8 灰色の空(レナード視点)
◆ ◇ ◆
マクルーア家は代々、優秀な魔導士を輩出している名家であった。
しかし、レナードは子供の頃から自分の家が大嫌いだった。
「我が家の名に恥じないように――」
それが母の口癖だった。
幼少期の頃から、レナードはありとあらゆる知識を詰めこまれた。外で遊ぶことは許されず、勉強するばかりの日々だった。
家の中で勉強していると、外の様子が気になった。家から離れたところには児童公園があり、レナードの自室から見えた。
晴れていると、外で遊ぶ子供たちでいっぱいだ。
楽しそうな顔で遊び回る、自分と同い年くらいの子供たち。
いつの頃からか、それを見るのが苦しくなって、レナードはカーテンを閉めるようになった。だけど、目に焼き付いた光景は離れない。このカーテンの向こう側では、子供たちがはしゃいでいる……そんな風に思うと苦しかった。
雨の日は、気持ちが楽になる。
公園に誰もいなくなるから。
母の期待に応えて、レナードは優秀な子供に育った。
何でもそつなくこなし、人当たりよく振る舞う。自分の笑顔は好感を持たれやすいらしい。そのことに気付いてからは、常に笑顔を絶やさないようにした。
本当は――何が楽しくて、何が嬉しいのか。自分は何が好きなのかもわからない。
そんなこととは無縁な生活を送ってきたから。
だから、表情では常に笑っていても、心は常に凍り付いているような状態だった。
12歳になって、魔法学校に通い出してからもそれは変わらない。
他の同級生とは話が合わなかった。彼らが楽しそうに笑っていても、それの何がおもしろいのかわからない。心はしーんと凪いでいるのに、レナードは周りに合わせて笑った。
人と話すことは苦手だった。
楽しい会話の内容なんて想像がつかない。
レナードにできる話は、幼少期からひたすら詰め込まれた知識を披露することだけだ。
女子はレナードの話を目を輝かせながら聞いていた。
「レナードくんすごい!」
「えー、知らなかったー!」
彼女たちが興味あるのはレナードのことだけで、会話の内容はどうでもよかったのだろう。それがすぐにわかって、レナードは会話することがつまらなかった。
――そんなある日、レナードは出会ったのだ。
「はい。彼の呪文は、キーノ・ミロです」
「くっ……正解だ」
意地悪な質問だ。聞いた瞬間、レナードはそう思った。「歴史上の人物の固有呪文を答えてみろ」という、マニアックな問題である。
しかし、教師に当てられた生徒――ルシルは難なく正解を言い当てた。
今の問題はそうとう魔法や歴史に興味を持っていなければ、答えることはできないはず。
レナードは彼女に興味を抱いた。
そして、ルシルと話すようになり、
「リオ、あの論文はもう読んだ?」
「もちろんだよ。魔法の起源についての新たな仮説……興味深かったね」
「私、思ったんだけど、あの論文に書かれていたことって……」
ルシルは魔法が好きなのだ。話していればそれがよくわかる。魔法について話す時、目が生き生きと輝いている。
彼女はレナードの話を興味深そうに聞くだけでなく、「こうじゃないか」と自分の意見をぶつけてきた。
ルシルはレナードにとって、初めて対等に会話ができる相手だった。
――楽しい。
友人と過ごすことが、誰かと話すことがこんなに楽しいことだったなんて、ルシルと出会うまで知らなかった。
もっと彼女と話したい。一緒に過ごしたい。自然とそう思うようになっていた。
そのうち、レナードはルシルと放課後、図書館で一緒に勉強をするようになった。
雨の日は最高だ。
ルシルが外に出かけないで、ずっと図書館にいてくれるから。
「……僕、雨が好きなんだ」
雨音を聞きながら、レナードはそう言った。
すると、ルシルはにっこりと笑って、答えた。
「私も好きよ」
雨雲が立ちこめて暗い空。その下でほほ笑んだ彼女は、まるで太陽のように見えた。
その笑顔にしばらく見惚れてから――レナードは自分が恋をしていることに気付いた。
◇
ルシルに、妙な噂が付きまとうようになった。
女子生徒に魔法をかけて、殺しかけたのだという。
その噂を聞いた時、レナードは何かの間違いだと思った。
しかし、ルシルに話しかけようとしても、彼女はレナードを避けるようにしている。遠目から見えた表情は、何かに思いつめている様子だった。
放課後、何とかルシルを捕まえて尋ねてみる。
