第18話・斑鳩襲撃
陽光が穏やかな晩秋の朝、飛鳥の京内に銅鑼の音が鳴り響き、軍隊が西へ西へ進んでいた。
昨日、軽皇子の宮で聞いた。
「姉上が、山背大兄に謀反(むへん)の心あり、として、捕らえるよう鞍作臣に命じたそうだ」
謀反とは、天皇殺害を企て国家を覆そうとした罪のことであり、最も重い罪のひとつである。軽皇子と僕の工作が身を結び、とうとう宝皇女は動いたのだ。
「山背大兄を捕らえたらどうするのでしょうか」
「一応、申し開きの機会は与えるかもしれないが、もう処分は決まっておるじゃろ。場合によっては妃も同罪とされるかもしれぬな」
死罪になるだろうという意味だ。無罪の人を罪に陥れるのはさすがに心が痛む。でもこれが飛鳥時代なのだ。僕は「革命に犠牲はつきものだ」という請安先生の言葉を自分に言い聞かせた。
「しばらくは私たちは会うのを控え、おとなしく様子を見ていたほうがよさそうですね」
「うむ、そうだな。情勢がはっきりしたら、また会おう」
翌日の夕方になって、京に軍隊が帰ってきた。どうなったのだろう。山背大兄が捕らえられて京へ連行されたのだろうか。
日暮れ間近に、馬飼叔父が情報を持ってやってきた。
「山背大兄は斑鳩宮が軍隊に囲まれると宮に火を放って自死したらしい。宮の焼け跡からは焼けた骨が見つかり、おそらくそれが山背大兄とその妃のものではないかと」
「なんと」
「元々、山背大兄を捕らえると言う命令、念のため、近辺を探す捜索隊を残して、一旦軍隊は引き上げてきたそうだ」
「山背大兄の御子たちは」
「わからぬ。山背大兄が無事なら親族の宮に逃げ込むかと見張っていたそうだが、それもなく、斑鳩宮に住んでいた御子たちはもしかしたら山背大兄と一緒に……」
「そうですか……」
山背大兄だけでなく、子供達の命を奪ってしまったのは、つらい。この痛みを僕はこの先も抱えて生きるのだ。それが僕の選んだ参謀の宿命なのだから。
翌日僕は、熱を出して寝込んだ。精神的なストレスからか。覚悟はしていても、人の死はメンタルをやられる。その原因が自分なら尚更。
仕事も休み、誰とも会わず二日間過ごした。僕の息子の声が聞こえる度、僕は山背大兄の子や孫に幼子がいないことを祈っていた。
三日目の朝、再び軍隊が飛鳥の京を旅立った。
「今度は何だ? 」
僕は下男に京の様子を見に行かせた。
「山背大兄皇子が逃げて、生駒山の山中の別荘にいるのが発見されたそうです。それで討伐隊が斑鳩に向かったとか」
「討伐隊? 」
「先日よりも大人数のようです。もしかしたら、皇子も兵を集めているのかもしれませんね」
「え? 兵を、集めてる……? 」
僕は斑鳩の様子も山背皇子の周辺のこともよく知らない。もしかしたら、蘇我氏のように軍隊を持っているのかもしれない。そうしたら、厄介なことになる。
その午後、網田と勝麻呂がやってきた。
「聞いたか、斑鳩の話」
「今朝の軍隊はその関係? 」
「うん。斑鳩宮が燃えたのは知ってるだろう」
「ああ、焼け跡から骨が見つかったとか」
「それが実は偽装だったんじゃないかってえ。山背大兄は逃げ延びてて、生駒山の山中に姿を見かけた人間がいるんだってえ。俺の父が言うには、もしかしたら山背大兄は上宮家の部から兵を招集して戦おうと考えてるのかもしれないって。軍勢を集めて京へ上って鞍作臣と戦う気かもってえ」
そう網田が言った。
「ええ、戦さになるの? そんなまさか」
「俺の父は、蘇我と物部の大戦さがあった話、子供の頃にひい爺ちゃんから聞いたんだってよ。その時はあ、そこら中死体だらけになったって、大変な戦さだったってさあ」
ああ、知ってる。蘇我氏と物部氏の神仏対決。確か、その時まだ少年だった聖徳太子の有名な逸話があって窪田先生から聞いたけど、今はそんなことを思い出してる場合ではない。
「ええ、やめてよぉ」
勝麻呂が情けない声を出す。
「そしたら天皇は、どうするの? 」
僕は網田に問うた。
「蘇我氏と物部氏の時は、それぞれが別の天皇候補を擁立して、勝ったほうの天皇にするってので、ええと、蘇我氏が勝って今に至ってるんだろ。だからあ」
「ということは、もしかしたら山背大兄は、天皇を倒して自分が天皇になるって考えてる? 」
ヤバい。非常にヤバい。戦さになって罷り間違って山背大兄が天皇になったりしたら、軽皇子の立場は非常にヤバくなる。
「俺の父は、山背大兄はそういうつもりなんじゃないかって言ってたなあ。どうせおとなしく捕まったって殺されちゃうんだよ。どっちみち死ぬんなら一か八か戦ってみるだろうって」
「え〜、戦さなんて、やだよ、僕」
「大丈夫だよ、勝麻呂」
「今でも、亡き上宮様を崇めてる人間はたくさんいるから、山背大兄は、兵を挙げれば味方する人間も増えると見てるんじゃないか」
マジか。この件は、山背大兄が捕らえられ、天皇が死罪を申し渡してそれで終わりと思っていた。山背大兄を甘く見てたのかもしれない。聖徳太子が人気があるのはある程度わかっていたが、読みが甘かった。これが窪田先生が面白がる理由か。飛鳥時代、怖い。
とはいえ、軽皇子に会いに行くわけにもいかず、とりあえず僕は情勢がどう動くか様子を見ることしかできなかった。もし山背大兄との戦さになったら、その先を考えるのは大臣だ。僕じゃない。そうだ、僕じゃない。
みんなが帰って、僕は縁側に座ってぼーっと外を眺めていた。
庭の井戸にきた安媛が通りかかる。
「どうなさったのですか、殿様。お寒いでしょうに」
「いや、ちょっと外が見たくなって」
安媛が西の空を見上げた。
「あらまあ、美しい夕焼けですよ、殿様」
暮れかかる西の山の向こうに五色の雲が見えた。
「本当だ、綺麗な彩雲だ」
「瑞兆ですね」
「そうだね、きっと何かいいことが起きるね」
本当に、いいことが起きますように。
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