11 思い出の呪文

 その日、ルシルは休みだったので、家でくつろいでいた。


 元はアンジェリカの家だから、内装も彼女好みの仕様となっている。ルシルがこの体に目覚めてから1カ月が経過しているが、今でも他人の家にいるかのようで落ち着かなかった。


 ルシルはソファにもたれて、ぼんやりとしていた。

 ココが室内を飛びながら、呼びかけてくる。


「ルシル! おーい、ルシル。どうしたの?」


 ぱたぱたと舞い降りて、ルシルの膝に乗る。ふわふわの黒い毛を、ルシルは人差し指で撫でた。


「少し考え事をね」

「昨日、学校での事件を解決してから、そんな調子だよ?」

「ポリーナさんの発言を覚えている? 彼女が闇魔法を習得した経緯……」

「ああ、いつの間にか、持ち物にメモがまぎれていたって。そこに闇魔法の使い方が書かれていたみたいだけど……誰かが意図的に、ポリーナに闇魔法の使い方を教えたってこと?」


 その件は騎士団にもすでに報告済みだ。しかし、ポリーナの証言に従って、彼女の部屋を捜索したが、そんなメモは見つからなかった。そのため、騎士団の中では「彼女が責任逃れをしようと嘘をついているのでは?」という意見も存在する。


 しかし、ルシルは確信していた。

 ポリーナは嘘をついていないと。


 それはルシルにとっても、身に覚えがある出来事だからだ。

 ルシルは静かに両目を閉じる。


 まだ自分が穏やかで、楽しい時間を過ごすことができていた時――魔法学校時代の頃に、思いを馳せた。




 ◆  ◇ ◆






 ――今から13年前。






 魔法学校の教室には、生徒たちが着席していた。皆、活気にあふれた顔付きをしている。魔法学校に入学してくる生徒たちの学習意欲は高い。元より魔法に興味を持っている者が多いからだ。


 それが入学したての1年生となれば、なおさらだった。

 入学から1カ月が経過して、ようやく学校生活に慣れ出した頃といったところだろう。


 着席自由の教室なので、友人同士で固まっている。私語をする者はほとんどおらず、教師の話に聞き入っていた。

 ルシルの席は決まって、一番前。

 教壇のすぐ前だ。そして、その横にはいつもレナードがいた。


「固有呪文は、1人1人がちがうものを使います。1人として同じものになることはありません。そのため、呪文を聞いただけで、その魔法は誰が唱えたものなのか、わかるというわけです。固有呪文は、魔導士がもっとも実力を発揮できる言葉となっています。もし自分の固有呪文とは異なる呪文を使って魔法を使った場合、ほとんど効果を発揮することはできないでしょう」


 教壇に立っているのは、ロイスダール・ハザリー。

 若い見た目と、知的そうな顔付きの男性教師で、学校内でも人気が高かった。


 その日の講義は、基礎魔法学だ。

 この国では12歳以下の魔法使用は禁止されている。学生の魔法許可も校舎内のみと指定されていた。魔導士となって自由に外でも魔法を使えるようになるためには、学校で単位を取得し、資格をとらなければならない。


 1年生たちの学習意欲が高いのは当然だろう。彼らはこの学校に入学して初めて、自分専用の呪文を持つことが許され、魔法を使えるようになるのだから。


「さて、来週には、君たちもそれぞれ、固有呪文をどのようなものにするのか、候補を決めて提出してもらいます。固有呪文は一生同じものを使うことになりますから、よく考えて決めてください。ここまでで、何か質問はありますか?」

「はい」


 ルシルはぴんと背筋を伸ばして、手を挙げる。


「ルシルさん、どうぞ」

「以前読んだ本では、固有呪文は変わってしまうこともあると書かれていました。どのような場合、そんなことが起きるんでしょうか?」


 いい質問だと褒めるように、ロイスダールはメガネの奥で目を細める。


「先ほど話した通り、固有呪文は通常、一生同じものを使います。しかし、過去にはこんな例も存在します。事故にあった魔導士が記憶を失い、以前の呪文では力を発揮できなくなってしまったのです。そのため、呪文は体ではなく、心と紐づいているものではないかと言われています」

「その場合は記憶を失って、心が変わってしまったから、呪文も変わったということですか?」

「そうですね。しかし、固有呪文は簡単に変わるものではありません。なぜなら、人の心の本質というものは、簡単に変わるものではないからです。よほどのことが起こらない限り、呪文が変わることはないので、安心してください。――では、今日の授業はこれで終わります」


 彼が言い切ると同時に、チャイムが鳴り響く。

 集中の糸が切れ、教室内には弛緩した空気が流れた。生徒たちの話声であふれて、辺りは賑やかとなる。生徒たちは教科書を片付けて、次々と教室を後にする。


 ルシルも教科書を鞄にしまっていると、レナードが声をかけてきた。


「ルシル。先日の約束を、覚えている?」

「リオ」


 そちらを向いて、ルシルはにこりとほほ笑んだ。


「もちろん! ちゃんと考えてきたわ」


 1年生はまだ自分の固有呪文を決めていない。

 そのため、様々な候補を考えている最中だった。ルシルとレナードは先日、呪文の候補を決めて発表し合おうと約束を交わしていたのだ。


「じゃあ、私からね。私の呪文は、『アニス・ヴロウ』」

「意味は?」

「春の雨」

「雨? 意外だね」

「次はリオの番よ」

「僕は『グリ・ラノス』。意味は灰色の空」

「灰色のそらぁ~? パッとしない!」

「ルシルだって『雨』じゃないか。似たようなものだよ」

「春の雨って、どことなく優しい感じがあるでしょ? でも、リオは『灰色の空』、つまり『曇り』よ! どんよりした感じしかしないじゃない! 今からでも遅くない! 変えようよ」

