4 2人きりで任務!?(無理です!)
ルシルの毎日は、生前のアンジェリカのものをなぞっていた。朝起きて、支度をして、職場に向かう。
――本当は行きたくない職場へと。
なぜ昔は敵対していた組織に、今は身を委ねているのだろうか。ルシルが転生した体――アンジェリカが黎明騎士団に所属していたばかりに……。
(早く転職したい……)
この体になってから毎朝願ってることを今日も胸に抱きながら、ルシルは
「アンジェリカ、少し来てくれる?」
出勤して間もなく、ルシルはケイリーに呼び出されていた。
「隊長があなたのことを呼んでいるの。隊長室に向かってくれる?」
「はい。わかりました」
ルシルは自席を離れて、隊長室へと向かう。すると、ちょうど向かいの通路からレナードがやって来るのが見えた。
(うげ……っ!)
ルシルはわずかに眉をひそめ、念を送り始める。
こっちに来るな、こっちに来るな、だめ、そこの角を曲がらないで……!
ルシルの願いも虚しく、レナードはルシルと同じ道を辿ろうとしていた。というわけで、否が応にも顔を会わせることになってしまい、ルシルは渋々と挨拶をする。
「おはようございます。レナードさん」
「……ああ」
興味が抜け落ちた、冷淡な声と顔付きだ。ルシルの方を見ようともしない。挨拶されたから答えたという、それだけ。
(どこに愛想を置き忘れてきたの?)
ルシルは唇の端を引きつらせながら、レナードを一瞥する。
昔のレナードは、こんな男ではなかった。
ルシルと目が合うと、いつでも優しくほほ笑んでくれた。その時の笑顔と温かさは、今でもルシルの胸に残っている。それが8年経って、どうしてこんなに可愛さの欠けらもない男に成長してしまったのだろう。
考えているうちに、ルシルたちは隊長室に着いた。ドアをノックしてから、中に入る。
執務室の椅子に腰かけているのは、妙齢の女性だった。長い銀髪を1つの三つ編みにまとめ、顔の横に流している。澄んだ空気に包まれたような、しゃんとした美人で、彼女を前にするとつい背筋を伸ばしてしまう。
クラリーナはルシルたちを見ると、ほがらかに挨拶をした。
「やあ。おはよう、アンジェリカさん、デイブレイクさん」
「おはようございます。隊長」
ルシルは机の前に立って、丁寧に挨拶を返す。一方、レナードは上司を前にしても、凍てついた態度を改めるでもなく、ふてぶてしさすらにじむ立ち姿で相対していた。クラリーナが呼んだ二つ名が不服だったようで、
「その呼び名はやめてください」
「ああ、ごめんごめん。君はこの通称が嫌いだったね。私はいいと思うんだけどなあ〜。
「……ご要件は?」
にこやかでふんわりとした雰囲気のクラリーナと相対すると、レナードの不愛想さは更に際立つ。
(本当に、愛想をどこかに投げ捨ててきちゃったのかしら……この男)
呆れながらも、ルシルも隊長の言葉を待った。
「実は、君たちにお願いしたいことがあってね」
真剣な様子で切り出されて、ルシルは嫌な予感を覚えた。
この場に呼び出されたのは、ルシルとレナード2人だけ。そして、隊長が口にした「お願いしたいこと」。
それはつまり、2人に何か仕事を任せたいということではないだろうか。
――そんなのは、絶対に勘弁してほしい!
――レナードと2人で仕事だなんて、想像しただけで胃が痛い!
密かに悪寒を覚えているルシルに構わず、クラリーナは話を進める。
「シルエラ魔法学校……君たちには、とても馴染み深い場所だろう?」
(ひっ……!)
もちろん馴染みはある。
なぜなら、ルシルとレナードの出身校だからだ。仲のいい同級生として、過ごしていた頃。レナードがまだ優しく、愛想を投げ捨てていなかった時代のこと。
――そして、ルシルにとっては苦悶の記憶が宿る場所だ。
そこでルシルはあることに気付いた。
今の自分はルシルではなく、アンジェリカとして生きている。それなのに、隊長は「君たち」と言った。
ということは、まさかアンジェリカも、シルエラ魔法学校の出身者だったということか。
「最近、学校内で生徒が呪いにかけられるという事件が起こっているみたいなんだよね」
呪いとは、魔法の一種だ。対象者に様々な苦痛を与え、永続的に作用する。生前のルシルは、そのような魔法について造詣が深かった。というのも、呪いをかけられる魔法とは、
「――闇魔法ということですね」
「うん。闇魔法を使える者――つまり、
先日に引き続き、闇纏いに関連する事件だ。ルシルの所属する部署は、闇魔法に関わるものを扱うところなので、当たり前のことなのだけど。
――世界で2番目に有名な闇纏い、ここにいます。
ルシルはそう考えて、自分の思ったことでダメージを受けて、胃がしくしくと痛くなった。
一刻も早く転職しなくては。
それが叶わないのなら、せめて部署異動をお願いしたい。
切実に願いながら、表面上は愛想笑いを浮かべる。隊長の言葉に、従順に頷いてみせた。
一方、レナードは冷たい態度を崩さずに、口を開く。
「あの学校に部外者が侵入することは困難だ。闇纏いは、生徒か教師の可能性があるということですか」
「その通りだ。君たちには学校に向かい、事件の調査に当たってもらいたい」
「え!? そん、ちょ、むり、なんっ……待ってください!」
言いたいことが多すぎて、言葉の端切れがたくさん零れた。
ルシルは必死に告げる。
「わ、私たち!? ということは、私と……デイブレイクさんで!?」
