第16話・易姓革命

「我はずっと不思議に思ってきた」

 ある時、葛城皇子が疑問を投げかけてきた。

「大陸では易姓革命というものがあるらしい。どうして大臣は天皇を滅ぼして自ら天皇になろうとしないのか」

「易姓革命。王は天の命令によって民を治めるものであって、もし王が不徳な治世を行えば天はその地位を剥奪し、他姓の有徳者を王とする、という大陸の思想ですね」

「そうだ」

「易姓革命など、所詮、武力で政権を奪った人間が自らの行ないを正当化するための詭弁です。この国では儒教の教えが根強く、仁礼を尊び親や主君を敬う心が広く行き渡っています。臣下が主人を滅ぼすのは子が親を滅ぼすに同じ、道義に反することとされています。人の上に立とうという人間ならば、道義に反すれば人から敬われることなく、下々の人間は従いません」

「ううむ」

「その昔、群雄割拠なこの島国を、天皇が統一しました。一部の北方の民を除くと、ほとんどの豪族は天皇に従っています。ですが、皆、天皇の徳と武力に従っているのであって、主君である天皇を滅ぼした人間を徳のある王として認めるかというと、果たしてどうでしょう。以前のように従うでしょうか。今は従っている豪族も再び歯向かうかもしれません。そのような事態が予想されるのに、蘇我氏は天皇を滅ぼすでしょうか。それよりも、名ばかりの天皇の陰で好き勝手やって、私腹を肥やすほうが得策だと思っているのです」

「むむ」

「もうひとつに、祟りという概念があります」

 これは窪田先生から教えてもらったことだ。

 日本では古来から、天寿を全うできなかった人間、非業の死を遂げた人間は、成仏できずに怨霊となりこの世で祟ると言われ、人々に恐れられていた。現世での身分が高ければ高いほど、持っていた権力が大きければ大きいほど、祟りも大きいと信じられていた。他の国に見られるような残虐な殺し方も、墓を暴くことも、ほとんど行われないのは人々が祟りを恐れているからだ。死んだ人間が祟り神にならぬよう、懇ろに供養することが必要だと考えられていたのだという。

「もし天皇を殺めれば、大きな怨念を抱いたまま祟り神となり、この世に留まり続け、人を苦しめましょう」

「我は祟りなど怖くないぞ」

「ええ、請安先生の話では、大陸の国々では祟りという概念がないそうです。祟りに対する恐れを知らぬから、主君や兄弟を殺せるのだと。ところで百済の余豊璋王子にお会いしたことは」

 余豊璋王子とは、近頃百済から来日し、日本に暮らしている百済王の息子だ。

「挨拶はした」

「豊璋王子がこの国に来られた理由はご存じですか」

「いや、」

「大陸の国では王位継承権を持つ男子で殺し合うことが珍しくありません。豊璋王子は百済王の太子の弟君なのですが、王太子側の人間に害される危険があったため、この国に逃れてきたのです」

「なんと、そのような事情が。……我が百済に生まれていたらそのようなことになっていたのだろうか」

「百済だけではありません」

「隋の皇帝は側近の近衛兵に殺され、その結果、隋が滅びました。今の唐の国王は、王太子だった兄を殺して即位したのです。かの国では前国王の墓を暴いて遺体を粉々に砕く、骨に鞭打ったり、滅ぼした敵の肉を塩漬けにして送る習慣もあります。祟りという概念がないからそのようなことも平気でできるのです」

 そんな話をしながら、僕は、皇子がどこかぼうっとしている様に見えた。

「皇子?」

「……あ、いや、もっと話を聞かせてくれ。肉を塩漬けにして送るとはどういう」

「例えば……何者かが鞍作臣を殺害したとします。その鞍作臣の身体を切り刻み、その肉を壺に塩漬けにして父親である大臣や鞍作臣の家に送り届けるのです。それを見た者たちを恐怖と悲嘆で絶望させる目的です」

「おお」

 皇子の顔が紅潮した。

「なんということをするのだ。なんという残酷なことを」

「この国ではそのような、死者に鞭打つような真似は尊敬されません。祟りもありますし。ただ、世界は広い、様々な国があり様々な考え方があるということを心しておいてください」

