7 (溺愛)ホームパーティ(どうしてこうなる)

 ――レナードの様子が、おかしくなった。


 捜査のために潜入したホームパーティ……闇魔法の被害に遭うのが愛妻家ばかりとのことで、その演技を求められているという状況ではあったのだが。


「あ、あの……」


 ルシルは今、ピンチに陥っていた。それもただのピンチではない。仮にこの状況が、周囲を化け物に囲まれたというものなら、100通りの切り抜け方が思い付く。とりあえず、呪いから撃つ。


 だが、今のルシルは万事休すである。この状況からどうやって逃げ出したらいいのか、検討もつかない。


 ルシルは元から小さな体を更に縮こませて、視線を漂わせる。少しでも横に目を向けてしまえば、


「……ん?」


 レナードが目尻を下げて、優しげなほほ笑みを向けてくる。


 ――この様子がおかしくなった英雄を、至急どうにかしてほしい。


 とりあえず、解呪の魔法を10発ぶちこめば、正気に戻ってくれるのだろうか?

 少し前まではレナードの不愛想さに辟易としていたし、昔のレナードに戻ってほしいと熱望していた。


 でも、いざ彼に穏やかな笑みを向けられると、今度は愛想を投げ捨てたレナードが恋しくなるのである……!


「どうかしたか?」

「えっ、や、そのぉ……」


 パーティ会場ではリリアンだけでなく、他の参加者たちも絶え間なく声をかけてくる。やはり、レナードの容姿が目立つからだろう。


 しかし、どんな人に声をかけられても、レナードが視界に映しているのはルシルばかりであった。他の人間になんて興味はまったくありませんという様子で、ずっとルシルの方を見ているのだ。その瞳には、愛しいものを眺めるかのように甘い色がたっぷりと宿っている。


 その上、レナードは常にルシルの腰を抱いている。――優しい手付きだが、離さないという意志も感じられるような、強引さも感じられる。


(どうしちゃったのよ、この男~~~!)


 ルシルはすっかり目を回しそうになっていた。

 何か失礼なことを言われたのなら、言い返せばいい。だが、こんなに甘い態度を向けられたら、どんな風に応対すればいいのか、まったくわからない。


 そのため、ルシルはきゅっと唇を引き締め、もじもじと縮こまるばかりだった。

 参加者の中には、ルシルに挨拶をしてくる者もいて、


「奥さまも、どうぞよろしく」


 などと握手を求めてこようものなら、


「ああ、よろしくお願いします」


 レナードがすかさず割りこんできて、その手を握るのだった。相手が妻帯者であろうと、他の男には指一本触れさせまいとしてくるのである。


(ちょ、ちょっと……演技、やりすぎじゃない……?)


 レナードの振る舞いに困り切って、ルシルはますます縮こまるばかりである。

 しかし、この大げさすぎる演技――今回の捜査においては、役に立ったようなのである。


 常に視線を感じる。


 それはリリアンからのものだった。リリアンはさりげなくレナードのそばをキープしながら、こちらを観察している。時折、その口元から笑みが消え、狙いを定める獣のような鋭い視線を向けてくるのだった。


 そして――パーティが始まってから、小1時間ほど経った頃。

 とうとうリリアンが動いた。


「リオさん。私の主人があなたにご挨拶をしたいと言っているの。主人は脚が悪くて……今は家の中にいるのだけど。あなたを彼に紹介してもいいかしら?」


 リリアンはやって来ると、そう告げる。ルシルには興味がないのか、その視線はレナードだけに注がれていた。


「ええ。ぜひ。私もご主人に挨拶をしたいと思っていたんです」


 レナードは愛想よく答える。

 ルシルの腰を抱いたまま移動しようとすると、


「悪いわね。主人は気難しくて……。複数の人と話すのが苦手なの。だから、まずはリオさんだけに挨拶をお願いするわ」


 リリアンが白々しくそんなことを言ってくる。

 ルシルとレナードは素早く目を合わせた。今の言い訳は、どう考えてもきな臭い。明らかにレナードとルシルと引き離そうとしている。


 リリアンの言葉は怪しさしかないが、ルシルたちはこれを待っていたのである。もちろん、誘いに乗らない手はない。

 レナードがルシルの腰から手を離す。ようやく彼から離れることができそうで、ルシルはほっと息を吐いた。


 ――だが、それも束の間。


「行ってくるよ」


 レナードがルシルの手を持って、軽くキスを落としてきたので、ルシルは「ひっ!?」と声のない声を上げた。遅れてから、じわじわと頬を熱くする。


 さすがにやりすぎよ! という抗議をこめて、レナードを睨もうとして――ルシルは息を呑んだ。


 レナードがルシルを見つめている。その甘さの宿った瞳には――わずかに切なそうな色が混ざっていた。

 レナードはルシルの手を離さず、その場から動こうとしない。


「リオさん? こちらよ」


 リリアンが促してくるが、レナードはルシルの手をぎゅっと握ったままだ。その瞬間、彼の眉がわずかに垂れ下がって、不安そうな表情を湛えた。


「どうしたの?」


 ルシルは呆気にとられて尋ねる。レナードは言葉を探すように黙りこんでから、小さく笑った。


「君と離れがたい。……離れたら、君が遠くに行ってしまいそうで……」

「え……?」


 ルシルはレナードの表情に釘付けになっていた。


(……リ、オ…………?)


