前世で悪女をしていた者ですが、
村沢黒音
第一部 魔法学校編
1 世界から嫌われる悪女(←前世)です
素敵な夜――と形容するには、上空にかかった雲が分厚すぎた。
どんよりとした夜空が街にのしかかる。空を見上げるよりも、空から見下ろす光景の方が煌びやかだった。市内ランドゥ・シティには大小様々なビルが立ち並び、そのどれもが光を灯している。夜でも静まらない活気が、曇天にまで漂ってくるかのようだ。
その
「……夜でも賑やかな街ね」
吐息のようなつぶやきが、夜空にぽつりと落ちる。
風のない夜だった。それでも彼女の艶やかな黒髪と服の裾は、はためいている。それは彼女がゆっくりと飛行しているからだ。
まったりとした空中飛行――それを、鋭い声がぶち破った。
「アンジェリカ! 奴を見つけたのか!?」
下方から飛んできたのは、1人の男性だった。彼も箒にまたがり、宵闇の中を飛行している。
彼はアンジェリカの下まで飛んでくると、焦ったように尋ねた。
アンジェリカは困った表情でほほ笑んだ。その瞬間、彼女の箒がバランスを崩して、もたついた飛行になる。
「すみません、まだ箒に慣れてなくて」
がくがくと揺れる箒、それを必死で抑えこむようにアンジェリカは箒の柄を握りしめた。男は咎めるように顔をしかめる。すると、別方向から声が飛んできた。
「新人ですもの、仕方ないわ」
やって来たのは金髪の女性だった。箒に横向きに腰かけて、アンジェリカの前方に浮遊する。
男は舌打ちを呑みこんだような、苦々しい顔付きで、
「お前に合わせていたら、奴をとり逃がしてしまう! 先に行くぞ!」
アンジェリカを置き去りにして、飛び去った。金髪の女性は気遣うような視線を向けてから、男を追いかけていく。
彼らの姿が闇に紛れて、見えなくなる。すると、アンジェリカは、ふ、と小さな笑みを漏らす。途端に彼女の箒は落ち着き、また優雅な飛行に戻る。
滑らかに――しかし、彼らに追いつかないようにゆっくりと。
アンジェリカは夜空の中を飛んで行く。
「……まるでヘビだね」
呆れたような声が告げた。アンジェリカの肩の上に、もふ、としたものが乗っかる。ふわふわの黒い毛に覆われた、コットンボールのような生き物だ。
毛に埋もれるようにして、赤い瞳が2つ、黄色いくちばしが生えている。
「ヘビ?」
アンジェリカが聞き返すと、黒い毛並みが、もふもふっ、と震えた。どうやら頷いたらしい。
「そう、彼らの飛行がね」
「ヘビって、捕食の動きは早いイメージだけど」
「冬眠から目覚めたばかりのヘビだよ。ネズミが体の上でダンスしていても気付かないだろうさ」
毛玉――使い魔の言葉に、アンジェリカはくすくすと笑った。もふもふの毛並みをつついて、たしなめる。
「こら。本当のことを言っちゃダメよ?」
「ねえ、ルシル! 彼らを追い抜いてやろうよ」
その名前で呼ばれると、アンジェリカは嫌そうに眉をひそめた。
「そっちの名前で呼ばないで。今の私は、アンジェリカよ」
「おっと。そうだったね。アンジェリカ……うーん、この名前、言い慣れないよう」
「慣れてくれなきゃ困るわ。うっかり前の名前で呼ばれようものなら私……」
「処刑されちゃう!?」
「……それは、まだマシな方かもね」
アンジェリカは目を細めて、笑った。幼く見られがちな顔付きに見合わない、妖艶な笑みだった。
箒が
しかし、それをしている本人の容姿はというと――垢ぬけない雰囲気の漂う、10代後半の女性だ。
小柄で頼りない雰囲気の見た目。顔付きも童顔気味のため、「まだ学生です」と言っても通じるだろう。
アンジェリカ・ブラウン。
それが
「さて。追いかけっこはどうなったのかしら。そろそろ様子を見に行きましょうか」
容姿に似合わぬ、妖婦のような笑みを零す。
彼女は箒の柄を握りしめ、呪文を唱えた。
「タナト・フェロウ」
その瞬間、周りの景色が歪む。陽炎のように揺らめて、アンジェリカの全身を覆った。すると、彼女の姿は宵闇の中に同化して、見えなくなる。
「わーふ、さっすが! でも、幻影術って、何だか、毛がわさわさして落ち着かないよ」
「ココちゃん、声は出さないでね。姿が見えなくなってるだけだから」
「おっと」
窘められると、ココは翼でくちばしをふさいだ。
次の瞬間――アンジェリカの箒は速度を上げる。眼下の街並みが猛スピードで後方へと流れた。点々とした明かりが繋がれ、光の川のように見える。その上を飛ぶ彼女は、まるで光の波を乗りこなすサーファーのようであった。
煌々とした下方に反して、上空には濃い闇が広がっている。
やがて、その闇の中に火花が浮かび上がった。発生箇所は2つ。別方向から生じた火花が激しく衝突し、辺りに散った。
