第15話・僕の結婚

 それからというもの、葛城皇子と僕は約束をして請安塾の帰り道に密会を重ねた。僕らは政治や学問に留まらず、他愛ない話もした。

「そなたは今まで会った大人たちとは違う」

「それはどのように違うのでしょうか」

「なんというか、そなたは我の話を真面目に聞く」

「それは当然のことでございます。他人の話を聞かない人間は成長しませんから」

 だんだん葛城皇子が心を開いてきた。いい感じ。その調子だ。

 やがて皇子は言った。

「我の父上はいつも古人大兄に気を使って我を遠ざけていた。異父兄はいるが、会ったこともない。そなたと話していると、父親とはこういうものかもしれないと思う」

 よっしゃー。葛城皇子の心、ゲット。

 塾に通う葛城皇子の姿を見て、請安先生はニヤニヤしながら僕に言う。

「貴公、何か企んでいるな」

 先生にはお見通しか。


 僕は次の作戦を考えつつも、軽皇子と碁を打ったりして普通に過ごしていた。

 革命戦士たちも、前日まで何食わぬ顔で周囲を欺いて暮らしていたはずだ。

 そんな四月のある日、軽皇子が僕に言った。

「鎌子、いつだか、結婚したいと申しておったな」

 いや、正確に言うと「結婚したい」じゃなくて「結婚したくないけどしなければならない」だが。

「ええ、はい」

「我の采女をあげようか」

 は? また何かのプレイですか? 

「いえ、そのような、身分の高い方を、恐れ多い」

「たいした身分ではない。采女はそちと結婚してもいいと言っておる」

「ええ? しかし」

 そりゃあ、皇子からしたら誰だってたいした身分じゃないでしょうけど。

「采女の父親も承諾した。どうじゃ? 」

 えええ? ちょっと待って、ねえ、僕の意志を確かめる前に何してくれちゃってんの? 

「えっと……、家の者に相談してみます」

「誰に相談することがあろう? そちが家の主だろう? 」

「あ……。そう、そうでしたね」

 はい、わかりましたよ。腹を括った。


「それはよろしいことと思います」

 屋敷に帰って爺に報告すると、爺は平然と言った。

「采女なら身元もしっかりとした娘。第一、軽皇子が推薦してくださるお話を、誰が断れましょうか」

 え、本当にいいの? そんなふうに結婚して? 

 と言ってた六日後、元采女の安媛(やすひめ)が僕の正妻として、小間使いひとりを連れて僕の屋敷に届けられた。そう、輿に乗せられて「届けられた」感。ご近所ではみんなが好奇の目で見るし、何の晒し者プレイだよ、これ。


 彼女のために急遽部屋をリフォームして、調度品を取り揃えて、良い日に親戚縁者を招いて結婚披露宴のような宴をしたり、中臣家は大騒ぎだった。

 安媛は、何年か前の端午の節句に佐伯子麻呂が一目惚れした美しい采女だ。もちろん子麻呂とは何の進展もなく、それきりだったが、僕としては少々気が引ける。

「本当に僕の妻になってもいいんですか」

 彼女は地方の豪族の娘で、天皇家に差し出されて宮で働いていた。本来なら皇子が臣下の僕に譲るなど許されないことだ。よく実家が承知してくれたものだ。

「ええ、このまま歳を取っても、年増の采女としてずっと宮仕えするか、親元へ帰って田舎貴族と結婚させられるだけですから」

 よくわからないけど、いいというなら、まあいいか。

「もしかしたら、軽皇子が天皇になって、第二夫人か何かになって、いい暮らしをできたかもしれませんよ」

「それは無理だと思っています。小足媛が皇子を産んでいらっしゃるし、政争に巻き込まれるのは面倒ですもの。その点、神祇職の家柄なら、そのようなこともなく穏やかに暮らせましょ? 」

「え、ええ、そうですか」

 案外欲がないというか、現実的というか、どっちかっていうと令和の子っぽい。

「軽皇子は有間皇子を天皇にしたいのですってね」

 ふぁい? 

