだろう。
ケイリーを取り押さえたのは、レナードだと書かれている。この件で彼はまた、人々の羨望を集めることになるだろう。
ルシルは入念に紙面に目を通したが、「ルシル・リーヴィス」についての記載はまったく見つけることができなかった。
「おい」
とんとんと机を叩かれて、ルシルは首を回した。アルヴィンがカップを片手に、デスクの脇に立っている。
「隊長が呼んでるぞ」
「はい。アルヴィン先輩」
ルシルはにこりと応じてから、席を立った。
隊長室ではクラリーナが待っていた。ルシルが入室するとほがらかに声をかけてくる。
「やあ。お疲れ様。君が気になっているみたいだから、知らせておきたくてね」
「はい」
「リリアンさんとポリーナさんの2人だけど、無事に拘置所の方に移ったよ」
「そうですか」
ルシルはほっと胸を撫で下ろした。
事件後、2人の身は無事に保護された。これでルシルの心残りはすべて解消された。彼女は晴れやかな気持ちで、隊長に進言する。
「それでは、先日、私が相談した件についてなのですが……」
「あ、そうそう。それで、次に君に頼みたい仕事があるのだけど」
ルシルの言葉をさらっと無視して、クラリーナは別の話を始めようとする。ルシルは慌てて口を挟んだ。
「いえ、ですから! 私は騎士団を脱退したく……!」
「ああ、その件だけどね。却下で」
有無を言わせぬ口調で言われて、ルシルは顔を青くする。
「どうして!?」
「悪いけど……今、騎士団は深刻な人手不足でね。やめてもらったら困るからだよ」
「で、でも……! 私……!」
クラリーナはにこにこと笑顔のまま、
「うん? 何かな」
「その、隊長も知っての通り、私はここにふさわしくないかと。だって、私の正体は……」
すると、クラリーナはすっとぼけた様子で、視線を漂わせる。
「さて、どうだったかな。私が知っているのは、君が新人とは思えないほどにとても優秀で、働き者の騎士ということだけだよ。――
ルシルは今も騎士団に籍を置いている――アンジェリカ・ブラウンとして。
事件の報道ではルシルの件には触れられず、ケイリーが復活を試みたのはザカイアであるとだけ報じられていた。アンジェリカの正体がルシルであることは、多くの騎士が知っている。しかし、クラリーナが箝口令を敷いたため、世間には秘匿されていた。
「それに、君にやめられたら困るよ。だって、君のパートナーも一緒にやめるって言いかねないしね。あの大人気の英雄様までいなくなったら、騎士団がどれほどの損害を被るか……わかる?」
「え!? いや、リオはそんなことは言い出さないんじゃ……」
「そのつもりだが?」
突如、割って入った声。振り返ると、入り口のところにレナードが立っていた。
「君は目を離すと、何をしでかすかわからない。だから、君がここを辞めて別の職につくのなら、俺もそれについていく」
「え……!? ええ……!?」
当然のように言われて、ルシルは大混乱する。
それも、レナードの態度が前とは一変している。穏やかな眼差し、優しげな笑み。そして、ひたすら甘い視線を送ってくるのだ。
彼が近付いてくると、その甘さが増すような気がして、ルシルはたじたじになって後ずさった。
しかし、逃がさないとばかりに腰に手を回される。
クラリーナが呆れたように告げた。
「レナードさん……何か性格変わってない?」
「そうですか? もともと俺はこうですが?」
その問いも爽やかな笑顔でかわして、レナードはルシルを見た。ルシルを視界に映すと、更に彼のまなじりは優しげに垂れた。愛しくてたまらないものを見つめるような目――それが近距離で向けられて、ルシルの頭は沸騰しそうになった。
「た、隊長! 任務! 任務でしたね! 私、さっそく行ってきます……!」
「はいはい。あんまり街中ではいちゃつかないようにね。レナードファンの暴動が起きるよ?」
「そんなこと、しません……!」
逃げるようにルシルは箒で空へと飛び立った。
――とはいえ、本当にレナードから逃げることなんてできるわけがない。彼は常にルシルにぴたりと付き添っているのだから。
今もルシルの箒に合わせて、隣を飛んでいる。
ルシルの肩には、使い魔のココが乗っている。おもしろそうな様子で、ルシルを見つめていた。
「よかったね、ルシル」
「……こら」
ルシルが鋭い視線を向けると、ココは首をすくめて、飛び立った。レナードの肩へと留まる。レナードの指がココの、
『う、裏切り者~!』とルシルは胸中で叫ぶ。
ココを見ていたのに、ルシルの視線はレナードの視線とぶつかってしまう。すると、彼は甘さをつめこんだ表情で笑った。どきん、と胸が強く跳ねて、ルシルは慌てて景色を見ている素振りをする。
ランドゥ・シティの街並みは、今日も活気にあふれている。雲1つない晴天が、その雰囲気を更に爽やかなものに仕立て上げていた。
平和な街並みの空をゆっくりと飛んでいると、ルシルの気持ちも少しずつ落ち着いてくる。
心地よい風を浴びながら、ルシルは口を開いた。
「ねえ、そういえば、どうしてアンジェリカの正体が私だってこと……すぐにわかったの?」
「見ればわかると言ったろ」
「でも、アンジェリカと私って、全然、見た目のタイプがちがうわよね?」
「見た目の話じゃない。君が使った、魔法陣」
「え……?」
ルシルはきょとんとして、レナードの方を見た。
「でも、あれ、私のオリジナル魔法よ……!? 誰にも見せたことがなかったのに……!」
レナードは呆れたような視線を向けてくる。ため息を吐くと、
「君は、少しばかり忘れっぽいようだ」
「ちょっと! リオに言われたくないんだけど!? あなただってリリアンのこと覚えてなかったし、ものすごく忘れっぽいじゃない」
並んで飛びながら、2人は目を合わせる。束の間、見つめ合うと、レナードの目尻が下がって、優しげな表情を作った。
彼がこちらに手を向ける。すると、ルシルの体は浮かび上がって、レナードの箒へと移った。
片腕で受け止められて、横抱きの体勢にされる。
突然、縮まった距離。甘い視線、穏やかな笑顔にルシルは戸惑って、顔を真っ赤にさせた。
「メリス・ティアの意味を、教えてやろうか」
「え? あ、ちょ、リオ……! 降ろしてよ……!」
「俺は自分が大切に想うことは、絶対に忘れない」
咄嗟に逃げ出そうとするルシルを、レナードは更に強く抱きしめる。優しげな手付きだが、ぎゅっと回った腕は簡単にほどけそうにない。
二度と離さないとばかりに強く抱きしめられた。
そして、レナードはルシルの耳元で、ささやくように言った。
「愛している。ルシル。今までも。これからも、ずっと……。
◆ ◇ ◆
その日、レナードは寮に戻ると、すぐに机に向かった。鞄からノートをとり出す。ルシルから借りたノートだ。
ページを開いて、レナードはくすりと笑った。
「あ……ルシル、また落書きしてる」
余白に描かれた落書き。
それを眺めて、彼は目を細める。まるで慈しむような優しい眼差しで。
彼女のノートには、魔法陣の図案が描かれていたのだった。
終わり
+ + +
これで完結となります。
最後まで見ていただきまして、ありがとうございました!
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