 この日の話が、後の葛城皇子に大いに影響を与えたことに、僕は気付かなかった。


 その後も時々、請安先生の塾に通い、帰り道で僕は葛城皇子と話をした。

 ある時は、請安先生の講義が終わった後、僕は先生に質問した。

「先生、どうして隋が滅ぼされたのでしょうか、詳しくお教えください」

 部屋の隅で葛城皇子が聞き耳を立てている。

「うむ、主に外征の失敗が反乱を起こさせたと言われている」

「もしお前が国王で、自分の国を滅ぼしたいのなら、大々的に国の制度を改正した直後に、土木工事を盛んにし、諸外国へ戦さに出かければいい。さすれば、民は疲弊し不満が溜まり自然と国は滅ぼされる」

「運河の建設は良いことだったのだが、ただでさえ新しい律令の制定で人民が戸惑っているところを、外征と建設の両方に人民を駆り出したのが失敗だった。人がいなくなり農地は荒れ放題になっていったのだからな。そこをうまく利用したのが唐だ。隋が作った律令制度と運河をそのまま貰ったのだから、うまいやり方だった」

「隋国の皇帝は家臣の反逆によって滅ぼされたと聞いていますが、それほど悪い皇帝だったのですか。一体どれほど悪行をしたのです」

「良いこともしたし悪いこともした。全部が全部正しい人間などいない。特に国を大きくするためには多少悪どいこともする。唐国では隋の皇帝を悪く言っている。だが、唐が正しく隋が悪だったということではない。勝者が正義、敗者が悪とされるのは世の常だ」

「反抗する人間に対しどうしたらいいのでしょう、既成権力をどう滅ぼすべきなのですか」

 僕は、自分ではなく皇子に聞かせるように質問した。請安先生はそんな僕の意を汲んだのか、大きなわかりやすい声で説明してくれた。

 葛城皇子の中に革命の芽が育ってくれればいいのだが。



 年が明けてすぐ、僕の子供が生まれた。

 正確にいうと、僕の子供じゃないと思われる子供だが、愛らしいかわいい男の子だ。予定よりひと月以上早産だったが無事に生まれ、安媛も健康だった。爺は「これで跡取りができた」と大喜びだ。

「このお子を、亡き殿様にお見せしたかった」

 と涙を見せた。全く年寄りは涙脆い。

 軽皇子が早速お祝いの反物をくれた。

「もし女子が生まれたら、我の皇子の妻にしようと思っていたのに」

 シャアシャアとよく言うわ。

 僕は、ゲイとは母性愛と父性愛を併せ持つ種類の人間だと思っている。この生まれた子が誰の子であろうとも、僕の初子だ。僕の息子として精一杯の愛情を注ぎ育てる。


 その子のお七夜が過ぎてから、爺から暇乞いの挨拶を受けた。

「跡取りができ、私には思い残すことはございません。後は息子に任せ、隠居したいと存じます」

 爺は、息子、つまりトヨの父親と役目を交代した。

「私のことも、爺と呼んでください」

 元爺の正確な年齢を知らないが、いったい何歳になるのだろう。亡き殿様も「爺」と呼んでいたから、かなりの高齢なのかもしれない。二十一世紀ならとっくに定年退職しているだろう。老体に鞭打って今まで働いてくれたのか。

 そうだ、退職金みたいなものは必要なのだろうか。ググりたい。そう、この時代に来て一番不便なことはインターネットで調べ物ができないことだ。


 そういうわけで、僕はいつものようにスナック鎌足にきた石川麻呂に相談してみた。

「長年勤めた家令が隠居することになったのだが、これまでの功労に対する品を何か渡すのでしょうか」

 石川麻呂は古い家柄なので、そういったことも詳しいんじゃないかな。

「いや、特にない。息子が継ぐのだろう。鎌足連の場合は妾の祖父だし、何かしたければ妾に品物を届ければいいのではないかな」

「何か、とは」

「年の暮れに妾の家に、米でも、反物でも、多めに贈るとか」

「なるほど。ためになります」

 そうだ、トヨに良くしてあげるのが一番いいかもしれない。こういった常識を知っている大人が近くにいるとありがたい。

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