3 あの頃には戻れない

 ルシルの自宅は、職場からだいぶ離れた住宅街にある。魔導士であれば箒を使って、空から行き来できるので、それが苦になることはない。


 集合住宅のエントランスにルシルは降り立った。守衛に挨拶をして、中へと入る。彼はおそらく『本物のアンジェリカ』とも、面識があるのだろうが、今のところは怪しまれずに済んでいる。


アンジェリカ・・・・・・とは、部屋の趣味が合わないのよね)


 そう思いながら、古びた階段をルシルは上がって行った。職場までの距離は気にならなくても、このアパートの築年数だけは気に食わない。とはいえ、このアパートを契約した本人はもう消滅しているので、文句は言えないが。


 ルシルはポストに入っていた新聞をとって、自室へと入る。

 使い魔のココがパタパタと飛び立って、ソファへとダイブした。文字通り羽を伸ばして、くつろいでいる。


「ふぁ〜、クタクタだよ。僕はもう、羽一房だって動かせない」


 ゴロゴロとし始めたココに笑ってから、ルシルは手を洗った。冷蔵庫の中から水ボトルを取りだして、ソファに腰かける。


 始めの頃、冷蔵庫の中には甘味しか入ってなくて、ルシルは絶望したものだ。飲み物ですらイチゴ牛乳やココアばかりだった。

 どうやら、アンジェリカはもともと相当な甘党だったようだ。ルシルは甘いものを好まないので、目覚めてからしばらくは冷蔵庫の中の物を消費するのに苦労した。


 ルシルの意識が目覚めたのは、今から1か月前のことだった。気が付くと、ルシルはこの家で倒れていた。

 床には巨大な魔法陣が描かれていた。初めは誰かが魔法で、自分のことを蘇生したのかと思った。


 しかし、鏡に姿を映して、仰天した。ルシルの容姿は、まったく別のものに変化していたからだ。知らない顔だった。意識も記憶もルシル・リーヴィスのものなのに。姿は別人になっている。

 ルシルはその家を探索して、自分の死後から8年が経っていること、ここがアンジェリカという女性の家であること、自分の姿がアンジェリカになっていることを知った。


 机の上には、1枚のメモが置かれていた。そこに書かれていたのは、『招魂の魔法』とそのやり方だ。


 死者の魂を呼び戻し、自分の体に宿すという闇魔法である。だが、その魔法を使うと、元の魂は消滅してしまう。つまり、アンジェリカはルシルを蘇らせるために、自らの命を差し出したのだ。


 ――なぜ、そんなことを?

 ――そうまでして、どうして私のことを蘇らせたかったの?


 その疑問に答えてくれる者は、すでにこの世にいなかった。

 それからというもの、ルシルはアンジェリカとして生きている。

 初めは戸惑うことばかりだったが、この生活にもそれなりに慣れてしまった。


 水で喉を潤してから、ルシルは新聞を開いた。

 一面を飾っていた写真を見て、眉をひそめる。彼はモデルか何かなのだろうか、と内心で苦言を呈する。


「わーお、また写真が載ってるね。デイブレイクさん」


 ココが飛び上がって、ルシルの肩にちょこんと乗る。一緒になって、その写真を覗きこんだ。

 レナード・マクルーア。感情のない無表情で彼は写っていた。

 レナードの別名はたくさんある。


『闇を払いし英雄』とか、『氷の貴公子』とか。各種新聞紙が散々彼をとりあげて、アレコレと書くせいだった。その功績と、優れた見目のせいで、すっかりアイドルのように扱われている。実際、レナードに憧れる女性は数多く存在し、騎士団には連日のようにプレゼントが届けられる。騎士団の前には出待ちまでいて、彼が箒で飛び立つ度に、黄色い悲鳴が上がるほどだ。


 そんな彼が持つもっとも有名な2つ名は、夜明けの騎士デイブレイクだった。


 記事に目を通してみれば、


(『彼が闇を払ってから、早くも8年の時が過ぎた』……本当にあれから、8年が経ったのね)