「ルシル。何があったのか、僕に話して」
しかし、次の瞬間、彼女に突き飛ばされていた。
「やめて! 私に触らないで! もう、あなたには関わりたくないの!」
怒ったような表情。だけど、その裏に垣間見える、切なそうな色。
――まるで本当は、泣いているかのように見えた。
「ルシル……」
ルシルは逃げるようにその場を去っていく。
彼女が見せた表情が、頭に焼き付いて離れなかった。
ルシルはやがて学校に来なくなった。
レナードが次に彼女の姿を見ることができたのは、紙面でのことだった。
『騎士が襲撃される! 謎の黒い魔法士軍団!』
その記事には、黒い装いをした魔法士が何人も載っている。そのうちの1人の顔を見て、レナードの心臓は大きく跳ねた。
(ルシル……。どうして……)
その魔法士たちは各地で事件を起こした。
やがて、彼らをまとめているのがザカイアという男であると報道される。
彼らは
そのうちザカイアに続いて、名前を知られるようになる人物が現れた。
それがルシルだった。
『悪魔のような女、ルシル・リーヴィス! 即死魔法によって被害が拡大!』
ルシルが唱えるという即死呪文。
そして、「
「ねえ……ニュースに出てたルシルって人、昔はこの学校に通っていたらしいよ。リリアン先輩が彼女に呪いをかけられたことがあるんだって」
「えー、怖い!」
学校でもそんな噂話がしょっちゅう聞こえてきた。
その度にレナードは心を痛めていた。
(ちがう……! ルシルはそんな女性じゃない……。これは何かの間違いだ)
そんなある日のことだった。
――その日も雨が降っていた。
図書館で勉強していたレナードは、窓の外に目を向ける。
それに気付いた。
魔法の光によって作られた、鳥。それが窓際に留まっている。
レナードと目が合うと、飛び立って、空中で停滞した。まるでこちらを誘っているかのように。
レナードは慌てて外へと出た。光で作られた鳥は、レナードを案内するようにどこかへと飛んで行く。
その鳥を追いかけて、レナードは森の中へと入った。森の中は川が通っていて、湖がある。鳥がやって来たのは湖の畔だ。
岩陰――雨で濡れないように、大きな草が傘を作っている。そこに1枚の紙が置かれていた。
レナードをそこまで案内すると、鳥は霧散するように消えていった。
(これは……? 魔法の手順……?)
紙に目を通す。そこには、ある魔法の使い方が書かれていた。
「――グリ・ラノス」
「おお、まさか……!?」
「生き返った! 息を吹き返したぞ!!」
レナードが魔法を使うと、死んでいたはずの人間が蘇った。
その奇跡に周囲はわっと沸いている。
だが……レナードは唖然としていた。
その魔法の真実に気付いたからだ。
――ちがう。自分が蘇らせたわけじゃない。
これは復活魔法じゃない。自分が奇跡を起こしているわけじゃない。
この魔法は、ある魔法を解除しているだけに過ぎない。
レナードが蘇らせたのは、闇纏いの襲撃によって命を落とした騎士たちだった。だが、すべての騎士が蘇ったわけではない。レナードの魔法は、効果が出る人間と出ない人間に分かれていた。
効果が出ないのは、呪いによって全身が焼け焦げていたり、体が爆散していたりする死体だった。
周囲はそれを「損傷が激しい死体には効かないのだろう」と納得していた。
(――そうじゃない。この魔法は、本当の死人は生き返らせることはできないんだ……)
この魔法の効果が出るのは、ルシルの即死魔法を受けた人間だけだった。
(そうか……即死魔法じゃないんだ。あれは……)
死んだように見せかけているだけだ。そして、レナードの使った魔法によって、仮死状態を解いて、あたかも復活したかのように見せかけているだけなのだ。
ルシルは誰も殺してない。それどころか――ザカイアに呪われるよりも先に、ルシルが魔法をかけることで彼らを守っていたということになる。
それに気付いた瞬間、レナードは涙が出るくらいに嬉しかった。
ルシルは悪に染まったわけじゃない。ザカイアのそばにいるのは、何か考えがあってのことなのだろう。
「それにしても、忌々しい女だ……! あの女のせいで、どれだけの被害が出たことか!!」
「…………っ!」
その言葉に反論しようとして、レナードは唇を噛みしめた。
本当はちがうと言いたい……!
ルシルは誰も殺していないのだと教えたい……!
