12 闇に誘う者


 ルシルが放った魔法で、リリアンは意識を失ってしまった。

 その後、教師に助けを呼んで、リリアンは医務室へと運ばれた。

 医療魔導士に診てもらえれば、助かるかもしれない。ルシルはそう思っていた。しかし、リリアンの状態を見た大人たちは、皆、困惑していた。


「何だ、これは!?」

「睡眠魔法か? だが、解除魔法が効かない!」


 教師たちにも何が起きたのかがわからないらしい。

 リリアンはベッドでうなされ続けている。その苦しそうな声がルシルの胸を絞め上げた。


 ルシルとベラは女子寮へと帰された。寮までの帰り道、2人は無言だった。

 別れ際、ルシルは言った。


「ピーちゃんの様子はどう?」

「うん……大丈夫、だと思う……」


 あの後、リリアンの手から解放されたピーちゃんは、ベラの下へと飛んできた。今は彼女の掌で寝ている。

 ベラは疲れきった様子で、ピーちゃんの姿を見つめている。先ほどから彼女と目が合わない。そのことがルシルは不安だった。


「あのね……」


 何かを言おうとするが、何を言えばいいのかわからない。


「おやすみ、ルシル」


 ベラはさっと顔を背けた。最後に一瞬だけ、こちらを見た。その瞳には不安と緊張の色が宿っている。

 ルシルを警戒しているのだ。

 ルシルはぐっと唇を噛みしめると、自室へと戻った。ベッドに倒れこむと、恐怖が全身を支配した。


(どうしよう……私、何てことを……!)


 リリアンがああなったのは、ルシルが放った魔法のせいだ。

 彼女は助かるのだろうか。


 もし、このままリリアンが目覚めなければ――。


(………………私のせいだ)


 事の発端は、リリアンがピーちゃんにひどいことをしようとしたからだ。でも、ルシルがリリアンに妙な魔法を使ってしまい、それで彼女が大変なことになっている――それも事実だった。


