4 ザカイア・キングストン


 ◆  ◇ ◆





 ――13年前。





 ロイスダールにはめられたルシルは、ザカイアに引き合わされていた。


 光の届かない地下室。全身が黒いザカイアは暗闇に呑まれるどころか、まるで彼が闇を生み出す中心部のように見えた。

 不気味な風体だが、彼の面差しと瞳は優しい。穏やかな物腰もあって、ルシルは彼なら助けてくれるのではないかと思っていた。


「リリアンにかけた呪いを解きたいんです……! どうしたら、呪いは解けるんですか?」

「その前に、少しだけ……私の話を聞いてくれるかい」


 生徒に言い聞かせる教師のように、低く落ち着いた声だ。


「私が闇魔法を作った経緯だよ。ああ、この話を語るには、無音ではいけない。音楽が必要だ」


 ザカイアは黒いマントを翻して、奥の棚へと向かった。地下室は物置となっていて、様々な魔導具がごった返している。

 奥の棚には大量の楽譜やCDが収まっていた。ザカイアが音楽プレイヤーを起動すると、優雅な音楽が流れた。

 ルシルにとっても馴染みのある曲だった。有名なクラシック曲だ。


「あ、この曲……」

「知ってるのかね。そうだ。の有名な音楽家、アンブローズ・フォードが手がけたものだよ」


 ザカイアはその音楽に聞き入るように、目を閉じる。


「アンブローズは私の幼馴染で、親友だった。彼の作る曲は本当に素晴らしい。私は彼の作る音楽が大好きでね……」


 彼が目を開いた時、その瞳は悲しみに暮れていた。思わずドキッとするほどの、哀愁を漂わせている。


「この世には不快な音が多すぎる。君はそうは思わないか」

「え? えっと……?」

「アンブローズが死んだのも、その不快な音のせいだ」


 ザカイアは古ぼけた椅子を引いて、そこに腰かけた。彼の肩からカラスが飛び降りて、膝に乗る。ザカイアは優しい眼差しをカラスへと向ける。その羽をそっと撫でた。

 その瞳や手付き――動作の1つ1つに慈しみがあふれている。

 誰かを心から思っている、そんな様子だった。


 その感情が途端に悲しみに染まる。ザガイアはうつむいて、顔を手で覆った。


「あの……大丈夫ですか?」


 彼の哀愁に同調して、ルシルも胸が苦しくなってきた。室内に響く音楽も物悲しげなもので、よりその雰囲気を増長させている。


「すまない……。アンブローズの死が悲しくてね……。もう何十年も経っているのに、たまに彼のことを思い出して、こうして泣けてしまうんだ」


 ザカイアの目尻には涙が光っていた。

 涙を拭ってから、ザカイアはルシルを見つめる。


「君にも、友人はいるのかな?」

「あの……はい、います……」


 ルシルは胸元で手を握りながら頷いた。

 頭に浮かんだのは、レナードのことだった。そして、咄嗟に彼のことを考えてしまったことに気付いて、少し恥ずかしくなった。

 ザカイアは穏やかにほほ笑む。


「ああ、それなら大事にしなくては。親友の死というものは、とてつもない悲しみに胸が引き裂かれる。あんな経験、もう二度としたくないものだ……」

「その……アンブローズさんは……どうして、亡くなってしまったんですか?」

「この世に存在する、不協和音のせいだ」


 ザカイアの瞳は悲しみに続いて、怒りの感情に染まった。


「彼には婚約者がいた。だが……その婚約者は彼を裏切った。他の男と通じていたんだ。彼は絶望したよ。そして、二度と音楽を作ることができなくなった」


 ザカイアの両目から、涙が零れ落ちる。泣きながら彼は怒りを噴出させた。


「ああ、アンブローズ……! 若くして死ぬことはなかったのに……。彼の死が、私は悲しい……! そして、悔しいのだ。彼は類まれなる才能を持っていたのに、それをあんな不快な音によって踏み潰されてしまった。彼を追いつめたのは、裏切った婚約者だ! 彼女のような醜悪な人間こそ、この世の不協和音なのだ」