 不思議な気持ちだった。それだけの時が経ったのに実感が湧かない。

 それもそのはず――死者には時間の概念がないのだから。

 だから、ルシルにとっては、あの日のことが、つい先日のことのように思い出される。


 闇が払われた時――それはすなわち、闇魔法の始祖である、ザカイア・キングストンが討ちとられた日のことだ。彼の忠実な側近であった、ルシル・リーヴィスと共に。


 8年前、ザカイアとルシルを討ちとったのが、レナードであった。その日から彼は、この国を救った英雄となったのだ。


(……彼、すっかり変わったわね)


 レナードの顔写真を見つめながら、ルシルは思った。

 10代の頃、ルシルはレナードと共に魔法学校に通っていた。2人は同級生だった――それもとびきり仲のいい間柄だった。そして、ライバル同士でもあった。


 2人の成績は常に接戦をくり広げ、トップの座を争っていた。休み時間には一緒に勉強をして、魔法についての持論を語り合い、ノートの貸し借りもよくしていた。

 あの頃のレナードは、穏やかで優しい少年だった。ルシルに向かって、いつも親しげに笑いかけてくれていた。


 それなのに。

 最近のレナードはまるで別人だ。感情をなくしたような態度、表情、話し方。


(8年の間に、彼に何があったのかしら……)


 この数年の間で、彼にとってよほどショックなことがあったのだろうか。

 そのことを考えて、ルシルは目を伏せた。すると、ココが言う。


「ルシル、悲しそう」

「私が?」

「レナードと仲直りしたいの?」


 ルシルはくすりと笑った。ココの気遣いは嬉しいが、人間の心の機微を理解するのは難しいのか、ポイントがずれている。


「別に喧嘩してるわけじゃないの。そもそも、私は彼に嫌われているんだから」


 一緒に勉学に励んでいたあの頃――魔法学校時代には、もう戻れないのだ。

 ルシルは闇纏いの道に進み、レナードは闇を払う英雄となった。

 2人の道は違えてしまったのだから。


(そう。だから、彼にだけは私の正体はバレてはいけない……)


 ルシルはそう決意していた。



 ◆  ◇ ◆



 その夜、ルシルは夢を見た。

 8年前――自分がまだ『ルシル・リーヴィス』と呼ばれていた時のことを。




「素晴らしい! 何と美しい魔法だ!」


 その日、ザカイアはひどく興奮していた。

 棒を振り回し、オーケストラを指揮するかのごとく手を動かしている。それはザカイアが上機嫌な時によくする仕草であった。


 彼の機嫌は、音楽と重なり合っている。不機嫌な時はレクイエム、上機嫌な時は行進曲。彼の手付き――指揮棒の動きを見れば、その時のザカイアの心の動きを察することができる。

 その日はルシルの功績によって、ザカイアは上機嫌だった。ルシルの提供した魔法式をよほど気に入ったようだ。


「この魔法があれば、世に蔓延はびこる不協和音を消し去り、世界をより良いものへと調律することができる……!」

「ええ。これでザカイア様の理想の世界に近付きます」


 ルシルはすました笑顔で告げた。彼女はいつもザカイアの前では微笑を湛えて、余裕めいた態度をとっていることが多かった。


「ルシル……私のもっとも信頼する同志よ」


 ザガイアは目を潤ませて、ルシルを見つめる。

 同志――ザカイアは闇纏いノクターナルたちをそう呼んだ。自分と同じ立場の仲間、自分と志を同じくする者たち。彼は心の底からそう信じていたのだ。


「この魔法の美しい演奏を、私は早く聞きたい。もちろんお前が披露してくれるのだろう?」

「もちろんです。ザカイア様」


 ルシルは先ほどからまったく変わらない微笑を――張り付けたような笑顔を浮かべながら、頷いた。


「この魔法の効力は、私が証明してみせます。手始めにザカイア様に楯突く不届き者たち――騎士団の連中から、葬り去ってご覧にいれましょう」

「ああ……。ああ、ルシルよ……」


 恍惚と頬を染めて、ザカイアは呟く。


「お前は本当に美しい。その声も、容姿も。お前の奏でるすべての魔法たちも。早くお前の魔法の旋律を私に聞かせておくれ」

「はい。ザカイア様」


 ルシルは最後まで、口元から笑みを絶やさなかった。

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