第20話・上宮王家の終焉その後
さて、僕はいつまでもウジウジしている場合ではない。作戦を先に進めなければならない。
軽皇子と僕は更に仕掛けた。僕らは采女や舎人らが側にいる中でわざと噂話をした。
「それにしても上宮王家が一族皆滅ぼされるとは、なんと悲しいことか。鞍作臣はやりすぎではないのか。なぜこのようになったか、そちは知っておるか」
「はあ、鞍作臣の進める政策の強引なやり方に山背大兄が苦言を呈したことがあったとは聞いております」
「それだけか」
「上宮大娘女も、鞍作臣の、天皇に対する非礼を注意したとか。豪族の間では、鞍作臣はお身内の古人大兄を利用して、本当はご自分が天皇になるつもりなのではないか、それで障害となる皇子たちを滅ぼしたのだ、と噂されています」
「なんと! 鞍作臣は自分が天皇になるつもりだと」
軽皇子はわざと声を荒らげた。
給仕する采女たちが、すました顔で聞き耳を立てているのは承知の上である。彼女らの父親は皆それぞれ全国各地の有力な豪族だ。皇室の内情や政治の情報を実家に伝える役目を密かに担っている。
「鞍作臣がどのような御人なのか、私は詳しく存じ上げませんが、この国は天皇あってのもの、そのような邪心を抱いている御人が次の大臣でよいのかと思う時がありますう」
ふはは、見よ、僕の演技力。
この先、入鹿を滅ぼすにあたって大切なことは「鞍作臣は誅されて当然。鞍作臣を滅ぼすが正義」という印象を民衆に与えることだ。特に地方の豪族に与える影響は大きい。そのために入鹿を使って山背大兄を滅ぼさせた。軽皇子側からすると、即位の障害となる上宮家と蘇我入鹿、両方を抹殺できる作戦だ。
それからひと月ほど経って、僕は請安先生に呼ばれた。請安先生がわざわざ連絡をくれるのは珍しいことだ。
僕が先生を訪ねると、先生は、住み込みの男に用を言いつけて彼を外出させた。
「先ほど、玄理が面白い物を持ってきた。明日の朝に返さねばならぬから貴公に貸すことはできぬ。ここで読んでいけ。なんでも山背大兄の罪と罰を検証しなければならないとかで、関係者の供述を書き留めてるそうだ」
玄理……、請安先生の遣唐使仲間の高向玄理のことか。そういえば、国博士に任命されていて、律令作成作業に携わっていると聞いた。
「まずこれが、三輪君文屋(みわのきみのふみや)の供述だ」
「三輪君文屋? 」
「山背大兄の家臣だ。皇子が滅ぼされた後、近くで発見され捕らえられたらしい」
そんな文書を部外者に見せていいのか。この時代、コンプライアンスも何もない。
「あの日突然、宮を軍隊に取り囲まれ、将軍は、上宮大兄様に謀反の疑いあり、大兄様を差し出せ、と言ってきました。家臣の土師娑婆連が、上宮大兄様には何ら罪もない、差し出すことはできぬ、と拒むと、軍隊が矢を射てきたのです。家臣らが応戦しましたが状況が悪く、ここで戦っても勝ち目はない、この場は逃げよう、と宮に火を放ち兵が気を取られている隙に裏から逃げました。その時、馬の骨を火の中に投げ込み死んだと思わせれば、兵は引くはずだと思い、そうしました」
そうだ。あの時、宮の焼け跡から焼けた骨が見つかり、おそらくそれが山背大兄とその妃のものではないかと、軍隊が引き上げてきたのを見た。
「私たちはひとまず生駒山の別荘に身を隠し、これからのことを考えました。大兄様は、我に謀反の疑いがかけられているのなら、我が処罰されればすむ、我ひとりの命を差し出せばよい、と言っておられました。それをお妃様と嫡男の難波皇子が、こちらには何の罪もない、処罰を受け入れてはならぬ、このような横暴を許してはならないと説得したのです。それで大兄様は戦うことを決意なされました」
やはり、戦さをするつもりだったのか。
「そこで私は、辺りの兵がいなくなったら上宮様の寺である斑鳩寺に入りましょう、と申し上げました。斑鳩寺を拠点として全国の領地に遣いを出し、兵を集め、鞍作臣の軍隊と戦おうと。上宮様の部民を召集すれば、相当な数の軍勢となりましょう。軍勢を集めて京へ上り、悪政を滅ぼすのです。京には上宮様に恩ある者たちも多い。大兄様がその気になりさえすれば、多くの者が力になってくれましょう。そう申しました」
もしそのまま戦さになっていたら、京は大変なことになっていただろう。
「何日経ったでしょうか、辺りから軍隊の姿が見えなくなって、別宮に住む弟君の日置皇子と、大兄様の次男の弓削皇子に斑鳩寺に集まるよう、こっそり人を出しました。一方で私は、山背国へ行き協力を頼もうと別荘を出ました。そのすぐ後でした。別荘に向かって大勢の兵が向かっているのを見て、大兄様にお知らせしようと引き返した途端、兵に捕らえられたのです。その後のことは私は存じません」
