番外編

健気なココの8年間


 生まれた時から、兄弟の中でも僕は落ちこぼれだった。


 体が小さい。

 羽も小さい。

 クチバシも、小さい。


 そのせいで、お母さんからはいつも食べ物をもらい損ねることが多かった。

 他の兄弟たちに、体を押しやられてしまうからだ。


 たくさん食べられないから、僕の体は小さいまま。

 飛べるようになるのも、一番遅かった。


 僕はみんなから離れて、ひとりで過ごすことが多くなった。


 ひとりでも平気。

 だって、僕はひとりでいるのが好きだから。


「こんにちは」


 そんな僕に、彼女は話しかけてきた。


 ――魔女!

 ――魔女だ!!


 他の鳥たちが警戒するように鳴く。そして、一斉に木から飛び立った。

 僕はその場から動かなかった。


 ――魅入られていた。


 僕に話しかけてきた、魔女の瞳に。


「……数日だけでいいから、私の使い魔になってくれる?」


 魔女は、寂しそうな瞳でそう言った。





 魔女の名前は、ルシルというらしい。

 僕はルシルの使い魔になった。


「あなたとは長く契約するつもりはないの。私はもうすぐ死ぬ。私が死んだら、自由に生きなさい」


 凍り付いたような無表情で、彼女はそんなことを言う。

 僕はルシルの手に留まって、彼女の顔をじっと見上げていた。


 何かを言いたかった。

 でも、使い魔となったばかりの僕は、うまくルシルと意思疎通ができない。


 僕のくちばしから零れるのは、甲高い鳴き声だけだ。

 僕はその時、ルシルに何も言うことができなかった。




 ルシルが僕に頼んだ仕事は1つだけ。


「――リオを、守って」


 その名を口にするとき、ルシルの瞳はより悲しそうな色をまとった。


 僕はルシルの手から飛び立った。

 彼女の魔力をわけ与えられて、今まで一番――高く、遠くまで飛ぶことができた。




『リオ』を見つけた。


 ルシルが守りたい人。

 彼の後ろを飛んで行く。


 僕の仕事は、ルシルの目となって飛ぶことだけ。


 飛んでいる間、僕の胸はずっとざわついていた。


 ――ルシルは今、何をしている?


 向こうでは、何が起きてるのかな?


 僕からはわからない。


 ルシルとリンクしている僕は、時折、彼女の心の声が聞こえる。


『――そのまま。リオの後ろについて飛んで』


 その声は平坦で、何の感情もこめられていなかった。

 ルシルが何を考えているかわからない。


 リオは、不気味な魔法使いと戦っていた。

 魔法使いが呪文を唱える。


 その瞬間、ルシルの声が告げた。


『ココちゃん。リオを守って』


 僕はリオの前に飛び出す。すると、僕の体を介して、ルシルの魔法が発動した。

 魔法使いの呪文を、ルシルの魔法が妨害する。


 その途端、


 悲鳴が聞こえた。


 こっち側じゃない。

 ルシルの方からだ。


 何……!?

 ルシルの方では何が起こってるの?


『…………リオ……』


 聞こえてきたルシルの声。

 その声に、僕の心臓はぎゅっとしぼられたように痛くなった。


 悲しみと苦しみに満ちた声だった。



 それを皮切りに、ルシルの感情が僕の中にどんどんと流れてくる。



 ――まだ終わりたくない。

 ――リオに会いたい。

 ――リオを見ていたい。



 その瞬間、僕は理解した。

 ルシルはずっとその感情を押し殺していたんだ。


 その思いは誰にも知られることはなく、ずっとルシルの胸にあった。

 それを知っているのは僕だけ。


 僕はルシルの願いを汲んで、リオの方を見る。

 すると、ルシルの声は嬉しそうに少しだけ和らいだ。


『ありがとう。ココちゃん……』


 ルシルの声が、流れてくる感情が、どんどん遠ざかっていく。

 ルシルが最後に何かを言った。


 そして、僕の周りを魔法の力がとり囲んだ。

 契約解除の呪文――。

 これで僕の仕事は終わった。

 僕はルシルの使い魔ではなくなる。


 ……ルシル。


 僕は翼を羽ばたかせる。

 咄嗟にその光から逃げた。


 初めて会った時から、僕はルシルの瞳に魅入られていた。

 感情を殺したような表情――その中に、殺しきれなかったわずかな感情が宿っていた。

 それは、孤独と悲しみの色。


 ――僕と同じだ。


 ひとりでも平気なんて、嘘。

 ひとりが好きなんて、嘘。


 本当は誰かにそばにいてほしかった。


 ――ルシル。


 ひとりぼっちがおそろいの僕らなら、そばに寄り添えると思ったのに。


 僕は……もう少しだけ、ルシルのそばにいたかった。

 君の言葉に答えて、おしゃべりもしてみたかった。


 それなのに。






『私はもうすぐ死ぬ。私が死んだら、自由に生きなさい』





(自分が死ぬために……君は、僕と契約したの?)





