4 愛妻家レナード、誕生?
かつての同級生、リリアン・ドイル。
彼女が闇魔法を使用している疑いがある。
ルシルとレナードは、さっそく調査に乗り出した。すると、驚くことがわかった。リリアンに惚れ、家出をしている男性が他にも存在していたのだ。
状況は皆、似たようなものだった。
元々は愛妻家だった男性が突然、妻に離婚を宣告して、家出をする。仕事には予め休みをいれているので、問題はないという扱いになっている。
いなくなった彼らが今、どこでどのように暮らしているのかはわからない。
ルシルが気になったのは、その男性たちが皆、それなりの地位や役職を持っているということだ。有名企業の上役だったり、役所で高い地位についている人だったり。
もともと、ホームパーティというのも上流階級の集まりだったらしい。
「なるほど。他にも同様の被害に遭っている人がいるということは、気になるね」
ルシルとレナードは隊長室で、クラリーナに調査結果を報告していた。彼女は興味深そうに頷くと、
「日曜にまた、ホームパーティが開かれるというわけだね。それで、君たち夫婦がそこに潜入すると」
「偽装です! 偽装夫婦!」
悪戯っぽく言われた言葉をルシルは必死で否定した。レナードの方は不愛想に黙りこんでいるので、何を考えているのかはわからない。
「それで、『魅了』の闇魔法をかけられるのは、愛妻家の男性限定とのことだけど。どうせなら、釣り上げてみたら?」
「はい?」
「つまり、おとり捜査だよ。レナードさんが愛妻家の演技をすれば、犯人が釣れるかもしれないね?」
「なっ……!?」
ルシルは赤くなったり、青くなったりをくり返す。
学生時代のレナードなら、ともかく。
今の不愛想キングになったレナードが、愛妻家のふりをする……? そんなの、どうなるのかまったく想像がつかない。むしろ、少し不気味である。
すると、レナードが冷ややかに言い放った。
「演技の必要はない」
ルシルは目をぱちくりさせて、レナードに視線を寄せる。
(愛妻家の演技はできないってこと……? それとも、私相手には、したくないってこと!?)
そう考えると、少しイラっとする気持ちもあるけれど、
(……まあ、見るからに不得意そうようね)
彼の凍てついた態度を見て、ルシルはそう思うことにした。
「報告は以上です」
レナードは必要事項だけを告げると、さっさと隊長室を後にする。ルシルは気になることがあって、クラリーナの前で佇んでいた。
レナードが退出して、気配が遠ざかると、
「あの……隊長にお聞きしたいことがあって」
「うん。何かな?」
「レナードさんって、昔からあんな感じなのでしょうか?」
「ああ……私が彼に初めて会ったのは、8年前。彼がザカイアを倒した後のことだ。その時から私は一度も、彼が笑っているところを見たことがないよ」
(……変ね。8年前……私が死ぬ直前までのリオは、優しかったし明るかったと思うんだけど)
ルシルは前世の記憶をたぐりよせながら考える。
ルシルが死んだのは17歳。17歳のレナードも、愛想のいい少年であった。しかし、クラリーナが知るレナードは今の彼だという。
ということは、レナードが変わってしまったきっかけは、8年前にあるということだ。
もしかして、ザカイアと対決した時に、妙な呪いでもかけられたのかしら? と、ルシルは思った。
「……その時から、彼の呪文は、『メリス・ティア』でしたか?」
「うん? どういうこと? 彼はずっとその呪文を使っているよね」
クラリーナは不思議そうに首を傾げる。少なくとも、8年前からレナードは『メリス・ティア』を使っているということだ。
(昔は、『
ルシルの知る限り、学生時代のレナードはその呪文を使っていた。レナードの呪文が変わっていることに気付いたのは、アンジェリカとして転生してからだ。
ルシルは学校の講義で聞いた話を思い出す。
『固有呪文は簡単に変わるものではありません。なぜなら、人の心の本質というものは、簡単に変わるものではないからです。よほどのことが起こらない限り、呪文が変わることはないので、安心してください』