これが彼の話の全てだ。
「その後のこと……。あの時、山背大兄は逃げ延びて生駒山の山中に姿を見かけた者がいるから、再び軍隊が出動したと聞きました。軍隊に別荘を囲まれ、逃げきれぬと悟り一族全員で自死したと」
聞いた時も違和感があったが、なぜ一族全員で自死したのだろう。
「もしかしたら、自死ではないと思っているな」
請安先生が僕の心を読んだように言った。
「皆そう思っている。普通に考えたら、山背大兄は自分の命と引き換えに、女子供の命乞いをするだろう。つまりは、そのような猶予を与えなかったということだ。最初の、いきなり矢を射かけてきた、という話でもそうだ」
「というと」
「最初から上宮家全員を滅ぼすつもりだったということだ」
「僕は、天皇は申し開きの機会を与えると聞きました」
「……それから、これは斑鳩寺の僧の話だ」
請安先生は別の文書を差し出した。
「朝早く、上宮大兄様の次男である弓削皇子が、御妃と御子たちを連れて来られました。上宮大兄様が謀反の疑いをかけられていること、そのような謀反の気持ちは全くないこと、そして、兵を集め鞍作臣を滅ぼすつもりであることを告げられました。それで、寺をしばらく使わせてもらいたい、とおっしゃるので、もちろんでございます、この寺は上宮様の寺、私どもは上宮様にご恩がございます、どうぞお使いください、と申しました」
「弓削皇子は寺で大兄様を待ちました。ですが……。それから間も無く、弓削皇子が自死なされたと、大狛法師が見つけました。大狛法師は数年前に寺に来た僧ですが、大狛法師が言うには、皇子は寺の天井に縄を巻きつけ、首を括っていたそうです。慌てて綱を解き下ろした時はすでに息絶えておられたとかで。その後、上宮大兄様たちも別荘で自死なされたと聞きました」
「その大狛法師とやら」
請安先生が言った。
「何者かが上宮王家を見張るために派遣した間者かもしれないぞ」
「何者かとは」
「まあ、これ以上は詮索したところでどうにもなるまい」
「それから最も俺が興味深かったのはこれ、将軍の巨勢臣徳太の供述だ」
「鞍作臣の命令で、軍を率い、斑鳩宮を取り囲んで謀反の疑いで捉えようとしたら、山背大兄皇子の家臣らが矢を射かけてきたので、迎撃しました。山背大兄皇子は宮に火を放ち、その後、焼け跡を調べると骨が見つかり、死んだと思って軍を引き上げました。後日、生駒山の山中に姿を見かけたという報告があり、再び、鞍作臣の命令で斑鳩に向かいました。生駒山の上宮様の別荘を包囲したところ、既に、山背大兄皇子と妃、御子たち、一族全員で自死しておられました」
「……これは」
「面白いだろう」
「鞍作臣の命令、とあります」
「そこだ。何か企みがありそうだろう」
天皇の命令ではない、入鹿の独断で兵を動かしたのだ、と言っているような。
「ふふふ」
請安先生が笑った。
「陰謀の匂いがする。面白いな」
僕は、そんな先生を少し怖いと思った。
年が明けての新年祝賀の行事では、それまで上宮一族がいた席がなくなり皇族の席が寂しく見えた。山背大兄は斑鳩にいたので人々は普段さほど意識していなかったのだが、こうなってみると上宮一族が本当に滅びたことを改めて感じた。
上宮一族が滅ぼされたことや経緯を知らなかった地方の豪族らは、この時初めて事件の顛末を知ることとなったが、それは必ずしも公正な情報ではなかった。僕らが脚色した話だ。
「山背大兄は鞍作臣の政の批判を口を出したから、鞍作臣の軍隊に攻められ、滅ぼされたそうですよ」
「元々、鞍作臣が自分のお身内の皇子を天皇にするためには、人気のある山背大兄が邪魔だったのだ」
「いや、鞍作臣は他の皇族も皆滅ぼして、ゆくゆくは自分が天皇になるつもりなのだとか」
地方では聖徳太子の人気は根強い。僕らは、山背大兄への同情心を利用し、善人の山背大兄像を作ることで、悪人対善人の構図を作り出す。
「山背大兄は、多くの民を戦いに巻き込みたくないと、鞍作臣との戦を避け、ご自分の身を犠牲にしたという」
「なんと慈悲深い」
しかし、民は時として予想もつかない方向へ動く。間もなく町人や農民の間では妙な噂が囁かれるようになった。
「いずれ上宮様の祟りが鞍作臣に降りかかる」
予想外であったが、そのような噂は僕らにとっては追い風になる。
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