2 英雄様は、悪女がお嫌い

 ランドゥ・シティ――上空から見下ろした時に、一際目立つビルが存在していた。


 摩天楼のごとき威容、夜でも煌びやかに光をまとう存在感。そして、先端に向かうほど細くなっていくデザインは、まるで尖塔が連なる城のようでもあった。


 上層部正面に掲げられた紋章――それは太陽をイメージして描かれている。

 黎明騎士団トワイライト。国の治安を維持するため、犯罪者の捜査を行う行政機関である。


 アンジェリカ――本名ルシル・リーヴィスは先輩たちと共に、箒で入口に降り立った。


 ビル内ですれちがう職員は皆、軍服のような黒コートをまとっている。騎士団の制服だ。当然、ルシルも同じ制服を着ている。

 初めてこの服に袖を通す時、ルシルは戸惑ったものだ。何せ、昔は敵対していた組織の服を着る羽目になったのだから。


 闇纏いノクターナルを連行して、彼らはエレベーターに乗りこんだ。

 闇纏いの男がルシルをじろじろと眺める。下品な笑みを浮かべると、


「チビだな……。へっ、ガキくさい女は好みじゃねえが、俺がお前さんに、女の快楽ってやつを教えてやってもいいんだぜ?」

「黙っていろ」


 男の先輩――アルヴィンが不快そうに吐き捨てる。即座に魔法を起動させ、男に電流を流した。闇纏いの男は「ぐえっ」と苦しそうに声を上げる。それをケイリーが穏やかにたしなめた。


「だめよ、アルヴィン。捕縛後の武力行使は禁じられているわ」

「ふん……。闇纏いはどいつもこいつも、ゴミ屑のような連中ばかりだ。こうして同じ空気を吸っているだけでも、虫唾が走る」


 声にこめられた明確な嫌悪に、ルシルは身を固くした。アルヴィンの言葉は極論だが、それが世論であることもわかっている。


(実は闇纏いがここにも、もう1人いるって知ったら、彼は怒りのあまり卒倒してしまうかもしれないわね)


 こういう時は余計な口を挟まずに、黙っているに限る。

 気まずい沈黙が流れる中、エレベーターが22階へと到着した。

 黎明騎士団トワイライトの内部は部門ごとに分かれていて、それぞれ管轄が異なっている。

 3人が所属しているのは、『魔法犯罪対策:闇部門』である。彼らの仕事は、闇魔法の取り締まりであった。


 アルヴィンが闇纏いを取調室へと連行していく。被疑者を尋問するのは先輩の仕事だ。ルシルは今日のところは、報告書を作ったら終わりだった。早く帰路につきたい一心で、自分のデスクへと向かおうとする。

 すると、ケイリーが、


「待って、アンジェリカ」


 と声をかけてくる。

 ルシルは一瞬固まってから、ハッとした。『アンジェリカ』とは、ルシルの今の名前であった。本名がバレるわけにはいかないので、ここではその名前で通しているのだ。

 怪しまれないようにほほ笑みながら、ルシルは振り返る。


「はい。何でしょうか。ケイリー先輩」

「今日は尋問の様子を見学してみない? 勉強になると思うわ」


 ルシルは内心でげんなりした。


 ――闇纏いが尋問されている光景なんて、心臓に悪すぎる!


 しかし、ルシルは4月に新卒で採用されたばかりの新人である。先輩からの誘いを断るわけにもいかず、穏やかに応じた。


「はい、ぜひ。アルヴィン先輩の尋問って、何だか怖そうですね」

「それはもう。彼、闇纏いが大嫌いだもの」


 ケイリーと連れ立って、ルシルは取調室へと向かった。

 取調室の一面の壁は、マジックミラーとなっている。ミラー越しにルシルたちは尋問の光景を見学することになった。


「きゃー!」


 部屋に入ると、その場の雰囲気に不釣り合いな黄色い声が上がる。室内はやたらと密度が高かった。それも女性ばかりが集まっている。


(まさか……)


 嫌な予感が脳裏をかすめる。

 ミラー越しに取調室を覗きこんで、ルシルは「ひっ……!」と声なき悲鳴を上げた。


 予感が的中した。

 取調室には3人の姿が見える。

 1人はアルヴィン、1人は闇纏いの男。

 そして、もう1人は――。


「ああ~~、今日も最高にかっこいい! レナード様~!」


 またもや黄色い声が上がる。職員の女性たちがマジックミラーに集まって、取調室を覗きこんでいる。

 取り調べの光景は見世物ではないし、明らかに他部門の女性も混じっている。『自分の職場に戻りなさいよ……』と、ルシルは思った。

 ケイリーがくすりと笑って、


「あら、あら。相変わらずの大人気ね。うちの英雄様は」


 取調室は机を挟んで、闇纏いとアルヴィンが座っている。

 部屋の隅で待機している男性が、女性陣の目を引き付けていた。

 軍服風の制服がよく似合っている――それは高身長と、整った顔立ちのおかげだった。


 細い金髪と、切れ長の碧眼。その容姿自体は、繊細かつ美麗。どちらかといえば、アイドルやモデル向きである。しかし、隙のない立ち姿と、冷然とした表情が威圧感を発していて、彼を軍人然としたイメージにまとめていた。


