12 人生の分岐点


 シルエラ魔法学校では、低学年の間だけ『体力育成』という授業が存在する。1年生の間は魔法もほとんど使えないので、一般学校と同じようなカリキュラムが組まれていた。

 その日の5限目は、『体力育成』の授業だった。

 運動着に着替えて、校庭でボールを使うスポーツを行うのだ。『体力育成』の授業は女子と男子に分かれている。


「ねえ、ベラ。一緒に……」


 ルシルは友人に声をかけようとした。学校に入学してから1か月が経って、それなりに友人も増えていた。

 しかし、ベラはルシルを見ると、顔を歪めてそっぽを向く。慌ててその場を去って行った。


 ルシルは目を丸くして、立ちすくんだ。昨日まではルシルが話しかけると、笑顔で応じてくれていたのに。


 次に、他の友人に声をかけようとする。しかし、ルシルが話しかける前に、その友人もさっと目を逸らして、その場を去った。

 くすくすという笑い声が聞こえる。リリアンと取り巻きたちが、こちらを見て、楽しそうに笑っていた。

 そこでルシルは理解する。リリアンが友人たちに何かを吹きこんだのだろう。


 なぜレナードと仲良くしているだけで、こんな仕打ちを受けなければならないのか。ルシルは納得がいかなかった。


 授業ではペアでボールを蹴ることになったが、ルシルと組んでくれる者は誰もいなかった。ルシルは1人でボールを蹴り続ける。

 リリアンに弱みを見せるのが嫌で、「1人でも平気です」という素振りをとった。しかし、他のクラスメイトはみんなペアになっている中で、ひとりぼっち――それは心が絞られるほどに苦しいものだった。


 針のむしろのような時間が終わり、チャイムが鳴る。

 ルシルはホッと胸を撫で下ろした。


「誰か、ボールの片付けを頼む」


 教師がそう言うと、リリアンが手を挙げる。


「はい! 私とルシルさんでやります」


 ルシルはぎょっとして、リリアンを見る。彼女は「私たち、仲良しなんです」というような白々しい笑顔で、ルシルを見返してきた。


「じゃあ、よろしくな」


 教師は何も疑問を抱かなかったらしく、そう告げる。

 どういうつもりなのか、とルシルはリリアンを睨みつける。しかし、リリアンは友人たちと楽しそうにお喋りをしながら、その場を去っていくところだった。――ボールの片付けを放棄して。


「ちょっと……! リリアン!」


 声を上げるも無視される。ルシルはボールかごと共に、その場に残された。

 ルシルの胸には、ちょっとの怒りと、たくさんの虚しさが募る。


(まったく……やることが幼稚なのよね)


 こんなの大したことじゃない。

 そう自分に言い聞かせながら、ルシルはボールかごを押して、倉庫へと向かった。倉庫は校庭脇に建てられている。その中にボールかごを押して入った、その時だ。


 ――がしゃん。


 倉庫の扉が閉じられた。陽ざしが遮断されて、中は薄暗くなった。


「え……!?」


 ルシルは慌てて扉へと歩み寄る。スライド式の扉はどんなに引っ張っても、びくともしない。外から鍵がかけられているのだ。

 楽しそうな笑い声が、外から聞こえてくる。リリアンだ。


(……いくら何でも、ここまでする?)


 他に誰かいないのか。ルシルは声を張り上げて、助けを求める。しかし、リリアンたちの声が遠ざかると、辺りは静寂に包まれた。人の気配はない。

 倉庫には天窓があるが、小さくて、人が通ることはできない。そこから差しこむ夕日はどんどんと細くなっていく。もうすぐ日が暮れるのだ。

 ルシルは倉庫の片隅で、膝を抱えて座りこんだ。


(さむい……)


 季節は春。それでも日が落ちた後は、気温が下がる。運動着姿のままだったので、ルシルは軽装だ。自分の腕を抱きこんで、体を震わせた。


「アニス・ヴロウ」


 考えたばかりの固有呪文を唱えてみる。体を温める物がほしい、それがダメなら、せめてわずかでも明かりがほしい。

 そう願いながら、魔法を唱えた。

 しかし、何も起きない。


 ――まだ魔法の使い方を習っていないのだから、当然だ。


 ルシルは昔から魔法が好きだったので、たくさんの本を読んで知識を蓄えていた。しかし、魔法の歴史や偉人については詳しくなっていたが、使い方は知らなかった。

 魔法の使い方やそれに関わる書物は、魔法学校で保管されており、門外不出となっている。それらは学校に入って初めて学ぶことができるのだ。

 その後も何度か呪文を唱えてみたが、何も起こらなかった。


(魔法が使えたら……こんなところから、すぐに出られたかもしれないのに……)