「いつも言っておられましたわ」

 軽皇子、口が軽すぎ。そんなことペラペラ言ったら、天皇や大臣の耳にも入って警戒されるだろうが。やはり、僕の作戦全部話さなくて正解だった。


「やったな、鎌足」

 結婚祝いに訪れた子麻呂が僕の肩を叩いた。

「これには事情があって」

 済まなそうな顔をする僕に、屈託のない笑顔を見せる。

「そんなの、わかってるって。皇子からの話なんだろ。元々こっちは采女と結婚できると思ってないし、別に何にも思ってないぜ」

「ああ、ありがとううう」

 こんなふうに、なんとなく僕は結婚した。さらば、自由な独身生活。


 ……と思っていたが、結婚してもスナック鎌足は変わらず自由だった。以前と変わらないペースで、客たちはやってくる。

「でさ、僕との結婚を受け入れた理由が、神祇職の家だから、だよ? 以前から好きでした、とか、素敵だと思ってました、とかじゃないんだよ? ありえる? 」

「うははは」

「子麻呂、ウケすぎ」

「嘘でもいいから、そういうこと言って欲しかったよねえ」

「しかしなあ、鞍作臣がヤバいんじゃないの? 」

「ヤバいって? 」

「鞍作臣のお気に入りの采女ちゃんだったろ、確か」

「あ……」

「風当たり強くなるぞう」

「ま・じ・か」

 ちょっとヤバいかも。覚悟しとこ。


 ところで、この時代の夫婦関係は割と自由で、僕にとっては楽かもしれない。

 正妻とは同じ屋敷に住むけれど、お互い自分の部屋を持っているし、毎日顔を合わせることもない。朝食は各々の起床時間に合わせ自分たちの部屋で、昼食と夕食は、僕は友達と食べることも多いので、基本的には一緒に食べない。一緒に食べるときは前もって言っておく。そして夕食を一緒に食べるとそのまま床を共にしなければならないしくみ。

 そんな感じで、結婚したとはいえ、割とマイペースで暮らせるのでありがたいことだ。もしかしたら他の家は違うのかもしれないが、それでも妻は文句は言わないし、今のところ爺たちも特に何も言わないのでそれでいいのだと思う。


 僕が結婚をするタイミングで、弟たちは分家した。

 弟たちはそれぞれ、殿様から相続した土地に屋敷を建てた。僕的には寂しいとかそういうのはない。元々一緒に住んでいなくて年に一度レベルでしか会っていなかったので、あまり家族という意識はなかった。どちらかというと、仕事でよく会う従弟の国足のほうが身内っぽい感覚だった。

 

 結婚してしばらくして、僕の部屋に、爺と安媛の小間使い、僕の小間使いが揃ってやってきて言った。

「おめでとうございます」

「何のことだ? 」

「この度、安媛様がご懐妊なされたとのこと、まことにお目出度きことにございます」

「それは本当ですか」

「お付きの下女の言葉では、安媛のご様子、これはご懐妊に間違いないとのことです。おめでとうございます」

「おめでとうございます」

「ああ、ありがとう」

 待てよ。彼女が僕の妻になってまだひと月も経っていない……。やりやがったな、あのジジイ。


 安媛の妊娠がわかって、僕はトヨとも結婚した。妾という立場だが。爺から勧められたのだ。

「万が一、安媛様のお子に何かあられた時には、トヨが産んだ子を安媛様の子として育てていただきます」

「ええ、何だって」

「御家の存続のためです」

 うわあ、この時代、怖い。爺も、孫娘が可愛いだろうに、それよりも主君を優先するのか。

 トヨに対しては、正妻のような結婚披露宴はしなかったが、すぐ近所にある爺の本宅の離れにトヨの部屋が作られ、身内で食事会をして贈り物もした。


 トヨを妾にした後の僕は、時々トヨの部屋に出かけて行った。そのほとんどが寝所を共にする目的でなく、単におしゃべりしに行くだけだ。恋愛感情はないがトヨといると気を使わなくていいから楽なのだが、そんな僕にトヨは言う。

「来てくださるのは嬉しいのですが、もっと、安媛を訪ねてください。彼女は、知り合いも誰もいないお屋敷で、心細い思いをなさっておられると思いますよ。私は大丈夫ですから」

