5 増幅する殺意


 ルシルがザカイアに『忠義の証』を刻まれた、翌日――。

 学校に着くと、周囲がルシルを見る目が変わっていた。


 リリアンの呪いは解かれ、彼女は無事に目を覚ましていた。しかし、リリアンはルシルのことを怖がり、こんな噂を流すようになったのだ。


『ルシルに呪いをかけられたせいで、死にかけた』


 その噂は学校中に広まっていた。


「ねえ……あの子でしょ?」

「何かやばい魔法使うんだって……」

「怖い……」


 ルシルは、リリアンや女子たちから嫌がらせをされることはなくなった。その代わり、誰からも避けられるようになっていた。


 学校の廊下を歩くと、警戒するような視線を常に向けられる。ルシルと目が合うと、生徒たちはさっと顔を逸らして、その場を去っていく。


「ルシル!」


 名前を呼ばれて、ルシルはぴくりと肩を跳ねさせる。廊下を走ってやって来たのは、レナードだった。

 彼と目を合わせると、不思議と後ろめたい思いが湧き上がってきて、ルシルは苦しくなった。レナードの目を見れずに、顔を俯かせる。


「ああ、よかった。君と話したかったんだ。君……僕のことを避けているから。なかなか話せなくて……」

「私……話すこと、ない」


 彼の声を聞くと、じんわりとした感情が胸に広がって、泣きそうになる。

 そんな自分と向き合うことも嫌で、ルシルはその場を去ろうとした。


「待って、ルシル!」


 レナードが腕をつかんでくる。


「離して」

「いやだ。僕は、ルシルと話したい」


 嗚咽のようなものが、喉にこみ上げてくる。ルシルは咄嗟に叫んでいた。


「私に構わないで!!」


 レナードの腕を払うと、


「私ね、あなたのせいで女生徒から嫌がらせ受けてるの! あなたと仲良くすると、ろくなことにならないわ」


 そんなこと、本当は思っていないのに……。


 噴出する感情の波に呑まれて、余計なことまで口にしている。言っているうちに鼻の奥がつんとしてきて、泣きそうになっていた。


 そこでレナードの顔を見て――ルシルはハッとした。

 レナードは苦しそうに目元を歪めている。晴れやかな空色の瞳が――雨雲がかかったかのように、悲しみを湛えていた。


 次の瞬間、腕を引かれて、


「ルシル……ごめん」


 ルシルは息を呑んだ。


 ――抱きしめられている。


 暖かな体温に安心感を覚えて――同時に、ルシルの中の罪悪感をかき乱していく。


「君が何かに悩んでいるのを見て、力になろうとした。でも、きっと僕は十分じゃなかった……ごめん。守れなくて……傷付けてごめん」

「リオ……」


 こんなのは、ダメだ。

 ルシルはかすれた声を呑みこんだ。

 こんなことされたら、すがりつきたくなる。助けてって言いたくなる。


「これからは必ず君を守る。君を傷付けさせない。だから……ルシル。何があったのか、僕に話して」


 ルシルは震える指を伸ばした。レナードの服をつかもうとして――だけど、思い直して、拳を握る。

 次の瞬間、彼の体を突き飛ばしていた。


「やめて! 私に触らないで! もう、あなたには関わりたくないの!」


 これは虚勢だ。自分でもわかりきっていた。でも、それがたとえ虚勢だとしても――元の自分の皮を剥がして、かぶり直したそれは、ルシルの新しい顔となる。


(私は――ザカイアの配下になった。自分で望んだ結果ではなかったとしても。この腕に刻まれた証がある限り……)


 ザカイアに逆らうことはできない。自分は闇魔道士となったのだ。

 そう言い聞かせ、ルシルは表情を消す。


「――いい? これからは私に気安く話しかけないで」


 自分でもぞっとするほどに冷徹な声が、口から零れた。


「……ルシル……」


 レナードの困惑した声が追いかけてくる。彼の声を耳にすると、泣きたくなってしまう。その感情を押し殺すように、ルシルはザカイアの配下としての――悪女としての顔を保ち続けた。





