5 思い出の魔法学校

「きゃああああ!」


 上空にいる時からその声が聞こえてきて、ルシルはうんざりとしていた。

 まだ地上に降り立っていないのに、この騒ぎである。


 この男――どれだけ目立つつもりなのか。


 ルシルは忌々しい目付きで、前を飛ぶ男を睨みつける。

 騎士隊長クラリーナから依頼を受け、ルシルたちは(お互いに)嫌々と調査に赴くことになった。まずは現場で情報収集だ。

 というわけで、2人は母校――シルエラ魔法学校へとやって来ていた。


 レナードは隊長室で顔を合わせた時から変わらず、1人で調査を行うつもりらしい。ルシルへの気遣いは0であった。ほうきの飛ぶスピードを合わせてくれる様子もない。ルシルが本当に新人であれば、騎士団を飛び立った段階で即刻置いていかれていたことだろう。


 しかし、ルシルの前世はこの国でもっとも有名な悪女。魔王の右腕を務めた、ルシル・リーヴィスなのである。そんなわけで、猛スピードで飛行するレナードの箒にも、難なく合わせることができていた。


 こうなってくると、レナードがルシルを空気のように扱ってくれることがありがたい。そのおかげで、ルシルも普段は隠している実力を否応なく発揮して、箒を飛ばすことができたのだから。


 そうしてやって来た、学校の上空。シルエラ魔法学校は郊外に敷地を構えている。周囲は森や川に囲まれた、閑静な場所。城のような立派な外観の建物が校舎だ。

 レナードが高度を下げていくと、生徒たちの声が飛んできた。


「ねえ、あれって……レナード様じゃない!?」


 その後はもう大騒ぎだ。校庭にいた生徒たちは背伸びして空を見上げるし、教室では窓を開けて、多くの生徒が身を乗り出している。教師たちが必死で生徒を宥めている様子も見えたが、無駄なようであった。

 特に女生徒は大興奮で、レナードの名を呼んでいる。

 レナードは今や、この国の有名人。巷では、彼の写真が高額で取引されているという話も聞く。


 大人気の英雄の姿を、ルシルは冷めた視線で観察していた。使い魔のココはルシルの肩につかまって、校庭を見下ろしている。風が吹くと、黒い毛がふぁさふぁさと揺れた。


「わー。大盛況だね」

「そうね。こうなることがわかっているんだから、変装でもしてくれればいいのに」


 ルシルが愚痴ると、レナードが振り向く。鋭い視線を向けてきた。

 こいつは地獄耳か、とルシルは内心でげんなりする。レナードは冷ややかに言い放った。


「……なぜ、いる」

「は? いちゃ、だめなんですか?」


 むっとして、つっかかるような口調になってしまった。


「レナードさんはすでにお忘れかもしれませんけど、私たち、隊長から2人で・・・任務にあたるようにと言われてますよね」

「箒に乗るのが下手だと聞いていたが? 新人」


 新人がついてこれないスピードを出していた自覚はあるらしい。それなのにルシルが難なくレナードのスピードに合わせられたことを訝しんでいるのだろう。


(それなら、もっとゆっくり飛びなさいよ……。なんて冷酷な男なの?)


 だんだん、この不愛想で可愛げのない男に気を遣うのも面倒になってきた。ルシルはそっけなく答える。


「さあ? たまたま追い風に乗れたんですかね」


 つんと顔を背けて、レナードの先を敢えて飛んでいく。向こうが気を遣ってくれないのだから、ルシルが先輩の顔を立てる必要性もないはずだ。


 シルエラ魔法学校は、この国に存在する三大魔法学校のうちの1つだ。今やもっとも有名な魔法学校とも呼べるだろう。それは英雄・レナードの出身校だからである。最近は三大魔法学校の中でも抜きんでて、入学希望者が殺到しているらしい。


(同時に、悪女ルシルの出身校でもあるんだけどね……)


 ルシルたちが校舎の玄関口へと降り立つと、1人の教師が出迎えた。


「やあやあ、レナードくん! 久しぶり。よく来てくれたね」


(…………最悪)


