7 黒き王は蘇る

 ケイリーはしばらく呆然としていた。

 やがて、悪い夢を否定するように叫び出す。


「ルシル様が、ザカイア様の配下ではない……!? 嘘よ、嘘……! そんなこと、ありえないわ!!」


 暴れ出そうとする彼女を押さえつけながら、レナードは静かに告げた。


「たとえお前が信じなくても、世界が信じなくても――俺は信じ続ける。彼女のことを」


 その間もルシルは動き続けていた。人質にされていたクラリーナを助け出すと、掌を魔法陣へと向ける。


「タナト・フェロウ」


 人柱にされていた、3人の闇纏いたちに向けた呪文だ。彼らの拘束が解かれて、魔法陣から弾き出される。離れたところで3人の体を降ろした。


 ケイリーは蒼白になって、ルシルを見る。ルシルが復活の儀式を邪魔したことで、ようやく彼女も実感が湧いたようだ。ルシルが自分の味方でないということを。

 ルシルはケイリーと向き直ると、きっぱりと言った。


「ザカイアを復活させるなんて、そんなことさせないわ。あいつはこの世に存在してはいけない男なのよ」

「なぁ……っ」


 ケイリーはわなわなと震えてから、がっくりと項垂れた。


「ふふ……ふふふ……。計画は、上手くいっていたと思っていたのに……まさか頼りにしていたルシル様が……! まさかあなたに、裏切られるだなんて……。これじゃあ、あなたの魂を冥界から呼び寄せた甲斐がないわ……」

「ケイリー。あなたは私を呼び戻すために、罪のない新人騎士……アンジェリカの命を犠牲にしたのね」

「私は強要した覚えはない。すべては彼女の意志だった。アンジェリカ・ブラウン……またの名を、アンジェリカ・ハザリー。彼女は生粋の闇纏いだったのだから」

「ハザリー……?」


 聞き覚えのある名前に、ルシルは眉を寄せる。


「まさか、ロイスダール・ハザリー……!?」


 かつての魔法学校の教師。そして、ルシルを闇魔法の道へと引きずりこんだ、張本人だ。


「そうよ。アンジェリカは、ロイスダール様の娘……。ロイスダール様の意志を継いで、ザカイア様とルシル様の復活のために、彼女は自ら望んで命を投げ出したわ」


 ケイリーは顔を上げると、高説を垂れるかのごとく声を張り上げた。


「忌まわしき『夜明けの聖戦』……ザカイア様だけじゃなく、当時、多くの闇纏いが命を落とした。だけど、ザカイア様の高潔な思想はなくならない。こうして、私や、アンジェリカの下に受け継がれて、今も存在し続けるのよ」


 彼女はそこで、切なそうに目を潤ませる。


「ああ、お許しください、ザカイア様……。計画に綻びが生じてしまったこと。そして――あなた様の崇高な魂を、このような不完全な器に降ろしてしまうことを!!」

「…………っ、だめ……!」


 いち早く異変に気付いたのはルシルだった。

 しかし、止めるよりも早く、その呪文は紡がれる。


「ジルア・セーア!!」


 次の瞬間、魔法陣に闇色の光が灯った。逆流する滝のように一気に迸り、もやが立ち上がる。そのもやがケイリーの体を包みこんだ。


「リオ、彼女から離れて!!」


 ルシルが叫んだのと、


「――メリス・ティア」


 レナードが唱えたのは同時だった。


 光が収束し、一瞬の静寂――直後、大爆発が起こる。


 ルシルは咄嗟に目を閉じる。ケイリーを中心にして突風が吹きつけ、服がバタバタと大きく煽られた。

 ルシルは目を開いて、唖然とする。自分を守るように結界が展開されている。そのおかげで、ルシルは無傷だった。


 ハッとして、辺りを見渡す。


 離れたところで、レナードが自身の腕を押さえている。ケイリーのそばにいた彼は、咄嗟に彼女から距離をとった様子だが、避難が間に合わず、爆破に巻きこまれてしまったようだ。左腕が焼け焦げている。

 先ほどレナードが唱えた呪文は、ルシルへの結界だったのだ。


 ――どうして、より危険な場所にいた自分ではなく、離れたところにいたルシルを守ったのか。


「リオ……! タナト・フェロウ!」


 ルシルは慌ててレナードに駆け寄ると、回復魔法を唱えた。淡い光がレナードの腕を包みこみ、傷口をふさいでいく。


「どうして自分に結界を張らないの!?」

「――君を傷付けさせない。もう二度と」


 レナードはルシルの姿を見て、こちらが無傷なことがわかるとホッとした様子を見せる。


「俺が何年、後悔し続けてきたと思っている。今度こそ、あの時言った言葉を守らせてくれ。君のことは、必ず俺が守る」


 真っすぐな瞳で言われて、ルシルはこんな状況だというのに恥ずかしくなってしまった。レナードの氷のような態度はいつの間にか溶けていて、昔のような優しげな視線を向けられる。

 そうするとルシルの胸は、ぐっ、と苦しくなって、何も言えなくなってしまうのだった。


 レナードはルシルを庇う立ち位置につくと、魔法陣の中心部へ視線を寄せる。


「成功したのか……? 本当にザカイアが?」

「本来の儀式には、生贄が必要になるはず。その過程を省いたのだから、不完全な結果になるわ」


 爆発の余波で、魔法陣の中は黒い煙が充満している。ケイリーの姿は見えなかった。


 いや、ちがう――!