夜明けの騎士デイブレイク……レナード・マクルーア)


 彼の姿を見るとたいていの女性はぽーっとなって、顔を赤くするのだが、ルシルは顔を青くしていた。


 レナードは部屋の隅に佇み、闇纏いを睨みつけている。

 氷のような凍てついた視線だ。彼もまた、アルヴィンと同様に『闇纏い嫌い』で有名な男であった。

 尋問を行っているのはアルヴィンで、レナードは一言も発していない。しかし、そこにいるだけで存在感があるので、被疑者もそちらが気になる様子だった。


 アルヴィンが机を叩いて、話し始める。


「さて、ダリオス・アビー。貴様には闇魔法を使用した嫌疑がかけられている。市内で無差別に呪いをばらまき、市民を襲ったということは事実か?」

「ひひゃひゃ……無差別じゃねえよう……騎士さんよ」


 ダリオスは薄気味悪い笑みを浮かべて、反論する。


「あれは粛清さ! やつら、よりにもよって街中でザカイア様の悪口を言ってやがったんだぜ? 俺はあいつらに、ちょいと仕置きをしてやっただけさ。世が世なら、その場で即死魔法をかけられても文句は言えないはずだぜ。ああ、ザカイア様とルシル様が生きていた頃なら!」


 語っている途中で興奮したらしく、ダリオスは恍惚と瞳を潤ませる。

 ルシルは内心で、「ひっ……!?」と狼狽していた。


 ――お願いだから、これ以上、自分の話題は口にしないでほしい。


 心から祈ったけど、残念ながらその祈りは通じなかったようだ。

 ダリオスは視線をレナードへと向ける。


「なあ、デイブレイクさんよ! 噂で聞いたぜ。お前さんは、ルシル様と魔法学校で同級生だったってな」


(ひぃっ……!?)


 ――このくそ野郎! よりによって、その話題をレナードに振らないで!


 ルシルは脳内で、思いつく限りの罵倒を彼に投げる。最悪の展開だった。ルシルの顔からは、血の気が引いていく。

 一方で、レナードは感情のこもらない氷のような視線で、ダリオスを見返した。


「ルシル様は最高の女だぜェ。俺たち闇纏いの中でも、特に高潔で、残忍で。ザカイア様から、もっとも信頼を寄せられていた。それに……へへへ……写真で見たが、本当にイイ女だったよなあ……」


(わ、わ、わ……)


 ルシルは顔を青くしたり、赤くしたりをくり返す。


(私の話をしないで――ッ!)


 その直後、レナードが静かに唱えた。


「――メリス・ティア」


 室内にひびく、彼の呪文。

 風が鋭利な刃となって、吹き抜ける。それがダリオスの頬をかすめ、背後の壁を大きくえぐった。ダリオスは「ひゃ!?」と声を上げて、椅子ごと後ろへと倒れこむ。不遜な雰囲気が一気に萎えしぼんで、彼は顔を青くして後ろを振り返った。


 壁に刻まれた三日月形の穴――少しでも位置がずれていれば、その大穴を空けられていたのはダリオス自身だった。彼は冷や汗を流しながら、机にすがりつくような姿勢をとる。

 レナードは冷酷な視線で、彼を射貫いた。


「その名を口にするな。次はその無遠慮な舌に風穴を空ける」

「ひ……ひひ……っ、何だよ……。国家の犬めが……」


 減らず口を叩いてはいるが、ダリオスの全身には汗が流れ、声にも怯えがこめられている。レナードが発した殺気は本物であった。それを一身に浴びて、ダリオスは震え上がっていた。

 壁一枚を隔てていても、その緊迫感のある空気は漂ってきた。女性たちが怯えたようにささやき合う。


「レナード様、怒ってる……やっぱりあの噂、本当だったんだ」

「そりゃそうに決まってるじゃない。ザカイアとルシルを殺したのは、レナード様なのよ」

「彼はよほど、闇纏いが憎いのでしょうね」


 その言葉にルシルは目を伏せた。


(はあ……知ってるわよ。そんなこと……)


 すると、ケイリーがこちらの様子に気付いて、


「どうしたの。アンジェリカ……顔が青いわよ」

「ごめんなさい。何だか今日は疲れちゃって……」

「ええ、そんな顔をしているわね。今日はもう帰りなさい。隊長には私から言っておくから」


 ケイリーに礼を告げてから、ルシルはその部屋を後にした。

 これ以上、レナードを見続けることは耐えられなかった。




 ――かつて、魔法学校時代。


 ルシルとレナードは同級生だった。

 それも、とびきり仲が良かった。

 いつも隣の席に座り、一緒に勉強して、何度も魔法談義を交わした。


『ルシル、一緒に課題をしないか? 図書館に行こう』


 昔は優しく明るい笑顔を、ルシルに惜しみなく向けてくれた。



 それが今や、彼は変わってしまった。

 凍てついた目付きも、顔付きも、まるで別人のようで……。


 それを見ることが、何よりも心苦しかった。

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