 リリアンを助けてもらう代わりに、ルシルがザカイアに刻ませた刻印。


『忠義の証』――。


 それは日常生活のふとした時に、焼けつくような痛みを灯した。

 召集の合図だ。

 証が痛むと、ルシルは地下室へと向かった。





 その日、地下室に行くと、むせかえるほどの異臭が満ちていた。

 床に敷かれた魔法陣。その中心部に、鳥の死骸が落ちている。むごい死に方をしたことは一目でわかった。腹が裂け、血が飛び散っている。部屋中には黒い羽根が舞っていた。


 亡骸の横には、ザカイアが立っていた。彼は泣いている。泣きながら、その死体を眺めていた。


「見なさい。ルシル。新しい呪いだ。まるで腹に爆弾を抱えたかのように――すさまじかったよ。風船が破裂するみたいだった」


 ルシルはあまりの臭気に顔をしかめて、後ずさる。そして、あることに気付いた。

 鳥の死骸に――見覚えがあるということに。

 気付いた瞬間、背筋が凍りそうになった。


「それ……あなたの使い魔じゃ……?」


 先日まで、ザカイアが肩に乗せていたカラス。

 ザカイアはそのカラスをとても可愛がっていた。カラスの羽を撫でている時、慈しむような優しい目をしていたのだ。


 それなのに――。


 ザカイアは泣きながら膝をつく。そして、カラスの死骸をかき抱いた。


「ああ、可哀そうに……。何も、死ぬことはなかっただろうに……」


 ザカイアは、使い魔の死を嘆き悲しんでいる。その心に嘘はないのだろう。彼は本気で悲しんでいるのだ。

 ――自分が殺した、使い魔の死を。

 その様子を眺めながら、ルシルは思った。




(……死ね……)




 ルシルは心を殺した。

 そうしなければ、とても耐えられなかった。

 ザカイアのそばにいることも。彼の狂った言動を目の当たりにすることも。



 何も感じないように。何も考えないように。

 いつしか、ルシルの感情は凍り付いていた。

 ザカイアが新しい魔法の実験で、自分の使い魔を呪い殺しているのを見ても、何も感じなくなっていた。





「ルシル。お前は使い魔を持たないのか? 使い魔はとても素晴らしい。使い魔がそばにいてくれることで、心は満たされる。そして、ほら……こんなに愛らしいのだよ」

「私――動物は嫌いなの」


 つんとした表情で彼の誘いをかわしながら、心では別のことを考える。




(死ね……。早く死ね……)




「ああ、また愛していた存在が1つ失われてしまった……。まだ新しい使い魔を持ってから、1週間と経っていないのに……。こんなに早く死ぬことはなかったじゃないか。ああ、実に嘆かわしい……」


 ザカイアが魔法の実験で、使い魔を殺していても、ルシルは何も反応しなくなった。

 彼の様子を傍目に、本を読み続ける。クールな面持ちの裏では、別のことを考えていた。




(死ね……死ね……死ね……!)




「ルシル。お前はとても優秀だ。吞みこみが早い。私の同志よ。私は君のような優秀な魔導士を愛している」

「……はい。ありがとうございます。ザカイア様」


 表面上は嬉しそうに応じながら、ルシルは胸中で呪詛を吐き出した。





(ザカイア……! 苦しんで、死ねタナト・フェロウ……!)





 ザカイアの考案する呪いは、質の悪いものが多かった。

 相手にいかに苦痛を与えるか――。それに特化したものだったのだ。


 いつしか、ルシルは学校に通うよりも、地下室に通い詰めるようになった。そして、闇魔法について研究を始めた。

 寝る間も惜しんで、学校での勉学を投げ捨てて、闇魔法についてひたすら知識を詰めこんだ。


 ルシルの様子に、ロイスダールもザカイアも喜んだ。ルシルがようやく闇魔法のすばらしさを理解してくれた、と。




 そして――ルシルがザカイアと出会って、4年の時が過ぎた。

 ルシルは17歳になっていた。


「ザカイア様。ザカイア様のために、新しい魔法を考案しました」


 ルシルはその紙をザカイアに差し出す。微笑を口元に湛えながら、恭しく告げた。


「即死魔法です。この呪いを受けた者は――即座に死にます」

「おお。何と素晴らしい魔法だ、ルシル……! 私の同志よ」


 ザカイアは、ルシルの提供した魔法をすぐに気に入った。




 彼は最後まで気付かなかった。

 ルシルが用意した紙は、2枚存在したということを。

 そして、もう1枚の紙が別の人物に託されていたということを――。





 ◇




「いたぞ! 黒き王コンダクターと、その一味だ!」


 その日、ルシルたちは騎士に追われていた。


 ランドゥ・シティ――上空。箒で追走劇をくり広げている。

 1人の騎士が、ザカイアの箒に接近している。その様子をルシルは横目で眺めていた。ザカイアがローブの中で、指揮棒を握りしめている。


 魔法を――呪いを放つつもりだ。


 次の瞬間、彼よりも早くルシルは唱えていた。


「タナト・フェロウ!」


 ルシルの放った魔法が、騎士を撃ち抜く。すると、騎士はがくりと体を揺らして、箒から落ちていった。


「この呪文……気を付けろ! ルシル・リーヴィスだ!」


 騎士たちは警戒するように散開する。

 ルシルは大きな声を上げて、笑った。彼らの視線が――注意が自分に向くように。


「ザカイア様に楯突こうとする者は、死をもって償いなさい!」


 黒い霧が弾丸のように発射される。それぞれ別の場所を飛んでいた騎士たちを、同時に撃ち抜いた。騎士たちが落下していくと、


「すばらしい!!」


 ザカイアはルシルを褒めたたえた。


「美しい旋律だ、ルシル! これがお前が作り出した、即死魔法か! お前の呪文の意味ともぴったり合うではないか! 何と素晴らしいハーモニー! これこそが、最上の音楽だ!」

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