6 タナト・フェロウ


 ルシルが考案した、即死呪文。

 それをザカイアは気に入っていた。


 しかし――ある日、彼は気付いた。

 その呪文が完璧ではないことに。


「どういうことだ。ルシルの呪文で、確かに葬ったはず……」


 ザカイアは荒れていた。彼の手には、新聞が握られている。そこに記載されている記事。


黒き王コンダクターの襲撃!』


 大きな見出しに続いて、記事はこう報じている。


『しかし、天才少年の功績によって、被害者は皆、命を吹き返す! 奇跡――犠牲者ゼロ!!』


 記事には、レナードの顔が載っている。その紙面をザカイアは握りつぶした。レナードの顔がぐしゃぐしゃに歪んでいくのを見ても、ルシルは表情1つ変えなかった。

 凍て付いた瞳でザカイアを見続けている。


 その頃――『忠義の証』を身に宿したザカイアの配下は、30人を超えていた。学校の地下室に潜伏し続けることが難しくなり、拠点を別に移していた。

 闇纏いノクターナルたちは普段、一般社会にまぎれている。ザカイアが証に合図を送ることで、廃墟に集まる決まりとなっていた。


 その頃、ルシルはまだシルエラ魔法学校に在籍していたが――授業には出席せず、学校にも行っていなかった。そのため、レナードと顔を合わせる機会はない。新聞の紙面で久しぶりに見たレナードは、記憶の中のものよりも大人っぽく成長していた。

 そんな彼の写真から、ルシルは興味がなさそうに視線を逸らす。


 ザカイアは怒りが収まらない様子で、新聞を投げ捨てた。


「奇跡の復活呪文だと? 何と、忌々しい……」


 ザカイアの機嫌は低下していくばかりで、底を突き抜けそうな勢いだ。彼の手付きを見れば、一目でわかる。彼が持つ指揮棒は激しく揺れて、狂想曲を演奏している。


「ザカイア様」


 ザカイアに声をかけたのは、ロイスダールだった。


「報道によれば、即死魔法を打ち破る忌々しい呪文……それは、マクルーア家の少年にしか使えないとのこと! しかし、それは逆に考えれば、彼さえいなくなれば……」


 その言葉を聞くと、ザカイアは途端に機嫌を持ち直した。


「ああ、その通りだ……。英雄などと持ち上げられてはいるが、所詮、ただの小僧よ。この小僧には思い知らせてやらねばならない! 弦を弾けば、音が生まれる。それが不協和音であれば、調和は乱れる。ならば――その弦を、断ち切ってやらねば」


 ルシルは瞳に暗い感情を宿す。

 遅かれ早かれ……こうなることはわかっていた。その感情をルシルは押し殺すと、


「ザカイア様」


 と声をかける。


 その頃、ルシルは常に無表情で過ごしていた。

 だが、ザカイアの前でだけはうっすらと唇をつり上げて、微笑を湛えていた。ルシルは彼にほほ笑みかけながら、言葉を続ける。


「私に――作戦があります」



 ◇



 その鳥を選んだことに、大した理由はない。

 ただ、他の群れからはぐれて1羽だけ、寂しそうに木に留まっていたから――。そのことに少しだけ親近感を覚えたというだけの話だ。


 ルシルの掌の上で、魔法陣が展開する。その魔法陣が浮上して、鳥の体を通り抜けていった。

 すると、その鳥はふるふると首を震わせて、ルシルを見上げる。


「こんにちは。今日からあなたは私の使い魔よ」


 小鳥は不思議そうにルシルを見続ける。ぱちぱちと瞬きをするのが可愛らしい。

 でも、どれだけ可愛いと思っても、ルシルの凍りついた表情はぴくりともしない。心を押し殺すことに慣れすぎてしまったのだ。

 ルシルは淡々とした口調で、小鳥に語りかける。


「でも、初めに言っておくわね。あなたとは長く契約するつもりはないの」


 静かに目を閉じた。


 暗闇の中に浮かんだもの――先ほど見た新聞紙の残影だろうか。もっとよく見ておけばよかったと思った。うまく思い出せない。ルシルが脳裏に思い浮かべることができるのは、まだ低学年の頃の、あどけなさが残る彼の姿だけだ。