だが、ルシルが訳あって、ザカイアのそばにいるのなら……。
あの魔法を作ったことによって、ルシルはザカイアの信頼を得たのだろう。そのからくりをレナードが暴露するわけにはいかない。あの魔法が本当は即死魔法ではないのだとザカイアの耳に入れば、ルシルはただでは済まない。
だから、レナードは騎士たちの前で口をつぐんだ。彼女を悪く言う言葉が耳に入る度に、心臓から血が吹き出そうなほどの痛みを覚えながら。
(ルシル……。君を信じる。僕は、今、自分にできることをやるよ)
ルシルがレナードを信頼して、この魔法をたくしてくれたのなら。
その信頼に応えたかった。
それにもし、ルシルが戻って来た時のために、彼女にとって不利な状況は作りたくない。
いつの日か、ルシルの無実を晴らすのだと決意して。
その時に「彼女は誰も殺していないんです!」と堂々と言えるように。
レナードは犠牲者の治療を続けた。それによって世間から持ち上げられて、「英雄」と呼ばれるようになっていたが、そんなことはどうでもよかった。
だって、レナードは知っている。
真の英雄は自分じゃない。皆を助けているのは、本当はルシルなのだと。
◇
レナードは学生の身分ながら、騎士たちに協力を要請されるようになっていた。
その頃のレナードは希望を持ち続けていた。
ルシルがザカイアに忠誠を誓っていないとわかったことで、いつの日か彼女が戻って来ると信じていられたからだ。
彼はザカイア討伐に燃えるようになっていた。
ザカイアさえ倒せば、ルシルは戻ってくる。そうすれば、また彼女の隣にいられる。彼女と話ができる。
――ルシルの笑顔を見たい。
しばらく会っていないせいで、彼女の笑顔よりも、最後に見た泣きそうな表情の方が頭に浮かぶようになっていた。
そして――運命の日。『夜明けの聖戦』。
レナードはザカイアにおびき出され、果たし合いをした。
結果はレナードの勝利だった。
(勝った……! これで、ルシルは助かる……!)
全速力で箒を飛ばすレナードの手は震えていた。勝利の余韻とこれでルシルが助かるのだという歓喜で、叫び出したいくらいの興奮に包まれていた。
街に到着したレナードを出迎えたのは、赤々と燃える炎だった。
騎士団の前にある広場――。
そこで何かが焼かれている。
騎士たちはザカイアの死を知ると、快哉を上げた。盛り上がる周囲の気持ちには同調できず、レナードは焦っていた。
「他の闇纏いたちは!? 今、どこに!?」
騎士たちは笑顔で、炎を指さした。
彼らは騒ぎ続けている。歓喜の声も、沸き立つ場の雰囲気も――今のレナードにとっては、ただの騒音にしか聞こえなかった。
「………………え……?」
レナードは始め、彼らが何を言っているのか理解できなかった。
よろけながら、炎へと近付いていく。
勝利の炎は、大きく、高々と燃えている。その中に――黒いローブの端切れが見えた。
その瞬間、レナードは何が起きたのかを悟った。悟ったと同時に、叫び出した。
「あ……あああああ! ルシル……! ルシルっ!」
炎の中に飛びこもうとしたレナードを騎士が押さえこむ。レナードは暴れて、その騎士の頬を殴りつけた。
「何で! 何で殺した……!? ルシルは、誰も殺してない!! 殺してないんだ――ッ!」
その日――レナードは魔法を暴発させ、多くの騎士たちに怪我を負わせた。
騎士たちを負傷させた罪で、レナードは謹慎処分となっていた。法的に罪を問われなかったのは、彼の功績を認められてのことだった。
寮での謹慎期間中――。
彼は抜け殻のようになっていた。
もう、すべてがどうでもいい……。
ザカイアを倒したかったのは、ルシルを助けたかったからだ。また彼女の隣にいられるようになるのなら、何でもするつもりだった。
しかし――自分がザカイアを殺したことで、ルシルも死んだ。
(ルシル……! 君は初めから死ぬつもりだったのか……? 僕は……どうすればよかったんだ……)
連日のニュースはレナードの耳にも入っていた。
ザカイアの死――ルシルの死――それを世間は喜んでいる。
本当はザカイアの呪いから皆を守っていたのはルシルなのに。ザカイアを倒したのも、ルシルの補佐があったからなのに。
皆はそれを知らない。
ルシルは稀代の悪女だと誰もが思っている。
(……ちがう……! ルシルは、誰も傷付けてない……!)
レナードが数日後、部屋から出ることができたのは、ある決意を胸に宿したからだった。
彼が向かったのは騎士団だ。治療室では多くの騎士が横たわっていた。彼らはルシルの魔法を受けて、仮死状態となっている。
その姿をレナードは見渡していた。
感情が抜け落ちて、氷のような無表情になっていた。
――被害に遭った騎士たちも。世界がどうなろうとどうでもいい。
そんな風に無気力になっていた彼は、それでも、ある決意を瞳に灯していた。
(ルシル……君は悪いことをしていない……。君のせいで死んだなんて言わせない。彼らは1人残らず、僕が助ける)
ルシルのことを頭に思い浮かべるだけで、胸が裂けそうなほどに痛みを訴える。その痛みを抱えこんで、レナードは目を閉じる。
(……どうして君は、何も言わずに僕の前から去って行ったんだ……。できることなら、伝えたかった。君が大好きだったんだ。ルシル、君は僕の光だった。僕はこれからも一生……)
レナードはその想いを胸に宿し、呪文を唱える。
「
手から光があふれる。その光が騎士たちの体を優しく包みこんだ。
◆ ◇ ◆
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