 ルシルはすぐにそれが勘違いだと気付いた。

 ケイリーが見えないのではない。姿が変わっていたので、彼女だと認識できないだけだった。


 ケイリーは魔法陣の中心に佇んでいた。


 ただし、彼女の体は全身が黒いもやに覆われていて、原型が見えなくなっている。人ではなく、亡霊のような姿となっていた。目にあたる部分が大きく裂けて、常に怒っているような三角形を描いている。


 空洞となった口が、ゆらゆらと蠢いていた。


「うう…………あぁぁ、…………ああ」


 何かを言っている。しかし、言葉にはならない様子だった。


(……話せない……? やっぱり、儀式は失敗してる……! 今なら、ザカイアを……!)


 ルシルはザカイアに向けて、魔法を放とうとする。

 だが、その直前で――。


「ひひ……ああ、ザカイア様! あなた様にお会いできて光栄です!! このダリオス、あなた様に心から忠誠を……」


 魔法陣へと飛び込んで行ったのは、ダリオスだ。彼は床に額を叩きつける勢いで、平身低頭する。

 ザカイアの目がダリオスへと向けられる。

 そして、彼は大きく口を開いた。


あああ゛ぁああ゛あァニクス・ヘプタぁぁぁ!!」


 獣性にまみれた慟哭。だが、意味をなさない咆哮には、確かに呪文が乗せられていた。

 ザカイアの体から闇が立ち上がり、ダリオスを呑みこむ。


「ひぃ……!?」


 その悲鳴すら、闇の中へと消えていった。

 しゅううう……何かが燃焼するような音に続いて、ザカイアを包んでいたもやが形を変える。少しだけ人の輪郭に近付いた。


 未だに化け物じみた姿は変わらないが、先ほどよりは顔や手足の形がはっきりとわかるようになっている。

 ザカイアは自分の手に視線を落とす。


「おお゛……この体……、馴染んで、きた……」


 ざりざりと何かがこすれるような耳障りな声だが……言葉になっている!

 そこでルシルは今、何が起こっているのかを悟った。


「まさか、自分で生贄を……!? あいつ、このまま儀式を続行するつもりよ!」


 ザカイアの体がゆらりと揺れて、何かを探すように首を回す。その視線が、屋上で倒れているリリアン、ポリーナへと向けられた。


 もし彼女たちまでザカイアにとりこまれたら――その時、本当に黒き王は復活してしまう。

 そう思い至ると同時にルシルは走り出そうとしていた。それをレナードが押しとどめる。


「ルシル、君は下がってろ」

「でも! このままじゃ、ザカイアが……!」

「君を戦わせたくないんだ」


 彼はルシルへと真摯な瞳を向ける。その眼差しには少しだけ、切なそうな色がこめられていた。

 ルシルの腕をつかむ手に力がこもる。


「叶うのなら……もう二度と離れないように、君をどこかに閉じこめてしまいたい」


 その声にはこちらの胸を打つほど、切実な祈りが込められていた。ルシルはハッとしてから、口をつぐむ。


「リオ……」


 レナードと目を合わせる。見つめ合ったのは数秒だけ。

 ルシルはすぐに勝気な笑みを口元に乗せると、レナードの手を振り払った。


「やってみなさい。私を閉じこめておける空間が、この世に存在するのならね! タナト・フェロウ――!」


 言下に魔法を唱えて、箒を出現させる。そして、ルシルはレナードの下から飛び出していった。






 ルシルがあっさりと自分のそばから離れていったことに、レナードは呆気にとられる。

 悔しそうな様子は半分――もう半分は、『こうなることはわかっていた』という様子で、彼はほほ笑む。


「……君はそういう女性だったな」


 すぐに気持ちを切り替えたように、レナードは箒に乗る。そして、ルシルを追いかけるため空へと飛び出した。




 もう二度と彼女を傷付けさせない。

 今度こそ、ルシルを守ってみせる。

 そんな決意を胸に宿して。



+ + +


ケイリーの呪文:ジルア・セーア

意味→あなたのために

もちろん、あなた=ザカイアです。

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