 その残像を振り切るように、ルシルは目を開ける。視界に小鳥の姿を映して、告げた。


「私はもうすぐ死ぬ。私が死んだら、自由に生きなさい」



 ◇



『夜明けの聖戦』――。


 のちにそう呼ばれることになる、運命の日。

 ルシルや他の闇纏いノクターナルたちは、ザカイアとは別行動をとっていた。彼らの仕事は騎士団の襲撃。しかし、それは真の目的ではない。


 ルシルたちが行うのは陽動だった。その間に、ザカイアは本当の目的を達成する。


 ――英雄レナード・マクルーアを葬り去るために。


 作戦の前に、ルシルは使い魔――ココに魔法をかけた。


「タナト・フェロウ」


 呪文に合わせて、淡い波動のようなものがココに降り注ぐ。すると、ココの白い羽根は、漆黒の色に染まった。

 ルシルは掌を丸めて、ココを包みこむようにする。祈るようにその体を抱きしめてから、


「お願い……ココちゃん。リオを、助けて」


 弾みをつけて、ココを空へと解き放つ。

 ココが見る見ると小さくなって、蒼穹に紛れていくのをルシルはずっと見守っていた。


 ココが見えなくなると、ルシルは黒いローブに袖を通す。フードを目深にかぶり、闇纏いの装いとなった。


 箒をとり出して、自分も空へと浮かぶ。高度を上げると、地平線に太陽が沈みかけている光景が見えた。


 ――もうすぐ、日は暮れる。



 ◇



 ランドゥ・シティ――上空。

 闇纏いたちは、騎士団と衝突していた。


「タナト・フェロウ――!」


 ルシルの呪文が空に響く。闇色の弾が放たれ、騎士たちを撃ち抜いた。着弾と同時に体は硬直し、騎士は落下していく。


「気を付けろ! ルシルの呪文は、食らったら死ぬぞ!」


 騎士たちはルシルを警戒するように、散開していく。ルシルは注目を集めるように、大きな声で笑った。


「あは! あはははは! 騎士の連中って大したことないのねぇ……まるで飛び回るだけのハエみたい!」


 その日――ルシルは、自然と笑うことができた。次々と体の奥から歓喜が湧き起こって、笑い続けた。


 悪女の不気味な哄笑。そして、少しでもかすれば即死する、悪魔の呪文。


 騎士たちは怯えたように、ルシルから距離をとる。そんな彼らを箒で追いかけながら、ルシルは次々と魔法を撃ち出した。


「さあ! さあ! 止めてごらんなさい! 命知らずの馬鹿は、どいつかしらぁ!? タナト・フェロウ――!!」


 ああ、楽しい。

 嬉しくて、仕方ない。


 ルシルの体を歓喜で震わせているのは、片目に映る、もう1つの視界。そちらの視界が映すのは、深い森の中だった。

 箒に乗った少年を後ろから追いかけるように、飛んでいる小鳥――その視界とルシルは同期していた。


 新聞で見た時は何も感じなかった。

 しかし、ココの視界を通して見たレナードの姿に、ルシルは胸を震わせた。


(リオ……ごめんね。巻きこんで……)


 つんと目の奥が刺激される感覚。

 それを無視して、ルシルは笑い続けた。


「黎明騎士団の実力は、この程度なのかしら!? タナト・フェロウ――!」


 またもやルシルの呪文に撃ち抜かれ、騎士が1人、落下していく。

 それを片目で捉えながら、もう片方の目では、レナードが地面に降り立つのが見えた。


(あなたに、あの魔法をたくしてしまったせいで、ザカイアに狙われてしまった……)


 ココが高度を上げて、レナードを見守る位置を保つ。視界が揺れて――正面が映った。レナードと対峙する人間。


 ザカイア・キングストン――!


 その姿が映ると、ルシルは歓喜のあまり瞳孔を開いた。


(だけど……! あなたは絶対に死なせない!! あなたのことは、私が守るから……)


