第34話・重祚

<これまでのあらすじ>

二十一世紀、起業を目指してゲイバーでバイトする大学生だった僕は、夜の街で見知らぬ男に刺されて死に、飛鳥時代に転生して中臣鎌足(後の藤原鎌足)の中の人になった。

飛鳥時代の父親である「殿様」が急死し、慣れない世界で苦労するが、小間使いのトヨに助けられ、結婚をしたり子供を持ったり、それなりに楽しく暮らす。


当時の皇后宝皇女(たからのひめみこ)の弟である軽皇子(かるのみこ)と親しくなった僕は、軽皇子を天皇にしようと計画を立て、舒明天皇の第二皇子で宝皇女の息子である葛城皇子(かづらぎのみこ)通称中大兄(なかのおおえ)らを計画に誘い込んだ。

軽皇子を天皇にするためには、天皇を傀儡にしている蘇我大臣父子、舒明天皇の第一皇子で蘇我大臣の血を引く皇太子古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)、カリスマ聖徳太子の長男である山背大兄皇子(やましろのおおえのみこ)が障害となっていたが、僕らは山背大兄一族を滅亡させ、蘇我入鹿(そがのいるか)にその罪を着せ誅殺した。


そうして僕らの革命は成功し、蘇我大臣は滅び、軽皇子が即位して天皇中心の中央集権国家が出来上がった。いわゆる「大化の改新」を成し遂げた。

思い通りにいって喜んでいた軽皇子と僕だったが、軽皇子と葛城皇子は対立していった。皇太子となった葛城皇子は、古人大兄をはじめ邪魔者を次々と消し去り、やがて軽皇子は失意のうちに死んだ。


<重祚>

 あの華やかな「白雉の儀」から四年半後の晩秋、天皇軽皇子が寂しく崩御した。

 難波宮の南庭には殯宮(もがりのみや・天皇の棺を埋葬するまで安置し喪の儀式を行う仮宮)が建てられた。主人を失った宮の庭では、寒椿が小さな蕾をつけ始めている。いったい軽皇子はこの美しい庭の花々をどれだけ楽しんだだろうか。

 舒明天皇が死んでから十三年が経っていた。本当に、いろんなことがあった十三年だった。


 早速、飛鳥で皇位を決める群卿会議が開かれた。

 最初に左大臣巨勢臣が

「皇祖母尊(すめみおやのみこと)であられる宝皇女が重祚なさることでよろしいか」と言った。

 僕は事前に話をしていたから知っている。

「皇太子ではないのですか」

 若い群卿が言う。

「皇祖母尊が重祚なさるとおっしゃっているのだ。それでよろしいのではないか」

 巨勢臣の言葉に、他の皆は押し黙ったままだ。

「では、来春、一月三日に即位の儀を行なうこととしよう」


 会議の後、廊下を歩いていると、人の声が聞こえた。会議に出ていた若い群卿だ。

「なぜ、皇太子が立たないのか」

「アレでしょう、妹君とのアレ」

「皇后となってもまだ続いていたのか」

「そうだろう。じゃなきゃ、皇后は難波に残っていたはずだ。さすがに皇后となられた方とそういう関係じゃ、立つのは無理だろうよ」

「だからって重祚とは。他にも皇子がいるだろうに」

「だからですよ。他の皇子に即位させないために、重祚なさったのでしょう」

「しかし、自らお立ちになると決めるなど、我らを無視した行い」

「しっ」

 僕の姿を認めると、彼らは口をつぐんで立ち去った。

 仕方がない。僕だって、こんなこと無茶苦茶だと思ったもの。でも、皇位争いが起きるくらいならこれでいいと思ったのだ。


 僕は引き続き、内臣の地位のままだった。左右大臣もそのままだ。

 葛城皇子は再び皇太子に立てられた。

 葛城皇子と間人皇女の関係は今や公然の秘密だった。間人皇女が皇后となり、その関係は終わったと思われていたが、先だって天皇を難波に残し、葛城皇子が間人皇女を連れて飛鳥に戻ったことで、まだ関係が続いていると皆に推測された。流石に天皇となる人間にはそのようなことは許されない。せめて間人皇女とキッパリと縁を切り、京から遠く離れた寺で出家させるなどしなければ皆は納得しないだろう。



 天皇の宮が正式に飛鳥に移ったので、僕も難波から飛鳥の屋敷に引っ越した。

 屋敷の前では若爺とトヨと二人の娘、トメとミミモが出迎えた。

「とと様、お帰りなさいまし」

 そう言って頭を下げるトメとミミモは、すっかり少女らしく成長していた。

 長女のトメは既にトヨの身長を追い越していた。ミミモはまだ子供っぽく僕にじゃれついてくる。

「とと様、これからはいつもお会いできるんでしょう」

「そうだよ、今まで寂しい思いをさせたね」

 とと様。ああ、いい響きだ。娘がいるってすばらしい。ジーン。


「やっぱり飛鳥は落ち着くなあ」

 不思議だ。まるで生まれ故郷に帰ってきたような気がする。飛鳥は僕の第二の故郷になったのだろうか。このところ、つらいことが続いてストレスが溜まる日々だったが、こうして屋敷の縁側で座っていると少し晴れた気分になる。

 考えたら、軽皇子はこの時代に転生して初めてできた友達だったんだ。友達じゃなくて主従関係だけどな。いなくなったのが未だ信じられない。

 しばらくは平和にのんびり暮らしたい。この先の歴史がどうなるか知らないけれど、流れに身を任せようっていうことで。


「よお、引っ越しは終わったか」

 佐伯子麻呂が現れた。ここ数年は子麻呂ともゆっくり会う機会もなかった。

「うむ、そっちはどうだ。相変わらず皇太子のとこか」

 子麻呂は皇太子の管理下に戻った近衛兵の任務についている。

「ああ」

「で、皇太子はまだ、後嗣を決めないのか」

 葛城皇子が天皇になるにはもうひとつの障壁があった。それは後嗣の問題である。天皇になったら後嗣を決めなければならない。天皇の後嗣は、皇族または身分の高い妃を母とする皇子であることが条件だ。