 やがて、細々とした夕日も消え去り、倉庫内は真っ暗となる。すると、ルシルの心にも影が伸びてくるかのように、急激に心細さと恐怖に包まれた。ルシルは自分の体を抱きしめて、体を震わせる。


 大丈夫――大丈夫。


 そう言い聞かせてきた心が決壊して、目尻に涙が浮かぶ。恐怖のあまり、声を上げて泣き出しそうになった、その時だ。


 ――倉庫の扉が開いた。


 月明かりが室内に差しこむ。わずかな光でもルシルにとっては、眩しく感じるものだった。


「ルシル! よかった。ここにいたんだね」


 顔を覗かせたのはレナードだった。

 その穏やかな表情と眼差しに、ルシルの緊張の糸は一気に切れた。


「……リオ」

「探したよ」


 安堵がじんわりと胸の中に広がっている。ルシルが呆然と彼の顔を見上げていると、レナードはしゃがみこんで、ルシルの手を握った。


「君の手、冷たい。これを着て」


 自分の上着を脱いで、ルシルの肩にかぶせる。そして、優しくルシルの手を引いた。ルシルはまだ夢の中にいるかのような気分で、ぼんやりとしたまま立ち上がる。


「歩ける?」

「……うん」


 ルシルは上着を引き寄せる仕草で目元を隠し、目尻を拭く。レナードに泣いていると気付かれたくはなかった。

 そして、いつも通りの明るい声を出そうと、笑ってみせる。


「リオ、どうして私が寮に戻ってないってわかったの? 男の子は女子寮には入れないじゃない」

「放課後、ノートを借りる約束をしていただろ? 君は約束をほっぽりだしたりはしない」


 レナードはルシルの手を握ったまま、優しくほほ笑んだ。


 ――やっぱり、曇りじゃなくて、晴れやかな空の方が似合うよ。


 ルシルは心の中でそう思った。レナードがほほ笑むだけで、辺りの空気がぽっと温かくなって、冷えていたルシルの胸までじんわりとしてきたのだから。


「さあ、帰ろう」


 レナードに手を引かれて歩き出す。倉庫から出たところで、ルシルは気付いた。


「待って、リオ。荷物……更衣室に置きっぱなしなの」

「明日じゃダメなのかな?」

「ダメよ。今日の課題ができないじゃない」

「なるほど。それは大問題だ」


 レナードが真面目な顔で頷くものだから、ルシルは笑った。

 2人は校舎の方へと歩き出す。闇に沈んだ校舎は、普段の活気あふれた場所とは異なっている。まるで裏の顔を持っているかのように、冷たい空気で2人を迎えた。


 入り口はまだ施錠されていなかったので、中に入ることができた。中は不気味なほどに静まり返っている。

 ルシルは自分でも気付かないうちに、レナードの手を強く握りしめていた。


「校則違反だね」


 レナードがおどけたように言う。


「真面目で優等生の君が、初めて犯した校則違反になるんじゃない?」

「優等生なのはリオの方じゃない。……ごめんね……付き合わせて」

「ううん。何だかドキドキしてるよ」


 一人でこの闇の中を進んでいくのは、とうてい無理だったろう。レナードの存在が、温かな掌が、今はとても心強かった。

 もう少しで更衣室にたどり着くという――その時だ。

 足音が響いた。魔法で作られた光が、視界の隅に映りこむ。


「先生だ」


 レナードが密やかな声で告げて、ルシルの手を引っ張った。そばにあった教室に入る。ドアの脇に隠れると、レナードはルシルの体を壁に押し付けた。その上から覆いかぶさるようにする。レナードと体が密着して、ルシルはハッと息を呑んだ。


