第17話・非情な参謀
さて、宝皇女が天皇となって一年が過ぎた。大臣毛人は高齢のせいか体調を崩す日が多くなった。そのため、嫡男の入鹿に代役を任せることもあった。入鹿はめきめきと頭角を表していき、大臣となったら父親以上に権勢を振るうだろうと言われていた。
「大臣も、そろそろですかねえ」
スナック鎌足に飲みに来ている勝麻呂が言う。
「今だって鞍作臣が大臣みたいなもんだぜ。変わらない」
子麻呂が言う。
「鞍作臣は気が強いからな。天皇にも直言するのを憚らず、私のような年長者にも気兼ねしない。誰に対しても天皇に対しての不満を平気で口にするから、こっちはどう答えていいのやら」
と石川麻呂。
「僕も、請安先生から聞いたことがあります。請安先生のご友人高向玄理様は、鞍作臣から頻繁に天皇に対する愚痴を聞かされているとか」
「天皇にも遠慮せず直言できるのは、飛鳥の京では鞍作臣しかいないだろう。怖いもの知らずなことだ」
「それでも何も咎められないのですからね」
「それに甘橿岡(あまかしのおか)に建設中の大臣の屋敷」
「大きいですねえ。一族全員が住めるんじゃないかというくらい」
「それだけじゃない。すぐ隣には古人大兄の宮も作るのだそうだ」
「宮も? では、もし古人大兄が即位したら」
「甘橿岡が飛鳥の中心になるのだろうよ」
「いいんですかね? いくら鞍作臣がすごいからって、調子に乗り過ぎていませんか? 」
「誰が何をできる? 我らがこんなふうに文句言ったところで、何も変わらないさ」
石川麻呂は諦め顔で言った。
「……鞍作臣を利用しましょう」
僕は、次の作戦を軽皇子に打ち明けた。
「天皇に、山背大兄が次の皇位を狙っていると讒言するのです。そして謀反の罪を着せ、鞍作臣に討伐させるのです」
「鞍作臣にか」
「ええ、鞍作臣にです」
僕らは「上宮大娘女が鞍作臣のことを悪く言っている。大臣に対する不満を口にしているようだ」と噂を広め、入鹿の耳に入るようにした。
上宮大娘女とは聖徳太子の長女で、山背大兄の腹違いの妹になる。太子の存命中に山背大兄と結婚し正妃となっていた。太子に可愛がられて育ったこともあり、山背大兄よりも太子の性質を受け継いでいると言われていた。父譲りの物怖じしない性格で「上宮家の女主人」と呼ばれるほどだ。
その上宮大娘女が以前から入鹿をよく思っていないのは本当だ。先日も、大臣毛人が病気で朝賀を欠席した時、毛人は息子の入鹿を代わりに参上させた。その際、大臣の紫冠を入鹿が被っていたことに、多くの人々が眉を潜めた。
「天皇に無断で紫冠を息子に譲るとは」
上宮大娘女もそう批判するひとりだった。
「大臣の位は天皇だけが任ずることができるもの。どのような力で鞍作臣に紫冠を被せるのか」
上宮大娘女が憤っていたと飛鳥中の評判になった。それを利用する。
僕はこの作戦に石川麻呂を使わないようにした。彼の言葉なら入鹿も信じるかもしれないが、僕は今後のために、ここはあえて石川麻呂を中立の立場においておきたい。
石川麻呂は、僕らの作戦を知らず、スナック鎌足に来て話す。
「最近、上宮大娘女が鞍作臣のことを悪く言っていると、鞍作臣に言った人間がいるらしい。鞍作臣は、斑鳩の皇女の言うことなどいちいち気にしていられぬわ、と嘯いておられたが」
「僕もその噂、聞きました。上宮大娘女は鞍作臣と仲が悪いのですか」
「仲が悪いと言うわけではないが、上宮大娘女は亡き上宮様に似て弁が立つ。鞍作臣を恐れずに面と向かってはっきり言えるのは、あの方くらいだろうよ。鞍作臣は苦手にしてると思うね」
なるほど。僕らが流した噂は入鹿の耳に入っている。
同時に、軽皇子が人を使って、諸所から宝皇女に「山背大兄が二心を抱いているようだ」という話を吹き込んだ件はどうなっているか。彼女の不安を煽り、入鹿に山背大兄を処罰する命令を出すよう誘導する策だ。
これからの作戦はハードな仕事だ。僕の思う通りに人が動いてくれるだろうか。
僕の子供であろう有間皇子を天皇にするためなら、僕は泥をかぶる覚悟だ。有間皇子のために、軽皇子は策謀の表面に出ないように注意しなければならない。将来役に立つ有能な人材をキープするとともに、捨て駒を用意する。非情だが仕方がない。
だんだんと請安先生に感化されていく自分がいるのがわかる。この時代では生やさしいことを言っていられないのだ。僕は非情な参謀に徹する。
秋が来て、トヨが女の子を産んだ。今度こそ正真正銘、僕の子だ。二十一世紀の僕だったら自分の子供を持つなんてあり得なかったけど、こうして子供たちを見ていると不思議な気がする。
子供が生まれたので、本宅のすぐ隣の敷地にトヨと子供のために別宅を建てた。本宅より全然狭いが、使用人も少ないから大丈夫だろう。
爺の屋敷からもすぐなので、爺も歩いて来られる。
「私めが責任を持ってこの子を教育いたします」
久しぶりに会った爺は、少し小さくなったように見えた。
「この子が大きくなったら、安媛の子と結婚させるのもいいな」
僕がそう言ったら、爺も嬉しそうだった。
この世界に転生してもう六年、今頃、兄貴は結婚しただろうか。両親は元気だろうか。今はもう会うことができない家族を、ふと思い出した
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