11 知らない魔法


 ルシルはレナードと別れると、ひとりぼっちだ。


 リリアンのせいで、他の女友達には遠巻きにされるようになっていた。

 その日の授業は基礎魔法学。講師は人気のある男性教師、ロイスダール・ハザリーだ。ルシルが教室に入ると、先生はまだ来ていなかった。


 席は友人同士で固まっている。皆、楽しそうに雑談をしていた。

 その中を突っ切って、ルシルは前の席についた。


 静かに授業の準備をしていた――その時だ。


 隣の席に誰かが座った。ベラだ。ルシルの友人だが、最近は避けられている。

 ルシルが不思議に思っていると、ベラは緊張した面差しで前を向いている。そして、こちらを見ないまま、メモを差し出してきた。

 ルシルはそれを受けとって、裏返す。


『ルシル。ごめんね』


 その内容に、ルシルの胸はじんと熱くなった。もう味方の女子は誰もいなくなってしまったと思っていた。

 しかし、そうではなかったのだ。


 ルシルはそのメモの裏側に文字を書く。ベラへと返した。


『いいよ』


 ベラがこちらを向く。

 目が合うと、ホッとしたようにほほ笑んだ。





 ――教室内でのルシルたちのやりとりを、後方から観察している者がいた。


 リリアン・ドイルだ。

 ルシルの嬉しそうな笑顔を目にすると、彼女は顔を歪めた。





 ベラが以前のように話してくれるようになった。


 リリアンたちの目がある中で、ルシルに声をかけるのは勇気のいる行動だっただろう。だから、なおさらルシルは彼女の気持ちが嬉しかった。

 相変わらず、他の女生徒には無視をされているが、1人でも味方がいるというのはとても心強い。


 今朝まではどんよりとして見えた空も、今は晴れやかに見える。


「ねえ、ルシル。今日の課題、私、わからないとこがあるんだけど……」

「それじゃあ、一緒に図書館でやろうか」


 放課後、ルシルはベラとそんなことを話しながら、廊下を歩いていた。


「そうだ、これ見て。昨日のピーちゃん!」


 ベラは鞄から1枚の写真をとり出す。

 映っていたのは、カナリアだった。鮮やかな黄色の小鳥だ。かごの中で、止まり木に乗っている。口を開いて、鳴いているところの写真だった。その綺麗な声がこちらまで聞こえてきそうな、いい写真だ。


 ルシルは目を輝かせて、写真を手にとる。


「わ! 可愛いよねえ。ベラのピーちゃん」

「私、使い魔は絶対に、ピーちゃんにするって決めてるんだ」


 1年生はまだ使い魔を使役する術を教わっていない。そのため、ピーちゃんは使い魔ではなく、純粋なペットだ。


「いいなあ。私はどの動物を使い魔にするか、まだ迷ってるの」

「ルシル、動物好きだもんね」

「犬も猫も、小鳥も、大好き! もう全部使い魔にしちゃおうかな?」

「もう、ルシルってば! そんなにたくさんいたんじゃ、お世話が大変だよ~」


 その後、2人は図書館で課題をした。

 ベラと他愛のないことを話しながらする課題は、とても楽しかった。


 ――そして、日は暮れ、下校時間となる。


 ルシルは久しぶりに満たされた気分になって、寮への帰路についていた。


「やっぱり、ルシルって頭いいよね。これからは、私の分の課題もやってもらおうかな?」

「こら! 課題は自分でやらなきゃだめよ」


 学校の中庭を歩いていく。高い校舎の壁に挟まれた道。夕日が遮られ、辺りは薄暗い。遅くなってしまったので、他に人気はなかった。


「ずいぶんと楽しそうじゃない」


 そんな声が、濃い影のようにルシルたちに降りかかる。ルシルは息を呑んだ。

 前方――リリアンが立ちふさがっている。彼女は手に何かを握りしめていた。指の合間から覗いているのは、黄色い毛。


 掌から、カナリアの頭が飛び出ている。

 ベラはすぐに気付いて、さっと顔色を変えた。


「ピーちゃん!? どうして!?」

「あら? あなた、この害鳥を知ってるの?」


 リリアンは白々しい声で言いながら、手を掲げる。ピーちゃんは不思議そうに辺りをきょろきょろと見ている。


「こいつ、どこから紛れこんできたのかしら……私の部屋で羽根とフンをまき散らしていたのよ。最悪……。せっかくお父様に買ってもらった大事なお洋服が、汚れてしまったわ」

「そんな……! ピーちゃんはそんなことしないわ!!」

「そう? ピーちゃんは、しないわよね。だったら、やっぱりこの鳥は、ピーちゃんじゃなくて、どっかの害鳥なのね」


 リリアンは薄笑いを浮かべると、掌に力を込めた。ぴぃ……カナリアのくちばしから、苦しげな声が吐き出される。


「やめて! ピーちゃんにひどいことしないで!!」


 ベラの必死の訴えを、リリアンは笑って受け流した。薄ら寒いものを感じるほど、無邪気で、楽しそうな笑顔だった。


「ねえ、ベラ。私って、けっこう友達思いなのよ」

「え……っ?」

「だから、友達が大切にしているペットなら、もちろん私も大切にするわ。あら? そういえば、あなたはどうだったかしら? つい昨日までは、あなたも私の友達だと思っていたのに……でも、やっぱりそれは私の勘違いだったのかも」


