2 英雄様は、悪女がお嫌い?
ランドゥ・シティ――上空から見下ろした時に、一際目立つビルが存在していた。
上層部正面に掲げられた紋章――それは太陽をイメージして描かれている。
アンジェリカ――本名ルシル・リーヴィスは先輩たちと共に、
ビル内ですれちがう職員は皆、軍服のような黒コートをまとっている。騎士団の制服だ。当然、ルシルも同じ制服を着ている。
初めてこの服に袖を通す時、ルシルは戸惑ったものだ。何せ、昔は敵対していた組織の服を着る羽目になったのだから。
闇纏いの男がルシルをじろじろと眺める。下品な笑みを浮かべると、
「チビだな……。へっ、ガキくさい女は好みじゃねえが、俺がお前さんに、女の快楽ってやつを教えてやってもいいんだぜ?」
「黙っていろ」
男の先輩――アルヴィンが不快そうに吐き捨てる。即座に魔法を起動させ、男に電流を流した。闇纏いの男は「ぐえっ」と苦しそうに声を上げる。それをケイリーが穏やかにたしなめた。
「だめよ、アルヴィン。捕縛後の武力行使は禁じられているわ」
「ふん……。闇纏いはどいつもこいつも、ゴミ屑のような連中ばかりだ。こうして同じ空気を吸っているだけでも、
声にこめられた明確な嫌悪に、ルシルは身を固くした。アルヴィンの言葉は極論だが、それが世論であることもわかっている。
(実は闇纏いがここにも、もう1人いるって知ったら、彼は怒りのあまり卒倒してしまうかもしれないわね)
こういう時は余計な口を挟まずに、黙っているに限る。
気まずい沈黙が流れる中、エレベーターが22階へと到着した。
3人が所属しているのは、『魔法犯罪対策:闇部門』である。彼らの仕事は、闇魔法の取り締まりであった。
アルヴィンが闇纏いを取調室へと連行していく。被疑者を尋問するのは先輩の仕事だ。ルシルは今日のところは、報告書を作ったら終わりだった。早く帰路につきたい一心で、自分のデスクへと向かおうとする。
すると、ケイリーが、
「待って、アンジェリカ」
と声をかけてくる。
ルシルは一瞬固まってから、ハッとした。『アンジェリカ』とは、ルシルの今の名前であった。本名がバレるわけにはいかないので、ここではその名前で通しているのだ。
怪しまれないようにほほ笑みながら、ルシルは振り返る。
「はい。何でしょうか。ケイリー先輩」
「今日は尋問の様子を見学してみない? 勉強になると思うわ」
ルシルは内心でげんなりした。
――闇纏いが尋問されている光景なんて、心臓に悪すぎる!
しかし、ルシルは4月に新卒で採用されたばかりの新人である。先輩からの誘いを断るわけにもいかず、穏やかに応じた。
「はい、ぜひ。アルヴィン先輩の尋問って、何だか怖そうですね」
「それはもう。彼、闇纏いが大嫌いだもの」
ケイリーと連れ立って、ルシルは取調室へと向かった。
取調室の一面の壁は、マジックミラーとなっている。ミラー越しに尋問の光景を見学することができる。
「きゃー!」
部屋に入ると、その場の雰囲気に不釣り合いな黄色い声が上がる。室内はやたらと密度が高かった。それも女性ばかりが集まっている。
(まさか……)
嫌な予感が脳裏をかすめる。
ミラー越しに取調室を覗きこんで、ルシルは「ひっ……!」と声なき悲鳴を上げた。
予感が的中した。
取調室には3人の姿が見える。
1人はアルヴィン、1人は闇纏いの男。
そして、もう1人は――。
「ああ~~、今日も最高にかっこいい! レナード様~!」
またもや黄色い声が上がる。職員の女性たちがマジックミラーに集まって、取調室を覗きこんでいる。
取り調べの光景は見世物ではないし、明らかに他部門の女性も混じっている。『自分の持ち場に戻りなさいよ……』と、ルシルは思った。
ケイリーがくすりと笑って、
「あら、あら。相変わらずの大人気ね。うちの英雄様は」
取調室は机を挟んで、闇纏いとアルヴィンが座っている。
部屋の隅で待機している男性が、女性陣の目を引き付けていた。
軍服風の制服がよく似合っている――それは高身長と、整った顔立ちのおかげだった。
細い金髪と、切れ長の碧眼。その容姿は、繊細かつ美麗。どちらかといえば、アイドルやモデル向きである。しかし、隙のない立ち姿と、冷然とした表情が威圧感を発していて、彼を軍人然としたイメージにまとめていた。
(
彼の姿を見るとたいていの女性はぽーっとなって、顔を赤くするのだが、ルシルは顔を青くしていた。
レナードは部屋の隅に佇み、闇纏いを睨みつけている。
氷のような凍てついた視線だ。彼もまた、アルヴィンと同様に『闇纏い嫌い』で有名な男であった。
尋問を行っているのはアルヴィンで、レナードは一言も発していない。しかし、そこにいるだけで存在感があるので、被疑者もそちらが気になる様子だった。
アルヴィンが机を叩いて、話し始める。
「さて、ダリオス・アビー。貴様には闇魔法を使用した嫌疑がかけられている。市内で無差別に呪いをばらまき、市民を襲ったということは事実か?」
「ひひゃひゃ……無差別じゃねえよう……騎士さんよ」
ダリオスは薄気味悪い笑みを浮かべて、反論する。
「あれは
語っている途中で興奮したらしく、ダリオスは恍惚と瞳を潤ませる。
ルシルは内心で、「ひっ……!?」と狼狽していた。
――お願いだから、これ以上、自分の話題は口にしないでほしい。
心から祈ったけど、残念ながらその祈りは通じなかったようだ。
ダリオスは視線をレナードへと向ける。
「なあ、デイブレイクさんよ! 噂で聞いたぜ。お前さんは、ルシル様と魔法学校で同級生だったってな」
(ひぃっ……!?)