だが、レナードの呪文は変わってしまった。
それだけのことが彼にあったということである。
「彼が使う呪文……『メリス・ティア』って、どういう意味がこめられているのか、隊長は知っていますか?」
「いや……私は聞いたことがないけれど」
固有呪文に使われる言語に指定はない。
本人がその意味を認識できていれば、それで問題はないのだ。
通常は古代語を使うので、翻訳すれば意味を理解できる。
ルシルの『
しかし、レナードの『メリス・ティア』は意味がわからない。古代語ではなく別の言語を使っているのだろう。他人に呪文の意味を知られないようにしたい魔導士は、敢えてマイナーな言語を使ったりすることもあるが……。
そうだとすれば、レナードが隠したいと思った『メリス・ティア』には、どんな意味がこめられているのだろうか。
それがわかれば、彼が変わってしまった原因もわかるはずなのに。
そういえば、レナードがもともと『灰色の空』を使っていたわけも、聞けずじまいであった。
彼の空は今、何色をしているのだろうか――。
ルシルはぼんやりと考えた。
◆ ◇ ◆
『夜明けの聖戦』。
魔王ザカイアと、英雄レナードの戦い。
それついては、多くの書物がとりあげている。フィクション交じりで描写される戦いは、数百のザカイアの軍団をレナードがたった1人で打ち倒したとか、オーロラがかかる夜空で火花をまき散らしながら行われたとか、もはやおとぎ話じみたものになっている。
だが……その実態はひどく地味なものだった。
夕焼け色に満ちた、森の中。
2本の箒が、木々を避けながら飛んでいた。前を行く箒には、黒いローブを羽織り、頭まで覆った人物が乗っている。
その後ろから追跡する者――彼は焦ったような表情を浮かべている。白皙の美少年だ。彼が着ているのは、魔法学校の制服である。細い金髪が風によってなびく。額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「待て! 待ってくれ、ルシル!」
彼は時折、そんな声を上げる。しかし、その声をあざ笑うかのように、迷いのない飛行で前方の箒は飛んで行く。
やがて、2本の箒は森の中を突っ切って、開けた場所へと出る。
すると、前を飛んでいた箒が旋回して、地面へと降り立った。その姿を見て、少年――レナードはハッとした顔をする。自分が追いかけていたはずの人物と、明らかに体格がちがうことに気付いたのだろう。
「くく……ふははははは」
フードの中から漏れた笑い声も、低い男性のものだった。
「お前……!? ルシルじゃないな」
「ああ、貴様の紡ぐすべての音楽が私は嫌いだが、今回ばかりはとても美しく、痛快な旋律だったよ。英雄小僧」
男はそう言いながら、フードをまくりあげる。
夕日に照らされて、白髪が散らばる。手入れがされておらず、ぱさついていて、癖の強い白髪だ。白すぎる肌には幾重にもしわが刻まれ、年季が入っている。年のころで言えば、60代といったところか。色素が薄すぎて透明に見える瞳も、年齢相応ににごっている。
――彼の体を構成するものは、1つ1つのパーツごとに見れば、くたびれた老人そのもの。
だが、それをまとめあげた時、そこに存在するのは、まるで計算されつくした音楽のように優美な男であった。
彼は指先で指揮棒をつまんでいる。しなやかな動きで、その指揮棒を揺らしていた。
彼こそが、
闇魔法の始祖にして、世界征服をたくらんだ、至上最悪の闇魔道士である。
+ + +
この世界の魔導士は、固有呪文にそれぞれ意味を持ってます。
ルシル(過去):「アニス・ヴロウ(春の雨)」
レナード(過去):「グリ・ラノス(灰色の空)」
ルシル(現在):「タナト・フェロウ(苦しんで死ね)」
ポリーナ:「アスロ・ハーノ(白くて可愛い子)」
アンジェリカ:「カラ・ザティ(お砂糖いっぱいのミルク)」
レナード(現在):「メリス・ティア」→???
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