 ルシルは、ぐっ、と拳を握りしめる。


「リリアン。あなたが嫌いなのは、私でしょう。だったら、ベラにも、ピーちゃんにも、ひどいことはしないで!」

「ええ。だから、言ってるじゃない。私は、ベラとお友達のつもりだったし、今後もそうありたかった。でも、ベラはどうかしら? ねえ、あなたは私と友達でいてくれる?」

「え? でも……! え……っ?」


 ベラは困惑したようにルシルとリリアンを見比べる。最後にピーちゃんに視線を寄せると、泣きそうな表情を作った。

 ルシルは小声で彼女に告げる。


「……ベラ。行って」

「え……?」

「もう私には話しかけちゃダメよ。……あなたが私に声をかけてくれて、すごく嬉しかった。ありがとう」


 ルシルの胸に宿るのは達観の感情だった。

 考えが甘かった。リリアンがこんな手段にまで講じてくるとは思っていなかった。でも、こんなことをされたら、もう太刀打ちはできない。


 もういいや、どうでも……。


 そんな思いが心を支配している。

 ベラがルシルから離れて、リリアンへと足を踏み出す。その様子を見て、リリアンは勝利を確信したように笑顔を浮かべた。

 しかし――半分ほど行ったところで、ベラは足を止める。


「…………いや……!」


 絞り出すような声で彼女は言った。


「え……?」


 ルシルは驚いて、ベラを見る。

 ベラはルシルを振り返ると、笑った。泣きそうに目を潤ませ、不安そうに眉を垂らして、ほほ笑んでいる。


「私……リリアンさんに『ルシルと仲良くするのをやめろ』って言われて……はじめは、リリアンさんが怖くて、言うことを聞いた……。でも、それから毎日……後悔してたの」

「ベラ……」

「ねえ、ルシル。平気なふりは、もうやめて。本当は、すごくつらかったんでしょう?」

「…………っ」


 その言葉はルシルの胸を強く突き刺した。


 ――ベラの言う通りだった。


 大丈夫なわけがない。平気なわけがない。

 今日、ベラが声をかけてくれて、一緒に過ごすことができて、どれだけ嬉しかったか。その穏やかな時間を、もう失いたくなんてない。


「ルシルは強いよね。強いけど……でも、本当は傷付かないわけじゃない。私、もう……友達にひどいことはできない!!」


 ベラが言い切った瞬間――リリアンの表情から、感情が抜け落ちた。


「そう……。それなら、やっぱりこの子はあなたのピーちゃんじゃなくて、害鳥だったみたいね。害鳥は駆除しなきゃねえ?」


 リリアンは見せつけるように、ピーちゃんを高い位置に掲げる。

 ベラはハッとして、叫んだ。


「リリアンさん……! やめて! ピーちゃん! ピーちゃん!!」


 その訴えを、リリアンは無表情で受け流す。

 彼女の指先に、ぐ、と力が込められると――。


「リリアン、やめなさい! アニス・ヴロウ――!」


 ルシルは叫んでいた。


 無我夢中で唱えた固有呪文。1年生はまだ魔法の使い方を習っていない。

 ルシルが咄嗟に頭に思い浮かべたのは、先日、鞄にまぎれこんでいたメモだ。そこには魔法の使い方が書かれていた。


 その内容を思い出し、魔法を構築していく。

 次の瞬間、ルシルの掌からは黒い霧が放たれていた。それは蛇のような動きで、リリアンへと飛びかかり、彼女の体に巻き付いていく。


「な、何、これ? 気持ち悪っ……や、やめて! いやああああ!」


 絶叫が迸った。リリアンは白目を剥いて、その場に倒れる。


「いや……! やめて……こないで……いや……」


 うわ言のようにそんな言葉を口にしている。リリアンは額にびっしりと汗をかいて、苦しそうに呻き続けた。

 ルシルとベラは何が起きたのかわからず、硬直していた。遅効性の毒のように恐怖が回っていく。

 2人は泣きそうな顔で、顔を見合わせた。


「ルシル、今、何したの……!? だって、私たち、まだ魔法の使い方を習ってないのに……!」

「わ、わからない……わからないの!」


 ルシルは混乱しながらも、リリアンを助けようと動き出していた。リリアンのそばに膝をついて、彼女の体を揺する。


「リリアン! リリアン!? 目を覚まして!」

「やめて……ごめんなさい……ごめん、なさい……」


 彼女は答えない。ずっとうわ言を言い続けている。

 うなされている。


 ――まるで、悪夢に呑みこまれているかのように。


(な……なにこれ? こんな魔法……っ……なんで……)


 ルシルが知る限り、こんな魔法はこの世に存在しないはずだ。

 それならば――今、自分が使った魔法は何だったのか?

 ぞっとするほどの恐怖に、ルシルの胸はつかまれていた。

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