2 餌付けに引っかかる悪女


 昼休み――ルシルはレナードに捕まって、騎士団内を連れ回されていた。

 外に出るのかと思いきや、彼は会議室へと入っていく。

 室内は閑散としていた。扉が閉まると、休憩時間でざわついていた外界とも切り離され、静寂な空気に包まれる。


「外に食べに行くんじゃ?」

「腹が膨れない代わりに、甲高い声ばかり食わされて耳が痛くなるが、その方がよかったか?」

「絶対に嫌……」


 レナードが一歩でも外に出れば、すぐにファンに囲まれる様子は想像に難くない。考えただけで、ルシルはげんなりとした。

 外に出なくていいことは助かったが、問題は1つ、


「私、お昼を持って来てないんですけど」


 一人暮らしをしている身として、自分でもどうかと思っているが、ルシルは炊事がまったくできなかった。学生時代は学食で過ごしていたし、高学年になってからはザカイアと世界征服活動に勤しんでいた身なので、料理を学ぶ機会がなかったのだ。


 アンジェリカとして蘇った後も、家ではまったく料理をしていない。近所のスーパーの売れ残りお弁当には、いつもお世話になっていた。

 職場でもお昼は、移動販売のお弁当か、外食で済ませている。


 ルシルの訴えを無視して、レナードは鞄から弁当をとり出している。


 ――この冷酷男、まさか1人だけお昼を食べる気じゃないでしょうね……!?


 と考えて、ルシルがわなわなと怒りに震えていると。

 なぜかレナードの鞄からは、もう1つ、お弁当が出てきた。

 そして、それを無言でルシルへと押し付けてくる。


(……は?)


 意味がよくわからず、硬直するルシル。

 ナニコレ? という言葉さえ出てこなくて、ルシルは目線で訴えた。すると、レナードはしれっと答える。


「君の分」

「何で!?」


 ルシルの疑問は、鉄壁の不愛想で黙殺される。

 意味がわからなすぎる。


 ルシルは呆然とそれを受けとって、呆然と中を開けてみた。中身を目にした途端、ルシルの頭上に浮かんでいた大量の疑問符は吹き飛んで、代わりにキラキラとしたものに変わった。


(わぁ……!)


 鼻孔をつく匂いは、ぴりりとしたもの。色とりどりのおかずが並んでいるが、中でも目を引いたのは、ミートボール。

 たっぷりとした赤色の餡がからんでいる。その色は鮮やかすぎるほどに赤い。

 そして、隣にある総菜。練り物と緑の唐辛子の炒め物だ。


 ごくり――見ているだけで、お腹が鳴りそうで、ルシルは唾を呑みこんだ。


「もしかして、間違えて食べられないものを買っちゃったの?」

「…………」

「それで、私に?」

「…………」

「あなたもドジなところがあるのね。それにしても、こんなお弁当、近所で売ってたかしら?」


 レナードが何も答えなくても気にしない。ルシルの声は明らかに弾んでいたし、目は輝いていた。そのため、多少の疑問は気にならない。


 ルンルン気分で、ミートボールを口に含んだ。

 びりり――そんな刺激が舌に走って、ルシルは口元をとろけさせる。


(すごい! こんな、私好みの味……!)


 スーパーのお弁当も、外食も悪くはない。しかし、ルシルには不満があった。一般向けに販売されている食べ物は、ルシルには物足りないのだ。――主に、辛みが。


「ねえ、このお弁当、どこで買ってきたの?」

「…………」

「あ、この唐辛子も美味しい!」

「…………」


 ルシルはすっかり上機嫌になって、この状況も、レナードがじっとこちらを見つめていることも、気にならなかった。

 ニコニコ顔で、辛ウマなミートボールを頬張る。その味にうっとりとした。


 その瞬間――対面にいたレナードが、わずかに相好を崩す。一瞬だけ漏れた優しげな笑みにも、ルシルは気付かなかった。





 久しぶりに、自分好みの味を堪能できた。

 ルシルは上機嫌で、執務室へと戻ってきた。


 すると、扉の前で誰かが揉めている。職員ではない女性が1人と、ルシルの先輩にあたるアルヴィンだ。

 女性が喚くのを、アルヴィンは面倒くさそうに宥めていた。


「だから、あれは絶対に闇魔法の仕業なんです!」

「我々ではお力になれません。お引きとりください」

「誰か、もっと話がわかる人はいませんか!? 私の主人が、呪いにかけられているんです!」


 はたから見ると、クレーマー処理に煩わされる職員という構図だが……。

 それにしては、女性の様子が必死に見えるし、顔色も悪そうだ。ここを頼りにして、すがってきているという様子がわかった。

 ルシルは興味を引かれて、アルヴィンに尋ねる。


「アルヴィン先輩、どうしたんですか?」

「アンジェリカか。大したことじゃない」

「でも、呪いがどうとか聞こえました。何か事件が?」


 ルシルが尋ねると、女性が身を乗り出してくる。


「そうなんです! 私の主人が呪いにかけられて……」

「奥さん、いい加減にしてください!」


 話をぶった切るように、アルヴィンは厳しい声で告げる。


「最近、多いんですよね。何か不幸が起こると、すぐに闇魔法のせいじゃないかと考える人が。子供の成績が下がったのは呪いをかけられたせい、ペットがいなくなったのは闇纏いノクターナルのせい……。もちろん、事件性があるようなら我々も力になりますが。ご主人が他の女性に心変わりをしたからといって、うちを頼りにされても困ります」


(……心変わり?)