「難しい問題だな。周りの皆の中でも意見が割れている」

 葛城皇子には今、三人の息子がいる。長男と三男は身分の低い采女を母に持つ皇子、次男は前右大臣蘇我倉山田臣石川麻呂の娘を母に持つ建皇子である。

「母親の身分が低い長男と、後継にふさわしい血統だが口がきけない次男、か」

「身分を考えなければ、長男の大友皇子はなかなか聡明でふさわしいのだが。地方の豪族の娘とか、今まで無かったろう。他の豪族からの反発は相当なものになる」

「相変わらずそんな感じなのか。いつになったら生まれとか関係ない世になるのかね」

 僕の言葉に子麻呂が苦笑した。

「そうだな、昔もそんなこと言ってたっけな」

 その当時よりは子麻呂も僕も出世した。でも僕らはまだ世の中を変えることはできていない。

「以前から問いたかったのだが」

 僕は思い切って子麻呂に言った。

「子麻呂は皇太子のために命を捨てられるか? 」

 僕は、軽皇子を救うより自分の命を優先したことに、ずっと負い目を感じていた。

 子麻呂はおかしな顔をした。

「答えられない質問をするなよ」

「そうだな。悪い。忘れてくれ」

「俺は……」

 子麻呂は紅葉に染まった遠くの山を見つめたまま言った。

「自分の子供が一番かな」

 言った後、彼は慌てて否定した。

「あ、いや、そなたのことを責めているのではない。事情があったのだろう、あんなに可愛がっていたんだ、わからないけど、わかってる」

 マヒトのことを言っている。

「いいよ、まあ、僕なりに考えたつもりだった」

「わかってるよ。俺だって皇太子の下でいろいろ見てきたから」

「……うん」

 でも僕は少し安心した。たぶん子麻呂も葛城皇子のために命を捨てない。


 僕は今、内臣は群卿のトップであると同時に「天皇の軍師」的な役も兼ねている。

 しかし、宝皇女に挨拶に行って僕が政治の話をしようとしたところ「政は全て皇太子に委ねておる。今後は皇太子とせよ」とつっけんどんに言われた。前々から思っていたけれど、僕は宝皇女によく思われていないみたいだ。乙巳の変の時に葛城皇子の即位に反対したからか? 

 一方、葛城皇子は、軽皇子がいなくなって何の気兼ねもなくなったのか、僕を頻繁に宮へ呼ぶ。わざわざ僕が仕事をしているところに昼食の誘いの遣いを寄越すこともあるほどだ。まあ、日常的に意思の疎通をはかるのは良いことなのだけれど。



 十二月になり、軽皇子の埋葬が終わり有間皇子が飛鳥京へ戻ってくると、僕は、かつて軽皇子が住んでいた宮、今は有間皇子が住んでいる宮へ挨拶に行った。

 軽皇子の妃だった母親の小足媛は、その隣にある宮に戻っていた。以前、阿倍臣が娘の婚姻にあたって建てた宮だ。

 そういえば、軽皇子の皇后、今は皇太后となった間人皇女は、重祚した母親宝皇女の宮に一緒に住んでいるらしい。もうひとりの妃、石川麻呂の娘は、父親のあの事件の後、子供もいなかったこともあり、出家していた。

 有間皇子は父親が死に、母方の祖父の阿倍臣も死んで、頼れる近しい身内といえば母方の叔父の阿倍御主人(あべのみうし)だけだ。ただ、祖父の阿倍臣は娘の一人を軽皇子、もう一人の娘を葛城皇子に嫁がせているから、阿倍御主人からすると、有間皇子と葛城皇子、両方とも身内なのだ。葛城皇子側につく可能性も高い。それに阿倍御主人はまだ若く、たとえ有間皇子の後見人になったとしても、さほど力にならない。


「私は、お父君と、貴方様をお守りする約束をいたしました」

 僕は、深々と頭を下げた。有間皇子の白い喪服姿が痛々しい。

「我も父上から鎌子だけは信頼できる、と言われていました。ですが」

「? 」

「我には阿倍臣がついているので、心配無用。我は大丈夫です」

「ええ、しかし、」

「内臣はお仕事がございましょう。我よりも政に尽力してください」

「……わかりました。しかしながら、皇太子には気をつけてください。くれぐれも目をつけられませんように」

「ご心配ありがとうございます。我も我なりに考えておりますので」

「もしお力になれることがありましたら、何時でもご連絡ください」

 フッと皇子が冷ややかに笑った。

「そうですね、何かありましたら」


 有間皇子の雰囲気が変わったように感じた。このような目に遭ったら性格が歪んでも仕方ないかもしれないが、どこか僕に対して他人行儀になった。

 結局僕は何もできずに、彼の父親の軽皇子を見殺しにしたようなものだから、僕を信じられなくなっても当然なのかもしれない。

 それとも、彼は出生の秘密を知ったのだろうか。軽皇子が死んだ後、小足媛、或いは宮の人間が話してしまったのだろうか。

 有間皇子が望むなら、僕は参謀として有間皇子を天皇にしたい。だが、僕のことを百二十パーセント信じていた軽皇子と違い、僕に疑心を抱いている有間皇子の心を動かすことはできない。

 僕はただ、遠くから彼の幸せを祈ろう。もし助けを求められたらいつでも手を差し伸べられるように。それが影の父としてできることだ。

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