 中年の男性教師だ。見覚えのある顔だったので、ルシルは内心で毒づいた。

 8年前、ルシルたちがこの学校の生徒だった時から、教師を務めていた男だった。できれば顔見知りには会いたくなかったのだが……。


 担当教科は魔法陣学。

 デニス・アイグナー。


 当時はルシルやレナードとはそんなに関わりがなかった教師であると記憶しているが、彼はやたらと親密そうにレナードに声をかけた。


「ずいぶんと背が伸びたじゃないか、ええ?」


 懐かしむように目を細めて、レナードの背をばんばんと叩いている。ルシルは内心で失笑した。レナードは在学中から背が高かったし、その頃から大人びた容姿をしていた。


 そういえば、デニスはやたらと生徒の贔屓ひいきが激しい教師であったことを思い出す。自分のお気に入りの女子生徒だけを可愛がり、一方で男子生徒にはあまり興味を抱いていなかった。当時の彼は、レナードのことを気にかけていなかったようだし、大した思い出もないにちがいない。


 しかし、今となっては国の英雄となったレナードの『恩師である』という立場を、周りにアピールしておきたいのだろう。ひとしきり馴れ馴れしくレナードに話しかけた後で、ようやくこちらの存在に気付いたかのように、彼はルシルの方を向いた。


「ええっと、……それと、アンジェリカさん。君もよく来てくれた。久しぶりだね」


 ルシルはまたもや内心で失笑した。

 デニスが「誰だろうこいつ」というような表情を浮かべたからである。

 なぜ、今年の3月まで在学していたはずのアンジェリカについて、そんなに記憶が曖昧なのだろう。8年前に卒業したレナードには、あんなに馴れ馴れしい様子を見せていたくせに。


(きっと、アンジェリカはそんなに目立つ生徒じゃなかったのね……)


 アンジェリカは小柄で大人しそうな見た目をしている。容姿としては平凡な方だ。そのため、デニスのお眼鏡にかなう女生徒ではなく、彼から興味を持たれていなかったのだろう。


 デニスに案内されて、ルシルたちは会議室へと向かった。

 校舎に入ってからも、常に生徒たちからの視線を感じていた。幸い、授業時間内だったので、教室を抜け出してまでやって来る生徒はいなかった。しかし、廊下を歩いていると、少しでもレナードの姿を見ようと、教室内から視線が突き刺さる。中にはドアを開けて、こちらを覗いている生徒もいて、教師から叱責を受けていた。


 ルシルたちが会議室に到着すると、デニスは相変わらずレナードだけに馴れ馴れしく話しかけた。


「君の黎明騎士団での活躍は、たびたび耳にしているよ。君のような優秀な者が、我が校の卒業生であるとは、私も鼻が高い!」

「デニス先生。私たちは今日、この学校で起きている事件について調査に参りました」


 レナードはデニスの世間話にいっさい応じず、冷ややかに言い放った。

 彼の不愛想さがルシルは苦手だったが、今だけは痛快に思った。「その調子!」と応援したい気持ちになる。

 デニスは鼻白んだように顔をしかめる。それを気にせずに、レナードは容赦なく続ける。


「まずは状況の説明をお願いします」

「ああ、そうだったね。ええっと、それが……目覚めないんだ」

「というと?」

「ここ数日、我が校の生徒が次々と眠りにつくようになってね。その生徒たちが、目覚めなくなってしまったんだよ。検査の結果、健康状態には異常はなく、眠っているだけとのことだ。何らかの呪いをかけられているようだ。1人目の生徒が眠り始めたのは、今から1週間ほど前のことだった。それから続けて、眠りにつく生徒たちが現れて……」

「そのような症状が出ている生徒は、何人いますか」

「5人だ」

「その生徒たちは、今はどこに?」

「君たちも知っているだろうが、我が校は全寮制だ。件の生徒たちは皆、寮の医務室で眠っているよ」

「案内してもらえますか」

「わかった」


 デニスに案内されて、ルシルたちは寮へと向かうことにした。

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