「でも、僕はこれが一番しっくりとくるんだ」


 穏やかで優しげな眼差しを、レナードはルシルへと向ける。

 澄んだ青色の瞳はまるで、爽やかな青空を連想させる。やっぱり灰色なんて彼には合わない、とルシルは思った。


「『空』はいいけど……リオのイメージなら、『青』とか、『晴れ』とかの方がいいわよ」

「そうかな」


 2人は鞄を肩にかけると、歩き始めた。

 シルエラ魔法学校の講義室は、階段席となっている。出入り口は教壇からは遠い。話していたせいもあって、教室を出るのが最後になっていた。

 ルシルは階段を登りながら、先ほどの講義のことを思い出していた。


「そういえば、さっき先生が話していたけど、途中で固有呪文が変わってしまうなんて……本当にそんなこと、あるのかな?」

「長い人生の中では、自分という軸が揺らいでしまうほどの経験をすることもあるだろう」

「想像もつかない。どんなことが起きたら、そんなことがありえるの?」

「そうだね。たとえば……」


 レナードは考えこむようにしてから、真面目な顔で告げる。


「自分の大切な人に何かあったら……その人を大切に想う気持ちがあるほどに、心は耐えられなくなってしまうだろうね。きっと、粉々に砕けてしまうと思う」

「そんなものかな?」


 ルシルにはぴんとこない話だった。何が起きても、自分という芯は揺らがないのではないか。若さゆえにそんな自信に満ちあふれていた。


「でも、私は変わらないわ。どんなことがあっても、私は私でいる! 私は一生、この呪文……『アニス・ヴロウ春の雨』を使い続けるの」

「君は強いからね、ルシル」


 ルシルの横顔をちらりと見てから、優しげにレナードは笑った。

 廊下へと出ると、


「次は選択授業だね。僕は『調合学』だ」

「リオも『魔法陣学・応用』をとればよかったのに」

「興味はあったけどね。また放課後、ノートを貸してくれる?」

「もちろん。それじゃあ、後でね」


 2人は階段のところで別れた。レナードは階下へと、ルシルは上の階へと向かう。ルシルが階段を登りきろうとしたその時、


「きゃ……!」


 急に壁の陰から誰かの足が伸びて、ルシルの足を引っかける。ルシルはつまづいて、段差の角にすねをぶつけた。


「あら、ごめんなさい~」


 にやにやとした声で言ったのは、1人の少女だった。

 同じ1年生のリリアン・ドイルだ。その後ろには、取り巻きの女子2人の姿もある。彼女たちは皆、薄ら笑いを浮かべていた。


 リリアンはわざとらしく謝ると、その場を去ろうとする。その背中にルシルは毅然とした声をぶつけた。


「待って。リリアンさん。これで3回目よ。私に何か言いたいことでもあるんじゃない? そんな回りくどいことしてないで、はっきり言ってくれる?」


 ルシルが物怖じせずに言い切ったので、癪に障ったのだろう。振り返ったリリアンは、怒りにこめかみを震わせていた。


「本当にわからないの? なら、教えてあげる。マクルーア家は代々、有名な魔導士を輩出している名家よ。あなたとちがってね」


 マクルーアはレナードの姓だ。彼はこの学校に入学する前から有名人だった。魔法界隈において、その名を知らない者はいない。エリート魔導士を数多く輩出している名家であった。


「だから? それが何?」

「レナードには、あなたみたいな貧乏人はふさわしくないの。彼に付きまとうのは、やめてくれる?」


 レナードが有名なのは血筋だけではない。彼の容姿も影響している。実際、入学時には『ものすごく綺麗な男の子が入学してきた!』と、上級生の間で騒ぎになっていたらしい。


 ルシルも普段、レナードと一緒に行動しているので、彼がいかに周りから注目を浴びているのかということは理解している。2人で廊下を歩いていると、周囲からの視線が突き刺さるのだ。


 レナードには憧れの視線を、ルシルには妬みの視線を。


 リリアンだけでなく、ルシルに因縁をつけてくる生徒は他にもいた。上級生につめよられたこともある。彼女たちは必ず、レナードがいなくなって、ルシルが1人になったタイミングを狙ってくるのだった。

 しかし、ルシルは誰に何を言われても動じなかった。


「貧乏人の家にもね、家訓があったりするものよ。1つは、自分の友達は自分で選ぶってこと。それと、もう1つは」


 ルシルはしれっと言い返すと、リリアンの脚をひっかけた。「きゃあ!」リリアンは大げさに騒いで、その場で尻もちをつく。


「やられたら、やり返す!」


 ルシルはそう言い捨てると、構わず廊下を歩いて行った。





 ――ルシルが去った後で。


 リリアンは憎悪をたぎらせた視線で、彼女を睨みつけていた。


「許さない……。レナードにふさわしいのはアンタじゃない。私よ」

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