 むき出しにされた感情の爆発。

 怒りも、悲しみも。

 すべてをさらけ出す彼に引きずられて、ルシルの胸も痛みを訴えていた。


「私は今でも彼を、彼の作った音楽を愛している。そして、この世が、彼の作る音楽のような、優しい音色で満ちることを願っているのだよ」


 ルシルは何と言ったらいいのかわからない。だが、彼がアンブローズの死を心から悲しんでいる、それだけは理解できた。


「……その。素敵なことだと、思います」

「ああ、そうだろう。だが、その崇高なる大志をなすために、私1人だけでは手が足りない。私と共に、世界を作り上げてくれる同志を欲しているのだ」


 ザカイアは真っすぐルシルを見つめる。

 どうしていいのかわからなくなって、ルシルはロイスダールを振り返った。

 そして、ぎょっとした。


 ロイスダールは泣いていた。滂沱ぼうだの涙を流しながら、ルシルの両肩をつかむ。


「ルシルさん! あなたには才能があります! ザカイア様の作った闇魔法に適正があるのです!」

「えっと、先生……? ザカイアさん……」


 優しげな瞳でルシルを見つめているザカイア。そして、狂ったように泣いているロイスダール。

 2人に挟まれて、ルシルは困惑していた。


「その、私は……リリアンを助けてほしくて……。彼女にかけた呪いの解き方を知りたいんです……」


 ザカイアは穏やかに頷く。


「ああ、もちろん。君がそれを望むのなら教えよう。だが、君にお願いしたいことがある。呪いの解除法を教える代わりに、君には私の手伝いをしてほしい」

「えっと……」


 ルシルはためらった。

 このお願いには、即答してはいけない――直感的にそう感じとっていた。


 だが、リリアンを見捨てることもできない。彼女があんな目に遭ったのは、ルシルが彼女を呪ったからだ。

 どうにかして、リリアンにかけた呪いだけは解いてもらわなければいけない。


 どうすればいいの……? と、ルシルが頭を悩ませていると、ロイスダールがため息を吐いた。


「君が手伝ってくれないのならば、仕方ないですね。他の魔導士を当たるとしましょうか。たとえば、あのマクルーア家の子は優秀で、素晴らしい!!」


 その言葉はルシルの胸を突き刺した。


(マクルーア家……!? リオ……っ)