魔法同士のぶつかり合いだ。激しい光景にそぐわず、上空は依然として静謐な雰囲気に満ちている。音を立てずに光がぶつかり合うのは、魔法による攻防の光景であった。
アンジェリカの前方を飛ぶ箒の数は、3つ。
そのうち2つは先ほどアンジェリカに声をかけてきた2人――職場の同僚たちである。2人が追いかけているのは男だった。
男は箒にまたがって進みながら、顔だけを後ろに向けている。火花によって照らされた相貌は、異様だった。目は血走り、口元には不気味な笑みを湛える。縦横無尽な飛行のせいで、ボサボサの黒髪があちこちに舞った。
「大人しく投降しなさい!」
鋭い声で告げたのは、先輩女性だ。彼女は掌を彼へと向け、狙いを定めている。
「ひははっ! 騎士団の犬どもめッ! ザカイア様の英智を引き継いだ俺様に、敵うつもりか!?」
男は呪文を高らかに叫ぶ。彼の指先から、霧状の闇が散開した。それが先輩2人へと降りかかる。
「何だ!?」
見慣れない魔法に2人は狼狽する。
呪文を唱え、防御壁を作り出した。
その光景を目にして、アンジェリカは眉をひそめる。
(……通報は正しかったみたい。本物の
逃げている男が使用したのは闇魔法だ。現在は法律によって使用が禁止されている。闇魔法を使う魔導士は
そして、その行政機関がアンジェリカたちである。彼らは現在、犯罪者を追跡している最中だったのだ。
男が使用した闇魔法は、一般的には効能が知られていない。ニッチな魔法の1つだ。アンジェリカも、
闇魔法『毒霧』。
毒を霧状に噴射して、相手を痺れさせる魔法だ。この魔法の厄介な点は、通常の防御魔法では防ぐことができないというところだった。このままでは先輩たちが闇魔法の
アンジェリカは密やかな声で唱えた。
「タナト・フェロウ」
その呪文が誰の耳にも届かないように、細心の注意を払いながら、魔法を行使する。
一陣の風が吹き抜けた。その風が毒霧を散らしていく。
「ひあ!?」
犯罪者の男は目論見が外れ、目を見開いている。そこに先輩たちの魔法が襲いかかった。
光のロープが彼の体に巻きつく。犯罪者を捕縛する時に使われる魔法だ。
「うげッぁ!」
男はがんじがらめに拘束され、箒から身を投げ出した。それを男の職員が受け止める――もちろん、魔法でだ。浮遊魔法により、犯罪者の体は宙へと浮かんだ。
(……上手くいったみたいね)
その光景を確認すると、アンジェリカは飛行速度をゆるめる。彼らからいったん距離をとると、幻影術を解除した。
「めんどくさいことしてるよねえ」
使い魔の鳥が、呆れたように告げる。
「仕方ないでしょ」
もっともな指摘に自分でもげんなりしながら、もう一度、速度を上げる。そして、アンジェリカは先輩たちの箒に追いついた。
「すみません、遅くなりまして……あれ、もう、終わってますか?」
尋ねながらも、箒を揺らして、飛行に慣れていない風を装うことも忘れない。
男の先輩は振り返ると、忌々しそうに告げた。
「まったく、新人の中でもお前は特にノロマだな、アンジェリカ!」
「まあまあ、アルヴィン。彼女を責めても仕方ないわ。それに、こうして無事に被疑者も逮捕できたことだし」
女性の先輩は穏やかに言う。
アンジェリカは捕縛されている男を見て、目を丸くした。「さすがです、先輩」と言うと、アルヴィンは誇らしげに鼻を鳴らす。
「当然だ。コイツのような生きる価値もないクズに、我ら高潔たる騎士団が屈してなるものか」
「さて、それじゃあ、彼を本部まで連行しましょうか」
先輩たちの先導に続いて、アンジェリカも箒を降下させていく。
肩の上で、使い魔の小鳥がささやいた。
「ふふ、さすがだね。ルシル」
「その名前はやめてね」
「おっと」
ココはくちばしを翼で覆う。
煌々とした街並みを眺望しながら、アンジェリカは吐息をついた。
「まあ、これで残業は回避できたわね」
くすくすと、闇の中で彼女は笑う。
アンジェリカ・ブラウン。
――またの名を、ルシル・リーヴィス。
自分の真の名を、間違っても先輩たちに聞かれてはならない。
もし、そうなれば――。
アンジェリカは前方に視線を向ける。先輩が魔法で犯罪者の男を浮遊させている。彼は光のロープで捕縛され、身動きがとれないでいる。
もし正体がルシルだとバレたら、自分の未来も彼と同じ行く末を辿ることになるだろう。
+ + +
1話目を見ていただいて、ありがとうございます。
ルシルが前世で悪女だったのには理由があります。
ラストで真相がいろいろと明らかになるので、ぜひ最後まで目を通していただけると嬉しいです。
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