――このくそ野郎! よりによって、その話題をレナードに振らないで!
ルシルは脳内で、思いつく限りの罵倒を彼に投げる。最悪の展開だった。ルシルの顔からは、血の気が引いていく。
一方で、レナードは感情のこもらない氷のような視線で、ダリオスを見返した。
「ルシル様は最高の女だぜェ。俺たち闇纏いの中でも、特に高潔で、残忍で。ザカイア様から、もっとも信頼を寄せられていた。それに……へへへ……写真で見たが、本当にイイ女だったよなあ……」
(わ、わ、わ……)
ルシルは顔を青くしたり、赤くしたりをくり返す。
(私の話をしないで――ッ!)
その直後、レナードが静かに唱えた。
「――メリス・ティア」
室内にひびく、彼の呪文。
風が鋭利な刃となって、吹き抜ける。それがダリオスの頬をかすめ、背後の壁を大きくえぐった。ダリオスは「ひゃ!?」と声を上げる。不遜な雰囲気が一気に萎えしぼんで、彼は顔を青くして後ろを振り返った。
壁に刻まれた三日月形の穴――少しでも位置がずれていれば、その大穴を空けられていたのはダリオス自身だった。彼は冷や汗を流しながら、机にすがりつくような姿勢をとる。
レナードは冷酷な視線で、彼を射貫いた。
「その名を口にするな。次はその無遠慮な舌に風穴を空ける」
「ひ……ひひ……っ、何だよ……。国家の犬めが……」
減らず口を叩いてはいるが、ダリオスの全身には汗が流れ、声にも怯えがこめられている。レナードが発した殺気は本物であった。それを一身に浴びて、ダリオスは震え上がっていた。
壁一枚を隔てていても、その緊迫感のある空気は漂ってくる。女性たちが怯えたようにささやき合う。
「レナード様、怒ってる……やっぱりあの噂、本当だったんだ」
「そりゃそうに決まってるじゃない。ザカイアとルシルを殺したのは、レナード様なのよ」
「彼はよほど、闇纏いが憎いのでしょうね」
その言葉にルシルは目を伏せた。
(はあ……知ってるわよ。そんなこと……)
すると、ケイリーがこちらの様子に気付いて、
「どうしたの。アンジェリカ……顔が青いわよ」
「ごめんなさい。何だか今日は疲れちゃって……」
「ええ、そんな顔をしているわね。今日はもう帰りなさい。隊長には私から言っておくから」
ケイリーに礼を告げてから、ルシルはその部屋を後にした。
これ以上、レナードを見続けることは耐えられなかった。
――かつて、魔法学校時代。
ルシルとレナードは同級生だった。
それも、とびきり仲が良かった。
いつも隣の席に座り、一緒に勉強して、何度も魔法談義を交わした。
『ねえ、リオ。あなたって魔法の話ばっかりだけど、他のことには興味ないの?』
『他のことって?』
『ほら、いろいろとあるでしょ。好きな動物とか、食べ物とか』
『ああ。それなら好きなもの、あるよ』
『え、何!?』
『君』
『え……!? あ、それって私と、魔法のことを話すのが好きってことでしょ? やっぱり魔法が好きってことじゃない!』
ルシルの前で、レナードはいつも優しく笑っていた。
そして、穏やかな眼差しを向けてくれた。
それが今や、彼は変わってしまった。
凍てついた目付きも、顔付きも、まるで別人のようで……。
いったい何が原因で、彼は変わってしまったのか。
ルシルにはわからなかった。
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