10 狂おしいほどの感情


 リリアンが闇纏いノクターナルになった理由。

 それは「あの子のようになりたかった」ということだった。

 それを聞いたレナードは押し黙る。


 やがて、呆れを含んだ声で告げた。


「……俺が好きなのは、闇纏いの女性ではない。そして、俺は君に興味を持つことはない。永遠に」

「でも、あなたに私の『魅了』は効かなかったわ! もう忘れたんでしょう。あの子のことなんて。だったら、私が代わりに」

「――忘れるわけがないだろう!!」


 突然の、激昂。


 氷で覆われ、一部の隙も見せなかった彼が――今まで隠していた、感情。

 レナードは苦しそうに顔を歪めている。その瞳には、怒りと、苦しみと、悲しみが、いっぱいになって――常に凍らせておかなければ、その想いに彼が呑みこまれて、正気を失ってしまいそうなほどであった。


 レナードは目をつぶると、その感情を覆い隠すように、リリアンから顔を背ける。


「俺は、永遠に彼女を想い続ける」

「嘘……嘘よね……? だって、あれから8年も経っているのに……! それに、あなたには『魅了』が効かなかった……!」

「メリス・ティア」


 次にレナードが発した声は、普段通りの落ち着きをとり戻していた。

 彼が唱えると、掌の上で光が生まれる。優しく、慈愛に満ちた色の光だった。

 その光を見つめながら、レナードは口を開く。


「今の俺の固有呪文だ。呪文は魔導士の心を現す。俺はこの呪文を胸に刻んでいる。惑わされるわけがない。間違えるわけがないだろう」


 リリアンは呆然と、その光を見つめる。

 そんな彼女にレナードはきっぱりと言い放った。


「君は、彼女とはちがう」

「あは、あははははは! あなたは私のことを狂ってるって思ってるでしょうね! でも、あなただって十分、狂ってるわ! だって、死んだのよ!? あの子はもう、この世にいないの! それなのに!」