 どうしてそんなに不安そうな――切なそうな顔をするのか。

 だが、次の瞬間、レナードは迷いを振り切ったかのように、


「いや、すまない。今のは大げさだったな」


 そう言って、ルシルの手を離した。

 去っていくレナードの背中から、ルシルは目を離せなかった。いつの間にか胸の辺りで手を握っていた――まるで祈るように。


 彼の不安が伝播したように、ルシルは瞳を震わせて、俯いた。


(何言ってるのよ…………ばか)




 思い出したくなかった感情が――忘れようと思っていた想いがあふれて、胸が苦しくなってくる。


 ルシルは下を向きながら、パーティ会場の中を歩いた。別れ際のレナードの様子を思い返しては、落ち着かない気持ちになる。


(さっきのも……愛妻家の演技……なのよね……)


 それに、今のレナードが見ているのは本物のルシルではなく、新人騎士のアンジェリカだ。演技の上、別人に向けられた感情――。

 それがわかっていても、ルシルの胸は、きゅっ、と切なさを訴える。


 ――ずっと、忘れようと思っていた。


 ザカイアの配下となり、闇纏いノクターナルの道に進むことを決意した時に。

 レナードのそばにはいられないと思った。

 だから、その想いとも決別したのだ。


 ――彼のことが好きだという気持ちに。


(……馬鹿なのは、私の方ね)


 今もなお、こんな想いが心に残っているなんて、自分でも気付かなかった。

 ルシルは目の端をそっと拭う。そして、頬を叩いて、気持ちを切り替えた。


 今はこんなことで心を惑わせている場合じゃない。ちゃんと仕事をしないと。パーティ会場から外れ、庭園へとやってきた。背の高い植物の陰に隠れて、ルシルは呪文を唱える。


「タナト・フェロウ」


 召喚魔法だ。

 ルシルの掌が光り、次の瞬間、黒い小鳥が現れる。ふわふわの毛が、手の中にすっぽりと収まった。


 使い魔のココはぶんむくれた様子で、体を沈めている。ただでさえ丸い体が潰れたようになって、更に真ん丸になっていた。


「あーあ。パーティ羨ましいなあ。……自分だけご馳走……」

「ずいぶんと妬み体質ね。飼い主に構ってもらえないとすねちゃう犬みたい」

「嫉妬は人間の専売特許さ。犬や僕は、ただ欲求に素直なだけ」

「もちろん、あなたの分の料理ももらってきたわよ」

「ルシル大好きー!!」

「……本当に欲求には素直ね」


 ココと話しているうちに沈んでいた気持ちが落ち着いて、ルシルは息を吐いた。

 ルシルがこっそりと持ってきたナッツや果物を、ココは一生懸命つついている。食べ終わるのを待ってから、小さな頭を指で撫でた。


「ココちゃん。出番よ」


 掌を沈めてから、上へ。ココが羽を広げて、飛び立つ。

 同時にルシルは、


「――タナト・フェロウ」


 自分の片目を掌で覆って、呪文を唱えた。

 視界が切り替わり、左右の目でちがう光景が映る。


 片方はルシルがいる庭園。


 そして、もう片方の目が映すのは、空――。それも、視界が小刻みに揺れている。

 こちらの視界はココと同期していた。

 ココが視界を下へと向けると、リリアンの屋敷が見える。上層階の一室、窓が開いていることを確認。


 ココはその中へと飛びこんでいく。


「タナト・フェロウ」


 庭園にいるルシルは、更に別の魔法を二重に詠唱する。ココの体を媒介にして、サーチ魔法を起動。屋敷内の人間を魔力で選別していく。

 レナードの魔力は高いので、すぐに判明した。


「……いた。ココちゃん。1階の廊下よ」

「オッケー!」


 遠隔で会話をしながら、ココはルシルが指示した場所へと飛んで行く。

 レナードたちはちょうど一室へと入っていくところだった。扉が閉まる寸前に、ココが体を滑りこませる。天井際を飛びながら移動し、梁へと留まった。


 室内の奥には、車いすに腰かけた男性がいた。年齢は30代ほどだ。やつれた顔をしていて、一目で健康そうでないことがわかる。


「主人よ」


 リリアンが告げると、レナードは彼の下へと歩み寄る。


「初めまして。リオ・ブラウンと申します。本日はパーティにご招待いただき……」


 挨拶している途中、ルシルとレナードは異変に気付いた。

 車いすの男性――彼の様子がおかしい。表情がぼんやりとしていて、レナードの方を見ていないのだ。彼は一心にリリアンを見つめていた。


 ――その直後。


「エルゴ・ティーゾ!!」


 呪文の声が高らかに響いた。

 リリアンだ。

 この魔法は、呪い――『魅了』魔法だ!


 リリアンが掌から放った闇がレナードの胸を撃ち抜く。レナードは目を見開き、胸元を押さえる。そして、その場に片膝をついた。

 リリアンはレナードを見下ろし、自信に満ちた笑みを浮かべる。肩にかかった髪を振り払うと、


「ふふ、これであなたは私のものよ」




+ + +


リリアンの呪文:エルゴ・ティーゾ

意味→私に跪け

高慢な彼女にぴったりな呪文だと思います。

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