 若いのによく出来た妻だ。戦国武将の妻で聞いたことがあるような、内助の功とかの妻。しかしそう言われても、元々女性と話すのは得意ではないし、安媛と何を話していいかわからないから、つい足が遠のいてしまう。わかってはいるのだが。

 幸い、僕の頻繁でない夜の仕事に関わらず、間もなくトヨも妊娠した。僕はトヨに申し訳が立った気がして、何だかほっとした。

 この世界に来ていちばん世話になっているトヨに僕ができることは、彼女に子供を授けることだと思った。この先、もし僕に何かあっても、子供がいれば生きていけるだろうし、中臣家の財産を少しは受け取れるだろう。


 それからしばらくして、昼過ぎ、安媛付きの小間使いが僕の部屋にきた。

「安媛様が、美味しい水菓子があるので一緒にお部屋で召し上がりませんかと」

 なんだろう。梨か瓜か。それとも。

「水菓子、水菓子、らんらんらん♪」

 僕がワクワクして安媛の部屋に行ったら、トヨがいた。

「あ」

「トヨ様が、桃を持ってきてくださったの。食べきれないから皆で食べましょう」

 ああ、僕はトヨに気を使わせてしまったのか。なんとダメな夫。

「う〜ん、おいすい」

「美味しいですね」

「潤いますわ」

「秋とは言ってもまだ暑いから、こういった水菓子はいいな」

 戸が開け放たれて、涼しい風が入って来る。

 ぴこーん。いいこと思いついた。


 僕は秋のホームパーティーを企画した。

 佐伯子麻呂夫妻、僕の従兄弟の中臣国足夫妻、そして安媛とトヨで、外の景色が見える部屋で食事会だ。安媛とトヨは妊娠中なので、つわりの状態を聞いて良さそうな食べ物を考えた。

 主食は粥。前もって数種類の御菜から選んでもらった御菜ランチ。自分の状態を見て、食べられるものを食べられる量だけ選んでもらった。男性陣は多めな感じで。デザートはフルーツ盛り合わせと大皿に盛った焼き菓子から好きなだけ選べる方式にした。盆を持った下女が、席を回って好きなデザートを選んでもらう。

「お気に召した菓子がありましたら、何度でもおかわりをどうぞ」

 この時代の女性も、きっとこういうの好きに違いない。

「では私はまずこの梨の実を」

「これは何かしら」

「唐菓子にございます。餅を蒸したものの中に小豆が入っております」

「こちらは」

「胡桃と餅を混ぜた菓子にございます」

「まあ、どれにしようかしら。迷ってしまいますわ」

「全部召し上がってもよろしいんですよ」

 やった。好評だ。


 従弟の国足は僕より若いのに先に結婚していて、子供もいる。国足は内気なところがあるけれど、国子叔父に似ず気配りができるいいヤツだ。

「お子様はおいくつになられたんですか」

「正月が来たら二歳になります」

「まあ、可愛らしい盛りですね」

「ちょこまかと動き回って、目が離せませんよ」

 女子チームは、お産の話に夢中だ。

 唯一、出産経験のある国足の妻が質問攻めにあっている。

「お子を産むのって、どれくらい痛いのかしら」

「お聞きにならない方がよろしくてよ。その時になればわかりますもの。私も、どうなるかと思いましたけれど、なるようにしかなりません」

「痛みを和らげるコツとかあるのかしら」

「呼吸をね、ゆっくりして、自分の呼吸を数えることだけに集中するの。痛い痛い、って思う暇がないくらい、数を数えていると心が落ち着きますわ」

「まあ、とてもためになります」

「私にわかることでしたら、いつでもご相談に乗りましてよ」

「ありがたいですわ」

「本当、心強いこと」

 僕ら男性陣は政治の話などもしていたが、何より楽しそうな妻たちの顔を見ていると心が安らぐ。


「今日はいい日だった」

 子麻呂が言った。

「あまり屋敷から出る機会のない妻が楽しそうだった。いい孝行ができたよ。感謝する」

「僕の妻たちもそうだ。これからもこんな風に時々仲良くしてやってくれ」

「ああ、是非」

 僕も、少しは妻たちに楽しんでもらえただろうか。

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