 その言葉にルシルは引っかかりを覚える。そして、女性の姿を見た。大人しそうな容姿をしている。「いちゃもんをつけてくるタイプ」には見えない。

 それに、彼女は本当に困っているように見えた。


「その話、詳しく聞かせてもらえますか」

「はあ? 新人の分際で、首をつっこむんじゃない。さあ、奥さん、お引きとりください」


 アルヴィンはルシルに背を向けると、女性を追い返そうとする。ルシルはとっさに手を伸ばした。


「待って!」


 しかし、その訴えを無視して、アルヴィンは彼女を追い返そうとしている。

 すると、レナードが口を挟んだ


「おい、アンジェリカ。これ以上、……なっ!?」


 アルヴィンが顔をしかめて口を開いた、その時だ。

 横から伸びた手がルシルの手首をつかむ。そして、ずい、と大きな図体が割りこんできた。


「え!?」


 ルシルはもちろん、アルヴィンも呆気にとられている。しかし、彼がどんな表情を浮かべているのか、ルシルからは見えなくなった。先ほどは近くで見えていたアルヴィンの顔が消え、代わりにレナードの背中が割りこんでいた。


「何をしている、レナード……!?」

「レナード!?」


 ルシルの今の体は小柄だ。上背のあるレナードが目の前に割りこむと、他がまったく見えなくなってしまう。


「ええっ……ちょ、邪魔! 見えない! アルヴィン先輩が見えない!」

「別に見る必要はない。……他の男のことは」


 後半部がやたらと真剣な台詞だった。

 だが、ルシルはそれどころではない。


「話しづらいんだけど!?」


 喚くルシルをしれっと無視して、レナードはアルヴィンに声をかける。


「その女性の件は、こちらで預かる」

「え? は、はあ……」


 アルヴィンも困惑しているのか、曖昧な返事が聞こえる。


「私と彼女で話を聞きます。こちらへ」


 レナードは女性に告げると、取調室へと歩き出した。ルシルの手首を握ったまま。

 手を引かれるような形で、ルシルは歩き出す。しばらく歩いたところで我に返って、


「れ、レナード……? そろそろ離して……?」


 だが、ルシルの頼みをレナードは黙殺した。


 ――彼が何を考えているのか、まったくわからない……!


 と、ルシルは混乱するのだった。





 取調室につくと、ようやくレナードが手を離してくれたので、ルシルはホッとした。


「どうぞ、座ってください」


 レナードは不愛想に、女性に席を勧める。


「は、はい。あの……英雄のレナード・マクルーアさんですよね……? 本当に私の話を聞いてくれるんですか?」


 女性はレナードに好奇の目を向ける。しかし、今はそれ以上に不安が強いようで、話を聞いてほしくて、うずうずしているといった様子だ。


「はい。ご主人が闇魔法にかけられたとのことですが?」

「そうなんです……!」


 彼女はホッとした様子を見せる。そして、流暢に語り出した。


「主人の様子が変わったのは、本当に突然のことでした。何かの兆候が見られたとか、そういうこともなく、突然……まるで別人にでもなってしまったか、何かにとりつかれたかのように……」

「先ほど心変わりをしたと言っていましたが、それは他の女性にということですか?」

「はい。さっきの職員さんは、単なる痴情のもつれだと言っていましたが……ええ、私もわかってるんです。私も友人からこんな相談をされたら、『それって、ただの浮気じゃない?』って思うだろうし……。でも、主人の場合はちがうんです。明らかにおかしいというか……。私と主人の間には、娘が1人いて……主人はとても娘を可愛がっていました。でも、その女にいれこむようになってから、主人は娘のことも邪険にするようになったんです。仮に別の女性に心変わりすることがあったとしても、あの人が娘にまであんなにつらくあたるなんて、信じられなくて……」

「……他の女性に心変わりをする、ということ自体が、俺には信じられないが」


 レナードが真面目な声で告げるので、ルシルは深く考えずに言った。


「まあ、そういうこともあるんじゃないの?」


 すると、鋭い視線がこちらに向く。レナードがしかめ面でこちらを睨んでいた。


「え、なに……?」

「ありえるのか? 君も?」

「一般論の話よ! というか、私の話はどうでもいいでしょう! それで、奥さん、いくつか聞かせてもらえますか」

「はい」


 何かを言いたげなレナードの視線を無視して、ルシルは話を切り出した。


「ご主人の様子が変わったのはいつからですか?」

「先週の日曜日からです。その前日までは娘とも仲良く遊んでいたのに……。日曜、1人で出かけて、帰ってきたら突然、他に好きな女性ができたから、別れてほしいと言い出して……。娘が声をかけても鬱陶しそうにするようになりました」

「なるほど。それでは、ご主人が急に惚れこむようになった女性が誰か、わかりますか?」

「はい。彼女の名は、リリアン・ドイルと言います」

「リリアン!?」


 知っている名だ。それも、あまり思い出したくない方に分類される。


 ――魔法学校時代、レナードと仲の良かったルシルに、散々嫌がらせをしてきた女子だった。

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