 それだけはダメだと強く思った。ルシルは咄嗟に口走っていた。


「あの、先生……! 私……やります」

「さあ、こちらに」


 優雅な手付きでザカイアは手を差し出した。ロイスダールが素早く動いて、床に積まれた魔導具を片付けていく。

 そこでルシルは初めて気付いた。地下室の床には大きな魔法陣が描かれていた。ザカイアはその中心部で、ルシルを待っている。


 恐る恐る、ルシルは彼に近付いた。

 ザカイアはルシルの肩に手を置くと、


「この日より、ルシル・リーヴィスは! 私の忠実なる同志となる!! ニクス・ヘプタ――!」


 呪文に呼応して、魔法陣が光り始める。闇色の光を灯した線は、影のもやを立ち上らせ、ルシルの全身を覆った。

 途端――焼けつくような痛みが、ルシルの右腕に走った。


「あ……っ、あああああああっ!!」


 すさまじい苦痛に貫かれ、ルシルはその場に膝をつく。腕を抱え、喚き散らした。


「痛いですか、ルシルさん。少しの辛抱です。これであなたはザカイア様の同志になれるのですから!」


 ロイスダールがルシルの前で、自分の袖をまくり上げる。右腕を掲げてみせた。


「私と同じ証を持つことで!」


 ルシルは目を見張る。彼の右腕に刻まれていたのは、記号ような刻印。それが黒く彼の肌に焼き付いていた。

 どういうこと? 思考をねじ伏せるほどの苦痛が、更に襲いかかってきた。


「いっ、あああああ――っ!」


 じゅううう……焼けるような音が肌から聞こえる。同時に、周りを包んでいた黒いもやは消えていった。

 ルシルは目から涙を零しながら、自分の腕を眺める。


 そこにはロイスダールと同じ――謎の刻印が刻まれていた。


「なに……っ! なにこれ……!?」

「『忠義の証』です。あなたはザカイア様に忠誠を誓ったのです! ザカイア様に逆らうことがあれば、その証があなたに苦痛を与えるでしょう。そして、もし、あなたがザカイア様を裏切るようなことがあれば……」


 ロイスダールがルシルの耳元で告げる。


「――あなたは命を失う」


 ルシルはようやく理解した。

 自分が刻ませてしまった証が、どんなものなのか。


「そんな……! そんなの、聞いてない! いや……! ああ……っ」


 咄嗟に放った、拒否の言葉。

 それを咎めるように、証が焼けつくように痛みをルシルに与える。


「いっ、いたい……!」


 痛い、痛い、痛い……!


 腕が焼け焦げてしまうかと思うほどの痛み。抗おうとすればするほど、痛みは増す。


 ダメ、痛い、痛い、このままじゃ死んじゃう――!


 その痛みがルシルの反抗の意志を抑えこんでいく。


 ――この痛みから逃れたい!


 それしか考えられなくなる。

 悪さをすれば、鞭を打たれる。そうしつけられた犬のように、ルシルの心はすぐに迎合した。


 この証を、今は受け入れるしかない――!


 すると、ようやくその痛みは引いていった。


 痛みはなくなったが、その余韻は全身に染みこんでいた。ルシルは泣いていた。立ち上がる気力も起きない。床の上に倒れて、すすり泣いていた。


 そんな自分を見下ろしながら、ザカイアは告げる。


「私はずっと後悔していたんだ。アンブローズが生きていた頃に、この魔法を生み出していれば……。そして、アンブローズにもこの証を付けていれば……。彼は私に殺される・・・・・・ことはなかったのに」


 始め、ルシルは彼が何を言っているのか、理解できなかった。

 殺される?

 誰が? 誰に……?


「え? 何……!? だって、アンブローズさんは死んだって……」

「ああ、そうだ」


 ザカイアは目元を歪める。悲しみに暮れる表情を浮かべながら、言った。


「アンブローズは、私が殺した」

「あなたが……殺した……? 自分の親友を……!?」

「そうだ。彼のことを考えると、泣けてくる……。彼は才能に満ちあふれていた。それなのに、死んでしまうなんて……」

「どうして!? 何で殺したりなんか……!」

「彼が、音楽を作れなくなったからだ」


 当然のように彼は言い切った。


「アンブローズは婚約者に裏切られたショックで、音楽を作れなくなった。悲劇だとは思わないか。彼はこの世に2人といない天才だった。生まれながらに音楽の神に愛されていた。だが、その才能を彼は失ったのだ。才能をなくして生き続けるなんて実に残酷だ! 私はアンブローズを哀れに思った! だから、彼を楽にしてあげたのだよ……!」


 彼は椅子に腰かける。アンブローズの死を心から悔やんでいるように、目元を両手で覆った。


「ああ、アンブローズ……! 彼の死が、悲しい……! 悲しくて、たまらない……!」


 先ほどはルシルも彼の悲しみに同調したし、ザカイアのことを可哀想に思った。

 だが、今は……。

 1つも理解できなかった。ザカイアの気持ちが。


(自分で殺したくせに……! こいつ、狂ってる……!)


 得体の知れない人間の感情に触れたことで、湧いた感情。それは全身の血が凍り付きそうなほどの恐怖心だった。


 彼とは関わってはいけなかった。彼の言葉に耳を貸してはいけなかった。

 今さら気付いたところで、意味はなかった。

 ルシルの腕には、証が刻まれた。

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