 ◇




 ――ルシルが死んだ。




 それなのに僕はまだ、ルシルの使い魔のままだった。

 僕は契約解除を拒んだ。


 本当は、僕はひとりぼっちが嫌だった。

 だから、またひとりに戻ることが嫌だったんだ。


 ルシルはもういない。

 それでも、僕はルシルの使い魔でいることで、彼女との絆を残しておきたかった。彼女のことをずっと覚えていたかった。


 こんな僕にも、魔女の友達がいたんだって。

 そう思っていたかった。





 僕はリオを探した。

 ルシルの大切な人。ルシルが生きていたら、きっと彼がどうしているのか知りたいだろうと思ったから。


 彼を探すのは、大変だった。

 それもそのはず。

 リオは、外に出ていなかった。

 自分の部屋でずっと閉じこもっていたのだ。


 僕はその様子を窓の外から眺めていた。



 ……あれが、リオ……?



 その姿を見た時、僕は驚いた。

 魔法使いと戦っている時の彼は、勇ましくかっこよかった。

 顔付きも目元も優しげだったし、正義感にあふれた様子は生き生きとしていた。


 でも、今は……。

 まるで抜け殻のようになっている。


 部屋の隅に座りこんで、ぼんやりと宙を眺めているだけ。

 1日中、そうしていた。


 彼が小さく何かを呟いた。



『…………ルシル……』



 焦がれるような、後悔にまみれた声だった。

 その言葉が、僕の胸を震わせた。


 嬉しかった。ルシルの死を悲しんでくれる人が、僕以外にもいたことが。




 僕は木の実をリオへと運んだ。

 部屋の中には入れないから、窓の外にそっと置いた。

 こんこん、とくちばしで窓を叩いてみる。


 リオは気付いてはくれなかった。




 次の日も。

 また次の日も。



 僕は窓辺に木の実を運ぶ。

 そして、窓を叩いた。



 ――ルシルは最期の瞬間まで、あなたのことを考えていた。


 きっと、あなたがこうしていることを、ルシルは喜ばない。

 僕はそう考えた。


 ――あなたの気持ち、僕もわかる。


 ――でも、ルシルの最後の願いを僕だけが知っている。


 ――ルシルはあなたに生きてほしかったんだ。


 ――だから、お願い。外に出てきて。


 共感と、励まし。

 その気持ちを木の実に乗せて、僕は運んだ。



 雨の日も木の実を運ぶ。

 大きな鳥に木の実を奪われそうになった時は、必死で翼を動かして逃げた。


 そして、今日も僕は木の実を運ぶ。







 そうして、何日が経っただろうか。



 僕が木の実をくわえて、窓辺へと降り立った時。


 驚いた。


 窓際にはリオが立っていたから。

 彼は僕を見て、


「……君……だったのか」


 そう言いながら、窓を開ける。

 僕へとそっと手を伸ばしてきた。


 僕は木の実を落として、飛び立った。


「待ってくれ! ザカイアと戦った時……君は僕のそばにいなかった?」


 僕は答えずに、ぐんぐんと空の中を進んでいく。

 最後に少しだけ、彼の姿を振り返った。


 リオは僕が届けた木の実を手にとっていた。それをじっと見つめながら、目元を潤ませている。ぽとりと涙が一粒、木の実に落ちた。


「君は……ルシルの…………」


 彼は大事そうに木の実を抱えこむ。





 リオが外に出るようになった。

 彼はまるで別人のようになっていた。

 そこには以前のような、温かみのある眼差しも、優しげな表情もない。


 固く冷たい――でも、何かを決意したような瞳だった。




 彼はもう……きっと、大丈夫。




 その姿を見届けてから、僕は飛び去った。




 それからの僕は、ひとりで過ごした。

 他の鳥たちと群れる気にはならない。



 僕はひとりぼっちが嫌いな、ひとりぼっちの小鳥。



 だから、森の中じゃなくて、街の中で過ごすんだ。

 人の気配を感じて、人の営みを上空から眺めた。

 家族で過ごす人たちがいる。友人同士で過ごす人たちがいる。


 かつて友人だった魔女が今も生きていたなら……。

 きっと、僕とルシルも、あんな風に過ごせていたのかな……?




 そんなことを夢想しながら。




 ◇




 そうして、何年が経ったことだろう……。




 それは突然だった。


 ルシルの魔力……!?


 どうして?

 僕はその魔力を辿って、飛んだ。




 彼女は部屋の中で倒れていた。

 気を失っていて、目を覚ましたばかりなのか。ぼんやりとしている。

 体を起こして、辺りを見渡していた。



 姿がちがう。



 それでも、僕にはすぐにわかった。


 あれはルシルなんだと。

 僕は必死で窓をつついた。


 ルシルが気付いて、こちらへとやって来る。


 窓が開くと、僕は彼女の胸へと飛びこんだ。


「ルシル! ルシルだ!」

「ココちゃん……!?」


 ルシルは驚いたように僕を両手で抱きしめた。


 どうして、ルシルが戻って来たのか。

 どうして、姿が変わっちゃったのか。


 そんなこと、どうだっていい。


 ルシルともう一度で会えたんだから。




「ココちゃん……どうして!? 私と使い魔の契約……ちゃんと解除できなかったの? それに話せるようになってる……」

「僕……ルシルにどうしても言いたいことがあったんだ。それなのに、それを言う前に君がいなくなっちゃうから……」


 ルシルの手にすりすりと体を寄せながら、僕は言った。


「ルシル。あのね……」





 僕と同じ、ひとりぼっちが嫌いな、ひとりぼっちの彼女に。

 寂しそうな瞳の魔女に、僕がずっと伝えたかったこと。







 ――僕は、ずっと君の味方だよ。








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