 ――こつ、こつ。


 廊下に響く足音が、大きくなっていく。


 それに呼応するように、ドキ、ドキ。


 見つかったらどうしようという恐怖心と、レナードに抱きしめられているような体勢による緊張感で、鼓動が激しくなった。

 先生の足音が一際大きく響いて、すぐそばを通っていくのだとわかった時、ルシルの心臓はより高鳴った。


 魔法で作られた光が廊下から差しこんで、教室内を照らし出す。――その光が徐々に消えて行って、足音も遠のいた。


 音と光が完全になくなると、レナードとルシルは同時に息を吐いた。


「「ふう……」」


 ため息が重なって、2人は目を見合わせる。そして、同時に笑い出した。


「あー、もう、怖かった……」

「もう少しで見つかるところだったね」

「不思議ね。忘れ物をとりにきただけなのに、何だかとっても悪いことをしている気分」


 2人はもう一度手を握って、廊下へと出る。更衣室に入ると、ルシルのかばんはロッカーに置いたままとなっていた。


「よかった」


 鞄を抱きしめて、ルシルは安堵の息を吐く。

 一方、レナードは怪訝そうな顔付きで、考えこんでいた。


「どうしたの、リオ?」

「いや……さっきの先生、この更衣室から出てきたように見えたんだけど……。気のせいかもしれない」

「先生も、忘れ物をとりにきてたんじゃない?」


 ルシルはそう言って、小さく笑った。

 もう怖さは完全に吹き飛んでいたけれど、帰り道も2人は手を握ったままだった。




 寮の門限までには、帰ることができた。

 レナードと別れて、ルシルは自室へと戻る。胸のドキドキがまだ引かないまま、ルシルは勉強机に座った。

 今のうちに課題をやってしまおうと、鞄を開く。


 すると――


「あれ? 何、これ……」


 教科書とノートに、紙束が挟まれていた。

 とり出してみると、その紙には何かがびっしりと書きこんである。

 数行目を通してから、ルシルはハッとした。


(すごい……! 魔法の使い方だ! こんなに詳しく書いてある……!)


 ――どうして、自分の鞄にこんなものが?


 そんな当然の疑問を、好奇心と興奮が打ち消していく。

 早く知りたいと熱望していた、魔法の使い方。それが目の前にあるのだ。

 今日のように、不測の事態が起きた時、魔法が使えれば何とかなったかもしれないのに。そんな思いもあって、ルシルにはそれがとても素敵なものに見えていた。




 その晩、ルシルはそのメモを夢中で読み解いた。

 そして、魔法の使い方を覚えた。


 ――その魔法がどんなものであるのか、よく知りもしないで。




 ◆  ◇ ◆




 学校時代の回想を終えて、ルシルはため息をついた。


(13年前のあの時……私があのメモをすぐに捨てていれば……)


 どんなに後悔しても、時を戻すことはできない。


 ――今から思えば、あの時、すでに道を違えていたのかもしれない。


 のちに、英雄となったレナードと。

 のちに、世界一有名な悪女となったルシル。

 2人の人生において、あそこが大きな分岐点だったのだ。



 ◇



 ――次の日。


 職場についたルシルは、隊長室へと呼び出されていた。


「やあ、アンジェリカさん。先日はお疲れ様」


 隊長室に入ると、クラリーナはにこやかに告げる。


「魔法学校で起きた事件を無事に解決してくれたようで、助かったよ」

「いいえ。私は何もしてません。被疑者を逮捕したのも、レナードさんですから」


 ルシルはそう言って、控えめにほほ笑んだ。


「それで、君にまたお願いしたいことがあるんだけど」

「はい。何でしょうか」

「ここでは基本、2人1組で動いてもらうってことは知ってるよね。闇纏いノクターナルに関わる事件となると、何かと物騒だから」

「はい」

「君のパートナーが決まったよ。――これからは、レナードさんと一緒に行動してもらうことになった」

「……はい?」


 何かの間違いであってほしい。もしくは聞き間違いかな?


 そんな願いをこめて、ルシルは首を傾げる。

 しかし、クラリーナの愛想のいい表情はいっさい崩れない。ニコニコとしたままで、同じセリフをくり返した。


「これから君は、レナードさんと捜査を行ってね」

「なっ……ちょ、な……なぜですか!?」


 ようやく理解が浸透すると、ルシルは慌てた。


「そんなの無理ですよ! というか、レナードさんも嫌がるんじゃないですか!?」

「……何が無理なんだ」


 冷ややかな声が飛んできて、ルシルは固まる。振り返ると、レナードが隊長室に入ってくるところだった。

 感情のこもらない無機質な視線で、ルシルを見つめている。


「この件は、俺から頼んだ」

「へぁ!?」

「いや~、珍しいよね。でも、助かるよ。本当は1人行動は禁止されてるんだけど、レナードさんは長らく誰とも組みたくないってことで、いつも1人でふらふらと行っちゃうしさ。規則違反ばっかりなんだよ、この英雄さん」

「え!?」

「でも、ようやくパートナーを作ってくれる気になったみたいで、私も安心だよ」

「どうして!? どうして、私なの!?」


 レナードは未だにルシルのことを見つめている。まっすぐな視線に居心地が悪くなって、ルシルは内心で冷や汗を流した。

 ふ、とレナードは一瞬だけ、口元を緩める。

 今、笑った……? そんな錯覚を起こすような、曖昧な表情だ。


「君に、興味が湧いた」


(きょうみ!? 興味って何……!?)


 レナードの視線も表情も、そして、セリフも。

 どんな意味を持つのかわからず、ルシルは大混乱に陥るのだった。

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