「その名で呼ぶな」
レナードは冷ややかな口調で告げる。そして、8年前とはまるで異なる、優しさの欠片もない視線をルシルへと向けた。
彼のこの表情と口調は苦手だ。確かにレナードは見た目が恐ろしく整っているし、多くの女性から憧れを抱かれる存在であることもわかる。だけど、ルシルにとってのレナードは8年前――自分たちが学生時代であった頃の、優しく愛想のいい少年なのである。今とはギャップのありすぎる態度を目の当たりにすると、胸が苦しくなってくる。
そんなレナードと2人きりで任務に当たるなんて――無理だ。
「どうして、私たちなんですか!?」
「君たちがシルエラ魔法学校の出身者だからだよ。母校なのだから、内部についてもある程度、知見があるだろう?」
「それは……!」
ルシルは任務を引き受けたくない一心で、言い訳を考える。
「ええっと……私はまだ新人ですので。荷が重いかなと……。デイブレ……レナードさんの足を引っ張りかねませんし」
「変わらない」
その言葉を、レナードはばっさりと切り捨てた。
「え?」
「君がいようと、いなかろうと、何も変わらない。隊長、事件の資料は?」
「はい、これだよー」
レナードはクラリーナから資料を受けとると、さっそく熟読を始める。ルシルの存在はまるで無視である。間を開けてから、ルシルは彼が言いたいことを理解した。
(あ、そういうことか。私の存在なんて、いてもいなくても変わらないから、どうでもいいと……)
そういう意味だったようだ。資料の共有もしてくれなさそうだし、そもそもルシルと一緒に仕事に当たるつもりもないのだろう。
理解すると同時に、ルシルは憤った。
仮にも仕事の後輩に、この態度――0点だ。この瞬間、レナードは先輩にしたくない男ナンバーワンと、一緒に仕事をしたくない男ナンバーワンを同時に獲得した。
(この男、礼儀とか思いやりもどっかに置き忘れてきたの?)
ルシルはむかむかとしながら、レナードに続いて部屋から退出しようとした。
すると、
「あ、待って。レナードさん。君に少し話しておきたいことがあるんだ」
クラリーナの声がかかる。振り返ると、クラリーナはルシルに対して『行っていいよ』という素振りを見せた。怪訝に思いながらも一礼して、先に隊長室を後にする。
◆
ルシルが行った後――クラリーナとレナードは向かい合っていた。
クラリーナは苦い顔付きで話し始める。
「君、昨日の尋問でまたやりすぎたようだね。闇纏いへの過剰な武力行使……これで何度目かな?」
「始末書が必要ですか」
「そうじゃない。私はね、君のことを心配しているんだよ。君は市民からの人気も高いし、実力だってある。本来なら隊長や団長になれるほどの器を持っているというのに……毎回、闇纏いとのいざこざを起こしてくれるし。ほら、8年前のあの件だって」
クラリーナの言葉に、レナードの瞳から完全に光が消えた。
この話題になると、この男はこんな風に死んだような目付きを浮かべる。それほどレナードにとって、8年前のことは思い出したくない記憶なのだろう。
「君がルシル・リーヴィスとは同級生で、仲が良かったことは知っているよ。彼女を信じたい気持ちはわかる。だけどね、世間一般では……」
「ルシルは、悪女ではありません。誰も殺してないし、誰も傷付けていない」
強い口調で、レナードは言い切った。
「俺は何度も主張したはずだ。ザカイアを倒したのは俺じゃない。ルシルなんだと」
「うーん……そうやって、彼女を庇おうとするのもほどほどにね。次は8年前の時のように、私も君をフォローしてあげられるとは限らない」
「フォローしてもらわなくて結構です」
冷ややかに言い放つと、レナードは隊長室を後にした。
彼が去った後、クラリーナは静かに独り言ちた。
「……君がルシル・リーヴィスのことをどれだけ信用していようとも。世間では、彼女は紛れもない悪女とされているんだよ」
◆
職場から帰宅し、自宅――。
レナードは薄暗い部屋の中で佇んでいた。彼は本棚から1冊のノートを手にとる。古びたノートだ。表紙には薄れたインクで、「ルシル・リーヴィス」と書かれている。
彼はノートの表紙をそっと撫でた。
(…………ルシル)
その名はレナードにとって、特別な意味を持っているものだった。
彼女の名を胸の内で唱えるだけで――彼女の姿を脳裏に思い浮かべるだけで、鋭い痛みが心臓を突き刺す。
彼女の死から、8年。
長い年月をかけても、彼女の声も、姿も、レナードの中から風化することはない。目をつぶれば、魔法学校時代のことを今でも鮮明に思い出すことができる。
『――リオ』
彼女に名前を呼ばれる瞬間。
自分に向けられた笑顔。
きっと、この先もずっと――。
自分の中から消え去ることはないだろう。
世間では『稀代の悪女』だと思われている、ルシル・リーヴィス。
だけど、自分だけはルシルが悪女ではなかったことを知っている。
レナードの胸にある想いが世間に知られたら、皆が口をそろえて『どうかしている』と言うだろう。
もう8年も前に死んだ人間を……それも、あの稀代の悪女を、ずっと想い続けているだなんて。
しかし、誰にも理解されなくても構わない。
これからも、レナードは永遠に彼女を想い続ける。
レナードは自分の固有呪文を胸中で唱えた。
(……メリス・ティア)
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