 リリアンは叫びながら笑う。彼女の瞳からは涙があふれていた。泣きながら笑っている。


「あんな女のどこがいいの!? ザカイアみたいなとんでもない男に心を奪われて、配下になっていた女なんかの、どこがいいの!?」

「君も、世間も、勘違いしている」


 レナードは冷静な声で告げた。


「ルシルはザカイアの手下だったことなんてない。一度も」

「…………そう。あなたは、そんな幻想を信じてるのね」


 笑いの発作が収まっても、目から零れる涙は止まらない。リリアンは涙で塗れた瞳で、レナードを見つめる。


「あなたの執念は、とんでもないわ。レナード」



 ◇



 空から見下ろす街並みは、相変わらず賑やかだ。

 ルシルの周囲は濃い闇に満ちているが、眼下には星空のような街明かりが広がっている。静かな宵闇の中を、ルシルは箒で進んでいた。


「ふう……今日は疲れたわ」


 ほうと息を吐くと、ココが肩の上で告げる。


「今日のルシルは、楽しくパーティに参加していただけじゃん! 僕の方が大活躍だったよ?」

「そうね。今日はありがと。ココちゃん」


 ルシルはほほ笑んで、ココのもふもふな頬を指で撫でた。


「今日捕まえた被疑者って、ルシルの知り合いだったの?」

「うん。同級生。そういえば、ココちゃんは知らなかったわね」


 ルシルがココと使い魔の契約をしたのが、5年生の時だった。

 それまでは使い魔を持たないようにしていた。ザカイアの前では常に「動物は嫌いなの」と言い張っていたのだ。


 すると、ザカイアは言った。


『ルシル。私も犬や猫は、鳴き声が好かない。だが、鳥はいい。鳥の歌声はとても美しいものだ』


 そして、自分の使い魔を――何匹も、何匹も、愛おしそうにルシルに紹介してくるのだった。

 ザカイアは自分の使い魔を愛していた。

 使い魔が死んだ時は、本気で悲しみに暮れて、涙を見せた。


 彼のそんなところが――胸糞悪い。


 その様子を思い出して、ルシルは気分を悪くしていた。ザカイアとの記憶は、どれも頭から抹消したいくらい、不快さで満ちあふれている。


 ザカイアといる間、ルシルは絶対に使い魔を持たないと決めていた。


 ココとの契約は不本意だった。役目を終えたら、すぐに契約を解除するつもりだったのに……それが、こんなに長い付き合いになるとは思ってもみなかった。

 ルシルは明るさに満ちる街を見下ろしながら、ぽつりと吐き出した。


「私が闇纏いノクターナルになったのも……彼女が関係しているの」

「え?」

「……リリアンよ」


 目をつぶる。すると、視界に映っていた煌びやかな夜景は消え去り、辺りは闇に包まれた。

 ルシルは静かに思い出す。


 ――自分が犯してしまった、最大の過ちを。




 ◆  ◇ ◆




 ――13年前。

 ルシルが魔法学校1年生の頃。




「ちょっと、リオ!」


 ルシルは廊下奥にその姿が見えると、大きな声で呼びかけた。

 その声には親密な響きというよりも、怒りがこめられている。


「おはよう。ルシル」


 レナードはルシルと顔を合わせると、ふんわりと笑う。穏やかな笑顔に、そばを通りかかった女生徒がぼっと赤くなっていた。

 しかし、レナードの魅力的な笑顔を向けられても、ルシルは赤面するどころか、怒りに燃えている。

 彼女の手には、ノートが掲げられていた。


「これ! 昨日、あなたに貸したわよね?」

「そうだね。君のノートはいつも丁寧で、見やすいよ。ありがとう」

「何で落書きしてるの!?」


 ルシルは該当のページを開いて、レナードに見えるようにする。ノートの余白には女の子が描かれていた。繊細なタッチで、女神のように美しい子が描かれている。髪の毛1本1本も描きこまれていて、黒い髪が風になびいているように見える。

 レナードはその絵を見て、くすりと笑った。


「君が好きなのかと思って。こういうの」

「え?」

「だって、君のノート、たまに落書きがあるから」

「も、もう~! 私のは、落書きじゃない! いつかオリジナル魔法を使う時のために、考えをメモしてるの!」

「そうなんだ? 僕、ルシルの絵、好きだよ。ほら、これとか……」


 レナードがページをめくって、何かを言おうとする。だが、ルシルはノートを引っ張って、そのページを閉じた。


「私の絵じゃなくて! リオが勝手に落書きしたことについてなんだけど」

「ああ、うん」

「というか、やたらと絵、上手いよね……!?」

「ありがとう」

「ねえ、そういえば、これって誰?」

「君」

「え!?」


 ルシルはもう一度、ページを開いてみる。落書きの女の子は髪がさらさらだし、目がキラキラとしていて大きいし、とても可愛く描かれている。


「全然、似てないよ!?」

「勉強している時に、よく君のことを考えているから。だから、つい描いてしまったんだと思う」

「ん?」


 ――今、この人、何かすごいことを言わなかった?


 ルシルは疑問に思って、顔を上げる。しかし、考えをまとめる前に――彼女たちの姿に思考を奪われていた。

 遠目からこちらの様子を観察している女子生徒たちがいる。


 リリアンと取り巻きたちだ。


 リリアンは怒りに目を尖らせ、憎悪をたぎらせた表情で、ルシルを睨みつけている。

 その視線にルシルは気が重くなって、口を閉じた。


「あ、えっと……」

「ルシル?」

「ごめん、私、先に教室行くね」


 レナードには心配をかけたくないので、ルシルは必死で笑顔を作った。小走りで廊下を駆けていく。






 その時はまさか――リリアンとの確執が、あんな事件につながるとは思ってもみなかった。


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