 その事実から目を逸らすことはできない。


 考えているうちに、ルシルは体を震わせていた。寒くてたまらない。その晩、彼女は布団にくるまって、ずっと体を震わせていた。





 次の日、ルシルは決心していた。

 リリアンにかけた、謎の魔法。その使い方のメモは、まだ自分の手に残っている。それを先生に見せて、謝るしかない。


 そのことで自分が何らかの罪に問われることになったとしても――リリアンを助けるためには、そうするしかないと思った。

 そう決心して、ルシルはメモを鞄に入れて、登校した。


 校舎前に、1人の教師が立っている。

 基礎魔法額の担当講師、ロイスダール・ハザリーだ。


「ルシルさん。昨日のことで、君に聞きたいことが……」

「先生。私も先生に話したいことがあります」


 ロイスダールは頷いて、ルシルを自分の研究室へと連れて行った。彼の研究室は校舎1階の西端に位置している。

 魔導具や魔導書ばかりの散らかった部屋だった。

 室内で2人きりになると、ルシルは頭を下げた。


「先生……ごめんなさい!」


 そう言って、メモをロイスダールへと見せる。


「なるほど。では、君がリリアンさんに魔法をかけたと?」

「はい……」

「このメモで、使い方を知って?」

「……はい」


 ロイスダールは口元を掌で覆う。そして、ルシルの顔を見た。


「ルシルさん。私についてきてくれますか?」

「……はい」


 ルシルは裁かれる罪人の気持ちで、うなだれていた。このまま職員室か校長室に連れていかれるのだろう。

 そう思っていたが、ロイスダールは部屋の奥へと向かう。本棚に置かれていた魔導具を操作し始めた。


「あの……先生?」

「さあ、こっちです」


 本棚が動き始める。すると、隠し扉が現れた。ロイスダールが扉を開けると、中は地下へと続いている。

 ルシルが戸惑っていると、ロイスダールはルシルの腕を引いて、強引に歩き始める。


「先生……どこに行くんですか」

「ルシルさん。君は大変なことをしました」

「ごめんなさい……私……! あのメモに書かれていたのが、あんな魔法だったなんて、知らなくて……」


 階段下はどんどんと光源がなくなり、闇に呑まれていく。足早に歩くロイスダールの背中を、ルシルは必死で追っていた。


「君が使ったのは、呪いですよ」

「のろい……? って、何ですか?」

「まだこの世には出回っていない。闇魔法と呼ばれるものです」

「闇魔法……?」

「はい。本当に信じられませんよ。君は」

「ごめんなさい、先生……あの、リリアンさんは助かりますか?」

「あのメモの魔法、何回か試してみましたか?」

「いえ……使ったのはあれが初めてです」

「初めてですか!」


 ロイスダールが突然、立ち止まるのでルシルはぶつかりそうになった。


 彼が振り返る。

 その表情に、ぎょっとした。

 彼は嬉しそうに笑っていた。


 途端に怖くなり、ルシルは後ずさろうとする。だが、それよりも早くロイスダールは動いた。

 彼はルシルの肩を強引につかむと、押し出した。

 いつの間にか階段の最深部に到達していて、その奥は地下室となっていた。ルシルはよろけながら、部屋の中へと足を踏み入れる。


 ――誰かがいる。


 黒いローブをかぶり、黒いカラスを肩に乗せている。室内は暗いため、真っ黒なその姿は輪郭が闇ににじんでいるかのように見えた。


「ザカイア様! 連れてきました。優秀な魔導士の卵になります」


 ロイスダールが愉悦ににじんだ声を上げる。


「この者は、手順を目にしただけで、見事に呪いを発動させました。存分に見込みのある者かと存じます」

「何……? 何言ってるの……先生……」


 すると、真っ黒の人物がこちらを振り返る。

 目深にかぶっていたフードをめくりあげて、顔を見せた。

 怖い――! 咄嗟にそう思ったルシルに向けられたのは、穏やかな笑顔だった。


「君の呪いを、私も見たよ。あれは見事な旋律だった。実に美しい……」


 心地のよいテノールは、優しく耳に響いた。

 しわだらけの肌、ぱさついた白髪。骨ばった体付き。老いを感じる見た目だが、落ち着いた言動は紳士然としている。


 何より、その瞳は慈愛に満ちていて、温かみすら覚えるものだった。

 実際、ルシルも彼を前にすると、恐怖が解けて、安心感すら覚えていた。


「先生? この人、誰……?」


 ルシルが尋ねると、ロイスダールはにっこりと笑う。


「ザカイア様――偉大なる闇魔法の始祖です。ああ、そうそう。ルシルさん、君に1つ言っておかなくては」


 彼は身をかがめると、ルシルの耳元で楽しそうに秘密を告白した。









「――君の鞄に、あのメモを入れたのは私です」







 ◆  ◇ ◆






 ――13年前のあの日。


 それがルシルとザガイアの出会いだった。

 初めは優しい人なのかと思った。――それはすべてまやかしだったが。

 回想を終えて、ルシルは目を伏せる。


(……私、あの時どうすればよかったんだろう)


 それは今でもわからない。

 ルシルはただ、リリアンの呪いを解いてほしかっただけだ。

 ロイスダールが自分にメモを仕込んでいたことで、はめられたということはわかっていた。


 でも、ザカイアの優しげな雰囲気に絆されて、彼なら何とかしてくれると思った。ルシルは彼にすがるしかなかった。


 だから――。


(……でも、結局は私がバカだっただけよね……)


 ルシルはその後起きたことを思い出し、気分を悪くしていた。

 頭がくらくらしてくる。

 ランドゥ・シティの上空を飛ぶ、ルシルの箒は少しだけふらついた。


「――ルシル。大丈夫か」


 そんな風に声をかけられて、ルシルは咄嗟に答えていた。


「ええ。大じょう、……ぶ……」


 言いかけてから、ハッとする。


 いつの間に――?


 ルシルの箒に並走して、もう1つの箒。

 レナードがまっすぐ自分のことを見つめている。


(……ん!?)


 ルシルはぎょっとしてから、自分の口をふさいだ。


「――やっぱり、君だったんだな」


 レナードはじっとルシルを見つめている。

 夜空のような澄んだ瞳で、そう告げた。

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