第19話・上宮王家の終焉

 翌朝、僕が仕事の打ち合わせで官庁へ行くと、なんだか皆がざわめいていた。

「おお、中臣連、昨日の夕焼けは見ましたか」

 顔見知りの役人が言う。

「ええ、美しい空でしたね」

「子供の頃に見た、上宮様が身罷られた時と同じ五色の空でした」

 こいつは何を言っているのだ? 

 僕は役人の顔を見た。

「山背大兄が滅びたそうですよ」

 滅びた? 終わったのか? 

「どうして」

「斑鳩宮が焼け落ちた話はご存じでしょう。あの時、山背大兄は逃げ出して無事だったそうで、でも結局その後、逃げきれぬと悟り、昨日、一族全員で自死したという話です」

「一族全員とは……、どういった訳ですか」

「詳しいことはわかりませぬ」

 役所内ではそれ以上のことを知る者はいなかった。

 よくわからないが、山背大兄は死んで、戦さは避けられたということで、僕はひとまず安心したが、なんとも後味が悪い感じがした。


 二日後、僕は軽皇子に呼ばれた。

「姉上は、上宮太子の甥にあたる高橋皇子を呼んで言ったそうじゃ。山背大兄は罪人ではあるが、上宮様の功績に免じて墓に埋葬を許可したと。また、一緒に自死した一族の者には罪がないので皇族らしく葬るように指示し、家臣たちに関しては特に処罰はしないそうじゃ」

「そうですか……。でも、なぜ一族全員で自死したのでしょうか。山背大兄の妃が山背大兄と共にしようと思う気持ちはまだわかりますが、長男、次男、孫、弟妹や甥っ子まで道連れというのはどうにも」

「一族全員で自死したと、誰が言った」

「え、いえ、だって今、殿下が」

「表向きはそうじゃ。だが、本当は自死ではなく、葛城皇子かもしれぬぞ」

「え」

「葛城皇子が姉上に、山背大兄だけでなく上宮家一族はこの先何かと目障りとなろう、今のうちに災いの芽は摘んでおくべきだと進言していたらしい」

「葛城皇子がそのようなことを」

 確かに皇統をこちら側ひとつにまとめるためには必要なことかもしれない。だが、そのようなことをやったら逆に反発を招くのに。

「将軍の巨勢臣が葛城皇子の宮から出てくるのを、我の舎人が見た」

「巨勢臣ですか」

 豪族は常に次の天皇のことを考えている。どの皇子につくべきか、情勢を見ている。どうやら巨勢臣は次世代の天皇は葛城皇子だと見ているのかもしれない。

「それから斑鳩寺の僧の話では、山背大兄の次男、弓削皇子らは、斑鳩寺に潜んでいた密偵に捕らえられ自害したとか。元々、大臣は斑鳩寺に密偵を送り込んで、上宮家を見張っていたらしい。そのような密偵のこと、姉上も知らなかった。嫌な話じゃ」

 僕ら以外にも、何者かが陰謀計画を立てているのだと知る。あまりいい気持ちはしない。

 そうして、上宮王家は終わった。

「姉上は喜んでおったよ。これで我が息子、葛城皇子が一歩、天皇に近づいた、と。そうそう、山背大兄のことを教えてくれて皇子のために働いた、そちにも褒美をあげようと言っておった」

「いえ、私など何も……」

 天皇に僕のことを何を言ったのだ。もう、あれほど誰にも内緒だと言っているのに。

「新年の任命式で、神祇伯に任命しようと言っている」

 神祇伯の役職には今、叔父の中臣国子が就いている。特例で二人に増やすということらしい。

「神祇伯……ですか」

 神祇伯になど就いたら、今後動きにくくなる。やがて軽皇子が天皇になったとしても、神祇伯から大臣になるのは非常識な話で認められない。軽皇子が本気で天皇になろうと思い始めたように、僕にも欲が出てきた。神祇伯などという世襲の役職では満足できない気持ちが大きくなってきたのだ。何とか断る方法はないか。

「嬉しくなさそうじゃな」

「いえ、そのようなことは……光栄なことでございます」

「もし、嫌なら受けなくてもいいのじゃよ」

「……」

「実はな、相談があるのじゃ」

「はい」

「我はこの先、本気で位に就きたいと思うようになったし、我が息子を就かせたい。そこでじゃ」

「そちが我の軍師になってはくれまいか」

 おお! それは僕にとって渡りに船。

「もちろん、神祇伯と同じくらいの報酬は出す。だめか」

「報酬など、気にしません。私は、以前申し上げたように、殿下が世を治めるお姿を見たいのです。もし、私が殿下のお役に立てるならば、是非、お願いいたします」

「では、姉上に断っておこう、理由は……」

「では、恐れながら、病気がちのため、そのような大役をおおせつかることはできませぬ。ご辞退申し上げます、という風ではどうでしょう」

 神祇伯を断ったなど、旧爺が聞いたら血相を変えて怒るだろう。幸い、若爺はまだ僕に対して強いことを言えない。悪いけれど僕の好きにさせてもらう。

 自称大参謀が、正式に大参謀・中臣鎌足になった。キリッ。


 それから間もない夕、僕は請安先生の庵を訪ねた。残照に照らされる部屋の薄明かりの下、請安先生は書物を読んでいた。

「このような時間に珍しいな」

 先生は何かを感じ、弟子たちを帰らせた。

「請安先生は大陸の国での王位争いを見てこられたのですね」

「うむ。俺が渡って十年足らずで隋が滅びたからな」

「以前おっしゃっていた太子以外の王子を全員滅ぼす話ですが」

「面白いな。先日も葛城皇子が同じことを聞きに来た。大陸では王の妃や妾が自分の子を王位につけるためにどんなことでもすると話したら、詳しく聞きたがった」

「葛城皇子が」

 僕の予感が的中した。

「上宮家の男子が皆滅ぼされたと聞いて、ああ、葛城皇子がやったなと思った」

「やはりそうですか」

「王子だけではない、大陸の国では、王が絶対権力を持つために、力を持ちすぎた家臣は殺される。この国のように権力を持った家臣をのさばらせておくとやがて国を乗っ取られる。そういった話をしたら、皇子は憤慨しておった。なぜ日本では許されるのかと。なぜ大臣は殺されないのかと」

「……」

「葛城皇子、あの男は危うい。鎌子連なら理性的に考え計算して行動できるが、あやつは感情に支配される」

「私も気になっております。……請安先生は百済の王子豊璋様のことをご存知ですか」

「会ったことはないが噂には聞いている。葛城皇子はだいぶ豊璋とやらに肩入れしている様子だな。自分と立場が似ているとかなんとか」

「やはり……」

「俺は百済の人間を心から信じてはいない。葛城皇子は貴公ほど賢くないし、未熟だ。おかしな思想に感化されるかもしれぬ。貴公、葛城皇子を気にしておいたほうがいいかもしれぬ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る