 ルシルは箒で立ち上がる。両手を広げて、より多くの騎士たちの目を集めるように――彼らを煽った。


「あなたたちが憎くてたまらない女――ルシル・リーヴィスは、ここにいるわよ! さあ、よく狙って! 殺してみなさい! あははははは! タナト・フェロウ――!」


 挑発に乗って飛んできた騎士たちを、即死呪文で返り討ちにしていく。次々と落下していく騎士たちを見ながら、ルシルはもう1つの目で、別の戦いを見守っていた。


 ザカイアが興奮した手付きで、指揮棒を振っている。


「貴様の血で、フィナーレを飾ろうではないか! ニクス・ヘプタ!!」


 その瞬間、レナードに大量の鳥が襲いかかった。

 それは予め、ザカイアの指示によって待機を命じられていた使い魔たちだ。

 闇纏いたちは自分の使い魔を彼のために提供した。ザカイアがもっとも好む、黒い鳥たち。その中にココは混ざっていた。


 ザカイアの呪文と共に、鳥たちの体が変化していく。

 闇魔法『変貌』。

 レナードのもっとも近くにいた鳥が、『変貌』しながら襲いかかった。


 ココは鳥の群れに紛れて飛んでいた。

 視界が揺れて、ザカイアの姿を映す。

 ザカイアが笑っている。その目は自分の勝利を確信して、輝いていた。


 ――ああ――!


 その姿を映して、ルシルは歓喜に沸いた。


 この瞬間を、待っていた!


 心を殺したはずのルシルが、消すことができなかった感情。だから、彼女はザカイアの前では常に微笑を浮かべていた。

 嬉しくてたまらない。


 それは――。

 この瞬間を待ち望んでいたから――!


 ルシルは心の中で、ココに命じる。視界が大きく揺れた。ココが急降下して、レナードの前に飛び出す。

 その瞬間、ルシルはありったけの感情を乗せて、唱えた。




(ザカイア――!!)


タナト・フェロウ苦しんで死ね!!」




 残っていた魔力を全開放。

 ココの周囲に魔法陣が浮かんでいく。


 他の魔法に力を回す余裕がなくなって、ココにかけていた変装が解けた。

 黒い鳥の群れに交じった、1羽の白い鳥――。

 その鳥がレナードを守るように、魔法陣を展開していく。


 ザカイアの罠は不発。カラスたちは『変貌』せずに、その場で硬直している。その隙を逃さずに、


「グリ・ラノス――!」


 レナードの魔法がザカイアを貫いた。ザカイアの顔が苦痛に歪む瞬間を、ルシルは目に焼き付けてやるつもりだった。


 しかし、その瞬間――。


 ルシルの腕に激痛が走った。

『忠義の証』だ。


「あ……ああああああっ!」


 全身が引きちぎれるような、すさまじい苦痛。ルシルは腕を抱えこみながら、箒の上に崩れ落ちた。

 箒の制御が効かない。空を暴れ回るように飛んでいく。


『ザカイア様に逆らうことがあれば、その証があなたに苦痛を与えるでしょう。そして、もし、あなたがザカイア様を裏切るようなことがあれば――あなたは命を失う』


 ロイスダールの声が耳元で蘇る。

 彼の言っていたことは、本当だった。


 忠義の証がルシルの裏切りを糾弾するように、燃える――!


 燃えて、燃えて、激痛を走らせた。


 あまりの痛みで、ぼやけていく思考。

 その中でルシルが思い浮かべたのは、1人の少年だった。


(リオ……! ああ、私……最後まで言えなかった……)


 ――最後に、もう一度だけでも見たい。


 こちらの願いをすくいとるように、ココがそちらを向く。レナードは呆然とザカイアの死を眺めていた。まだ自分の勝利を確信できていないという感じだ。

 その顔を、その姿を、目に焼き付けながら、ルシルは胸中で思いを吐き出した。


(そばにいてくれて、ありがとう。私と仲良くしてくれて、ありがとう)


 ココの視界が安定しない。

 途切れて、つながって、また途切れて――。


 ルシルの魔法が解けかかっているのだ。もうすぐココの視界と同期が切れて、この光景も見えなくなるだろう。

 だけど、最期の瞬間まで、ルシルはその光景を見ていたいと思った。


 こちら側では、騎士たちが騒いでいる。


『ルシルが倒れたぞ! 今がチャンスだ! 彼女を討ちとれ――!』


 魔法の音、箒が接近してくる音――。


 次の瞬間にでも、ルシルは彼らの魔法によって撃ち抜かれるだろう。それがわかっていてもルシルの意識はほとんどこちら側には向けられず、彼女はココの視界を見続けていた。


 レナードが何かに気付いたように、辺りを見渡している。

 その顔をルシルは見つめ続けた。




(私……あなたのことが、大好きだった……!)




 ココとの同期が切断される。

 ルシルの両目には何も映らなくなる。暗闇が彼女を包みこんだ。










 …………。





 ……………………。












「ばいばい……リオ」








 次の瞬間――ルシルの体は、騎士が撃ち出した魔法によって貫かれていた。








 ◆  ◇ ◆









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